平和外交研究所

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2017.03.23

(短文)教育勅語の非国際性

 教育勅語が話題になっている。すでに失効しているが、あらためて国際性の観点から見なおしてみた。
 
 そもそも教育勅語は国家、天皇(家)、国民(「臣民」と表現)の美徳、教育理念、義務などを述べたものであるが、すべて日本のことであり、世界の教育を論じたものでない。
 ただ、末尾で、「これらのことは天皇の祖先からの遺訓であり、国民が順守すべきである。このことは昔も今も変りがなく、かつ国の内外を問わない」と述べていたので、国際的な観点を完全に無視してはいない形になっていた。
 しかし、外国は勅語の内容を知らないし、内容に賛同することもないだろう。勅語のような考えの外国人がいるかもしれないが、それはあくまで例外である。とすれば、日本について述べていることが「内外を問わず正しい」というようなことは言えないはずであった。
 
 教育勅語が発布されたのは明治23年(1990年)、日本が西洋から近代文明を取り入れて富国強兵につとめ、国力が急上昇している時であった。我が国の「国体」や精神を高らかに歌い上げたいという気持ちは分からないではないが、今から考えれば、採用された「内外を問わない」という言葉は勅語の主旨にも合わないし、また事実でもなかった。

 ちなみに、五箇条のご誓文は、そのうちの一つが「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」、すなわち、「知識を世界から学び、天皇が国を収める基礎を築いていこう」というもので、教育勅語よりはるかに国際性に配慮していた。

 戦後制定された教育基本法の第二条は教育の目標として、やはり5つの項目を掲げており、そのなかに(第5項目)「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」が含まれていた。

教育勅語を参考までに掲げておく。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽」

2017.03.22

(短文)日露2+2

 日本とロシアの外務・防衛閣僚級協議(2プラス2)が3月20日、東京で開催された。
 2プラス2は、米国との間では歴史が古く、ほぼ毎年開催されている。日本にとってこれに次ぐのは豪州との2プラス2であり、2007年に始まり、これもほぼ毎年開かれている。
 ロシアとの間では、2013年、安倍首相とプーチン大統領との合意に基づき初めて2プラス2が開催された。その時議題となったのは部隊間交流、演習へのオブザーバーの相互派遣、アデン湾での共同訓練、サイバー攻撃への対処などであった。
 しかし、次の年にクリミア併合が起こり、そのため2プラス2は開かれなくなっていた。
 ロシアは日本だけでなくほかの国とも類似の協議を行っているが、いずれもクリミア併合の影響を受け開催されなくなっており、再開するのは今回の日ロ協議が初めてだそうだ。
 
 今回日本がロシアとの2プラス2を開催することとしたのは、日ロ間の信頼醸成を強化し、ひいては平和条約問題への地ならしとなることを期待してのことだろう。今回の協議でこの問題がどの程度話し合われ、進展したか。発表では、北朝鮮の核・ミサイル問題については双方が連携する方針で一致したが、ロシア側は北朝鮮を念頭に置いた米国のミサイル防衛(MD)システムに懸念を表明し、日本側はロシアの北方領土へのミサイル配備に抗議したそうだ。
 このような意見の違いは今回の協議開催前から予想されていたことであり、新味はない。それより大事なことは安倍晋三首相とプーチン大統領の会談を来月下旬、ロシアで行うことを確認したことであった。
 要するに、今回の2プラス2を開催したことの意義は、両国間の信頼関係を強化することもさることながら、首脳会談のおぜん立てをすることにあったようだ。
 米国でトランプ新政権が発足したことにより米ロ関係が改善される可能性が出てきた。このようなことも日露間での首脳会談や2プラス2を後押ししている。
2017.03.14

(短評)自衛隊の南スーダンからの撤退

 3月10日、日本政府は南スーダンのPKOに派遣している自衛隊部隊を撤収すると発表した。その理由については、このPKOへの派遣期間が5年になること、日本の部隊が担当している施設整備が一定の区切りをつけられること、幹線道路の整備に貢献してきたことなどをあげているが、かねてから問題になっている現地の状況、とくにPKOの条件である和平・停戦が崩れているのではないかという問題、国会で議論されている言葉では、「戦闘」が行われているのではないかという問題については何も言及しなかった。

 「戦闘」があると判断すべきか否かについては、現地の部隊では「戦闘」が行われているという認識であり、それを記した日誌があるが、政府はごく最近に至るまでそのことを説明しなかった、つまり、事実と異なる説明をしていた。このいきさつに関し国会では激しい議論が行われているが、どのような形で収拾されるのか、よくわからない。
 ただ、一国民としても考えておくべきことがある。南スーダンの状況を「戦闘」と呼ぶか、呼ぶべきでないかはともかくとして、自衛隊の部隊が危険を覚える状況にあったことは明確になっている。しかし、国連は、だからと言ってPKO活動を止めるとはなかなか言わない、平和維持活動の要件が失われたことをなかなか認めようとしないのが現実である。それには国連としての立場も悩みもあるが、PKO活動を重視する日本として独自の判断があってよいと思う。つまり、国連の基準では停戦が崩れていない場合でも日本としては別の判断を主張してよいと思う。

 自衛隊を撤収するに際しても、勝手に引き上げるのではなく、PKOの最高司令官である国連事務総長の許可を得て引き上げるのだが、それは比較的技術的なことであり、日本が撤収を決めれば司令官たる国連事務総長が拒否することはない。

 問題は、現地の状況が南スーダンのように微妙な情勢にあって判断が分かれる場合だ。PKOは本来和平・停戦が成立している場合に行われる活動であり、だからこそ日本としてこれに参加しても憲法に触れることはない。憲法は国際紛争に日本が巻き込まれることを禁止しているからである。
 しかし、日本政府は、憲法の下で「自衛」の行動を認めることになったいきさつから、自衛隊は外国へ派遣できない(自衛でなくなるから)と考え、PKOについても非常に限定的に認めてきた(外国へ派遣するので)。このような解釈は政府として変更は難しいようだが、しかし、PKOについては憲法は禁止していないことを正面から認めるべきだと思う。

 そのような理論構成をすべきか否かを検討するのに、南スーダンでのPKOへの自衛隊派遣は重要な事例である。今後も日本はPKOへの参加を求められるだろうし、積極的に参加すべきだ。そのためにもこの際問題点を徹底的に洗い出すべきだ。
 そのような観点からみると、今回の政府の発表は物足りない。問題となりうること、国会で批判される恐れのあることはいっさい口をつぐんでいるのではないか。将来の日本の国際貢献のためにも、政府には工夫して論点を国民に分かりやすい形で説明してほしい。

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