平和外交研究所

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2017.03.29

核禁止条約交渉に日本は参加しないでよいか

 3月27日、国連本部で「核兵器禁止条約」の制定を目指す会議が始まったが、日本は参加しなかった。昨年12月、国連総会でこの条約交渉の開始が決定された際、賛成した国は113カ国、反対は35カ国。核保有国の米英仏露は反対し、中国は棄権した。日本は反対票を投じた。
 今回始まった交渉への参加/不参加状況はほぼこの決定の時と同じであるが、中国も不参加となった。つまり、米英仏中ロなど全核保有国が欠席した。核の非保有国では、米国の同盟国の大半は不参加であったので日本だけが特異な姿勢ではなかったようだ。
 さらに、条約交渉開始と同時刻に、交渉場所の外側で、ヘイリー米国連大使が約20カ国の国連大使らと共に条約に反対する声明を読み上げたが、日本の高見澤軍縮大使は同席しなかった。

 日本は核禁止条約交渉に反対しているが、交渉の場には出向き、日本の考えを主張すべきであったと思う。今回、交渉を始めるに先立って国連総会議場で各国が意見を述べる機会があり、高見澤大使は日本の立場を説明した。その限りでは改めて日本として主張したが、交渉の中でも日本は我が国の考えを主張すべきであった。
 交渉は2段階になっており、31日まで行われる第1段階では各国が基本的な考えを述べることになっている。そして、交渉はいったん休会となったのち、6月から第2段階が始まり、条約案の審議が開始される予定だ。そういうことであれば、この第1段階は日本として反対の立場を説明・主張するのに適した場ではないか。
 要するに、日本は、核兵器の禁止に現時点でどうしても賛成できないとしても、それを条約にしてしまおうという試みには最後まで説得を続けるべきであったと思う。

 以上もさることながら、日本が交渉への不参加を決定したのは、米トランプ政権と異なる態度を取るべきでないと日本政府(その一部?)が考えた結果であると言われていることに深刻な懸念を覚える。
 日本は米国の核の傘の下にあるが、核政策について個性があってよいし、むしろ個性的であるのは当然だ。被爆国だからだ。核の禁止には反対しても核保有国と違う個性があって当然だ。しかるに、米国と異なる態度を取るべきでないとすると、この個性を放棄することにならないか。
 しかも、トランプ政権は軍事予算を法定限度額を超えて増額する方針であり、かつ、核兵器の近代化も重視している。このような方向性の米国と、核について同じ方針を取れるか、非常に疑問だ。

 さらに、この問題はトランプ政権とどのように協力していくかという一般的なこととも関連している。日本としてできること、できないことは米国とおのずと異なっている。それを無視すると、たとえば、朝鮮半島で米国が軍事行動を始めた場合、日本は米国から求められると「第三国による攻撃を排除するために必要な武力の行使、部隊の展開などを自衛隊にさせる」ことになる。その前提として「日本の存立が脅かされる明白な危険がある」などいわゆる新3要件を満たすことが必要であるが、トランプ政権と違う態度を取らないという方針に従えば、それは比較的容易に認定されるだろう。
 しかし、そのようなことは、無謀な戦争をしたことを反省し、再出発したときの考えである現憲法とあまりにも違ってくるのではないか。
 心配しすぎかもしれないが、トランプ政権と歩調を合わせるというのが日本政府の方針だとすると、国民が認識していない危険にまでつながっていくように思えてならない。



2017.03.24

核兵器禁止条約交渉に日本は参加すべきだ

 国連では3月27日から核兵器を法的に禁止する核兵器禁止条約の制定をめざす交渉が始まる。報道によれば、米国のNSC(国家安全保障会議)のフォード上級部長は、3月21日、同条約について要旨次のように発言した。

 「核兵器禁止条約は世界をいっそう危険で不安定にする。核禁止条約ができても一発の核兵器の減少にもならず、加盟しない核保有国には新しい法的義務を課すことにならない。禁止条約は米国と欧州やアジア太平洋地域の同盟国との拡大抑止を意図的に弱めようとしているようだ。国際平和を長く下支えしてきた戦略的な安定を損なう。禁止論は非現実的な期待に根ざしている。
 核兵器なき世界という目標が今の安全保障環境に照らして現実的か再検討中だ。」
 
 日本の立場は難しい。政府は、核保有国が参加しない交渉には実効性がないとの考えであり、条約交渉に参加するかどうか、3月22日の時点でも「検討中」だと別所国連大使が説明している。

 日本はどの国よりも核兵器の廃絶を望んでいる。しかし、核の抑止力に依存せざるを得ないのも事実であり、核を禁止すればこの矛盾が解けるのではない。また、条約で禁止してもすべての国が順守する保証はないし、条約に参加しない国には禁止の効果は及ばないという問題もある。

 ただ、条約交渉には参加すべきだと思う。条約名は「核兵器禁止条約」と言っても、具体的な内容はこれから交渉して決めていくのであり、日本の立場を害さないで条約ができる可能性はあるかもしれない。すくなくとも、この重要な問題については条約内容が明確になるまで日本として最大限の努力をすべきだと思う。

2017.03.23

(短文)教育勅語の非国際性

 教育勅語が話題になっている。すでに失効しているが、あらためて国際性の観点から見なおしてみた。
 
 そもそも教育勅語は国家、天皇(家)、国民(「臣民」と表現)の美徳、教育理念、義務などを述べたものであるが、すべて日本のことであり、世界の教育を論じたものでない。
 ただ、末尾で、「これらのことは天皇の祖先からの遺訓であり、国民が順守すべきである。このことは昔も今も変りがなく、かつ国の内外を問わない」と述べていたので、国際的な観点を完全に無視してはいない形になっていた。
 しかし、外国は勅語の内容を知らないし、内容に賛同することもないだろう。勅語のような考えの外国人がいるかもしれないが、それはあくまで例外である。とすれば、日本について述べていることが「内外を問わず正しい」というようなことは言えないはずであった。
 
 教育勅語が発布されたのは明治23年(1990年)、日本が西洋から近代文明を取り入れて富国強兵につとめ、国力が急上昇している時であった。我が国の「国体」や精神を高らかに歌い上げたいという気持ちは分からないではないが、今から考えれば、採用された「内外を問わない」という言葉は勅語の主旨にも合わないし、また事実でもなかった。

 ちなみに、五箇条のご誓文は、そのうちの一つが「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」、すなわち、「知識を世界から学び、天皇が国を収める基礎を築いていこう」というもので、教育勅語よりはるかに国際性に配慮していた。

 戦後制定された教育基本法の第二条は教育の目標として、やはり5つの項目を掲げており、そのなかに(第5項目)「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。」が含まれていた。

教育勅語を参考までに掲げておく。
「朕惟フニ我カ皇祖皇宗國ヲ肇ムルコト宏遠ニ德ヲ樹ツルコト深厚ナリ我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ億兆心ヲ一ニシテ世世厥ノ美ヲ濟セルハ此レ我カ國體ノ精華ニシテ敎育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ恭儉己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ學ヲ修メ業ヲ習ヒ以テ智能ヲ啓發シ德器ヲ成就シ進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ是ノ如キハ獨リ朕カ忠良ノ臣民タルノミナラス又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
斯ノ道ハ實ニ我カ皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ子孫臣民ノ俱ニ遵守スヘキ所之ヲ古今ニ通シテ謬ラス之ヲ中外ニ施シテ悖ラス朕爾臣民ト俱ニ拳々服膺シテ咸其德ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
明治二十三年十月三十日
御名御璽」

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