6月, 2013 - 平和外交研究所
2013.06.29
原文は、http://facta.co.jp/article/201307040.html
竹島に関する太政官決定
竹島は、サンフランシスコ平和条約で日本に帰属していることが明確になっているが、歴史的には注意を払う必要があり、「竹島は日本の領土でない」とした太政官決定(今日の閣議決定以上に重要)が明治10年(1877年)に発出されている。このことを外務省は無視すべきでないと論じる一文をFACTA誌へ寄稿した。原文は、http://facta.co.jp/article/201307040.html
2013.06.28
この中で、核兵器の抑止力に議論が及んでいることが懸念される。サイバー攻撃を防ぐために核の抑止力を維持すべきであるという考えであり、当然場合によっては核が使用されることが前提となる。これは健全な考えだろうか。場合によってはサイバー攻撃の発生源を核攻撃するということであろうが、そもそも発生源は明確に特定しえないのではないか。だからこそ、広範囲に敵を無能化する核が必要だというのは危険極まりない発想である。サイバー攻撃の発生源以外の人も何十万、あるいは何百万の単位で殺害されるであろう。そんなことは絶対に許されない。どんなにサイバー攻撃が恐ろしくても。
ワシントン・ポスト紙(2013年6月14日ネット版)に掲載されたRichard A. Clarke and Steven Andreasenの「サイバー攻撃は新しい核抑止政策を正当化しない」は専門的観点から問題点を指摘しているよい論文である。
サイバー攻撃と核
サイバー攻撃の脅威はかつての化学兵器や生物兵器の脅威に代わって、あるいはそれ以上の恐れられている感がある。安全保障に関する国際会議では、話題にならないことはない。先の米中首脳会談でも、シンガポールでのアジア安全保障会議(シャングリラ対話)でもホットなトピックであった。米国内では、国防総省はもちろん、一般の世論においてもほぼ日常的に議論が戦わされていると言って過言でないだろう。この中で、核兵器の抑止力に議論が及んでいることが懸念される。サイバー攻撃を防ぐために核の抑止力を維持すべきであるという考えであり、当然場合によっては核が使用されることが前提となる。これは健全な考えだろうか。場合によってはサイバー攻撃の発生源を核攻撃するということであろうが、そもそも発生源は明確に特定しえないのではないか。だからこそ、広範囲に敵を無能化する核が必要だというのは危険極まりない発想である。サイバー攻撃の発生源以外の人も何十万、あるいは何百万の単位で殺害されるであろう。そんなことは絶対に許されない。どんなにサイバー攻撃が恐ろしくても。
ワシントン・ポスト紙(2013年6月14日ネット版)に掲載されたRichard A. Clarke and Steven Andreasenの「サイバー攻撃は新しい核抑止政策を正当化しない」は専門的観点から問題点を指摘しているよい論文である。
2013.06.27
「2012年、日、米、韓、中、ロで新しい政権が発足した。日本と韓国および中国との関係が新しい指導者の下でどのように展開するか。この三ヵ国は経済的にはもちろん、政治的にも協力しあい、アジアの、ひいては世界の平和と繁栄のために大きな力となりうるが、歴史問題のように心配な面もある。
安倍総理は新年早々額賀元財務相を韓国へ派遣し、朴槿恵次期大統領に対して、両国間の友好関係増進にかける意欲を示した。朴槿恵氏は、安倍総理からの訪日要請に感謝しつつ、「多くの面で日韓の協力が必要だ。日本とは歴史を直視しつつ、融和と協力の未来を志向する信頼関係を強めたい」と語ったと報道されている。日韓関係は新年上々の滑り出しであるが、朴槿恵氏が歴史問題に言及したことには注意が必要である。
朴槿恵氏はハンナラ党代表として2006年に来日したことがあり、当時の森喜朗前総理、扇千景参議院議長、河野洋平衆議院議長、安倍晋三官房長官、麻生太郎外務大臣らと会った後、小泉総理と会談した。朴槿恵氏は、日韓両国は経済、外交、両国間交流など各分野で意見が一致しうるとしつつ、「歴史問題を解決できなければ、両国は無限の可能性を持っているが、一歩たりとも先へ進めない」と率直に語っている(同氏の『自叙伝』 以下の引用はすべて同書からである)。
朴槿恵氏が日本の政治家に向き合う姿勢は剣士の正眼をほうふつさせる。同氏は「(日本で)多くの政治家と会った。一様に日本側の論理で武装した人たちだった」と一刀で論断し、また、小泉総理には、自由民主主義と市場経済の価値を共有する日韓両国が協力していかなければならないことを強調した上で、「両国関係は独島(竹島)問題、教科書問題、靖国参拝、慰安婦問題などに引っかかり、先へ進めないでいます」と訴え、これに対して小泉総理が、両国関係は困難な問題にもかかわらず発展してきており、友好親善を拡大していきたいなどと応じたところ、「小泉総理は本質的な問題に対する答えを避けていると感じた」と吐露している。これが会談の記録として正確か確かめてはいないが、すくなくとも朴槿恵氏はそのように受け止めたのである。
朴槿恵氏は経験豊かな政治家だ。老練と言うのはもちろん、百戦錬磨と言ってもその優雅で落ち着いた物腰とはあまりにもかけ離れてしまうが、22歳の時に母親が凶弾に倒れた後ファーストレディとして父親の朴正熙元大統領に付き従い、その5年後に同大統領が暗殺された後は後継政権の内外で起こった誹謗中傷と戦った。不遇の時には「日記と読書で考えを整理し、詩を書いたりして心を慰めた。仏教経典も読みふけり、「『貞観政要(唐の太宗の言行録))』、『明心宝鑑(高麗時代に作られた儒学の箴言集)』などは枕元に置き何回も読んだ」。1997年の金融危機後、韓国の窮状を憂い政治の世界に飛び込み、爾来政治家としての喜びもつらさも経験した。ハンナラ党内部で改革を志したが、失敗し、一時期離党を余儀なくされた。復党した後、2004年にはどん底に落ちていたハンナラ党の党首となった。応援演説のさなか暴漢に襲われたことがあり、「(出血を抑えるために)抑えていた指が傷口に入るほど」頬を切られた。この間(2005年)、政権運営に行き詰まった盧武鉉大統領から大連立のラブコールがあったが、きっぱり断った。それでも外遊に出発する盧武鉉大統領に誕生日のお祝いの言葉を贈ったのに対し、「突拍子もない返事が返ってきた」。何が突拍子もないか、朴槿恵氏は自叙伝で説明しているが、大胆に要約すれば、あまりに自虐的な返事であったので驚いたということである。つまり、優しい言葉をかけたら、いじけている返事が返ってきた。おバカさんね。というようなやり取りに思われる記載であり、少なくとも精神的には、野党の党首である彼女がはるかに優位に立っていたことがうかがわれる。
歴史問題について、中国は基本的に韓国と同じ立場にある。習近平総書記がどのような考えであるか見極めることも重要なことであるが、中国では、とくに歴史問題については共産党としての方針が決定的であり、総書記個人の考えが左右する余地はあまりない。いずれにしても、中国は歴史問題について今後も厳しい態度を取り続けるであろう。新年になってからもすでに、靖国神社に放火した犯人を韓国が日本に移送せず、中国へ返したことを歓迎するなどしている。
一方、韓国大統領選挙での朴槿恵氏の勝利について、中国は早々と強い関心を見せている。中国の報道やインターネットに見られる反応であるが、朴槿恵氏が中国の古典を愛読していることや中国語に堪能であることを紹介するとともに、選挙期間中から中国との協力を強化しようとしていたと積極的に評価している。また、当選直後、朴槿恵氏が中国、米国、ロシアおよび日本の大使と同時期に会見したのは、李明博氏が当選した時に米国と日本の大使とだけ会ったのを改めるものであり、ここにも朴槿恵氏の中国重視の姿勢が表れていると強調している。
朴槿恵氏は中国語を独学で学び、かなりのレベルに達しているらしい。彼女はもともとフランス語の教師になることを目指していたくらいであり、「英語、フランス語、スペイン語の勉強に熱中した経験は、中国語の独学に大いに役立った」と語っている。初めて胡錦涛主席に会見した際中国語であいさつしたので、胡錦涛主席は「目を丸くしながら満面の笑みを浮かべた」そうである。以上、いくつかの例を挙げただけであるが、朴槿恵氏が中国について強い関心を抱いていることを示すエピソードには事欠かない。
民主党の文在寅氏は反日で、朴槿恵氏は親日だと言う人がいるが、そのように単純化した見方では本当のことはわからない。安倍新政権には、根の深い歴史問題を賢明に処理し、韓国および中国との友好関係を増進してもらいたいものである。」
朴槿恵大統領の訪中
朴槿恵韓国大統領が訪中している。これに関連して、キヤノングローバル戦略研究所のホームページに2013年1月15日付で掲載した論文を再掲する。「2012年、日、米、韓、中、ロで新しい政権が発足した。日本と韓国および中国との関係が新しい指導者の下でどのように展開するか。この三ヵ国は経済的にはもちろん、政治的にも協力しあい、アジアの、ひいては世界の平和と繁栄のために大きな力となりうるが、歴史問題のように心配な面もある。
安倍総理は新年早々額賀元財務相を韓国へ派遣し、朴槿恵次期大統領に対して、両国間の友好関係増進にかける意欲を示した。朴槿恵氏は、安倍総理からの訪日要請に感謝しつつ、「多くの面で日韓の協力が必要だ。日本とは歴史を直視しつつ、融和と協力の未来を志向する信頼関係を強めたい」と語ったと報道されている。日韓関係は新年上々の滑り出しであるが、朴槿恵氏が歴史問題に言及したことには注意が必要である。
朴槿恵氏はハンナラ党代表として2006年に来日したことがあり、当時の森喜朗前総理、扇千景参議院議長、河野洋平衆議院議長、安倍晋三官房長官、麻生太郎外務大臣らと会った後、小泉総理と会談した。朴槿恵氏は、日韓両国は経済、外交、両国間交流など各分野で意見が一致しうるとしつつ、「歴史問題を解決できなければ、両国は無限の可能性を持っているが、一歩たりとも先へ進めない」と率直に語っている(同氏の『自叙伝』 以下の引用はすべて同書からである)。
朴槿恵氏が日本の政治家に向き合う姿勢は剣士の正眼をほうふつさせる。同氏は「(日本で)多くの政治家と会った。一様に日本側の論理で武装した人たちだった」と一刀で論断し、また、小泉総理には、自由民主主義と市場経済の価値を共有する日韓両国が協力していかなければならないことを強調した上で、「両国関係は独島(竹島)問題、教科書問題、靖国参拝、慰安婦問題などに引っかかり、先へ進めないでいます」と訴え、これに対して小泉総理が、両国関係は困難な問題にもかかわらず発展してきており、友好親善を拡大していきたいなどと応じたところ、「小泉総理は本質的な問題に対する答えを避けていると感じた」と吐露している。これが会談の記録として正確か確かめてはいないが、すくなくとも朴槿恵氏はそのように受け止めたのである。
朴槿恵氏は経験豊かな政治家だ。老練と言うのはもちろん、百戦錬磨と言ってもその優雅で落ち着いた物腰とはあまりにもかけ離れてしまうが、22歳の時に母親が凶弾に倒れた後ファーストレディとして父親の朴正熙元大統領に付き従い、その5年後に同大統領が暗殺された後は後継政権の内外で起こった誹謗中傷と戦った。不遇の時には「日記と読書で考えを整理し、詩を書いたりして心を慰めた。仏教経典も読みふけり、「『貞観政要(唐の太宗の言行録))』、『明心宝鑑(高麗時代に作られた儒学の箴言集)』などは枕元に置き何回も読んだ」。1997年の金融危機後、韓国の窮状を憂い政治の世界に飛び込み、爾来政治家としての喜びもつらさも経験した。ハンナラ党内部で改革を志したが、失敗し、一時期離党を余儀なくされた。復党した後、2004年にはどん底に落ちていたハンナラ党の党首となった。応援演説のさなか暴漢に襲われたことがあり、「(出血を抑えるために)抑えていた指が傷口に入るほど」頬を切られた。この間(2005年)、政権運営に行き詰まった盧武鉉大統領から大連立のラブコールがあったが、きっぱり断った。それでも外遊に出発する盧武鉉大統領に誕生日のお祝いの言葉を贈ったのに対し、「突拍子もない返事が返ってきた」。何が突拍子もないか、朴槿恵氏は自叙伝で説明しているが、大胆に要約すれば、あまりに自虐的な返事であったので驚いたということである。つまり、優しい言葉をかけたら、いじけている返事が返ってきた。おバカさんね。というようなやり取りに思われる記載であり、少なくとも精神的には、野党の党首である彼女がはるかに優位に立っていたことがうかがわれる。
歴史問題について、中国は基本的に韓国と同じ立場にある。習近平総書記がどのような考えであるか見極めることも重要なことであるが、中国では、とくに歴史問題については共産党としての方針が決定的であり、総書記個人の考えが左右する余地はあまりない。いずれにしても、中国は歴史問題について今後も厳しい態度を取り続けるであろう。新年になってからもすでに、靖国神社に放火した犯人を韓国が日本に移送せず、中国へ返したことを歓迎するなどしている。
一方、韓国大統領選挙での朴槿恵氏の勝利について、中国は早々と強い関心を見せている。中国の報道やインターネットに見られる反応であるが、朴槿恵氏が中国の古典を愛読していることや中国語に堪能であることを紹介するとともに、選挙期間中から中国との協力を強化しようとしていたと積極的に評価している。また、当選直後、朴槿恵氏が中国、米国、ロシアおよび日本の大使と同時期に会見したのは、李明博氏が当選した時に米国と日本の大使とだけ会ったのを改めるものであり、ここにも朴槿恵氏の中国重視の姿勢が表れていると強調している。
朴槿恵氏は中国語を独学で学び、かなりのレベルに達しているらしい。彼女はもともとフランス語の教師になることを目指していたくらいであり、「英語、フランス語、スペイン語の勉強に熱中した経験は、中国語の独学に大いに役立った」と語っている。初めて胡錦涛主席に会見した際中国語であいさつしたので、胡錦涛主席は「目を丸くしながら満面の笑みを浮かべた」そうである。以上、いくつかの例を挙げただけであるが、朴槿恵氏が中国について強い関心を抱いていることを示すエピソードには事欠かない。
民主党の文在寅氏は反日で、朴槿恵氏は親日だと言う人がいるが、そのように単純化した見方では本当のことはわからない。安倍新政権には、根の深い歴史問題を賢明に処理し、韓国および中国との友好関係を増進してもらいたいものである。」
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