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2025.12.02

中国は米国の友人かも

 日本にとって米国との関係は外交の基軸であり、日本が米国の利益に反する外交を行うことなどありえない。日本はあまりに米国よりのため、自主的な外交を行うべきであると批判されることがあるくらいだが、ともかく、日米がゆるぎない緊密な関係にあることは明らかであり、また機会あるごとにそのことを確かめ合ってる。

 しかし、日米の間には矛盾がないわけではない。高石首相による存立危機事態の発言は、日米の同盟関係にひびが入るかもしれないと、ハッとさせられた。

 問題は台湾との関係であり、日本は台湾について口をはさむことはできない。能力がないからではない。台湾を助ける気持ちがないからでもない。日本は国際条約によって台湾を放棄しているからであり、そのことに違反すると国際的に困難な立場におかれる。
もう少し詳しく言うと、第二次大戦が終わる直前のポツダム宣言は、本州、北海道、九州および四国を改めて日本の領土であると確認しつつ、それ以外の領土は台湾も含め、米国、中華民国および英国が帰属を決定すると宣言した(日本はそれを受諾)。そして、1951年のサンフランシスコ平和条約では、日本は台湾を正式に放棄した。そのため日本は、台湾について口をはさむことができないのである。

 サンフランシスコ平和条約が結ばれた際、国際情勢はすでに複雑化していた。1949年、ポツダム宣言の当事者である「中華民国」とは別に、「中華人民共和国」が成立しており、「中華民国」と「中華人民共和国」がともに「中国」を代表すると主張していた。そのためサンフランシスコ平和条約にはどちらも出席できなかった。

 そんな状況であったため、日本が放棄した台湾が「中華民国」に帰属するのか、それとも「中華人民共和国」に帰属するのか決まらなかった。

 領土の観点で言えば、「中華人民共和国」は中国大陸の大部分を支配下に収めていた。一方「中華民国」は「中華人民共和国」に押され、1949年に台湾に移ったので、台湾は「中華民国」が統治する形になった。
 以後、「中華人民共和国」は単に「中国」と、「中華民国」は「台湾」とそれぞれ略称する。「台湾」は「日本が放棄した領域」か、「中華民国」の略称か、紛らわしいことになるが、この区別は以後の議論に必要なので我慢して使い分けていただきたい。

 米国はサンフランシスコ平和条約の際も、またその後も台湾を支持した。中国が武力で台湾を統一しようとすれば、米国は黙っておらず、武力を使ってでも阻止しようとするだろう。もっとも、その際の米国の実際の行動については、時の政権次第で、あるいは大統領次第で変わってくる。ともかく、米国の政策は1972年のいわゆる上海コミュニケと78年の米中国交樹立に関する共同声明および「台湾関係法」で規定されているので、必要であれば参照されたい。

 米国と中国は多くの点で立場が一致しておらず、衝突することも少なくないが、日本が台湾を放棄したことについては立場が一致している。日本が台湾を放棄したことと矛盾する行動を取れば、米国も中国も黙っていないだろう。

 存立危機事態に関して高市首相が述べたことはこの点で問題であった。中国から見れば、日本は存立危機事態を通して戦後の国際秩序を変更し、軍国主義の復活を狙っている、と見える。だから執拗に日本の軍国主義批判を展開している。その考えの背景には、日本による台湾の放棄を帳消しにするようなことには米国も賛同するであろうという読みがあったはずである。

 米国の対応はまさに中国の読み通りであった。そして米国は、日本がそのようなことを試みているのであれば、くぎを刺しておかねばならないと考えた。11月24日の習近平・トランプ会談と翌日の高市・トランプ会談はまさにそのような状況と考えを反映していた。

 トランプ氏の電話については、同氏が日中対立を避けようとしたことに焦点を当てる報道が多い。それは間違いではないが、その背後にあった日本の台湾に対する姿勢への懸念のほうが深刻な問題ではなかったか。

 日本においては、2015年の安保法制で日本(自衛隊)の活動できる範囲を拡大し、存立危機事態を定めたが、それよりはるか以前に、日本は敗戦とともに「台湾を放棄」したこと、これに違反すると日本は条約違反に問われるということについては認識が甘かった。

 日本による台湾の放棄は中国のみならず、米国にとっても戦後の国際秩序に関わる一大事であった。前述したように、中米両国は対立することが多いが、台湾についての立場は異なるものでない。もちろん大戦は80年も前に終わっており、戦後の日本は平和憲法を奉じている。日本は国際社会で平和国家として積極的に活動し、役割を果たしている。国連には大口の拠出を行っている。G7、G20などの主要メンバーである。これらの点では日本はなんら後ろ指を指されることはないどころか誇りにしてよい。

 だが、台湾に関しては注意が必要である。そうしなければ、日本は大戦後の国際秩序を無視しているという非難の目で見られるようになる一方で、米中は共通点を確かめあい、共通の利益を広げていくだろう。

 米紙ウォールストリート・ジャーナルが11月26日に伝えたこと、すなわち、トランプ米大統領が高市早苗首相との電話会談で、台湾を巡る発言を抑制し、中国を刺激しないよう求めたというのは(共同11月27日)大筋その通りであったと思う。米国は日本の台湾に対する姿勢に懸念を抱いているのである。

 日本が陥った陥穽は高市発言で突然生じたことでなく、危険は2015年の安保法制から始まっていた。「存立危機事態」は集団的自衛権の解釈を時代に合わせるという前向きの性格を持っていたかもしれないが、日本の自衛隊は台湾へも出かけていける、今すぐではないかもしれないが、いずれはそうなると思わせ始めた。それは幻想であり、国際的に禁じられていることであった。日本は、もちろん条件が整えばだが、海外に出かけて行動できる。しかし、国際条約で放棄した台湾については手を出せない。台湾有事は日本有事になりえないのである。

 日本と米国は他に類を見ない強固な同盟関係を結んでいるが、それがいつまでも続くと考えてはならない。どうすれば日米中三者の関係をよくできるか、これまでより何倍も考えなければならなくなっている。その第一歩として、日本は国際条約を順守していることを改めて闡明するのがよいのではないか。

2025.11.12

高市首相の存立危機事態発言

1. 高市首相は中国による台湾への武力侵攻問題に関し、「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと私は考える」と国会で答弁した。この発言についての解説はいろいろだが、特に問題になるのは、この発言が日本政府の立場から逸脱していることである。

2. 「存立危機事態」とは「日本が直接攻撃を受けていなくても、密接な関係にある他国が攻撃された際に、日本の存立が脅かされ、国民の生命などに明白な危険がある事態」を指す。集団的自衛権の行使を認めることに国内では反対の意見が強かったが、政府も国会もこの定義であれば憲法違反にならないとして、かろうじて認めた経緯がある。

3. 存立危機事態を認定するには、さらに、「他に適当な手段がないこと」および「必要最小限の実力行使であること」を満たす必要があるとされた。これらが「武力行使の新3要件」である。また集団的自衛権行使には原則として国会の事前承認を経ることとされたが、緊急時には例外的に事後承認が認められた。これらの要件が満たされてはじめて憲法に違反しないと認定されたのである。従来の政府答弁がこの要件を厳格に守ってきたのは当然であった。

4. しかるに、高市首相による「戦艦を使って、武力の行使も伴うものであれば、これはどう考えても存立危機事態になりうるケースだと私は考える」との答弁は、日本政府が従来守ってきた立場から明らかに逸脱している。
 
イ.高市氏の発言では「日本の存立が脅かされ、国民の生命などに明白な危険がない場合」でも、自衛隊は攻撃を受けている外国へ行って行動できることになる。

ロ.また高市氏は、新3要件のうち「他に適当な手段がない」こと、「必要最小限の実力行使であること」についての考えを示していない。そのため、高市発言によれば、これら2要件を満たさなくても、つまり、「他に適当な手段」があり、また「必要最小限の実力行使」でなくても憲法に違反しないことになりうる。

ハ.なお、高市氏の「戦艦」発言にも問題がある。「戦艦」だけが日本の存立危機事態を引き起こすのではない。「航空機」によっても同じ問題が発生するからである。

5.当然近隣諸国、就中中国は反発した。日本側は、日本政府の立場を説明したと木原稔官房長官が説明しているが、詳細は公にされていない。中国側は日本側の説明を受け入れたとは思えない。

 高市氏の発言が問題なのは、中国などが反発するからではない。困難な議論を経てようやく認めることとした安保法制とは異なる説明を高市氏が恣意的に行っているからである。高市氏は国会で、発言を撤回するよう求められたが拒否した(11月10日の衆院予算委員会)。危険な一歩である。為政者による強弁は戦争に突き進んだ戦前の苦痛に満ちた経験を想起させる。高市氏の発言は歯切れがよく、多数の人の耳目を集めるかもしれないが、自己主張を通すために事実をゆがめている。今回の高市首相の発言が、将来同氏によって、あるいはその後継者によってさらに新たな危険に発展させられることは断じて許されない。


2025.06.23

個人の行動を重視すべきである

 本日(6月23日)は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日であり、本研究所では毎年以下の一文(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)をHPに掲載している。

「沖縄で戦った人たちを評価すべきだ
 1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで。

 「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。

 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。

 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていない。
 個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だった。

 これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。

 他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。

 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。

 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。

 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。

 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。

 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。

 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」

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