6月, 2018 - 平和外交研究所
2018.06.27
1989年、南ア政府は核兵器の放棄を決定した。その時点では核兵器を6発製造し、7発目を作る途中であった。核兵器は航空機に搭載可能になっていた。
南ア政府はその以前からIAEAに報告を提出していたが、核廃棄の事実に言及したのは1993年の報告が初めてであった。
単に時間的ギャップがあったというのではない。報告書はややもすれば、IAEA、あるいは南ア政府からの指示に対してミニマムだけを記載しようとする傾向があった。
濃縮施設での濃縮のデータについては説明があったが、高濃縮ウランから金属化合物、さらには兵器への転換は記載されていなかった。
イラクにおいて未報告の核開発計画が存在することが判明した結果、IAEAの査察能力を高めなければならないことが認識され、南アにおける検証に役立った。
As a result, a number of safeguards measures were strengthened, including those that were being applied to safeguards undertaken in both North Korea and South Africa. The enhanced evaluation process brought together not only declared data and verification results through a statistical analysis based on the propagation of the operators and inspectors measurement errors in order to detect diversion of declared material into material imbalance, but ways were also sought to more closely corroborate data and trends, such as cumulative MUFs, performance of the operators nuclear material accountancy system, and operator/inspector measurement differences.
Another new development being implemented in the South African case was the re-examination of verification processes involving nuclear materials. Non-nuclear production parameters were also evaluated alongside the overall consistency of nuclear material accountancy records. To cite an example, uranium metal quantities must be consistent with parameters to produce uranium metal. In such a process, uranium tetra fluoride (UF4) is reduced to uranium metal using customarily calcium on magnesium metals. The process produces ashes and slag, which contain calcium or magnesium. The amounts of these elements found in wastes should be in conformity with the uranium metal produced. Furthermore, the amounts of ashes and slags need to match with the stated amounts of uranium metal produced. Similarly, one can estimate losses in casting and machining of uranium metal components to their final forms. Again, those need to match up with the amount of uranium metal produced. Evaluation of the choke points, for example for a production chain yellow cake – UO2 – UF4 – UF6 – enrichment – UF4 – Uranium metal – provides additional assurances about the completeness of a state’s declarations.
南アの検証は破壊と保証の2点に収れんした。両者は関係していた。平和目的にのみ利用されることを保証するには、兵器の製造過程を再度たどり、何が必要かをその中から抽出しなければならなかった。
IAEAの役割は、兵器の破壊と再製造を防ぐのに必要な保証措置を提供することであった。南アのように明確な決定が行われた場合でも、100%の正確さで保障することは困難である。
IAEAへの報告の前に、デザイン、製造工程関連の資料は破棄されていた。しかし、各施設での業務記録は残っていた。2基の濃縮施設の経理諸表と業務記録は残っていた。が、これでは完全な姿を再現するには程遠かった。
廃棄物などは必ずしも核物質の量が示されていなかった。
兵器用の濃縮施設はすでに破壊されていた。他の1基は1995年まで使用されていた。
核施設の中に残存する核物質の量を正確に測るには、放射能汚染が収まらなければできない。それには、非常に長い期間が必要である。したがって、完全な検証が可能となるまで、どうしても推測に頼らざるを得ない面もあった。
さらなる問題は、兵器用に使用された施設が兵器用のみならず民生用にも使われていたことであった。そのため、廃棄物は両者がまじりあっており、検証はそれだけ困難になった。
施設の破壊、汚染除去、廃棄物中の核物質の測定には10年以上の時間が必要であった。
破棄物を保管していた膨大な数のドラム管には兵器用と民生用が混在していた。これをあけて検証するのに特別のスキャナーが使われた。
核計画の「ゆりかごから墓場まで」を知るために、関係した者を呼び戻して議論とブリーフィングが行われた。これによって得られた情報は、各国から得られた情報と突き合わされ、使用され、IAEA自身の検証結果、施設のデザイン、環境サンプルと照合され、南アフリカにおける核開発計画のクロノロジーと概要が改めて記述された。
IAEAは自身の技術と道具で検証を進める一方、南ア政府と緊密な対話を行った。そうして事後の検証に何が必要かが明確になった。IAEAが非核化のために追加的措置を勧告したこともあった。
南ア政府がすべての核開発関連事実を保障措置の下に置くと決定したので、査察官は学習と経験の機会を得た。
アパルトヘイトのための制裁と秘密保護のため、南ア政府は独自の工業インフラを作り上げていた。とくに装備とパーツである。これも検証を困難にした。
IAEAが検証を進める一方、核関連の南アの企業は違法な取引に手を染めていた。ある企業は、リビアでの核開発に関与していた。これが明るみに出たのはAQカーンの闇ネットワークが摘発された2003年である。
核開発に関与した研究者・技術者の処遇が問題になる一方、違法なことに走る企業がIAEAや南ア政府の監視を潜り抜けたのだ。
査察が完了し、最終的な診断書が作成されたのは、2010年であった。
南アでの非核化検証
北朝鮮の「非核化」について検証が行われる場合、南アのケースが参考になる。以下は、元IAEA事務次長のハイノネン氏(Olli Heinonen)による南アでの検証報告の主要点である。1989年、南ア政府は核兵器の放棄を決定した。その時点では核兵器を6発製造し、7発目を作る途中であった。核兵器は航空機に搭載可能になっていた。
南ア政府はその以前からIAEAに報告を提出していたが、核廃棄の事実に言及したのは1993年の報告が初めてであった。
単に時間的ギャップがあったというのではない。報告書はややもすれば、IAEA、あるいは南ア政府からの指示に対してミニマムだけを記載しようとする傾向があった。
濃縮施設での濃縮のデータについては説明があったが、高濃縮ウランから金属化合物、さらには兵器への転換は記載されていなかった。
イラクにおいて未報告の核開発計画が存在することが判明した結果、IAEAの査察能力を高めなければならないことが認識され、南アにおける検証に役立った。
As a result, a number of safeguards measures were strengthened, including those that were being applied to safeguards undertaken in both North Korea and South Africa. The enhanced evaluation process brought together not only declared data and verification results through a statistical analysis based on the propagation of the operators and inspectors measurement errors in order to detect diversion of declared material into material imbalance, but ways were also sought to more closely corroborate data and trends, such as cumulative MUFs, performance of the operators nuclear material accountancy system, and operator/inspector measurement differences.
Another new development being implemented in the South African case was the re-examination of verification processes involving nuclear materials. Non-nuclear production parameters were also evaluated alongside the overall consistency of nuclear material accountancy records. To cite an example, uranium metal quantities must be consistent with parameters to produce uranium metal. In such a process, uranium tetra fluoride (UF4) is reduced to uranium metal using customarily calcium on magnesium metals. The process produces ashes and slag, which contain calcium or magnesium. The amounts of these elements found in wastes should be in conformity with the uranium metal produced. Furthermore, the amounts of ashes and slags need to match with the stated amounts of uranium metal produced. Similarly, one can estimate losses in casting and machining of uranium metal components to their final forms. Again, those need to match up with the amount of uranium metal produced. Evaluation of the choke points, for example for a production chain yellow cake – UO2 – UF4 – UF6 – enrichment – UF4 – Uranium metal – provides additional assurances about the completeness of a state’s declarations.
南アの検証は破壊と保証の2点に収れんした。両者は関係していた。平和目的にのみ利用されることを保証するには、兵器の製造過程を再度たどり、何が必要かをその中から抽出しなければならなかった。
IAEAの役割は、兵器の破壊と再製造を防ぐのに必要な保証措置を提供することであった。南アのように明確な決定が行われた場合でも、100%の正確さで保障することは困難である。
IAEAへの報告の前に、デザイン、製造工程関連の資料は破棄されていた。しかし、各施設での業務記録は残っていた。2基の濃縮施設の経理諸表と業務記録は残っていた。が、これでは完全な姿を再現するには程遠かった。
廃棄物などは必ずしも核物質の量が示されていなかった。
兵器用の濃縮施設はすでに破壊されていた。他の1基は1995年まで使用されていた。
核施設の中に残存する核物質の量を正確に測るには、放射能汚染が収まらなければできない。それには、非常に長い期間が必要である。したがって、完全な検証が可能となるまで、どうしても推測に頼らざるを得ない面もあった。
さらなる問題は、兵器用に使用された施設が兵器用のみならず民生用にも使われていたことであった。そのため、廃棄物は両者がまじりあっており、検証はそれだけ困難になった。
施設の破壊、汚染除去、廃棄物中の核物質の測定には10年以上の時間が必要であった。
破棄物を保管していた膨大な数のドラム管には兵器用と民生用が混在していた。これをあけて検証するのに特別のスキャナーが使われた。
核計画の「ゆりかごから墓場まで」を知るために、関係した者を呼び戻して議論とブリーフィングが行われた。これによって得られた情報は、各国から得られた情報と突き合わされ、使用され、IAEA自身の検証結果、施設のデザイン、環境サンプルと照合され、南アフリカにおける核開発計画のクロノロジーと概要が改めて記述された。
IAEAは自身の技術と道具で検証を進める一方、南ア政府と緊密な対話を行った。そうして事後の検証に何が必要かが明確になった。IAEAが非核化のために追加的措置を勧告したこともあった。
南ア政府がすべての核開発関連事実を保障措置の下に置くと決定したので、査察官は学習と経験の機会を得た。
アパルトヘイトのための制裁と秘密保護のため、南ア政府は独自の工業インフラを作り上げていた。とくに装備とパーツである。これも検証を困難にした。
IAEAが検証を進める一方、核関連の南アの企業は違法な取引に手を染めていた。ある企業は、リビアでの核開発に関与していた。これが明るみに出たのはAQカーンの闇ネットワークが摘発された2003年である。
核開発に関与した研究者・技術者の処遇が問題になる一方、違法なことに走る企業がIAEAや南ア政府の監視を潜り抜けたのだ。
査察が完了し、最終的な診断書が作成されたのは、2010年であった。
2018.06.23
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
沖縄で戦った人たちを評価すべきだ
1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、1995年、読売新聞に以下の一文を寄稿した。「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
2018.06.21
金委員長は2011年末に北朝鮮の指導者となって以来6年数か月間、一度も中国を訪問していなかった。中国側は訪中を求めていたと思われるが、金委員長はなかなか腰を上げようとしなかった。一方この間には、習近平主席がソウルを訪問するなど、北朝鮮として不愉快な出来事もあった。
ところが、米国大統領との会談がセットされると、金委員長はがらりと態度を変え、訪中した。しかも3回立て続けであった。
なぜ金委員長はそのように変わったのか。米国との非核化交渉に関して中国から支援を得たことに謝意を表明すること、今後のさらなる協力を要請すること、米国との交渉を有利に運ぶために中国との連携を強化すること、などの目的があったのであろう。
なかには、中国の影響力が強いことを指摘する意見もある。金委員長は中国の言いなりになっていると言わんばかりのコメントもある。しかし、実態は逆であり、金委員長のイニシャチブによるところが大きいと思われる。
金委員長としては様々な思いがあったものと推測されるが、朝鮮半島の戦争状態を終わらせることに関して、習主席に対し釈明をしたいとの気持ちがあったかもしれない。中国は朝鮮戦争に参加した当事国であり、中国抜きには戦争状態を終わらせることはできないが、4月末の南北首脳会談の板門店宣言には、中国の参加は不可欠と考えていないと誤解される恐れのある表現があったからである。
しかし、金委員長にはもっと大きな理由があったと思われる。金委員長は、非核化した後、韓国や米国、さらには日本からの経済面での協力がはじまり、増大していくことが予想される中で、北朝鮮としての自主性を失ってはならない、中国のように独自の考えを維持しつつ経済発展していくべきだと考えたのではないか。
つまり、北朝鮮が中国に急接近したのは、一種のアイデンティティ・クライシスが強くなってきたからではないか。北朝鮮はよく「自主性」を口にするが、それはアイデンティティ維持への願望である。
朝鮮半島の平和が実現すれば、次は半島の統一問題が浮上してくる。北朝鮮として、韓国や米国からの経済支援を受けつつ、アイデンティティを失わないで韓国と交渉することが必要となる。そうでなければ、北朝鮮は経済力がはるかに大きい韓国に飲み込まれてしまう。
金委員長は訪中のたびに経済発展の参考となる施設を訪れている。今回も農業研究施設を視察し、栽培管理の最新技術を見学した。農業研究施設は5月の訪中視察団も訪れた場所であり、北朝鮮は中国の農業技術に強い関心を示している。
北朝鮮が、経済発展のために、一方では韓米日の協力を期待しつつ、他方で中国からの支援をも重視しているのはある意味当然だが、北朝鮮としてのアイデンティティ維持への強い思いは、今後、様々な場面で表面化してくると思われる。
金正恩委員長はなぜ足しげく中国へ行くのか
金正恩委員長はトランプ大統領との会談の前、3月末と5月初めに訪中し、さらに会談から1週間後の6月19日にも訪中した。金委員長は2011年末に北朝鮮の指導者となって以来6年数か月間、一度も中国を訪問していなかった。中国側は訪中を求めていたと思われるが、金委員長はなかなか腰を上げようとしなかった。一方この間には、習近平主席がソウルを訪問するなど、北朝鮮として不愉快な出来事もあった。
ところが、米国大統領との会談がセットされると、金委員長はがらりと態度を変え、訪中した。しかも3回立て続けであった。
なぜ金委員長はそのように変わったのか。米国との非核化交渉に関して中国から支援を得たことに謝意を表明すること、今後のさらなる協力を要請すること、米国との交渉を有利に運ぶために中国との連携を強化すること、などの目的があったのであろう。
なかには、中国の影響力が強いことを指摘する意見もある。金委員長は中国の言いなりになっていると言わんばかりのコメントもある。しかし、実態は逆であり、金委員長のイニシャチブによるところが大きいと思われる。
金委員長としては様々な思いがあったものと推測されるが、朝鮮半島の戦争状態を終わらせることに関して、習主席に対し釈明をしたいとの気持ちがあったかもしれない。中国は朝鮮戦争に参加した当事国であり、中国抜きには戦争状態を終わらせることはできないが、4月末の南北首脳会談の板門店宣言には、中国の参加は不可欠と考えていないと誤解される恐れのある表現があったからである。
しかし、金委員長にはもっと大きな理由があったと思われる。金委員長は、非核化した後、韓国や米国、さらには日本からの経済面での協力がはじまり、増大していくことが予想される中で、北朝鮮としての自主性を失ってはならない、中国のように独自の考えを維持しつつ経済発展していくべきだと考えたのではないか。
つまり、北朝鮮が中国に急接近したのは、一種のアイデンティティ・クライシスが強くなってきたからではないか。北朝鮮はよく「自主性」を口にするが、それはアイデンティティ維持への願望である。
朝鮮半島の平和が実現すれば、次は半島の統一問題が浮上してくる。北朝鮮として、韓国や米国からの経済支援を受けつつ、アイデンティティを失わないで韓国と交渉することが必要となる。そうでなければ、北朝鮮は経済力がはるかに大きい韓国に飲み込まれてしまう。
金委員長は訪中のたびに経済発展の参考となる施設を訪れている。今回も農業研究施設を視察し、栽培管理の最新技術を見学した。農業研究施設は5月の訪中視察団も訪れた場所であり、北朝鮮は中国の農業技術に強い関心を示している。
北朝鮮が、経済発展のために、一方では韓米日の協力を期待しつつ、他方で中国からの支援をも重視しているのはある意味当然だが、北朝鮮としてのアイデンティティ維持への強い思いは、今後、様々な場面で表面化してくると思われる。
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