オピニオン
2019.02.25
政府はあくまで辺野古での新飛行場建設の方針を変えないようだが、埋め立てを強行することは考え直すべきだ。
第1の理由は、今回の投票によって圧倒的に多数の沖縄県民が反対していることが改めて示されたからである。
第2に、橋本龍太郎首相の下で普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年には、名護市辺野古付近に移設する方針が固まった。それ以来20数年が経過するが、沖縄県民の反対はむしろ強くなっている。辺野古への移転が決定される経緯も、その後の経緯も、米側との話し合いも極めて複雑だが、これだけ長い期間にはさまざまな環境変化が起こっているはずであり、20数年前の決定は改めて見直すべきである。もちろん、日本が一方的に変更することは許されないが、米国とあらためて代替案を検討すべきである。
第3に、米国は沖縄駐留の海兵隊をグアム島に移転する計画を進めており、日米両政府間でも2013年、一部海兵隊のグアム移転を20年代前半に開始することで合意している。これは全体の中の一コマに過ぎないが、中長期的には沖縄駐留の海兵隊は減少傾向にあり、辺野古に新飛行場を建設しなければならないとは言えないはずである。
第4に、最善の策は、沖縄以外で米軍基地を受け入れることができる地方を探求することだ。政府と米国は辺野古移設しか解決の方法はないと言うが、他の場所を真剣に検討したのか、どうしても疑問が残る。全国どこにも米軍基地を受け入れるところがないとは思えない。
民主党政権時代に沖縄県外への移設の試みが大失敗に終わったが、だからと言って、沖縄に辺野古移設を強要してよいことにならない。
第5に、辺野古移設を強行するより、普天間住民の移転を政府が支援するほうがよいのではないか。普天間飛行場に隣接する場所には約1万2000世帯が居住している。その移転を強行することはできないが、移転を希望する住民に政府として支援することは可能である。
住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが痛みは少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
米国は日本政府と同様「辺野古しかない」という立場を表明しているが、普天間に残ることは受け入れ可能だと思う。
普天間飛行場の辺野古移設問題
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設のために名護市辺野古沿岸部を埋め立てることについて沖縄県民の是非を問う投票が2月24日、投開票され、「反対」が72・15%の43万4273票に達した。玉城デニー氏が昨年9月の知事選で得た過去最多の39万6632票をさらに上回った。投票率は52・48%であり、注目されていた50%を超えた。投票をした人が少なすぎるのであれば沖縄県民の意思表示にならないという問題はクリアされたと見られている。「埋め立て反対」の県民の強い民意が示されたのである。政府はあくまで辺野古での新飛行場建設の方針を変えないようだが、埋め立てを強行することは考え直すべきだ。
第1の理由は、今回の投票によって圧倒的に多数の沖縄県民が反対していることが改めて示されたからである。
第2に、橋本龍太郎首相の下で普天間基地を移設する検討が始まったのが1996年。翌97年には、名護市辺野古付近に移設する方針が固まった。それ以来20数年が経過するが、沖縄県民の反対はむしろ強くなっている。辺野古への移転が決定される経緯も、その後の経緯も、米側との話し合いも極めて複雑だが、これだけ長い期間にはさまざまな環境変化が起こっているはずであり、20数年前の決定は改めて見直すべきである。もちろん、日本が一方的に変更することは許されないが、米国とあらためて代替案を検討すべきである。
第3に、米国は沖縄駐留の海兵隊をグアム島に移転する計画を進めており、日米両政府間でも2013年、一部海兵隊のグアム移転を20年代前半に開始することで合意している。これは全体の中の一コマに過ぎないが、中長期的には沖縄駐留の海兵隊は減少傾向にあり、辺野古に新飛行場を建設しなければならないとは言えないはずである。
第4に、最善の策は、沖縄以外で米軍基地を受け入れることができる地方を探求することだ。政府と米国は辺野古移設しか解決の方法はないと言うが、他の場所を真剣に検討したのか、どうしても疑問が残る。全国どこにも米軍基地を受け入れるところがないとは思えない。
民主党政権時代に沖縄県外への移設の試みが大失敗に終わったが、だからと言って、沖縄に辺野古移設を強要してよいことにならない。
第5に、辺野古移設を強行するより、普天間住民の移転を政府が支援するほうがよいのではないか。普天間飛行場に隣接する場所には約1万2000世帯が居住している。その移転を強行することはできないが、移転を希望する住民に政府として支援することは可能である。
住民移転案は以前にも出たことがあるが、あまり広がっていない。辺野古案と住民移転案の費用比較、沖縄への政府からの補助への影響、運動を推進している政党の考えなどさまざまな事情が絡んでいるのだろうが、細かい損得勘定はともかくとして、飛行場移設より住民移転のほうが痛みは少ない。政治的立場の違いを超えて合意を形成できる案だと考える。
米国は日本政府と同様「辺野古しかない」という立場を表明しているが、普天間に残ることは受け入れ可能だと思う。
2019.02.11
この法律は成立の時から憲法違反の疑いが濃厚であった。
まず、憲法は日本が国際紛争に巻き込まれたり、参加したりすることを厳禁している。戦後、日本は自衛隊を持つこと、また、自衛の行動は許されるかについて議論があったが、「自衛」であれば許されるとの解釈が確立した。この解釈は国民の多数によって受け入れられている。
しかし、国際紛争は自衛でなく、第三国間の紛争であり、それに日本が参加したり、巻き込まれたりしてはならない。これは憲法の大原則である。
憲法の条文に即して言えば、第9条であり、とくにその中の、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」であり、「武力の行使」は自衛の場合にのみ認められているのである。
国際紛争に参加しないことは国連と矛盾しない。国連では、世界各地で発生する紛争を鎮め、平和を回復するのに努めているが、紛争が終了した後とまだ終了していない場合を区別し、前者の場合は「平和維持活動(PKO)」として、そのために国連の指揮下にある部隊を派遣している。いわゆるPKO部隊であり、日本も参加してきた。
後者の、紛争がまだ終了していない場合も国連は関与するが、国連として部隊を派遣することはない。国連憲章においては、平和の実現のために国連が軍事力を用いること、つまり「国連軍」を派遣することが想定されているが、実際にはこの規定は実現不可能になっている。国連には「国連軍」はないのである。
しかし、紛争が終了していなくても、国連は関係国に平和を回復するよう呼びかけることなどは可能であり、実際にそのための決議を採択している。
つまり、国連はあらゆる国際紛争に関わり、平和を回復するため決議などは採択するが、国連が部隊を派遣して行動するのはPKOの場合だけなのである。国際紛争への参加を禁じている日本国憲法はそのような国連のあり方とも平仄があっている。
一方、紛争が継続中である場合、限定された数の国だけが参加する「多国籍軍」と呼ばれる部隊が構成され行動することがある。2003年のイラク戦争はその典型であった。このような場合でも国連は決議を採択して各国に努力を求めるが、国連としては行動しない。
また、「多国籍軍」の場合は、国連内の意見が分かれるので国連として決議したかどうかさえ不明確であり、そのこと自体があらたな紛争の原因になることもある。イラク戦争の場合には実際そのような問題が発生した。国連内の意見が分かれたのは、西側諸国とロシアや中国という保守的な国との間に限らず、西側のなかでも米英などと独仏などの意見は鋭く分かれた。
日本は憲法の定めにより本来参加できないはずであるが、アフガニスタン戦争およびイラク戦争の際には協力するということを政治的に決断し、特別法を作り、実際の戦闘が行われている場所から離れているところで、物資を運送したり、道路の補修など後方支援であれば可能とみなして参加した。
そして2015年には、「国際平和支援法」を制定して、アフガニスタン戦争やイラク戦争と同様の場合には、特別法に寄らずともいつでもできるようにした。
しかし、同法が憲法に違反している疑いは今も濃厚である。後方支援であっても、日本は敵味方両方に同じ支援行動を行うのではなく、国際紛争に陥っている一方に加担することになる。後方支援は目立たないだけであり、どちらに味方しているかは明らかである。要するに、今回想定されているような連絡調整であれ、その他の後方支援であれ、国際紛争に参加するいう本質は変わらないのだ。
国連が国際の平和のために活動を強化することは原則的に望ましいが、実際には、「多国籍軍」についてはコンセンサスが成立しにくい。にもかかわらず「多国籍軍」に参加している国は、できるだけ多くの国が参加することを強く求める。米国もしかりである。だからこそ、日本が巻き込まれる危険は大きい。
では、日本はそもそも憲法を改正して国際紛争にも参加できるようにすべきか。一般論として、憲法は一切改正すべきでないなどと硬直した姿勢は取らない。しかし、日本が過去に行った戦争の性格、戦争責任の所在、軍人の行動規制、組織間のたこつぼ現象(海軍と陸軍の確執など)、各国との協力のあり方について生半可な反省しか行われていない現実にかんがみれば、憲法を改正して国際紛争にも参加できるようにすることなどそらおそろしい迷走である。
現状は、憲法との関係にはできるだけ口をつぐんで、その原則をなし崩し的に変えようとしているのではないか。
自衛隊の多国籍軍への派遣
日本政府は今春にも、シナイ半島でエジプト軍とイスラエル軍の活動を監視している多国籍監視軍(MFO)に参加する方針を固めたと伝えられている。現地で連絡調整を担う司令部要員として自衛官2人が派遣される予定だという。2015年に成立した安全保障関連法によって付与された、新たな海外活動の初適用である。この法律は成立の時から憲法違反の疑いが濃厚であった。
まず、憲法は日本が国際紛争に巻き込まれたり、参加したりすることを厳禁している。戦後、日本は自衛隊を持つこと、また、自衛の行動は許されるかについて議論があったが、「自衛」であれば許されるとの解釈が確立した。この解釈は国民の多数によって受け入れられている。
しかし、国際紛争は自衛でなく、第三国間の紛争であり、それに日本が参加したり、巻き込まれたりしてはならない。これは憲法の大原則である。
憲法の条文に即して言えば、第9条であり、とくにその中の、「国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」であり、「武力の行使」は自衛の場合にのみ認められているのである。
国際紛争に参加しないことは国連と矛盾しない。国連では、世界各地で発生する紛争を鎮め、平和を回復するのに努めているが、紛争が終了した後とまだ終了していない場合を区別し、前者の場合は「平和維持活動(PKO)」として、そのために国連の指揮下にある部隊を派遣している。いわゆるPKO部隊であり、日本も参加してきた。
後者の、紛争がまだ終了していない場合も国連は関与するが、国連として部隊を派遣することはない。国連憲章においては、平和の実現のために国連が軍事力を用いること、つまり「国連軍」を派遣することが想定されているが、実際にはこの規定は実現不可能になっている。国連には「国連軍」はないのである。
しかし、紛争が終了していなくても、国連は関係国に平和を回復するよう呼びかけることなどは可能であり、実際にそのための決議を採択している。
つまり、国連はあらゆる国際紛争に関わり、平和を回復するため決議などは採択するが、国連が部隊を派遣して行動するのはPKOの場合だけなのである。国際紛争への参加を禁じている日本国憲法はそのような国連のあり方とも平仄があっている。
一方、紛争が継続中である場合、限定された数の国だけが参加する「多国籍軍」と呼ばれる部隊が構成され行動することがある。2003年のイラク戦争はその典型であった。このような場合でも国連は決議を採択して各国に努力を求めるが、国連としては行動しない。
また、「多国籍軍」の場合は、国連内の意見が分かれるので国連として決議したかどうかさえ不明確であり、そのこと自体があらたな紛争の原因になることもある。イラク戦争の場合には実際そのような問題が発生した。国連内の意見が分かれたのは、西側諸国とロシアや中国という保守的な国との間に限らず、西側のなかでも米英などと独仏などの意見は鋭く分かれた。
日本は憲法の定めにより本来参加できないはずであるが、アフガニスタン戦争およびイラク戦争の際には協力するということを政治的に決断し、特別法を作り、実際の戦闘が行われている場所から離れているところで、物資を運送したり、道路の補修など後方支援であれば可能とみなして参加した。
そして2015年には、「国際平和支援法」を制定して、アフガニスタン戦争やイラク戦争と同様の場合には、特別法に寄らずともいつでもできるようにした。
しかし、同法が憲法に違反している疑いは今も濃厚である。後方支援であっても、日本は敵味方両方に同じ支援行動を行うのではなく、国際紛争に陥っている一方に加担することになる。後方支援は目立たないだけであり、どちらに味方しているかは明らかである。要するに、今回想定されているような連絡調整であれ、その他の後方支援であれ、国際紛争に参加するいう本質は変わらないのだ。
国連が国際の平和のために活動を強化することは原則的に望ましいが、実際には、「多国籍軍」についてはコンセンサスが成立しにくい。にもかかわらず「多国籍軍」に参加している国は、できるだけ多くの国が参加することを強く求める。米国もしかりである。だからこそ、日本が巻き込まれる危険は大きい。
では、日本はそもそも憲法を改正して国際紛争にも参加できるようにすべきか。一般論として、憲法は一切改正すべきでないなどと硬直した姿勢は取らない。しかし、日本が過去に行った戦争の性格、戦争責任の所在、軍人の行動規制、組織間のたこつぼ現象(海軍と陸軍の確執など)、各国との協力のあり方について生半可な反省しか行われていない現実にかんがみれば、憲法を改正して国際紛争にも参加できるようにすることなどそらおそろしい迷走である。
現状は、憲法との関係にはできるだけ口をつぐんで、その原則をなし崩し的に変えようとしているのではないか。
2019.02.01
この試合においては、その件とは別に、もう一つ印象的なことがあった。日本の南野選手がイランの選手に倒されながらも素早く立ち上がり、ボールがゴールラインを割る直前に追いつき、一転してゴール前にセンタリングを送り、大迫選手が頭でねじ込んだことである。これが先制点となり、その後日本はさらに2点を加えて快勝した。
このプレーについては、「イランの選手がプレーを中断してしまったのに、日本はプレーを続けた」とか、「ペナルティーエリア付近での主審への集団抗議は幼稚だ」などと評されているが、それだけでは表面的な感想に過ぎない。なぜ、南野選手はプレーを続けたのに、イランの選手はそれを追いかけなかったのか。なぜ日本の選手とイランの選手の行動に違いが出たのかが大事なポイントである。
イランの選手がボールに向かって走っている南野選手を追いかけなかったのは、南野選手と接触して倒したが、それはイラン側のファウルではないことを審判にアピールするためであった。その気持ちは分からないでもない。ファウルと認定されれば、ゴールに近い距離からフレーキックを与えることになるので、非常に危険である。なんとかしてそうなるのを防ぎたかったのだろう。
一方、南野選手は、審判がプレーを止めていないかったので、当然プレーを続行し、ボールに追いつき、反転して決定的なセンタリングを送ることができた。つまり、権利主張よりもルールに従ってプレーすることに専念し、その結果、絶好のチャンスをつかみ、素晴らしいプレーをしたのである。
南野選手と違ってプレーを止めたのは一人のイラン選手でなく、付近にいた数人の選手もみなそうであった。つまり、数名のイラン選手は、だれもがボールを追いかけることより、自分たちがファウルをしたと判断されることを恐れたのである。瞬時ではあったが、両国選手の行動形態には重要な違いがあった。イランでは権利を主張したり擁護することを重視し、日本ではルールに従ってプレーすることを重視するという文化の違いが表れていたと思う。
日本の森保監督は常々、審判がプレーを止めるまで手を抜くな、と教えているそうだ。そのことも大きな要因だったとは思うが、かりに同監督がイラン・チームを率いていたとしたら、イランの選手ははたして違った行動を取ったか疑問である。やはり権利主張(擁護)を優先させたのではないかと思われてならない。
日本とイランの選手の行動形態に見る文化の違い
第17回アジアカップ準決勝で日本はイランに3-0で勝利した。この試合の中で、イランの選手が日本選手に暴行ともとれる過激な振る舞いを行ったことについて。イラン国内でも批判的な声が上がった。イラン議会のアリ・モタハリ副議長は、自身のインスタグラムで選手への処分を求めたという。同議長の発言は冷静な判断結果であった。この試合においては、その件とは別に、もう一つ印象的なことがあった。日本の南野選手がイランの選手に倒されながらも素早く立ち上がり、ボールがゴールラインを割る直前に追いつき、一転してゴール前にセンタリングを送り、大迫選手が頭でねじ込んだことである。これが先制点となり、その後日本はさらに2点を加えて快勝した。
このプレーについては、「イランの選手がプレーを中断してしまったのに、日本はプレーを続けた」とか、「ペナルティーエリア付近での主審への集団抗議は幼稚だ」などと評されているが、それだけでは表面的な感想に過ぎない。なぜ、南野選手はプレーを続けたのに、イランの選手はそれを追いかけなかったのか。なぜ日本の選手とイランの選手の行動に違いが出たのかが大事なポイントである。
イランの選手がボールに向かって走っている南野選手を追いかけなかったのは、南野選手と接触して倒したが、それはイラン側のファウルではないことを審判にアピールするためであった。その気持ちは分からないでもない。ファウルと認定されれば、ゴールに近い距離からフレーキックを与えることになるので、非常に危険である。なんとかしてそうなるのを防ぎたかったのだろう。
一方、南野選手は、審判がプレーを止めていないかったので、当然プレーを続行し、ボールに追いつき、反転して決定的なセンタリングを送ることができた。つまり、権利主張よりもルールに従ってプレーすることに専念し、その結果、絶好のチャンスをつかみ、素晴らしいプレーをしたのである。
南野選手と違ってプレーを止めたのは一人のイラン選手でなく、付近にいた数人の選手もみなそうであった。つまり、数名のイラン選手は、だれもがボールを追いかけることより、自分たちがファウルをしたと判断されることを恐れたのである。瞬時ではあったが、両国選手の行動形態には重要な違いがあった。イランでは権利を主張したり擁護することを重視し、日本ではルールに従ってプレーすることを重視するという文化の違いが表れていたと思う。
日本の森保監督は常々、審判がプレーを止めるまで手を抜くな、と教えているそうだ。そのことも大きな要因だったとは思うが、かりに同監督がイラン・チームを率いていたとしたら、イランの選手ははたして違った行動を取ったか疑問である。やはり権利主張(擁護)を優先させたのではないかと思われてならない。
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