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2025.11.20

台湾有事は日本有事にならない

 高市首相は、11月7日に開かれた衆議院予算委員会で、立憲民主党の岡田克也氏が「首相は1年前の総裁選で、中国による台湾の海上封鎖が発生した場合、『存立危機事態になるかもしれない』と発言した。どういう場合になると考えるか」と質問したことに対し、まず、「すべての情報を総合的に判断しなければならない」などと答弁。岡田氏は続けて、台湾とフィリピンの間のバシー海峡が封鎖されるといった具体的な状況を想定し、日本の対応を問いただした。これに対し高市首相が「戦艦を使って武力の行使を伴うものであれば、どう考えても存立危機事態になり得る」などと踏み込んだ内容の答弁をした。

 これまで日本政府は公式見解として、台湾有事と存立危機事態の関係を問われた際、「いかなる事態が存立危機事態に該当するかは、個別具体的な状況に即し情報を総合して判断することとなるため、一概に述べることは困難だ」(2024年2月、当時の岸田文雄首相)などと答弁してきた。台湾有事に日本が参戦する意思を示せば、中国側を刺激し、日中の軍事的な緊張を高める可能性があると考えてきたためだ。

 集団的自衛権行使を可能にする安全保障関連法が成立した15年の国会審議では、当時の安倍晋三首相が存立危機事態にあたる例として、邦人輸送中の米艦防護や中東のホルムズ海峡での機雷除去を挙げた。この例示でも問題があるが、台湾への言及ははるかに重大な意味を持つ。日本としては、そもそも台湾に言及できない。言及するにしても文脈に細心の注意を払うことが必要だ。以下に、台湾についての日本の立場、特に法的立場を確認しておきたい。

〇ポツダム宣言
 第二次大戦が終了するに際し、日本が受け入れた1945年7月のポツダム宣言第八項は「日本国の主権は本州、北海道、九州及び四国、並びに我らが決定する諸小島に制限される」と宣言した。日本の領土として本州、北海道、九州及び四国は認めるが、それ以外は台湾も含め、米国、中華民国および英国が帰属を決定すると宣言したのである。

〇サンフランシスコ平和条約
 ポツダム宣言はいわば政治的決定であった。国際法的に日本の領土を決定したのは1951年9月に署名されたサンフランシスコ平和条約である。同条約において、日本は台湾に対するすべての権利、権原および請求権を放棄した(第2条b)。要するに台湾を放棄したのである。

〇台湾の帰属
 しかし、日本が放棄した台湾をどこ(どの国)が領有するのかについては複雑な状況になった。「中華民国」と「中華人民共和国」両政府がともに台湾を自国の領土だと主張したからである。
「中華民国」は清朝を倒した辛亥革命で成立したが、共産党との戦いに敗れ、1949年12月、中国大陸から台湾へ移転した。
一方、勝利を収めた共産党は、1949年10月に「中華人民共和国」の成立を宣言し、中国大陸全土を支配下におさめた。
 国際的には、当初、「中華人民共和国」は英国などごく少数の国から承認されていたにすぎなかったが、その後「中華人民共和国」を承認する国は徐々に増加し、ついに国連でも多数を占めるに至り、1971年には「国際連合における中華人民共和国の合法的権利の回復」が国連総会で採択された。この結果、国連における「中華民国」の権利はすべて「中華人民共和国」に属することとなった。

 国連ではこのような変化が起こったが、台湾を統治するのは依然として「中華民国」であった。しかし、「中華人民共和国(以下「中国」)」としてはそれを認めるわけにはいかない。あらゆる機会をとらえて台湾は中国に帰属することを各国に認めさせようとしたが、実現せず、台湾の統一は中国の果たせぬ悲願となった。

〇国交正常化
 1972年9月、中国は日本と「国交を正常化」し、両国は外交関係を結んだ。その際中国は、台湾が「中国(「中華人民共和国」)の領土の不可分の一部」であると主張したが、日本は、中国のこの主張に同意しなかった。放棄した台湾についてどうこう言える立場になかったからである。しかし中国はあくまで台湾が中国の一部であることを認めるよう日本に求め、これがまったく認められなければ国交正常化は成立しなかった。日本はそこで、「中国(中華人民共和国)の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」とした。「理解し、尊重する」は曖昧な言葉であるが、中国の立場に寄りそった姿勢は示すことができる。そして、「ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」としたので台湾を放棄したことを再確認したことになり、サンフランシスコ平和条約にも違反しないで済んだ。
 この状態が今日まで継続している。日本は台湾を「中国」のものとも、「中華民国」のものとも認めるわけにいかないし、実際認めていない。

〇台湾への介入
 ちなみに、米国の立場は日本と異なるところがある。米国の場合は日本のように台湾を放棄したという歴史も法的な関係もない。単純化していえば、「中国」と「中華民国」の両者が台湾の地位を決めれば米国は構わない。ただ、武力を行使して決着をつけることは認めない、というのが米国の立場である。米国は、台湾において、あるいは台湾に対して武力が行使されれば、それを阻止しようとするだろう。どのように対処するかは法律で具体的に定められておらず、政治の問題なので簡単な言葉では表現できない。指導者の考えいかんにもよる。いずれにしても米国としての考えに基づいて台湾問題に介入する。
 中国はそのような米国の立場を認めたくなかったが、認めなければ米国との国交樹立は成立しなかったであろう。中国は米国の「平和的解決」への関心を受け入れ、共同声明が発出された。米国は平和的解決を求める立場を明記した。

 「台湾有事」という言葉の意味は必ずしも明確でないが、米国は「台湾有事」に対応できる。しかし、日本はできない。酷に響くかもしれないが、日本は、台湾が中国に併合されても何もできない。上述したように、国際法上、日本は台湾を放棄したからである。日本として米国を支援、あるいは米国に協力するにしても、「台湾有事」で行動する余地はないだろう。
 「台湾有事」は政治の世界で、しかも日本の政治世界でもてあそばれる言葉ではないか。

〇尖閣諸島
 尖閣諸島は台湾と区別される別問題である。この問題に深入りすると複雑になるが、国際法上のステータスは比較的簡単である。日本はサンフランシスコ平和条約を含め、いかなる条約でも尖閣諸島を放棄していない。中国も「中華民国」も、尖閣諸島は中国の領土だと言い張るが、日本の領土であることは国際法に照らしても、また中国の古文献に照らしても明確である。
 かりに尖閣諸島が中国によって奪取される危険が生じれば、日本は阻止しなければならない。必要であれば、武器を行使してでも防がなければならない。これは「日本有事」である。
2025.09.29

中国の対日戦勝80年記念と金正恩総書記の参列

 2025年9月3日、中国が開催した対日戦勝80周年記念行事には多数の国の首脳が顔をそろえた。天安門広場のパレードでは中国軍の誇る最新兵器が次々に登場し、習近平中国主席が式典を主催するのを見守った。

 日本との戦争で連合国であった国が対日戦争勝利を祝うことにきまった方式はなく、各国とも自国の流儀で祝賀行事を行っている。特別の行事を行わない国も少なくない。米国では自国の戦争記念館で行事を行っている。2005年7月10日に他の旧連合国とともに行った第二次世界大戦終結60周年の記念行事は比較的大規模であった。

 2025年の北京での行事に北朝鮮の金正恩総書記(「委員長」とすることもあるが、本稿では「総書記」とする)が参列したことは特に注目された。金正恩総書記が複数の首脳らの集まる「多国間外交」に姿を表すのは今回が初めてであったが、それだけでなく、金総書記の参列については北朝鮮と中国、ロシアさらには米国との関係でも見逃せない背景があった。以下時系列的に主要な状況を見ていこう。

〇金総書記の体制固め
 金正恩は2011年12月、父の金正日総書記の死去に伴いその継承者となったが、各国との外交を展開するにはあまりにも立場が不安定であった。当時の年齢は25~6歳であり(1984年1月生まれ。かつて留学していたスイス当局の記録では1985年10月となっていたという)、各国にはほとんど知られていなかった。韓国でさえ「金正恩」という漢字表記は直ちにはわからなかったという。各国は金正恩氏のリーダーシップに不安を抱いた。

 東アジアでは各国の指導者があいついで交替した。日本では2012年12月に安倍晋三氏が内閣総理大臣に再任され、2020年9月まで続く長期政権が発足した。次いで韓国では朴槿恵氏が2013年2月、韓国の新大統領に就任した。中国では2012年11月に習近平氏が中国共産党の新総書記に、13年3月に新国家主席に就任した。つまり東アジアにおいては、2011年末から約1年半の間に北朝鮮、日本、韓国、中国において新政権が相次いで誕生したのであった。

 年若い金正恩総書記としては体制固めが喫緊の課題であった。詳しい事情は知る由もないが、2013年12月の張成澤の処刑もその一環だった可能性がある。張成澤は金正恩総書記の義理の叔父で、事実上のナンバー2であったが、党内で派閥を形成しようとしたとか、金正恩総書記の命令に従わなかったとかの理由で全ての職務から解任され、処刑されてしまった。その結果、金正恩に意見を言える人物はいなくなった。

並進路線
 北朝鮮は金正日の時代から核とミサイルの実験を始めていたが、金正恩が後継者となってからはその関連の活動が目立って多くなった。各国は反発し、国連安保理は緊急会合を開いて、北朝鮮を非難した。その中には中国も含まれていた。
 しかし、金正恩は委細構わず、核・ミサイルの実験を継続し、2013年3月、朝鮮労働党中央委員会全体会議(総会)で、党の新たな戦略的路線として、経済建設と核武力建設を並進させるという「並進路線」を正式に決定した。
 中国はかねてから北朝鮮の核開発を嫌悪しており、北朝鮮は核開発する必要はない。必要となれば、中国に頼ればよい、という考えであった。しかし、それでは北朝鮮として中国依存から抜け出せない、核は自前で開発する必要があると北朝鮮は考えていた。
 そんな事情が重なったこともあり、北朝鮮と中国の関係は金正恩の登場以来むしろ悪化した。

〇中韓の接近
 韓国の新大統領となった朴槿恵氏は就任3か月後の5月に訪米し、オバマ大統領と会談した。北朝鮮が「並進路線」を決定した2か月後のことである。そして朴槿恵大統領は引き続いて6月中国を訪問した。朴槿恵氏はかねてから中国に強い関心を抱いており、中国もまた、韓国の大統領選挙中から朴槿恵氏へ関心を寄せていた。
 中国の新聞も、朴氏の訪中後であったが、「朴槿恵大統領は中国の歴史、古典に並々ならぬ関心と知識を有し、中国語も得意であった。朴槿恵大統領は、習近平主席との会談、清華大学での講演などを通じて、中韓両国の友好関係増進に朴槿恵大統領ならではの役割を果たした」などと、きわめて好意的に報道していた。
 朴槿恵氏はもともとフランス語の教師になることを目指していたが、中国語の学習にも熱を入れ、「英語、フランス語、スペイン語の勉強に熱中した経験は、中国語の独学に大いに役立った」と語っていた。初めて胡錦涛主席に会見した際も中国語であいさつしたので、胡錦涛主席は「目を丸くしながら満面の笑みを浮かべた」そうである。

 習近平氏は朴槿恵氏の招待を受けて、翌14年7月、韓国を公式訪問した。第三者がこのことに言及する場合は「こともあろうに」と付言するのが常である。中国は朝鮮戦争以来北朝鮮とはいわゆる「血肉を分けた関係」であり、常識的には、中国の新主席として北朝鮮を訪問するより前に韓国を訪問することなどあり得ない、あってはならないことだったからである。

 2015年は中国にとって対日戦勝70年記念であり、9月、大規模な記念式典を行った。習近平氏が中国共産党中央委員会総書記に就任して以来最初の大規模なイベントであり、日本を除く全てのG7メンバー国の代表者が出席した。
 習近平主席の右隣にはロシア連邦ウラジーミル・プーチン大統領が、さらにその隣には大韓民国の朴槿恵大統領が並んだ(朴氏は着席)。反対側の左隣には、習近平氏の前任の党総書記である江沢民と胡錦濤ら中国共産党の元老や幹部が並んだ。

 北朝鮮は朝鮮労働党書記の崔竜海を派遣したが、席は端に近い位置であった。北朝鮮は中韓の接近を苦々しく見ていたに違いない。この頃は中国と北朝鮮との関係が最も悪化していた時であった。
 
〇米朝首脳会談 2018~19年
 米朝首脳会談は北朝鮮と中国の関係が改善される機会となった。金総書記はトランプ大統領との首脳会談と非核化交渉をひかえ、中国との関係をよくし、対米交渉に経験の深い習主席からアドバイスを受けようとして訪中した。最初は、米朝首脳会談の開催が煮詰まりつつあった2018年3月であり、次に5月、そして初の米朝首脳会談後の6月と立て続けに訪中した。さらに、翌年にも第2回目の米朝首脳会談を見越して1月に再度訪中した。金正恩氏は、習近平主席が北朝鮮の敵である韓国に好意を示していたにもかかわらず、何度も訪中したのであった。米国との関係改善はそれだけ重いことだったのである。

 中国としても北朝鮮に対してあまりにすげない態度を取り続けるのはよくない、北朝鮮は米国との会談を行うに際して中国の顔を立ててきたので北朝鮮に友好的な態度で臨むべきだという考えが強くなってきたものと思われる。

 習近平氏はハノイでの米朝首脳会談の4か月後の2019年6月、ついに北朝鮮を訪問した。その後は世界的なコロナ禍の影響もあったのだろう、中国の「国慶節(10月1日)」 北朝鮮の建国記念(9月9日)などに祝電の交換などは行っていたようであるが、あまり目立った動きはなかった。

〇北朝鮮は中国およびロシアと肩を並べたか
 中国の対日戦勝80年記念式典には、10年前と異なり、金正恩総書記が参列した。しかも金正恩総書記は北京でロシアのプーチン大統領とほぼ同等の待遇を受けた。その間に北朝鮮と中国の関係が大幅に改善されていたのである。米朝首脳会談が契機となったことは前述したが、最大の原因はロシアによるウクライナ侵攻であった。
 ウクライナ侵攻で難渋したロシアは中国に協力を要請したが、中国は経済面での協力以外は首を縦に振らなかった。そこでロシアは北朝鮮に協力を求めた。詳しい事情は分からないが、ロシアは北朝鮮に兵員、武器の提供を懇願し、それは実現した。
 ロシアのクルスク州でウクライナ軍とロシア軍は激しく戦っている。北朝鮮はロシアから要請を受け、兵士約1万5000人とミサイル、長距離兵器をロシアに送ったといわれている。また、外貨獲得のためロシア極東に派遣されていた北朝鮮労働者がロシア軍と契約を結び、入隊したとも報道された。

 ウクライナ侵攻を契機に北朝鮮とロシアの関係は著しく改善された。金正恩総書記は2023年9月ロシアを訪問し、13日にロシア極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地でプーチン大統領と会談した。金氏は4年前にもロシアを訪問したことがあったが、その時はあまり大事にされなかったらしい。予定を切り上げ帰国してしまった。
 ロシアは今回、その時とは比較にならないほど盛大に金正恩総書記を歓待した。プーチン大統領は外国の要人と会談するとき遅刻の常習癖(意図的だといわれている)があるが、今回は逆に会談開始より数十分早く会談場に来ていたという。
 金正恩氏は極超音速ミサイルや巡航ミサイル、戦闘機など最新兵器を視察した。見て回っただけでなく、手で触れてみたり、操縦席に乗ったりした。また、ウラジオストックではロシアの太平洋艦隊を訪問した。金正恩氏の視察にはショイグ国防相が、一部はプーチン氏が同行した。金正恩氏のロシア訪問は異例ずくめであった。

 そして翌2024年6月には、プーチン大統領が訪朝した。
 
 金総書記のロシア訪問も、プーチン大統領の北朝鮮訪問も北朝鮮にとって満足できる結果だったのだろう。これまで尊大であったロシアが下手に出て金正恩氏の機嫌を取ろうとするようになった。そんなことが起こったのはロシアが北朝鮮の兵力と武器を懇願し、提供されたからであった。軍事力増強は国連などでは非難されているが、北朝鮮の地位を押し上げた。金正恩総書記はこのように考えたのではないか。

 北朝鮮の地位が押し上げられたのはロシアとの関係だけでない。ロシアに負けず北朝鮮に尊大な態度を取る中国との関係でも変化が起こっている。特に、対日戦勝80年記念式典で習近平主席は金正恩総書記を厚遇し、少なくとも表向きはプーチン氏とほぼおなじ特別扱いにした。このことは中朝間で事前に決められていたはずである。そうでなければ、金正恩氏が北京に行くはずがない。

 要するに、ウクライナ侵攻をめぐってロシアはどうしても北朝鮮の協力を必要とするようになり、その結果北朝鮮の地位は顕著に上昇した。中国としてもロシアほど露骨でなかったかもしれないが、北朝鮮の地位と役割を認め、歓心を買うのが得策と判断したのだと思われる。そして、金正恩氏は軍事力増強路線が間違っていなかった、その路線を追求してきたために、ロ朝両国は今や対等の立場、あるいは対等に近い立場に立つに至ったと実感したのではないか。
2025.09.10

中国主催の対日戦勝記念式典

 2025年9月3日、中国は北京で対日戦勝80年記念式典を開催した。天安門広場のパレードでは中国軍の誇る最新兵器が次々に登場し、参加した26か国の首脳は習近平中国主席が威風堂々式典を主催するのを見守った。

 日本との戦争で連合国であった国が対日戦争勝利を祝うことにきまりはなく、各国とも自国の流儀で祝賀行事を行っている。特別の行事を行わない国も少なくない。米国では自国の戦争記念館で行事を行っている。2005年7月10日に他の旧連合国とともに行った第二次世界大戦終結60周年の記念行事は比較的大規模であった。

 中国は大々的に祝賀行事を行うが、中国については複雑な事情がある。80年前日本を降伏に導いた連合国において「中国」を代表していたのは「中華民国」であり、「中華人民共和国」ではなかった、「中華人民共和国」は1949年に誕生したのであり、日本が連合国に敗れ、降伏した時には存在していなかった。この道筋を厳格に順守するならば、対日戦勝80年記念の行事を行うのは「中華民国」ということになる可能性がある。

 しかし、現在は「中華人民共和国」が「中国」を代表することに疑義を抱く人は少ない。今次式典に集まった首脳のなかでも、そのような疑義を持つ人は皆無に近いだろう。日本も1972年9月に「中華人民共和国」との間のそれまでの不正常な状態を終了させており、それ以降、日本国政府は、「中華人民共和国」政府が「中国」の唯一の合法政府であることを承認している。米国も1972年の上海コミュニケで同様のことを承認している。つまり大多数の国は「中国」を代表するのは「中華人民共和国」であり、「中華人民共和国」が対日戦争勝利を記念するのは当然とみているのである。

 「台湾」すなわち「中華民国」の立場は違っている。「中華人民共和国」が「中国」を代表するようになった結果「中華民国」が消滅しておれば、どちらが「中国」を代表するかという問題はなくなっていただろうが、「中華民国」は今でも存在する。しかし、「中華民国」も「中国」を代表するとは主張しなくなっている。対日戦勝記念式典を主催することも、各国の代表を集めて開催することもなくなっている。

 台湾では「日本の統治からの解放記念日」(台湾光復節)として、10月25日に「台湾光復式典」を挙行しているが、北京の対日戦勝記念行事とは比較にならない小規模のものである。

 対日戦勝80年を記念する北京での式典に台湾から最大野党国民党の洪秀柱元主席が参加したことは、「中国」を代表するのは「中華人民共和国」か「中華民国」かという問題がなくなっていないことをあらためて想起させたと考える向きがあるようだが、「国民党」にはもはやそのような力はない。「国民党」は「中華人民共和国」と対抗するどころか、よしみを通じ、「中華人民共和国」をよりどころとするようになっている。

 対日戦勝記念は政治色が濃厚な問題であり、中国軍事パレードの狙いは「習近平氏の権力確立と国威発揚」にあるという見方もある。習近平主席は毛沢東氏を除けば、歴代のどの中国共産党総書記よりも、対日戦勝記念を大々的に開催することに熱心である。「中華人民共和国」が大々的に祝賀行事を行うのは政治的考慮があるからだ。

 トランプ米大統領は、今回の記念式典における習近平主席の演説が対日戦勝における米国の貢献に言及しなかったことに驚いたと語り、不満を示した。米国は「中華人民共和国」が対日戦勝を記念する行事を行うのに異議を唱えないだろうが、対日戦争を勝利に導くのに米国が他のどの連合国も及ばない大きな貢献を行ったことを無視されると黙っておれなくなるのだろう。その点で習近平主席は配慮が足りなかったのかもしれない。

 敗戦国である我が国は、各国が戦勝を記念するのを晴れがましい気持ちで見ることはできない。戦争についてわが国は、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して甚大な損害と苦痛を与えた。我が国はそのことを反省し、心からのお詫びの気持ちを抱いている。この認識と姿勢は日本人として忘れてはならない。戦勝国の側では対日戦勝記念を政治的に利用しようとする傾向があるなど、複雑な動きは収まっていないだけに、日本は日本の立場を揺るがせないようしっかりと対応していく必要がある。

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