朝鮮半島
2024.04.01
岸田発言に対して北朝鮮側は2月15日、金与正労働党副部長の談話で反応してきた。「解決済みの拉致問題を障害物としなければ」と条件付きであったが、「日本が政治的決断を下せば、両国はいくらでも新しい未来を共に開いていくことができる」、「首相が平壌を訪問する日が来る可能性もある」、「岸田首相の発言は、肯定的なものとして、評価されないはずがない」などと語った。
翌16日、林官房長官は記者会見で「金与正談話は留意している。拉致問題を解決済みとすることについてはまったく受け入れられない」と表明。
すると金与正氏は1か月後の3月25日、「これ以上解決すべきことも、知るよしもない拉致問題に依然として没頭するなら首相の構想が人気取りにすぎないという評判を避けられなくなるであろう」、「自分が願うからといって、決心したからといってわが国家の指導部に会うことができ、また会ってくれるのではないということを首相は知るべきである」と再度の談話を発表。
崔善姫(チェソンヒ)外相も4日後の29日、「朝日対話は我々の関心事ではなく、日本のいかなる接触の試みも容認しない」、拉致問題について「解決してあげられるものがないばかりか、努力する義務もない。またそうする意思も全くない」との談話を発表し、日朝間の交渉を改めて拒否した。
また、北朝鮮の李竜男(リリョンナム)駐中国大使は同日、北京の日本大使館の関係者が28日、北朝鮮の大使館員に電子メールで接触を提案してきたと表明した(朝鮮中央通信)。
北朝鮮側は、岸田首相が試みてきた首脳会談の働きかけには応じない、本件については日本側とこれ以上話さないとの態度をとったのだが、今後日本側としてはどのように北朝鮮との関係を考えていくべきか。
首脳会談を何回呼び掛けても同じことの繰り返しになるだけであり、いたずらに状況を悪化させてしまう危険さえあるだろう。
カギはやはり拉致問題である。日本政府は今後も「拉致被害者を全員日本へ帰国させよ」の姿勢をあくまで堅持していくだろう。しかし日本政府は、拉致問題に関して為すべきことを全て実行しているのではない。
横田めぐみさんの「遺骨」について疑問が残ったままになっている。日本政府は北朝鮮から引き渡された「遺骨」は横田めぐみさんのものではないと発表したが、この発表に対しては深刻な疑問が呈されており、それに対し日本政府は疑問を解く努力をしていない。この問題の解明には警察の協力が不可欠だが、政府は警察に解明を命じていない。一部警察官僚の言いなりになっているとの見方さえある。
拉致問題の解決は、「遺骨」問題を通じて日朝両国が前進できるかにかかっている。もちろん横田めぐみさんのご家族次第であるが、この「遺骨」問題を突破口として関係者があらためて検討を行い、日朝関係が前進することを望んでいる。
日朝首脳会談は開催できない
岸田首相はかねてから日朝関係を打開するために金正恩総書記と首脳会談を行いたいとの意向を表明してきた。2023年11月26日の「国民大集会」でも「様々なルートを通じ、働きかけを絶えず行い続けている。早期の首脳会談の実現に向け、働きかけを一層強めていく」と発言していた。そして2024年2月9日の国会の衆議院予算委員会においても同じ発言を行った。岸田発言に対して北朝鮮側は2月15日、金与正労働党副部長の談話で反応してきた。「解決済みの拉致問題を障害物としなければ」と条件付きであったが、「日本が政治的決断を下せば、両国はいくらでも新しい未来を共に開いていくことができる」、「首相が平壌を訪問する日が来る可能性もある」、「岸田首相の発言は、肯定的なものとして、評価されないはずがない」などと語った。
翌16日、林官房長官は記者会見で「金与正談話は留意している。拉致問題を解決済みとすることについてはまったく受け入れられない」と表明。
すると金与正氏は1か月後の3月25日、「これ以上解決すべきことも、知るよしもない拉致問題に依然として没頭するなら首相の構想が人気取りにすぎないという評判を避けられなくなるであろう」、「自分が願うからといって、決心したからといってわが国家の指導部に会うことができ、また会ってくれるのではないということを首相は知るべきである」と再度の談話を発表。
崔善姫(チェソンヒ)外相も4日後の29日、「朝日対話は我々の関心事ではなく、日本のいかなる接触の試みも容認しない」、拉致問題について「解決してあげられるものがないばかりか、努力する義務もない。またそうする意思も全くない」との談話を発表し、日朝間の交渉を改めて拒否した。
また、北朝鮮の李竜男(リリョンナム)駐中国大使は同日、北京の日本大使館の関係者が28日、北朝鮮の大使館員に電子メールで接触を提案してきたと表明した(朝鮮中央通信)。
北朝鮮側は、岸田首相が試みてきた首脳会談の働きかけには応じない、本件については日本側とこれ以上話さないとの態度をとったのだが、今後日本側としてはどのように北朝鮮との関係を考えていくべきか。
首脳会談を何回呼び掛けても同じことの繰り返しになるだけであり、いたずらに状況を悪化させてしまう危険さえあるだろう。
カギはやはり拉致問題である。日本政府は今後も「拉致被害者を全員日本へ帰国させよ」の姿勢をあくまで堅持していくだろう。しかし日本政府は、拉致問題に関して為すべきことを全て実行しているのではない。
横田めぐみさんの「遺骨」について疑問が残ったままになっている。日本政府は北朝鮮から引き渡された「遺骨」は横田めぐみさんのものではないと発表したが、この発表に対しては深刻な疑問が呈されており、それに対し日本政府は疑問を解く努力をしていない。この問題の解明には警察の協力が不可欠だが、政府は警察に解明を命じていない。一部警察官僚の言いなりになっているとの見方さえある。
拉致問題の解決は、「遺骨」問題を通じて日朝両国が前進できるかにかかっている。もちろん横田めぐみさんのご家族次第であるが、この「遺骨」問題を突破口として関係者があらためて検討を行い、日朝関係が前進することを望んでいる。
2024.03.19
岸田首相は2月9日の衆院予算委員会で、金正恩総書記との首脳会談の実現に向け「私自身が主体的に動き、トップ同士の関係を構築していくことが極めて重要だ」と答弁し、また 首脳会談の実現に向け「さまざまなルートを通じて働き掛けを絶えず行っている。具体的な結果につながるよう最大限努力していきたい」と述べるなど意欲を示した。(その後、3月19日には、サッカーワールドカップアジア2次予選「日本対北朝鮮」のアウェーでの試合に合わせて外務省の北朝鮮担当の職員ら十数名が平壌入りすることが判明した。)
岸田首相の発言に呼応する形で、金与正朝鮮労働党副部長は2月15日、個人的見解として談話を発表し、日本が政治的決断を下せば「岸田文雄首相が平壌を訪問する日が来る可能性もある」と述べた。また与正氏は「(岸田首相の発言が)過去の束縛から大胆に脱し、関係を進展させようとする真意から出たものであれば評価されない理由はない」、「拉致問題を障害物としなければ両国が近くなれない訳はない」と指摘したとも報道された。与正氏は本気で岸田首相の北朝鮮訪問を実現しようとしているのか、よくわからない面があるが、いずれにしても金正恩総書記の指示に従い発言したのであろう。
岸田首相は金正恩総書記との首脳会談に前向きの姿勢を示しているが、拉致問題の解決は「首相自身が主体的に動き、金正恩総書記とトップ同士の関係を築けば可能」だと考えているのか。これまで解決しなかった拉致問題が、このような姿勢で臨めば解決できると考えているのか、客観的にはよくわからない。首相が表明していることは従来からの繰り返しにすぎないのかもしれない。
金正恩総書記が北朝鮮の世界における地位を押し上げようとしているのが事実であれば、日本としては、北朝鮮が立派になりたいならば拉致問題を解決すべきであることを改めて要求できるはずである。しかし、少なくとも金与正氏の談話ではそれはできないことを明言している。そうであれば、北朝鮮の立場からすれば、日本側はできないことを求めていることになる。これまでの堂々めぐりと何ら変わらないことになる。
それから1か月半しか経っていないが、その間に金正恩氏の姿勢を示す出来事がもう一つ起こった。
2月28日、東京・国立競技場で行われたパリ五輪女子サッカーアジア最終予選で日本は2-1で北朝鮮を下し、パリ五輪(オリンピック)出場権を獲得した。
試合後、北朝鮮のリ・ユイル監督は、報道陣から「(北朝鮮チームの)フェアプレーに感心した。トレーニングについて強い指導をしているのか」という趣旨の質問が飛ぶと、「まずスポーツ選手としてルールを尊重するということ、審判の判定を尊重するというのは非常に重要なことで、これはスポーツ選手のみならず、一般的にもルールを守ることは重要」とし「北朝鮮も日本も大変すばらしいフェアプレーをみせてくれた」と試合を振り返った。「常日頃からルールは守らなければいけないと指導してきた。選手たちは、幼い頃からフェアプレーを身につけるように、心がけるように指導している」とも述べたという。
それから約2週間後の3月16日にウズベキスタンのタシケントで行われた女子サッカーアジアカップ決勝で、U-20北朝鮮女子代表は日本女子代表に2-1で逆転勝利を収め、2007年以来の大会制覇を果たした。試合終了後、北朝鮮の選手たちは日本選手とのハイタッチでの挨拶を終えたあと、キャプテンのMFチェイ・ウンヨンを先頭に日本のベンチへ足を運んで挨拶。その後、自陣のベンチに向かったが、日本の選手たちが北朝鮮ベンチへ挨拶していることを受け、チェイ・ウンヨンがチームメイトたちを統率して落ち着かせ、挨拶が終わるまで歓喜を爆発させるのを待つ場面があった。
この2回にわたり北朝鮮側が示したことは、今まで見たことがないスポーツマンシップであった。たとえば、約半年前、杭州アジア大会の男子サッカー準々決勝で、北朝鮮の選手たちが1─2で日本に敗れた後に審判員に激しく詰め寄り、混乱状態となり、北朝鮮の監督が駆け寄って事態の収拾を図ったのと大違いであった。北朝鮮の選手たちは以前からラフな行動で知られていたが、2月と3月の女子サッカー試合では、フェアプレーに突然変わったのであった。
金正恩総書記から事前に、フェアプレーで試合するよう指示が出ていたのは明らかであった。北朝鮮を立派な国家としたいという金正恩総書記の意図はますますはっきりしてきた感じである。
もちろん、北朝鮮が本当に立派な国家になりたいのであれば、国連決議を順守し、危険な弾道ミサイルの実験はやめるなどが必要であるが、そのような姿勢は見えてこない。したがって、金正恩総書記の意図はそれだけ割り引いてみざるをえないが、その点はともかく、同書記の視点から物事を見ておくことも必要である。
北朝鮮が新しい立場をとるからと言って拉致問題が解決するわけでないのはもちろんである。しかし、日本としても拉致問題をシングルイシューとする姿勢を貫くだけでは何ともならないのではないか。
日朝関係は動くか2024年3月
北朝鮮はミサイルの発射実験を続けている。3月18日午前には新たに6 発を発射した。この点は今までと変わっていないが、一方で、金正恩総書記は北朝鮮の国際的地位を押し上げようとしている。さる2月1日、当研究所のHPに「金正恩の近代的強国」と題する一文を掲載したが、いわばその続きが行われているようだ。岸田首相は2月9日の衆院予算委員会で、金正恩総書記との首脳会談の実現に向け「私自身が主体的に動き、トップ同士の関係を構築していくことが極めて重要だ」と答弁し、また 首脳会談の実現に向け「さまざまなルートを通じて働き掛けを絶えず行っている。具体的な結果につながるよう最大限努力していきたい」と述べるなど意欲を示した。(その後、3月19日には、サッカーワールドカップアジア2次予選「日本対北朝鮮」のアウェーでの試合に合わせて外務省の北朝鮮担当の職員ら十数名が平壌入りすることが判明した。)
岸田首相の発言に呼応する形で、金与正朝鮮労働党副部長は2月15日、個人的見解として談話を発表し、日本が政治的決断を下せば「岸田文雄首相が平壌を訪問する日が来る可能性もある」と述べた。また与正氏は「(岸田首相の発言が)過去の束縛から大胆に脱し、関係を進展させようとする真意から出たものであれば評価されない理由はない」、「拉致問題を障害物としなければ両国が近くなれない訳はない」と指摘したとも報道された。与正氏は本気で岸田首相の北朝鮮訪問を実現しようとしているのか、よくわからない面があるが、いずれにしても金正恩総書記の指示に従い発言したのであろう。
岸田首相は金正恩総書記との首脳会談に前向きの姿勢を示しているが、拉致問題の解決は「首相自身が主体的に動き、金正恩総書記とトップ同士の関係を築けば可能」だと考えているのか。これまで解決しなかった拉致問題が、このような姿勢で臨めば解決できると考えているのか、客観的にはよくわからない。首相が表明していることは従来からの繰り返しにすぎないのかもしれない。
金正恩総書記が北朝鮮の世界における地位を押し上げようとしているのが事実であれば、日本としては、北朝鮮が立派になりたいならば拉致問題を解決すべきであることを改めて要求できるはずである。しかし、少なくとも金与正氏の談話ではそれはできないことを明言している。そうであれば、北朝鮮の立場からすれば、日本側はできないことを求めていることになる。これまでの堂々めぐりと何ら変わらないことになる。
それから1か月半しか経っていないが、その間に金正恩氏の姿勢を示す出来事がもう一つ起こった。
2月28日、東京・国立競技場で行われたパリ五輪女子サッカーアジア最終予選で日本は2-1で北朝鮮を下し、パリ五輪(オリンピック)出場権を獲得した。
試合後、北朝鮮のリ・ユイル監督は、報道陣から「(北朝鮮チームの)フェアプレーに感心した。トレーニングについて強い指導をしているのか」という趣旨の質問が飛ぶと、「まずスポーツ選手としてルールを尊重するということ、審判の判定を尊重するというのは非常に重要なことで、これはスポーツ選手のみならず、一般的にもルールを守ることは重要」とし「北朝鮮も日本も大変すばらしいフェアプレーをみせてくれた」と試合を振り返った。「常日頃からルールは守らなければいけないと指導してきた。選手たちは、幼い頃からフェアプレーを身につけるように、心がけるように指導している」とも述べたという。
それから約2週間後の3月16日にウズベキスタンのタシケントで行われた女子サッカーアジアカップ決勝で、U-20北朝鮮女子代表は日本女子代表に2-1で逆転勝利を収め、2007年以来の大会制覇を果たした。試合終了後、北朝鮮の選手たちは日本選手とのハイタッチでの挨拶を終えたあと、キャプテンのMFチェイ・ウンヨンを先頭に日本のベンチへ足を運んで挨拶。その後、自陣のベンチに向かったが、日本の選手たちが北朝鮮ベンチへ挨拶していることを受け、チェイ・ウンヨンがチームメイトたちを統率して落ち着かせ、挨拶が終わるまで歓喜を爆発させるのを待つ場面があった。
この2回にわたり北朝鮮側が示したことは、今まで見たことがないスポーツマンシップであった。たとえば、約半年前、杭州アジア大会の男子サッカー準々決勝で、北朝鮮の選手たちが1─2で日本に敗れた後に審判員に激しく詰め寄り、混乱状態となり、北朝鮮の監督が駆け寄って事態の収拾を図ったのと大違いであった。北朝鮮の選手たちは以前からラフな行動で知られていたが、2月と3月の女子サッカー試合では、フェアプレーに突然変わったのであった。
金正恩総書記から事前に、フェアプレーで試合するよう指示が出ていたのは明らかであった。北朝鮮を立派な国家としたいという金正恩総書記の意図はますますはっきりしてきた感じである。
もちろん、北朝鮮が本当に立派な国家になりたいのであれば、国連決議を順守し、危険な弾道ミサイルの実験はやめるなどが必要であるが、そのような姿勢は見えてこない。したがって、金正恩総書記の意図はそれだけ割り引いてみざるをえないが、その点はともかく、同書記の視点から物事を見ておくことも必要である。
北朝鮮が新しい立場をとるからと言って拉致問題が解決するわけでないのはもちろんである。しかし、日本としても拉致問題をシングルイシューとする姿勢を貫くだけでは何ともならないのではないか。
2024.02.01
金正恩総書記は北朝鮮の国際的地位を引き上げようとしている。
第二次世界大戦の終了後朝鮮の人たちは一つの国家を樹立しようと協議を始めたが、実現しないうちに1948年、半島の南では大韓民国、北では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が相次いで樹立された。両国はいずれ統一して朝鮮半島は一つの国になることを目指しており、世界もそのように理解してきた。そのため、国家としては南も北も未完成の感じがあった。
北と南は1991年9月、国連に別々の国家として加盟したが、統一の実現を目指すという立場は変わらなかった。
2024年1月15日、北朝鮮の金正恩総書記は最高人民会議において、「今日、80年間の北南関係史に終止符を打つ」と宣言し、また、北朝鮮憲法から「和解や統一の相手であり同族だという既成概念を完全に消し去る」ことが必要だと主張した。同会議に先立ち、昨年末の朝鮮労働党中央委員会総会で、「韓国とは同族関係でなく、敵対的な国家関係」だと述べていた。
専門家もメディアも北朝鮮の発表をそのまま信用することはできない。半信半疑の姿勢である。また挑発だとみる人もいる。これまでの例からみてそれも無理ないことであるが、今回の金正恩の宣言には注意すべき面がある。
第1に、金日成の肖像や銅像が公の場から撤去された。これは今までの常識からすればありえないことである。北朝鮮の指導者は金日成から始まり、次はその子の金正日、さらにその次は金正日の子の金正恩と続いてきたが、初代の金日成は北朝鮮建国の父であり、「偉大なる首領様」と尊称されてきた。その権威は絶大であった。
金正日は父の金日成に付き従って指導者となった人物であり、映画鑑賞などが趣味の好き者であり、その権威は金日成には到底及ばなかった。さらに金正恩は年若くして指導者となり、経験は乏しい。北朝鮮を率いていけるか、疑問に思われていた。
これが常識的な見方であったが、金正恩はこの常識を覆し始めた。ここから先はどうしても推測が混じるが、理由がないわけではない。あえて金正恩氏の立場から見てみると、
北朝鮮は核兵器をすでに開発している。弾道ミサイルも世界があきれるほど実験し、大陸間弾道弾も成功させており、米国を攻撃することも可能になっている。このような軍事力は金正日のもとで開発をはじめ、金正恩の時代になって完成させたものである。これに比べると金日成時代には韓国と戦争したが、中国の助けがなければ負けていた。金日成時代にはそれでも強がりを言っていたが、核もミサイルもまだ保有していなかったのは明らかに事実であり、北朝鮮の軍事力は米国などに敵うものでなかった。
政治的にも金日成の時代は明らかに弱体であった。中国とロシアが加勢しなければ国際社会で主張することもままならなかった。
1961年5月16日に大韓民国の朴正煕が軍事クーデターを起こし、反共軍事政権を樹立すると、北朝鮮は脅威を覚えソ連と中国に同盟関係を求めた。ソ連とは1961年7月6日に友好協力相互援助条約を結ぶと、金日成は直ちに中国へ向かい7月11日中国と友好協力相互援助条約を結んだ。金日成は中ソ両国との同盟条約が同時になるように努め、それがほぼ実現したので上機嫌であったと言い伝えられている。
金日成時代、北朝鮮はチュチェ(主体)思想を掲げたが、実際には中国とロシアはかけがえのない兄貴分であり、両国には最大限の友好姿勢で臨む必要があった。
北朝鮮と中国・ロシアとのこのような関係は長く続いた。金正恩が中ロを訪問しても最大級の歓待を受けることはなく、金正恩は不満であり、中国からもロシアからも訪問を途中で切り上げて帰国したことがあった。
しかし、今や状況は大きく変わってきた。核とミサイルについては、米国などと同等ではないが、いざとなれば核とミサイルで反撃できるようになってきた。金日成時代にも研究を始めていたかもしれないが、実質的には金正日と金正恩の号令の下で実現したことである。
建国の父である金日成の権威を貶めることは金正恩もできないことはもちろんだが、金日成の業績は歴史の中で存在しているものであり、現代においてはそのまま掲げることは適当でない、と考え始めたのではないか。
金正恩と金日成の関係については2019年頃から変化が指摘されていた。労働新聞の2019年3月の記事は孫の金正恩が書簡で「もし偉大さを強調するなどといって、首領(最高指導者)の革命活動や風貌を神格化すれば、真実を隠すことにつながる」との考えを表したことを伝えた(朝日2020年5月22日)。2020年5月20日付の労働新聞も「縮地法の秘訣」と題した記事で抗日パルチザン時代の縮地法について霊的な技術を言ったものではないとして金日成・金正日時代の解釈とは異なる見解を伝えた。
今回の肖像や偶像の撤去は金日成の非偶像化を人民に見える形で進めた。全国を通じて金日成の評価が劇的に変化したか、もう少し時間をかけて確認する必要があろうが、それは困難なことでないはずである。
それを可能にした一つの理由は軍事力の向上であることはすでに述べたので繰り返さない。
もう一つは政治的な理由である。ウクライナ侵攻がきっかけとなり、北朝鮮はロシアから弾薬などの提供を求められた。詳しい事情は分からないが、ロシアは北朝鮮に懇願し、それは結局実現したらしい。
金正恩総書記は9月10日午後に平壌を専用列車で出発し、13日にロシア極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地でプーチン大統領と会談した。帰国の途に就いたのは17日であり、1週間を超える長旅であった。金氏は4年前にもロシアを訪問したことがあったが、その時はあまり大事にされなかったらしい。予定を切り上げ帰国してしまったことは前述したとおりである。
ロシアは今回、その時とは比較にならない歓待ぶりであった。プーチン大統領は外国の要人と会談するとき遅刻の常習癖(意図的だといわれている)があるが、今回は逆に会談開始より数十分早く会談場に来ていた。しかもいくつかの施設ではプーチン大統領は金総書記に同行した。また、ロシア側は北朝鮮が熱望していたミサイル技術を提供した。金正恩氏は前回訪問の際と違ってロシア側の熱烈歓迎ぶりを痛感しただろう。
金正恩氏としては、ロ朝両国は今や対等の立場、あるいは対等に近い立場に立っていると実感したのではないか。客観的に見れば、北朝鮮がそこまで発展しているとみるのは困難だ。しかし、大事なことは、金正恩氏がどのように認識しているかである。今までのように、「暫定的な分断国家でなく、中ロ両国とも対等の立場で付き合っていける、あるいはそういう立場に近くなった」とみているのではないか。
韓国との関係では、金氏は2023年11月15日、最高人民会議(国会に相当)で演説「今日、80年間の北南関係史に終止符を打つ」と宣言した。また、韓国が「和解や統一の相手であり同族だという既成概念を完全に消し去る」ことが必要だとして、朝鮮半島で戦争が起きた場合には、韓国を「完全に占領し、共和国(北朝鮮)に編入する」方針も憲法に盛り込むべきだとも主張した。これを政策とみるか、認識論にすぎないとみるか、ここでは議論しないが、北朝鮮の国際的地位を自ら改めたことと平仄があっている。
能登半島地震に際して岸田首相に見舞電を送り、「閣下」と呼んだことにもそのような金正恩氏の、れっきとした国家の指導者としてふるまいたいという気持ちが表れている。
新しい国家観を持つようになった金正恩総書記のもとで、北朝鮮は今後どのような行動に出るか、注意も警戒も必要である。
The following was translated automatically.
Kim Jong-un’s modern power state
Kim Jong-un appears to be trying to raise North Korea’s international status.
After the end of World War II, the Korean people began talks to establish a single nation, but before this could be achieved, in 1948 the South of the peninsula established the Republic of Korea, and the North, the Democratic People’s Republic of Korea (North Korea). Both countries aim to eventually unify and make the Korean Peninsula one country, and the world has understood this as well. As a result, both the south and the north felt unfinished as a nation.
North and South joined the United Nations as separate states in September 1991, but their stance of aiming for unification remained unchanged.
On January 15, 2024, North Korean General Secretary Kim Jong-un declared at the Supreme People’s Assembly, “Today, we will bring an end to the 80-year history of North-South relations.” He argued that it was necessary to completely erase the preconceived notion that they were members of the same race. Prior to this meeting, at the general meeting of the Central Committee of the Workers’ Party of Korea at the end of last year, he stated that “we do not have a kinship relationship with South Korea, but rather a hostile national relationship.”
Neither experts nor the media can simply trust North Korea’s announcements. Others see it as a provocation. While this is not unreasonable given past examples, there are aspects of Kim Jong-un’s latest declaration that should be noted.
First, portraits and statues of Kim Il Sung were removed from public places in North Korea. This is impossible according to conventional wisdom. The leadership of North Korea began with Kim Il Sung, then his son Kim Jong Il, and then Kim Jong Il’s son Kim Jong Un, but the first Kim Il Sung was the founding father of North Korea. He has been called the “Great Leader”. His authority was enormous and unchallenged.
Kim Jong-il was a man who followed his father Kim Il-sung as a leader, and his hobbies included watching movies, his authority could never reach that of Kim Il-sung. Furthermore, Kim Jong-un became a leader at a young age and lacks experience. There were doubts as to whether he would be able to lead North Korea.
This was the common sense view, but Kim Jong-un has begun to overturn this common sense. From this point on, there is bound to be some speculation, but it is not without reason. If we look at it from Kim Jong-un’s perspective,
North Korea has already developed nuclear weapons. It has also tested ballistic missiles to the world’s shock, and has successfully launched intercontinental ballistic missiles, making it possible to attack the United States. This type of military power was developed under Kim Jong Il and was perfected during the Kim Jong Un era. In comparison, during the Kim Il-sung era, North Korea fought a war with South Korea, but would have lost without China’s help. During the Kim Il Sung era, North Korea still spoke of being strong, but it is clearly true that it did not yet possess nuclear weapons or missiles, and North Korea’s military power was no match for the United States and others.
Politically, Kim Il-sung was clearly weak during his time. Without China and Russia’s help, it would have been difficult to assert itself in the international community.
On May 16, 1961, Park Chung Hee of the Republic of Korea staged a military coup and established an anti-communist military regime , and North Korea, sensing a threat , sought alliances with the Soviet Union and China . After signing the Treaty of Friendship, Cooperation, and Mutual Assistance with the Soviet Union on July 6, 1961 , Kim Il Sung immediately headed to China and signed the Treaty of Friendship, Cooperation, and Mutual Assistance with China on July 11 . It is said that Kim Il-sung was in a good mood as he succeeded to get an alliance treaty with both China and the Soviet Union at about the same time.
During the Kim Il Sung era, North Korea advocated the Juche ideology, but in reality China and Russia were irreplaceable older brothers, and it was necessary to treat them with the utmost friendship.
This kind of relationship between North Korea and China and Russia continued for a long time. Even when Kim Jong-un visited China and Russia, he did not receive the warmest of hospitality, and Kim Jong-un was dissatisfied and even cut short his visits from both China and Russia and returned home.
However, the situation has now changed significantly. Although North Korea is not on par with the United States in terms of nuclear weapons and missiles, it has become capable of counterattacking with nuclear weapons and missiles in an emergency. Originally research may have begun during the Kim Il Sung era, but in reality it was realized under the leadership of Kim Jong Il and Kim Jong Un.
Of course, Kim Jong-un cannot undermine the authority of Kim Il-sung, the founding father of the nation, but Kim Il-sung’s achievements only exist in history, and it is inappropriate in modern times to hold them up as they are. I think that’s what Kim Jong-un is starting to think.
The relationship between Kim Jong-un and Kim Il-sung has changed since around 2019 . According to a March 2019 article in the Rodong Sinmun newspaper, Kim Jong-un wrote in a letter, “If we deify the revolutionary activities and appearance of the leader (supreme leader) by emphasizing his greatness, we are hiding the truth. (Asahi 2 , May 22 , 2020 ) .
The recent removal of portraits and statues promoted the de-idolization of Kim Il-sung in a way that was visible to the people. It will take some time to confirm whether Kim Il Sung’s reputation has changed dramatically across the country, but it should not be difficult.
I have already stated that one of the reasons that made this possible was the improvement in military power, so I will not repeat it.
The other reason is political. In the wake of the invasion of Ukraine, North Korea was requested supplies such as ammunition from Russia. I don’t know the details of the situation, but it appears that Russia made a plea to North Korea, and the request was eventually realized.
Kim Jong Un departed from Pyongyang on the afternoon of September 10th, 2023 on a private train and met with President Putin on the 13th at the Vostochny Cosmodrome in Russia’s far eastern Amur region. He came back home on the 17th, and it was a long journey of over a week. Mr. Kim had visited Russia four years ago, but it seems that he did not enjoy at that time. As mentioned above, He cut short his plans and returned home.
Russia’s hospitality this time was incomparable to that of that time. President Putin has a habit of being late (it is said to be intentional) when he meets with foreign dignitaries, but this time he arrived at the meeting place several minutes earlier than the start of the meeting, and waited for Kim Jong un. Furthermore, President Putin accompanied Kim to some facilities. Russia also provided North Korea with much-needed missile technology. Kim Jong-un must have been keenly aware of the warm welcome , which was different from his previous visit.
Kim Jong Un must have realized that Russia and North Korea are now on equal footing, or close to equal footing. If you look at it objectively, it is difficult to see North Korea as having developed to that extent. However, what is important is how Kim Jong Un perceives it. He does not think North Korea a temporarily divided nation any longer, but a regular country like China or Russia .
Regarding relations with South Korea, on November 15, 2023, Kim declared in a speech at the Supreme People’s Assembly (equivalent to the National Assembly), “Today, we will bring an end to 80 years of North-South relations.” He also stated that it is necessary to “completely erase the preconceived notion that South Korea is a partner for reconciliation and unification, and that we are members of the same tribe.” If a war breaks out on the Korean peninsula, South Korea should be “completely occupied and transformed into a republic.” He also argued that the policy of “incorporating South Korea into North Korea” should be included in the constitution. I will not discuss here whether this is seen as a policy or merely an epistemology, but it is consistent with North Korea’s self-improvement of its international status.
Kim Jong-un’s desire to act as a legitimate leader of the nation is also reflected in the fact that he sent Prime Minister Kishida a telegram of condolence and addressed him as “Your Excellency” after the Noto Peninsula earthquake.
We need to be careful about what actions North Korea will take in the future under Kim Jong-un, who has developed a new view of the nation.
金正恩の近代的強国 202402
金正恩総書記は北朝鮮の国際的地位を引き上げようとしている。
第二次世界大戦の終了後朝鮮の人たちは一つの国家を樹立しようと協議を始めたが、実現しないうちに1948年、半島の南では大韓民国、北では朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が相次いで樹立された。両国はいずれ統一して朝鮮半島は一つの国になることを目指しており、世界もそのように理解してきた。そのため、国家としては南も北も未完成の感じがあった。
北と南は1991年9月、国連に別々の国家として加盟したが、統一の実現を目指すという立場は変わらなかった。
2024年1月15日、北朝鮮の金正恩総書記は最高人民会議において、「今日、80年間の北南関係史に終止符を打つ」と宣言し、また、北朝鮮憲法から「和解や統一の相手であり同族だという既成概念を完全に消し去る」ことが必要だと主張した。同会議に先立ち、昨年末の朝鮮労働党中央委員会総会で、「韓国とは同族関係でなく、敵対的な国家関係」だと述べていた。
専門家もメディアも北朝鮮の発表をそのまま信用することはできない。半信半疑の姿勢である。また挑発だとみる人もいる。これまでの例からみてそれも無理ないことであるが、今回の金正恩の宣言には注意すべき面がある。
第1に、金日成の肖像や銅像が公の場から撤去された。これは今までの常識からすればありえないことである。北朝鮮の指導者は金日成から始まり、次はその子の金正日、さらにその次は金正日の子の金正恩と続いてきたが、初代の金日成は北朝鮮建国の父であり、「偉大なる首領様」と尊称されてきた。その権威は絶大であった。
金正日は父の金日成に付き従って指導者となった人物であり、映画鑑賞などが趣味の好き者であり、その権威は金日成には到底及ばなかった。さらに金正恩は年若くして指導者となり、経験は乏しい。北朝鮮を率いていけるか、疑問に思われていた。
これが常識的な見方であったが、金正恩はこの常識を覆し始めた。ここから先はどうしても推測が混じるが、理由がないわけではない。あえて金正恩氏の立場から見てみると、
北朝鮮は核兵器をすでに開発している。弾道ミサイルも世界があきれるほど実験し、大陸間弾道弾も成功させており、米国を攻撃することも可能になっている。このような軍事力は金正日のもとで開発をはじめ、金正恩の時代になって完成させたものである。これに比べると金日成時代には韓国と戦争したが、中国の助けがなければ負けていた。金日成時代にはそれでも強がりを言っていたが、核もミサイルもまだ保有していなかったのは明らかに事実であり、北朝鮮の軍事力は米国などに敵うものでなかった。
政治的にも金日成の時代は明らかに弱体であった。中国とロシアが加勢しなければ国際社会で主張することもままならなかった。
1961年5月16日に大韓民国の朴正煕が軍事クーデターを起こし、反共軍事政権を樹立すると、北朝鮮は脅威を覚えソ連と中国に同盟関係を求めた。ソ連とは1961年7月6日に友好協力相互援助条約を結ぶと、金日成は直ちに中国へ向かい7月11日中国と友好協力相互援助条約を結んだ。金日成は中ソ両国との同盟条約が同時になるように努め、それがほぼ実現したので上機嫌であったと言い伝えられている。
金日成時代、北朝鮮はチュチェ(主体)思想を掲げたが、実際には中国とロシアはかけがえのない兄貴分であり、両国には最大限の友好姿勢で臨む必要があった。
北朝鮮と中国・ロシアとのこのような関係は長く続いた。金正恩が中ロを訪問しても最大級の歓待を受けることはなく、金正恩は不満であり、中国からもロシアからも訪問を途中で切り上げて帰国したことがあった。
しかし、今や状況は大きく変わってきた。核とミサイルについては、米国などと同等ではないが、いざとなれば核とミサイルで反撃できるようになってきた。金日成時代にも研究を始めていたかもしれないが、実質的には金正日と金正恩の号令の下で実現したことである。
建国の父である金日成の権威を貶めることは金正恩もできないことはもちろんだが、金日成の業績は歴史の中で存在しているものであり、現代においてはそのまま掲げることは適当でない、と考え始めたのではないか。
金正恩と金日成の関係については2019年頃から変化が指摘されていた。労働新聞の2019年3月の記事は孫の金正恩が書簡で「もし偉大さを強調するなどといって、首領(最高指導者)の革命活動や風貌を神格化すれば、真実を隠すことにつながる」との考えを表したことを伝えた(朝日2020年5月22日)。2020年5月20日付の労働新聞も「縮地法の秘訣」と題した記事で抗日パルチザン時代の縮地法について霊的な技術を言ったものではないとして金日成・金正日時代の解釈とは異なる見解を伝えた。
今回の肖像や偶像の撤去は金日成の非偶像化を人民に見える形で進めた。全国を通じて金日成の評価が劇的に変化したか、もう少し時間をかけて確認する必要があろうが、それは困難なことでないはずである。
それを可能にした一つの理由は軍事力の向上であることはすでに述べたので繰り返さない。
もう一つは政治的な理由である。ウクライナ侵攻がきっかけとなり、北朝鮮はロシアから弾薬などの提供を求められた。詳しい事情は分からないが、ロシアは北朝鮮に懇願し、それは結局実現したらしい。
金正恩総書記は9月10日午後に平壌を専用列車で出発し、13日にロシア極東アムール州のボストーチヌイ宇宙基地でプーチン大統領と会談した。帰国の途に就いたのは17日であり、1週間を超える長旅であった。金氏は4年前にもロシアを訪問したことがあったが、その時はあまり大事にされなかったらしい。予定を切り上げ帰国してしまったことは前述したとおりである。
ロシアは今回、その時とは比較にならない歓待ぶりであった。プーチン大統領は外国の要人と会談するとき遅刻の常習癖(意図的だといわれている)があるが、今回は逆に会談開始より数十分早く会談場に来ていた。しかもいくつかの施設ではプーチン大統領は金総書記に同行した。また、ロシア側は北朝鮮が熱望していたミサイル技術を提供した。金正恩氏は前回訪問の際と違ってロシア側の熱烈歓迎ぶりを痛感しただろう。
金正恩氏としては、ロ朝両国は今や対等の立場、あるいは対等に近い立場に立っていると実感したのではないか。客観的に見れば、北朝鮮がそこまで発展しているとみるのは困難だ。しかし、大事なことは、金正恩氏がどのように認識しているかである。今までのように、「暫定的な分断国家でなく、中ロ両国とも対等の立場で付き合っていける、あるいはそういう立場に近くなった」とみているのではないか。
韓国との関係では、金氏は2023年11月15日、最高人民会議(国会に相当)で演説「今日、80年間の北南関係史に終止符を打つ」と宣言した。また、韓国が「和解や統一の相手であり同族だという既成概念を完全に消し去る」ことが必要だとして、朝鮮半島で戦争が起きた場合には、韓国を「完全に占領し、共和国(北朝鮮)に編入する」方針も憲法に盛り込むべきだとも主張した。これを政策とみるか、認識論にすぎないとみるか、ここでは議論しないが、北朝鮮の国際的地位を自ら改めたことと平仄があっている。
能登半島地震に際して岸田首相に見舞電を送り、「閣下」と呼んだことにもそのような金正恩氏の、れっきとした国家の指導者としてふるまいたいという気持ちが表れている。
新しい国家観を持つようになった金正恩総書記のもとで、北朝鮮は今後どのような行動に出るか、注意も警戒も必要である。
The following was translated automatically.
Kim Jong-un’s modern power state
Kim Jong-un appears to be trying to raise North Korea’s international status.
After the end of World War II, the Korean people began talks to establish a single nation, but before this could be achieved, in 1948 the South of the peninsula established the Republic of Korea, and the North, the Democratic People’s Republic of Korea (North Korea). Both countries aim to eventually unify and make the Korean Peninsula one country, and the world has understood this as well. As a result, both the south and the north felt unfinished as a nation.
North and South joined the United Nations as separate states in September 1991, but their stance of aiming for unification remained unchanged.
On January 15, 2024, North Korean General Secretary Kim Jong-un declared at the Supreme People’s Assembly, “Today, we will bring an end to the 80-year history of North-South relations.” He argued that it was necessary to completely erase the preconceived notion that they were members of the same race. Prior to this meeting, at the general meeting of the Central Committee of the Workers’ Party of Korea at the end of last year, he stated that “we do not have a kinship relationship with South Korea, but rather a hostile national relationship.”
Neither experts nor the media can simply trust North Korea’s announcements. Others see it as a provocation. While this is not unreasonable given past examples, there are aspects of Kim Jong-un’s latest declaration that should be noted.
First, portraits and statues of Kim Il Sung were removed from public places in North Korea. This is impossible according to conventional wisdom. The leadership of North Korea began with Kim Il Sung, then his son Kim Jong Il, and then Kim Jong Il’s son Kim Jong Un, but the first Kim Il Sung was the founding father of North Korea. He has been called the “Great Leader”. His authority was enormous and unchallenged.
Kim Jong-il was a man who followed his father Kim Il-sung as a leader, and his hobbies included watching movies, his authority could never reach that of Kim Il-sung. Furthermore, Kim Jong-un became a leader at a young age and lacks experience. There were doubts as to whether he would be able to lead North Korea.
This was the common sense view, but Kim Jong-un has begun to overturn this common sense. From this point on, there is bound to be some speculation, but it is not without reason. If we look at it from Kim Jong-un’s perspective,
North Korea has already developed nuclear weapons. It has also tested ballistic missiles to the world’s shock, and has successfully launched intercontinental ballistic missiles, making it possible to attack the United States. This type of military power was developed under Kim Jong Il and was perfected during the Kim Jong Un era. In comparison, during the Kim Il-sung era, North Korea fought a war with South Korea, but would have lost without China’s help. During the Kim Il Sung era, North Korea still spoke of being strong, but it is clearly true that it did not yet possess nuclear weapons or missiles, and North Korea’s military power was no match for the United States and others.
Politically, Kim Il-sung was clearly weak during his time. Without China and Russia’s help, it would have been difficult to assert itself in the international community.
On May 16, 1961, Park Chung Hee of the Republic of Korea staged a military coup and established an anti-communist military regime , and North Korea, sensing a threat , sought alliances with the Soviet Union and China . After signing the Treaty of Friendship, Cooperation, and Mutual Assistance with the Soviet Union on July 6, 1961 , Kim Il Sung immediately headed to China and signed the Treaty of Friendship, Cooperation, and Mutual Assistance with China on July 11 . It is said that Kim Il-sung was in a good mood as he succeeded to get an alliance treaty with both China and the Soviet Union at about the same time.
During the Kim Il Sung era, North Korea advocated the Juche ideology, but in reality China and Russia were irreplaceable older brothers, and it was necessary to treat them with the utmost friendship.
This kind of relationship between North Korea and China and Russia continued for a long time. Even when Kim Jong-un visited China and Russia, he did not receive the warmest of hospitality, and Kim Jong-un was dissatisfied and even cut short his visits from both China and Russia and returned home.
However, the situation has now changed significantly. Although North Korea is not on par with the United States in terms of nuclear weapons and missiles, it has become capable of counterattacking with nuclear weapons and missiles in an emergency. Originally research may have begun during the Kim Il Sung era, but in reality it was realized under the leadership of Kim Jong Il and Kim Jong Un.
Of course, Kim Jong-un cannot undermine the authority of Kim Il-sung, the founding father of the nation, but Kim Il-sung’s achievements only exist in history, and it is inappropriate in modern times to hold them up as they are. I think that’s what Kim Jong-un is starting to think.
The relationship between Kim Jong-un and Kim Il-sung has changed since around 2019 . According to a March 2019 article in the Rodong Sinmun newspaper, Kim Jong-un wrote in a letter, “If we deify the revolutionary activities and appearance of the leader (supreme leader) by emphasizing his greatness, we are hiding the truth. (Asahi 2 , May 22 , 2020 ) .
The recent removal of portraits and statues promoted the de-idolization of Kim Il-sung in a way that was visible to the people. It will take some time to confirm whether Kim Il Sung’s reputation has changed dramatically across the country, but it should not be difficult.
I have already stated that one of the reasons that made this possible was the improvement in military power, so I will not repeat it.
The other reason is political. In the wake of the invasion of Ukraine, North Korea was requested supplies such as ammunition from Russia. I don’t know the details of the situation, but it appears that Russia made a plea to North Korea, and the request was eventually realized.
Kim Jong Un departed from Pyongyang on the afternoon of September 10th, 2023 on a private train and met with President Putin on the 13th at the Vostochny Cosmodrome in Russia’s far eastern Amur region. He came back home on the 17th, and it was a long journey of over a week. Mr. Kim had visited Russia four years ago, but it seems that he did not enjoy at that time. As mentioned above, He cut short his plans and returned home.
Russia’s hospitality this time was incomparable to that of that time. President Putin has a habit of being late (it is said to be intentional) when he meets with foreign dignitaries, but this time he arrived at the meeting place several minutes earlier than the start of the meeting, and waited for Kim Jong un. Furthermore, President Putin accompanied Kim to some facilities. Russia also provided North Korea with much-needed missile technology. Kim Jong-un must have been keenly aware of the warm welcome , which was different from his previous visit.
Kim Jong Un must have realized that Russia and North Korea are now on equal footing, or close to equal footing. If you look at it objectively, it is difficult to see North Korea as having developed to that extent. However, what is important is how Kim Jong Un perceives it. He does not think North Korea a temporarily divided nation any longer, but a regular country like China or Russia .
Regarding relations with South Korea, on November 15, 2023, Kim declared in a speech at the Supreme People’s Assembly (equivalent to the National Assembly), “Today, we will bring an end to 80 years of North-South relations.” He also stated that it is necessary to “completely erase the preconceived notion that South Korea is a partner for reconciliation and unification, and that we are members of the same tribe.” If a war breaks out on the Korean peninsula, South Korea should be “completely occupied and transformed into a republic.” He also argued that the policy of “incorporating South Korea into North Korea” should be included in the constitution. I will not discuss here whether this is seen as a policy or merely an epistemology, but it is consistent with North Korea’s self-improvement of its international status.
Kim Jong-un’s desire to act as a legitimate leader of the nation is also reflected in the fact that he sent Prime Minister Kishida a telegram of condolence and addressed him as “Your Excellency” after the Noto Peninsula earthquake.
We need to be careful about what actions North Korea will take in the future under Kim Jong-un, who has developed a new view of the nation.
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