平和外交研究所

3月, 2019 - 平和外交研究所

2019.03.29

ゴラン高原の主権問題に関し日本は国連決議の尊重を主張すべきである

 トランプ米大統領は3月25日、イスラエルが占領しているゴラン高原に対するイスラエルの主権を承認する文書に署名した。
 
 菅義偉官房長官は26日午前の記者会見で「我が国はイスラエルによるゴラン高原の併合を認めない立場であり、また変更もない」と述べた。日本だけの立場に限った表明にしたのであるが、それだけでは国際社会の重要な一員としては不十分であり、日本は国連で決定されたことを尊重すべきであると表明すべきであった。

(説明)
 ゴラン高原は、1967年の第三次中東戦争においてイスラエルが占領した時点から説明されることが多い。長く複雑な中東戦争の歴史を最初から説明するわけにはいかないからだ。しかし、ゴラン高原の主権については1967年以前の経緯が関係している。

 シリアとイスラエルが独立する以前、ゴラン高原はフランスの殖民地の一部となっていた。シリアは第二次大戦後の1946年、フランスより独立し、フランスの殖民地をそのまま領土とした。

 1948年、イスラエルが独立し、周辺のアラブ諸国との戦争が起こった。第1次中東戦争である。この時ゴラン高原の地位は変化がなく、シリアが引き続き統治した。

 1967年の第3次中東戦争からイスラエルによるゴラン高原の占領が始まった。

 1973年の第四次中東戦争でシリアが一時的に奪還したが、その後すぐにイスラエルに再占領され、今日までその状態が続いている。

 国連安保理は、1967年のイスラエルによるゴラン高原の占領を認めず、撤退を求めた(決議242)。同決議はシリアの主権を明言せず、「すべての国の主権と領土保全の尊重」を謳っただけであったが、イスラエルに撤退を求めたので、アラブ諸国はシリアの主権が認められたのと同然とみなしたのであろう。決議は全会一致で採択された。この決議は中東問題に関するもっとも基本的な決議の一つとしてその後の決議で引用されている。

 米国もこの決議に賛成したが、1975年、「米国はゴラン高原の領土問題について最終的立場を決定していないが、イスラエルの主張を重視する(give great weight to Israel’s position)との立場を表明した。
 一方、国連は、1974年にシリアとイスラエルが兵力引き離し協定に合意したのを受け、停戦監視と両軍の兵力引き離し状況を監視する国連兵力引き離し監視隊(UNDOF)を設立した。ゴラン高原の大部分はイスラエルが引き続き占領し、シリアとの間の北から南に延びる地帯は両軍とも兵力を置かないことになり、その状況をUNDOFが監視することとなった。これは国連平和維持活動の一環となっており、日本も1996年から2013年まで参加し自衛隊の部隊を派遣した。

 イスラエルは国連でのこのような動きを無視して1981年、ゴラン高原を併合する法律を制定した。安保理はこれについて「無効で国際的な法的効力を持たない」と指摘した(決議497)。

 日本は同年12月15日、外務大臣談話として、次の表明を行った。
1. イスラエル議会は,14日ゴラン高原を併合する法案を可決したが,1980年7月の東ジェルサレム併合に引続き,占領地の法的地位の一方的変更を行うこのような行為は,国際法及び国連安保理決議242及び338に違反するものであり,我が国としては容認することができない。
2. 日本国政府は,このような措置が話し合いによる中東和平問題解決の雰囲気を悪化させ,域内の緊張を更に高めることを深く憂慮する。
3. この際日本国政府は,イスラエルが一日も早く,67年戦争の全占領地から撤退することを改めて強く要請する。

 今回、河野太郎外相は、米国によるイスラエルのゴラン高原に対する主権の承認は1981年の国連安全保障理事会決議に反するかどうか会見で問われ、「日本が説明するべきものでない」と明言を避けた。トランプ政権の一方的な行動に国際社会から批判が相次ぐ中、米国に配慮を示したのだが、国連の決議は尊重すべきであるということも言えず、米国を刺激しないよう汲々としているだけでは日本の責務を果たしたことにならない。

 なお、米国はかねてから第三国間の領土紛争に関与しないとの立場を取ってきたが、その点でもトランプ政権のイスラエル寄りの姿勢は問題である。日本についても将来影響がありうる。
2019.03.26

日朝首脳会談の可能性

 安倍晋三首相は4月末に訪米し、トランプ大統領と首脳会談を行う方向で調整中である。トランプ大統領は5月末(おそらく26日)新天皇即位後初の国賓として来日する。そして6月に大阪で開催される20カ国・地域(G20)首脳会議に出席のため再度来日する可能性が高い。トランプ大統領が立て続けに来日するのに先立って、安倍首相が米国を訪問することとしたのはどういう理由からか。対米配慮の気持ちが強いことはうかがわれるが、それだけであってはならない。このような姿勢で外交はうまくいくのか、危うさを覚える。

 2回目の米朝首脳会談が失敗に終わり日朝関係の動向に関心が集まる中で行われる安倍首相の訪米では日米両国の北朝鮮との関係が主要な議題の一つとなるだろう。

 あらためて過去1年間の安倍首相の北朝鮮に対する姿勢と金正恩委員長の対日関係発言を振り返りつつ、日朝首脳会談が実現する可能性を検討してみたい。

〇安倍首相はかねてから、主要国の中で北朝鮮に対する「圧力」の継続を最も強硬に主張してきたが、初の米朝首脳会談が実現する公算が高くなるにつれ、「相互不信の殻を破り、金正恩氏と直接向き合う用意がある」と積極的な姿勢を見せるようになった。

 一方、金正恩委員長も、トランプ大統領とのシンガポール会談で「安倍晋三首相と会う可能性がある。オープンだ」と述べた。

 安倍首相は、米朝首脳会談直後の6月18日、参院決算委員会で「金委員長には米朝首脳会談を実践した指導力がある。日朝でも新たなスタートを切り、拉致問題について互いの相互不信という殻を破って一歩踏み出したい。そして解決したい。最後は私自身が金委員長と向き合い、日朝首脳会談を行わなければならない」と強調した。

 さらに安倍首相は9月25日の国連総会演説で、あらためて「拉致問題を解決するため、私も北朝鮮との相互不信の殻を破り、新たなスタートを切って金正恩委員長と直接向き合う用意があります」と述べた。世界に向かって金委員長との会談に前向きな姿勢を示したのであった。

 しかし、日朝関係は期待通り前進しなかった。10月には日本の情報当局のトップ格である北村滋内閣情報官がウランバートルで北朝鮮の金聖恵(キム・ソンヘ)統一戦線部室長と接触しようとした。この試みについては、金室長は現れず接触は不発となったとの報道(中央日報11月15日)と、後に実現したとの報道があり真相は不明であるが、いずれであってもこの試みから日朝関係が前進した形跡はなかった。

 この出来事と前後して、日本側は北朝鮮による制裁違反行為を問題視し、在韓米軍の縮小・撤退に反対する姿勢を表明した。また米朝会談後も拉致問題の解決を重視しているとの発言を行った。さらに、米朝交渉が進展しても拉致問題が未解決である限り北朝鮮支援に参加しない姿勢を示したと報道された。一部は未確認であったが、北朝鮮側には伝わっただろう。

 北朝鮮側はいら立ちを示した。たとえば、3月8日付の『労働新聞』は、安倍首相がトランプ大統領に拉致問題解決に協力を求めたことに不満を示しつつ、「日本を相手にして少しも得るものがない」と書き立てた。

 時間的には前後するが、昨年10月、「北朝鮮の金正恩委員長は、日本との直接交渉を促すトランプ米大統領や韓国の文在寅大統領らに対し、拉致被害者の横田めぐみさんの家族同士の面会を認めたことなども挙げ、日本には「多くの譲歩」をしていると主張し、交渉停滞の責任は日本側にあると反論した」という情報もあった。これはほんとうであれば、意味深長である。後でなぜかを説明する。

〇米朝第2回首脳会談が失敗に終わった後、安倍首相と金正恩委員長の会談が実現する可能性は大きくなったか。米朝関係が進まなくなると北朝鮮は韓国や日本との関係改善に積極的になるという見方があるが、かつてそういうことがあったというだけでは大した根拠にならない。

 日本政府は昨年来の安倍首相の積極的発言に加えて追加メッセージを北朝鮮に送った。これまで毎年、国連人権理事会に北朝鮮の人権侵害に対する非難決議案をEUと共同で提出していたが、2019年は共同提案国にならないこととしたのである。
しかし、この決定は、率直に言って分かりにくいし、パンチ力がなかった。そもそも北朝鮮における人権状況には変化がなく、拉致問題は進展していないのに、日本が人権理事会での姿勢を変更するのは理解困難だからである。

 しかも日本政府は、この決議案の共同提案国にならないこととする一方で、北朝鮮に対する日本独自の制裁は維持している。そのことも勘案すると日本政府の考えはますますわからなくなる。日朝首脳会談を実現するための布石として人権理事会での姿勢を変えたのであれば、あまりにも中途半端であったと言わざるを得ない。

 そもそも北朝鮮は安倍首相に対し、「北朝鮮の脅威をことさらに強調しつつ、国際社会が圧力を維持すべきだと主張している」という認識である。
トランプ大統領に対しては、「米国が北朝鮮にとって最大の脅威であることに変わりはないが、トランプ大統領は金正恩委員長を有能な人物とみなし、また、好感を抱いている」という認識であろう。
 安倍首相も「金委員長には米朝首脳会談を実践した指導力がある」と積極的な評価をしたことは前述したが、トランプ氏独特の、金委員長に対するベタベタの甘言とは比較にならないほど冷静である。トランプ氏は、ごく最近、米国政府が発表した北朝鮮に関する追加制裁措置についても、「撤回するよう命じ」るなど再び金委員長にエールを送っている。

 そして日本にとっては何よりも大きな拉致問題がある。この問題はもちろん北朝鮮が起こしたことであり、責任がある。しかし、この問題の解決に向けて前進できない原因は日本側にあると北朝鮮は見ており、それに日本政府は反論できない。

 金正恩委員長の「日本には多くの譲歩をした」という情報の真偽は未確認であるが、2014年にストックホルムで拉致問題などの特別調査に応じたのはほかならぬ金委員長の指示であった。つまり、金委員長は拉致問題の解決に努力した可能性があるのだ。
 
 北朝鮮で、再調査するということは金正日総書記が行ったことにチャレンジすることになる。金正恩委員長はそれでもあらためて調査を行った。同委員長の不満は、このような努力に対して日本側は何ら報いていないという点にあるのではないか。これが金委員長の誤解なら、安倍首相はそれを解く必要がある。日朝首脳会談を実現するにはこの問題は避けて通れない。

 また、安倍首相は日本国民に対しても、2014年に行った特別調査の結果報告で北朝鮮側は何と説明したか、また、金委員長がこの問題についてトランプ大統領に対して何と説明したか(安倍氏はトランプ氏から聞いて)説明する義務がある。拉致問題を進めるためにはこれらを伏せたままにしておくことはできないはずである。
 
2019.03.18

プーチン大統領には平和条約締結への熱意がない

 ロシアのプーチン大統領は3月14日、モスクワで開かれたロシア経済界との非公開の会合で日ロ平和条約交渉に言及し、「打ち切ってはならない」とする一方で、「テンポが失われた」「落ち着く必要がある」などと発言した。北方領土を日本に引き渡した場合に米軍基地が設置される可能性にも改めて懸念を示したという。翌日のロシア紙『コメルサント』の報道として17日付の『朝日新聞』が伝えている。

 プーチン大統領はもとから日本との平和条約締結に熱意を持っていない。この発言の約1週間後にモスクワで行われた安倍首相との会談は何ら成果を得られないまま終了した。

 この会談後に「ザページ」に寄稿した一文を以下に再掲しておく。

「安倍首相は1月22日、モスクワにおいてプーチン大統領と平和条約・領土問題について会談しましたが、交渉を具体的に進展させることはできなかったようです。

 今回の交渉は、昨年11月14日の両首脳の合意から始まりましたが、これまでの先人たちの努力を最初から無視して交渉が始められたように思えます。安倍・プーチン両氏は、「平和条約締結後に歯舞群島と色丹島の2島を日本に引き渡すと明記した1956年の日ソ共同宣言を基礎に交渉の進展を図る」としましたが、日ロ両国間の最新かつ最重要の合意は、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題を歴史的・法的事実に立脚し、両国の間で合意の上作成された諸文書および法と正義の原則を基礎として解決することにより平和条約を早期に締結するよう交渉を継続する」という1993年の「東京宣言」でした。

 1956年宣言には歯舞・色丹島しか記載されていませんでしたが、その後、1973年の田中角栄首相とブレジネフ書記長との合意、1991年の海部俊樹首相・ゴルバチョフ書記長の合意を経て、1993年の細川護熙首相とエリツィン大統領による東京宣言で、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島」の、いわゆる北方4島が明記され、しかも、その「帰属に関する問題解決する」ため交渉することになったのです。

 これは37年間にわたる日ロ両国の政治家や外交関係者らによる努力のたまものであり、重要な前進でした。1956年以降の交渉は少しも進展しなかったという人がいますが、事実に反します。

 にもかかわらず、安倍首相とプーチン大統領の両氏は2島しか記載されていない1956年日ソ共同宣言だけを基礎として交渉を進展させることにしたのです。先人たちが長年にわたって積み重ねてきた合意の一部だけを取り出す恣意的な扱いと言わざるをえません。

 私は今回のモスクワ交渉の結果、事態はさらに悪化したと思います。ロシア側は、「両国が合意可能な解決を目指す」と言いますが、「第2次世界大戦の結果、千島列島全島に対する主権を得た」という、日本としては認めることができないことを要求するようになったからです。

 第2次大戦の結果、日本の領土は大幅に削減されました。1945年8月の「ポツダム宣言」では本州、北海道、九州および四国は日本の領土であることがあらためて確認されましたが、「その他の島嶼」については、「どれが日本の領土として残るか、米英中ソの4か国が決定する」こととになり、日本はその方針を受け入れました。しかし、「千島列島」や「台湾」などについて、帰属は決定されませんでした。

 ポツダム宣言を受けて第2次大戦を法的に処理した「サンフランシスコ平和条約」は自由主義陣営と社会主義陣営による東西対立の影響を受け、「千島列島」や「台湾」の帰属を決定することはできず、日本はそれらを「放棄」するだけにとどまったのです。

 日本の戦前の領土を縮小したのはポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約の2つだけです。戦時中、米英ソの3国間ではドイツ降伏後のソ連の対日参戦などを盛り込んだ 「「ヤルタ協定」なども合意されましたが、それはあくまで連合国間の問題であり、日本はそれに拘束されません。

 日本は、今日でもポツダム宣言とサンフランシスコ平和条約を忠実に守っており、「千島列島」については放棄したままです。ロシアは、現在の交渉において、「千島列島」は第2次大戦の結果としてロシアが獲得したことを認めよと主張していますが、「千島列島」を「放棄」した日本が、ロシアの主権を認めるのは同条約に違反することとなり、それはできません。法的に不可能なのです。また、このロシアの主張を裏付ける根拠は皆無であり、日本もその他の国もロシアが「千島列島」の領有権を得たと認めたことは一度もありません。

 ではそうすればよいでしょうか。ロシアが現在の主張を改め、国際法にしたがった理論構成の主張に変えるのが一つの方法ですが、ロシアが果たしてそのようなことに応じるか疑問です。

 もう一つの方法は、「第2次大戦の結果に基づいた解決方法をあらためて探求する」ことです。そのなかで米国の役割をあらたに明確化する必要があります。第2次大戦の処理においてもっとも影響力があったのは米国であり、実際ロシアに対して「千島列島」の「占領」を認めたのも、また、日本に対して、「千島列島」の放棄を求めつつ、ロシアへの帰属を認めなかったのも米国でした。

 日本としては、米国に、そこで止まらず最終的な帰属問題の解決まで協力を求めることは理屈の立つことです。

 もちろん、米国としても世界各地で起こる第三国間の領土紛争には関与しないという大方針があります。また、これまでの伝統的な米国政権の外交方針と一線を画すトランプ政権がどのようなポジションを取るか、予測困難な面もあります。しかし、「千島列島」の帰属の問題は米国による決定の結果です。現在の米国外交としては例外になるでしょうが、米国に関与を求めることは合理的です。

 一方、ロシアは米国との対決姿勢から、北方領土交渉に米国の協力を求めることはしたくないという気持ちが働くでしょうが、千島列島の帰属など日本に不可能なことを要求するより現実的ではないでしょうか。

 日ロ両国は、1956年宣言だけを交渉の基礎とするという不正常な状態を一刻も早く解消したうえ、あらためて日米ロ3国の立場を整理しなおし、その結果に従って米国の協力を求めるべきです。平和条約・北方領土問題については日ロ間で解決を図るという従来の方針とは大きく異なることになりますが、第2次大戦後の秩序を問題にすればするほど、二国間だけでは解決できなくなっていることは明らかです。

 なお、北方領土問題は経済協力などを含め、将来の利用を抜きには語れなくなっています。また、安全保障にかかわる問題も出てきています。米国の協力を得ることはこれらの点でも望ましくなっています。」

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