平和外交研究所

中国

2023.02.06

中国気球の米上空飛行問題

 中国の気球が1月末にアリューシャン列島付近で米国に探知された後、カナダ領空に抜け、31日に再び米領空に入り(アイダホ州で)、その後東へ飛行を続け、4日、サウスカロライナ州沖の米領海上空で撃墜された。この間約1週間、米国と中国の間で何があったか。発表されていることは一部にすぎないが、中国も米国もその言動には不可解な点がある。
 
 気球が米側によって探知されてから、中国側が米側から説明を求められたことに疑う余地はない。単に説明を求められたというより、もっと強い姿勢を見せられた可能性が大きいが、具体的なことはわからない。ブリンケン国務長官は3日の会見で、「中国の監視用気球だと確信している」と述べ、「明らかな米国の主権の侵害で、国際法違反だ」と批判した。
 
 中国側は「気象分析などの科学研究に使われる民間のもので、西風の影響でコントロールを失い、予定のコースから大きく外れた」と主張し、「不可抗力によって生じた予想外の状況だ」とした。また、「中国政府は、米国側に冷静かつ専門的、抑制的な方法で適切に対応するよう求めてきた」とした(5日の中国外務省声明)。

 中国側の説明はこれですべてであっただろうか。もし中国側が丁寧な説明をしなかったのであるならば、米側は到底納得しないだろうし、撃墜もやむを得なかったということになる。

 中国側から米側に説明すべきことはいくつかあったはずである。
・飛行計画の詳細。
・なぜこの気球は中国側の手でコースを変えられなかったのか。
・民間とはどのような企業(?)で、科学研究の内容はどのようなものであったか。
・中国政府とその企業との関係いかん。

 明らかにすべきことはもっとあるかもしれない。ともかく、米国の領空を侵犯した中国の気球は深刻な状況に陥っており、それが撃墜されるのを回避するには米側を納得させる説明が必要であった。

 しかし、中国側が、「気象分析などの科学研究に使われる民間のもので、西風の影響でコントロールを失い、予定のコースから大きく外れた」、「不可抗力によって生じた予想外の状況だ」、「中国政府は、米国側に冷静かつ専門的、抑制的な方法で適切に対応するよう求めてきた」以上の説明をしなかったのであれば、米側を納得させることはできない。撃墜されても文句を言えない。

 米側についても疑問がある。トランプ前政権時代に少なくとも3回、バイデン政権の発足直後も1回、中国の監視用の気球が米本土上空を短期間通過したことがあると説明されている。その際、米側は中国側に対してどのような態度で臨んだのか。今回は米国上空の滞在時間が長かった点で、従来と異なるというが、今回、前4回と異なる対応をしたことは理解されるか。

 もちろん、そこまでは米側も発表してくれないだろう。安全保障のためすべてをさらけ出すことはできないのはわれわれとしても理解しなければならない。

 中国外務省は2月5日朝、「強烈な不満と抗議」を示す声明を発表し、「明らかな過剰反応であり、国際慣例の重大な違反」などと反発した。
 
 米側がどのように対応したか不明である。上述した問題点についてかりに中国側が詳細な説明を行っても米側が理不尽な行動をとったならば、中国が問題視するのも分かる。国連や国際的裁判などで米国を訴えるのもよいだろう。

しかし、問題を起こした側が木で鼻をくくったような説明で済まそうとしても、理解は得られない。

2022.11.30

中国共産党大会

 中国共産党第20回大会が2022年10月16日~22日開催された。今次党大会の最大の特徴は、過去10年間中国を率いてきた習近平総書記の独裁体制がこれまでより一段と強化されたことである。

 中国ではいわゆる「改革開放」を進め中国の経済大発展の基礎を築いた鄧小平の後、江沢民、胡錦涛、習近平が相次いで最高指導者となったが、この過程が進むのと並行して「七上八下」という了解が作られた。「党大会時の年齢が67歳以下であれば引き続き現役として活動する(留任する)が、68歳以上であれば退任する」という意味である。この了解は党規約に記載されていないが、党の新陳代謝のために必要であると考えられ、受け入れられてきた。

 江沢民と胡錦涛がこの了解に従ったのはもちろん、習近平も今次党大会開催の時点ですでに69歳になっており、後継者にバトンを渡すものと思われてきた。しかし、習氏は総書記の地位にとどまることとなった。また習以外の人物についても「七上八下」に制約されることなく、自分の思いにあった人事を断行したのでこの了解は大きく崩れた。

 政治局員25名のうち、党内序列3位の栗戦書全国人民代表大会常務委員長、7位の韓正副首相、劉鶴副首相、外交部門トップの楊潔篪中央外事工作委員会弁公室主任は引退することとなった。いずれも68歳以上である。

 2位の李克強(リーコーチアン)首相と4位の汪洋全国政治協商会議主席は67歳であるが引退することになった。習近平氏の最有力候補とみられたこともある胡春華副首相は59歳と若いが、政治局から外れた。政治局員の数は1名減って24名となった。
 
 李克強は北京大学卒のエリートである。経済に明るい実務家で、過剰な景気刺激策に頼らない経済政策を提言し、「リーコノミクス」ともてはやされたこともあった。
 しかし、習近平とは肌合いが合わないと噂されることもあった。李氏が力を入れた産業政策「中国製造2025」も次第に空文化した。李氏が災害被災地へ駆けつても報道は抑えられるようになった。
 新型コロナが広がった際、政権批判を懸念した習氏は「感動的なストーリーを積極的に報じよ」と命じたのに対し、李氏は「正確な数字、真実を報告せよ」と指示したという。2022年に入ってからも、「ゼロコロナ」の徹底を指示する習氏に対し、李氏は失業率低下への対応を全国オンライン会議で呼びかけた。
  
 そして、習氏が今次党大会で最高指導者の地位を固め、国家主席として3期目続投を確実にする一方で、李氏は引退することとなった。李克強、汪洋、胡春華はいずれも共青団出身である。習近平は共青団に強く批判的だというのがもっぱらの噂である、。

 李克強や胡春華の冷遇にもまして注目されたのは今次党大会の閉幕式で、共青団の大御所的存在であった胡錦濤前総書記が党規約改正案が採決される直前に突然会場から退席したことであった。胡氏は習氏の隣に着席しており、シンガポールメディアの映像では、目の前に置かれた書類を見せないように習近平国家主席に近い幹部が書類を押さえたように見えた。そして会場のスタッフが胡錦涛を扶ける(?)形で連れ出した。この間の出来事は中国の主要な国営メディアは報じなかったが、各国メディアの映像で世界に伝えられた。胡氏は強制的に退席させられたのであり、その理由は習氏への権力集中に対し不満を表明する恐れがあったからだとも言われた。

 一方、今次党大会で重用されたのは習氏とかつて部下として仕えるなど人的つながりがある者か、過去10年間に習氏への忠誠を示した者がほとんどであった。政治局常務委員(トップセブン)に選ばれたのは習近平総書記(69)、李強・上海市党委書記(63)、趙楽際・中央規律検査委員会書記(65)、王滬寧・中央書記局書記(67)、蔡奇・北京市党委書記(66)、丁薛祥・中央弁公庁主任(60)、李希・広東省党委書記(66)の7人で、王滬寧以外はかつて習氏に仕え、信頼を得た人物である。
 王毅外相は69歳であるが留任した。同人は元来穏健・合理的な人物であるが、最近は外相として各国外相などと渡り合い、カナダでの記者会見では遠慮のない質問をした記者を面罵するなど、習近平総書記の忠実なしもべを演じていた。

 人事を見る限り習近平の独裁体制が確立されたことは明らかであったが、他方であまりに行き過ぎないよう抑制した面もあった。今次大会では習近平の「党中央・全党の核心」としての地位と思想の指導的地位を確立する「二つの確立」が党規約に盛り込まれるとの見方があったが、結局それは見送られ、「中国式現代化によって、中華民族の偉大な復興を全面的に推進する」といった文言が新たに盛り込まれた。「党主席」の復活や習氏に対する「領袖(りょうしゅう)」の肩書も明記されなかった。

 大会開催前の13日、北京市内の高架橋に「独裁の国賊、習近平(国家主席)を罷免せよ」と書かれた巨大な横断幕が掲げられるという異例の事態が起こった。それには「封鎖は要らない、自由が欲しい」「領袖(りょうしゅう)は要らない、投票が欲しい」などとも書かれていた。封鎖はゼロコロナのことである。この横断幕はすぐ撤去されたが、SNSで拡大した。

 大会開催中の18日に予定されていた、7~9月期国内総生産(GDP)など経済統計の発表が前日の夕方突如延期されたことも注目された。中国経済の数字は日本などと比べればずっと良い状態のようだが、コロナの影響もあり、年間目標の5.5%前後の達成は困難になっており、今後の見通しは明るくない。
 
 習近平の独裁体制は台湾進攻につながると見るのは早計であろう。同氏は政治活動報告において、台湾問題について平和的統一に最大限努力すると述べる一方、「武力行使の放棄は決して約束しない」と強調した。多くのメディアは、これは強気の発言であり、武力行使に近づいたとの趣旨をコメントしたが、はたしてそう取るべきか。「武力行使の放棄を約束しない」には不自然さも感じられる。強気の姿勢を求める中国軍と武力行使を認めないとする米国の間を取ったのではないか。習近平は、前回の党大会(2017年)では「一つの中国」に関する「92年合意」に4回言及したが、今回はわずか1回だけであり、しかも、この部分を読み飛ばした。習近平政権にとって台湾の統一は今後も最重要課題だが、具体的な政策をどう展開するつもりか、まだ見えてこない。
2022.09.25

日中国交正常化50周年

 9月29日、日中両国が国交を正常化して50周年となる。北京市内では24日、記念イベントが開かれ、垂秀夫駐中国大使や中国外務省の劉勁松アジア局長があいさつした。程永華・元駐日大使も出席した。このイベントはとてもよい企画だと思う。いくつか重要な側面があるようだが、日中双方の料理を組み合わせた創作料理の紹介や、両国のピアノ奏者による中継での遠隔連弾などが披露される。日本と特別なつながりがなくても日本に関心を持っている人は多数おり、この機会に日中友好の雰囲気を味わってもらい、同時に美味しい食事と音楽を満喫してもらいたい。

 50年前、私は駆け出しの外務省員として田中首相の一行に加えてもらった。プレスの担当として田中首相一行の北京空港到着を迎えたことから始まり、国交正常化の両国共同声明の発表を経て上海で歓迎宴が催され、翌日上海虹橋国際空港から帰国の途に就くまで見届けることができた。

 その時と比べると北京も上海も大化けした。50年前、北京空港へ向かう道は馬車も通っていた。上海では時間を見つけて上海大厦にのぼり、屋上から蘇州河対岸の浦東地区を観望したが、一面農地であった。今は、農地などどこにも見えず、高層ビルが林立している。

 市民の食生活も格段に豊かになり、高級飲食店も多数できている。上海の料理店ではロボットが食事を運んでくるという。
 地方への旅行も高速鉄道のおかげで容易になり、非常に遠くまで行ける。上海から安徽省の黄山(世界遺産)へも約2時間で行けるそうだ。外国人が旅行可能な場所の制限はほとんどなくなっている。わたくしが大使館に勤務していた1980年代中葉、外国人が行けるところは中国全国で約10カ所に過ぎなかったのとは大違いである。

 日本人と中国人の往来は今後も間違いなく増加するだろう。そうなるとお互いの印象もさらに良くなるだろう。印象だけでない。経済にも環境にも大きな変化が出て来そうである。日本では50年前と言っても特別の感慨にふけるようなことはあまりないが、中国の発展はきわめて印象的であり、日本もそれに協力した。また、中国の発展によって日本も刺激や恩恵を受けている。

 日本と中国の政治体制は異なる。将来においても、日本の自由で民主的な体制は不変であるだろうし、中国の共産主義体制も変わらないだろう。最近は台湾問題ばかりがかしましいが、50周年は日中友好を強化する絶好の機会であり、両国の官も民も、体制の違いが両国関係を悪化させないよう努めていかなければならない。民間には大きな可能性がある。垂大使は「国と国との関係も、突き詰めれば人と人との関係だ。両国民の相互理解と信頼の醸成が日中関係打開の王道だ」と強調したそうだが、まったく同感である。

 50年前、中国は実は、大変な状況にあった。中国を未曽有の混乱に陥れた「文化大革命(文革)」は終わっていなかった。文革はもともと毛沢東による権力奪還の闘争であったが、労働者、学生(若い学生は「紅衛兵」と呼ばれた)が参加し、既存秩序を破壊する一大革命となっていた。中国共産党も破壊の対象になっていた。死者は数百万とも2千万以上とも、被害者は1億人程度ともいわれた。日中国交正常化の際、武装闘争はほぼ終息していたが、文革の中心であったいわゆる四人組はなお健在であり、革命運動を継続していた。しかし、中国政府はそんなことを日本側に全く感じさせず、日中国交正常化交渉は平穏無事に行われた。

 田中首相一行は共同声明を発表した後、同日中に周恩来首相とともに上海へ向かったことは前述した。田中首相は疲労困憊気味で上海へは寄りたくなかったそうだが、説得を受け入れ上海に降り立った。同市のナンバーワンは張春橋上海市革命委員会主任であり、四人組の一人であったが、田中首相一行を盛大に出迎えた。上海市南京西路1333号の宴会場で行われた歓迎宴では、田中首相を始め全員が酔っ払い気味になったが、大事業を成功させた喜びがあふれていたことを思い出す。

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.