9月, 2022 - 平和外交研究所
2022.09.25
50年前、私は駆け出しの外務省員として田中首相の一行に加えてもらった。プレスの担当として田中首相一行の北京空港到着を迎えたことから始まり、国交正常化の両国共同声明の発表を経て上海で歓迎宴が催され、翌日上海虹橋国際空港から帰国の途に就くまで見届けることができた。
その時と比べると北京も上海も大化けした。50年前、北京空港へ向かう道は馬車も通っていた。上海では時間を見つけて上海大厦にのぼり、屋上から蘇州河対岸の浦東地区を観望したが、一面農地であった。今は、農地などどこにも見えず、高層ビルが林立している。
市民の食生活も格段に豊かになり、高級飲食店も多数できている。上海の料理店ではロボットが食事を運んでくるという。
地方への旅行も高速鉄道のおかげで容易になり、非常に遠くまで行ける。上海から安徽省の黄山(世界遺産)へも約2時間で行けるそうだ。外国人が旅行可能な場所の制限はほとんどなくなっている。わたくしが大使館に勤務していた1980年代中葉、外国人が行けるところは中国全国で約10カ所に過ぎなかったのとは大違いである。
日本人と中国人の往来は今後も間違いなく増加するだろう。そうなるとお互いの印象もさらに良くなるだろう。印象だけでない。経済にも環境にも大きな変化が出て来そうである。日本では50年前と言っても特別の感慨にふけるようなことはあまりないが、中国の発展はきわめて印象的であり、日本もそれに協力した。また、中国の発展によって日本も刺激や恩恵を受けている。
日本と中国の政治体制は異なる。将来においても、日本の自由で民主的な体制は不変であるだろうし、中国の共産主義体制も変わらないだろう。最近は台湾問題ばかりがかしましいが、50周年は日中友好を強化する絶好の機会であり、両国の官も民も、体制の違いが両国関係を悪化させないよう努めていかなければならない。民間には大きな可能性がある。垂大使は「国と国との関係も、突き詰めれば人と人との関係だ。両国民の相互理解と信頼の醸成が日中関係打開の王道だ」と強調したそうだが、まったく同感である。
50年前、中国は実は、大変な状況にあった。中国を未曽有の混乱に陥れた「文化大革命(文革)」は終わっていなかった。文革はもともと毛沢東による権力奪還の闘争であったが、労働者、学生(若い学生は「紅衛兵」と呼ばれた)が参加し、既存秩序を破壊する一大革命となっていた。中国共産党も破壊の対象になっていた。死者は数百万とも2千万以上とも、被害者は1億人程度ともいわれた。日中国交正常化の際、武装闘争はほぼ終息していたが、文革の中心であったいわゆる四人組はなお健在であり、革命運動を継続していた。しかし、中国政府はそんなことを日本側に全く感じさせず、日中国交正常化交渉は平穏無事に行われた。
田中首相一行は共同声明を発表した後、同日中に周恩来首相とともに上海へ向かったことは前述した。田中首相は疲労困憊気味で上海へは寄りたくなかったそうだが、説得を受け入れ上海に降り立った。同市のナンバーワンは張春橋上海市革命委員会主任であり、四人組の一人であったが、田中首相一行を盛大に出迎えた。上海市南京西路1333号の宴会場で行われた歓迎宴では、田中首相を始め全員が酔っ払い気味になったが、大事業を成功させた喜びがあふれていたことを思い出す。
日中国交正常化50周年
9月29日、日中両国が国交を正常化して50周年となる。北京市内では24日、記念イベントが開かれ、垂秀夫駐中国大使や中国外務省の劉勁松アジア局長があいさつした。程永華・元駐日大使も出席した。このイベントはとてもよい企画だと思う。いくつか重要な側面があるようだが、日中双方の料理を組み合わせた創作料理の紹介や、両国のピアノ奏者による中継での遠隔連弾などが披露される。日本と特別なつながりがなくても日本に関心を持っている人は多数おり、この機会に日中友好の雰囲気を味わってもらい、同時に美味しい食事と音楽を満喫してもらいたい。50年前、私は駆け出しの外務省員として田中首相の一行に加えてもらった。プレスの担当として田中首相一行の北京空港到着を迎えたことから始まり、国交正常化の両国共同声明の発表を経て上海で歓迎宴が催され、翌日上海虹橋国際空港から帰国の途に就くまで見届けることができた。
その時と比べると北京も上海も大化けした。50年前、北京空港へ向かう道は馬車も通っていた。上海では時間を見つけて上海大厦にのぼり、屋上から蘇州河対岸の浦東地区を観望したが、一面農地であった。今は、農地などどこにも見えず、高層ビルが林立している。
市民の食生活も格段に豊かになり、高級飲食店も多数できている。上海の料理店ではロボットが食事を運んでくるという。
地方への旅行も高速鉄道のおかげで容易になり、非常に遠くまで行ける。上海から安徽省の黄山(世界遺産)へも約2時間で行けるそうだ。外国人が旅行可能な場所の制限はほとんどなくなっている。わたくしが大使館に勤務していた1980年代中葉、外国人が行けるところは中国全国で約10カ所に過ぎなかったのとは大違いである。
日本人と中国人の往来は今後も間違いなく増加するだろう。そうなるとお互いの印象もさらに良くなるだろう。印象だけでない。経済にも環境にも大きな変化が出て来そうである。日本では50年前と言っても特別の感慨にふけるようなことはあまりないが、中国の発展はきわめて印象的であり、日本もそれに協力した。また、中国の発展によって日本も刺激や恩恵を受けている。
日本と中国の政治体制は異なる。将来においても、日本の自由で民主的な体制は不変であるだろうし、中国の共産主義体制も変わらないだろう。最近は台湾問題ばかりがかしましいが、50周年は日中友好を強化する絶好の機会であり、両国の官も民も、体制の違いが両国関係を悪化させないよう努めていかなければならない。民間には大きな可能性がある。垂大使は「国と国との関係も、突き詰めれば人と人との関係だ。両国民の相互理解と信頼の醸成が日中関係打開の王道だ」と強調したそうだが、まったく同感である。
50年前、中国は実は、大変な状況にあった。中国を未曽有の混乱に陥れた「文化大革命(文革)」は終わっていなかった。文革はもともと毛沢東による権力奪還の闘争であったが、労働者、学生(若い学生は「紅衛兵」と呼ばれた)が参加し、既存秩序を破壊する一大革命となっていた。中国共産党も破壊の対象になっていた。死者は数百万とも2千万以上とも、被害者は1億人程度ともいわれた。日中国交正常化の際、武装闘争はほぼ終息していたが、文革の中心であったいわゆる四人組はなお健在であり、革命運動を継続していた。しかし、中国政府はそんなことを日本側に全く感じさせず、日中国交正常化交渉は平穏無事に行われた。
田中首相一行は共同声明を発表した後、同日中に周恩来首相とともに上海へ向かったことは前述した。田中首相は疲労困憊気味で上海へは寄りたくなかったそうだが、説得を受け入れ上海に降り立った。同市のナンバーワンは張春橋上海市革命委員会主任であり、四人組の一人であったが、田中首相一行を盛大に出迎えた。上海市南京西路1333号の宴会場で行われた歓迎宴では、田中首相を始め全員が酔っ払い気味になったが、大事業を成功させた喜びがあふれていたことを思い出す。
2022.09.19
今次SCO首脳会議ではイランの加盟承認などもあったが、機構全体の協力について新しい方向性を打ち出すことはできなかった。それどころか、一部ではこれが協力機構かと疑いたくなる状況が起こっていた。14日以降続いている、タジキスタンとキルギス(両国とも加盟国)の国境地帯での衝突などである。
また、上海協力機構の加盟国ではないが、ロシアの同盟国アルメニアと、トルコを後ろ盾にするアゼルバイジャンの国境地帯でも最近、大規模な軍事衝突が発生している。ロシアの影響力の低下が原因だとみられている。
上海協力機構の加盟国は、米ロはもとより、中央アジアの諸国もこれまで反欧米の傾向が強かったが、今次サマルカンド宣言では米欧側への非難は盛り込まれなかった。ウクライナへの侵攻のためロシアのイメージが悪化し、そのため反欧米の傾向が弱くなったのであろう。
中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領の会談は15日に行われた。中ロの首脳会談は北京冬季五輪でプーチン氏が訪中した2月4日以来であり、今次会議においてはロシアがウクライナで軍事的劣勢に立たされている中、プーチン氏は習近平氏に軍事・経済支援を求めるのではないかと注目されていた
プーチン氏の発言として伝えられたのは、「ウクライナ危機に関して、中国の友人がバランスのとれた立場をとっていることを高く評価する。ウクライナ情勢をめぐって中国が疑問と懸念を抱くのは理解できる」、「アメリカの一極世界を作ろうとする試みは失敗に終わる」などである(BBC9月16日報道)。
ウクライナ問題に関する習近平氏の発言は比較的冷めたものであったようだ。中国はロシアによるウクライナ侵攻以来、対ロ制裁には反対しつつ、「ウクライナ問題への立場は『理非曲直(道理にかなうかどうか)』で決める」と冷静である。中国外務省が発表した今次SCO首脳会談の発表文は、「ウクライナ」に関して一言も触れなかった。中国側はウクライナ問題についてなんら熱意を示さなかったが、プーチン氏は習氏に対して融和的な、すり寄っているとも解し得る発言を行ったのであり、プーチン氏の立場は我々が外部から見るよりも薄弱であったのかと思われる。
本質的問題でないかもしれないが、プーチン氏はかねてより各国との首脳会談に遅れてくる常習犯である。だが今次SCOではそのような振る舞いは見せず、逆に遅れてきたキルギスのジャパロフ大統領を笑顔で迎えたという。
中国とロシアの関係は今次SCOの会議に至る前から問題が起こっていた。ウクライナ侵攻の際ロシアは中国に事前の説明をしたか不明だとされているが、中国人の避難は円滑に行われず、中国側では不満の声が上がっていた。
去る8月の核兵器拡散禁止条約(NPT)の再検討会議ではロシアだけが「最終文書案」に最後まで反対し、コンセンサスの成立を妨げた。原案では、ロシアが占拠するウクライナのザポリージャ原発が「ロシアの管理」下にあるとしていたが、後に削除され、中国は反対しなくなっていた。各国は何とかロシアを説得したかったが、ロシアは頑として聞き入れなかった。
今次SCOの会議では、プーチン氏の相も変わらない自信ありげな姿勢を信頼した首脳はいなかったようだ。インドのモディ首相からは「今は戦争するときでない」と諭された。
しかし、ロシアが中国にとって役に立たないお荷物となったと見るべきでないだろう。ロシアによる台湾に関する中国支持も、国連でともに保守勢力として西側に対抗していくためにもロシアは中国にとって引き続き必要であり、中国はその程度にはロシアとの関係を積極的に維持していくものと思われる。
中国・ロシア関係-上海協力機構など
9月15~16日、ウズベキスタンの古都サマルカンドで上海協力機構(SCO)首脳会議が開催され、サマルカンド宣言が発表された。今次SCO首脳会議ではイランの加盟承認などもあったが、機構全体の協力について新しい方向性を打ち出すことはできなかった。それどころか、一部ではこれが協力機構かと疑いたくなる状況が起こっていた。14日以降続いている、タジキスタンとキルギス(両国とも加盟国)の国境地帯での衝突などである。
また、上海協力機構の加盟国ではないが、ロシアの同盟国アルメニアと、トルコを後ろ盾にするアゼルバイジャンの国境地帯でも最近、大規模な軍事衝突が発生している。ロシアの影響力の低下が原因だとみられている。
上海協力機構の加盟国は、米ロはもとより、中央アジアの諸国もこれまで反欧米の傾向が強かったが、今次サマルカンド宣言では米欧側への非難は盛り込まれなかった。ウクライナへの侵攻のためロシアのイメージが悪化し、そのため反欧米の傾向が弱くなったのであろう。
中国の習近平国家主席とロシアのプーチン大統領の会談は15日に行われた。中ロの首脳会談は北京冬季五輪でプーチン氏が訪中した2月4日以来であり、今次会議においてはロシアがウクライナで軍事的劣勢に立たされている中、プーチン氏は習近平氏に軍事・経済支援を求めるのではないかと注目されていた
プーチン氏の発言として伝えられたのは、「ウクライナ危機に関して、中国の友人がバランスのとれた立場をとっていることを高く評価する。ウクライナ情勢をめぐって中国が疑問と懸念を抱くのは理解できる」、「アメリカの一極世界を作ろうとする試みは失敗に終わる」などである(BBC9月16日報道)。
ウクライナ問題に関する習近平氏の発言は比較的冷めたものであったようだ。中国はロシアによるウクライナ侵攻以来、対ロ制裁には反対しつつ、「ウクライナ問題への立場は『理非曲直(道理にかなうかどうか)』で決める」と冷静である。中国外務省が発表した今次SCO首脳会談の発表文は、「ウクライナ」に関して一言も触れなかった。中国側はウクライナ問題についてなんら熱意を示さなかったが、プーチン氏は習氏に対して融和的な、すり寄っているとも解し得る発言を行ったのであり、プーチン氏の立場は我々が外部から見るよりも薄弱であったのかと思われる。
本質的問題でないかもしれないが、プーチン氏はかねてより各国との首脳会談に遅れてくる常習犯である。だが今次SCOではそのような振る舞いは見せず、逆に遅れてきたキルギスのジャパロフ大統領を笑顔で迎えたという。
中国とロシアの関係は今次SCOの会議に至る前から問題が起こっていた。ウクライナ侵攻の際ロシアは中国に事前の説明をしたか不明だとされているが、中国人の避難は円滑に行われず、中国側では不満の声が上がっていた。
去る8月の核兵器拡散禁止条約(NPT)の再検討会議ではロシアだけが「最終文書案」に最後まで反対し、コンセンサスの成立を妨げた。原案では、ロシアが占拠するウクライナのザポリージャ原発が「ロシアの管理」下にあるとしていたが、後に削除され、中国は反対しなくなっていた。各国は何とかロシアを説得したかったが、ロシアは頑として聞き入れなかった。
今次SCOの会議では、プーチン氏の相も変わらない自信ありげな姿勢を信頼した首脳はいなかったようだ。インドのモディ首相からは「今は戦争するときでない」と諭された。
しかし、ロシアが中国にとって役に立たないお荷物となったと見るべきでないだろう。ロシアによる台湾に関する中国支持も、国連でともに保守勢力として西側に対抗していくためにもロシアは中国にとって引き続き必要であり、中国はその程度にはロシアとの関係を積極的に維持していくものと思われる。
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