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2015.09.05

(案内)抗日戦争記念式典にかける習近平の大国化戦略

9月5日、東洋経済ONLINEに「中国「抗日勝利70年式典」、覆い隠せぬ矛盾」が掲載されました。
2015.07.28

(短評)ベトナムの対外姿勢

 ベトナムはフィリピンと並んで、中国による南シナ海での拡張的行動の影響を直接受けている。2014年の5月から7月にかけ、中国は西沙(パラセル)諸島沖で大型石油掘削装置を投入し、抗議するベトナム船と中国船が衝突を繰り返した。また、ベトナム国内でも中国に抗議するデモが一部暴徒化して死者が出るなど、両国は鋭く対立した。
 ベトナムにとって最大の対外問題は中国との関係であり、軍事的には劣勢にあるが、中国に対して弱みは見せない。かつて米国と戦っても負けることなく、ついには南ベトナムと米軍をインドシナ半島から追い払った敢闘精神は中国との関係でも衰えていない。 
 しかし、ベトナムは中国の隣国。歴史的に関係が深く、経済面でも中国と密接な関係にあり、ベトナムとしては中国と対立・衝突しても関係を破壊してはならないことをよく承知しているようである。
 最近、ベトナム共産党のグエン・フー・チョン書記長の活発な外交活動が注目された。
 2015年4月、同書記長は中国を訪問し、大歓迎を受けた。
 それから3カ月後の7月には米国を訪問した。政府の肩書はなく、共産党の書記長として米国に受け入れられたのであり、オバマ大統領はホワイトハウスの執務室、オーバル・ルームで同書記長と会見するなど厚遇した。
 ベトナムは近年経済改革(ドイモイ)を進め、日本などの投資先として注目されているが、現在でも共産党しか合法政党はなく、完全な一党独裁国である。しかし、グエン・フー・チョン書記長が米国から大歓迎を受けたことは、体制の違いは両国間でもはや決定的な障害でなくなったことを象徴している。
 米国は40年来継続してきたベトナムに対する武器禁輸を2014年に解除し、軍事援助を大幅に増加させている。グエン・フー・チョン書記長の訪米に先立つ6月には、カーター国防長官がハノイを訪問し、米越両国は防衛協力を強化すると宣言した。南シナ海における中国の行動は、米国とベトナムを接近させ、軍事協力も行なわせているのである。
 一方、ベトナムはしたたかである。ベトナムは「三つのノー」を外交の基本政策としている。「軍事関係を結ばないこと」「外国の軍事基地を認めないこと」「いかなる国とも同盟しないこと」である。この大きな枠組みの中で、中国とは対立しながらも良好な関係を維持し、米国からはかなりの軍事協力を引き出している。
 東南アジアでのプレゼンスを強化したいロシアとの間では、武器の購入を増加させ、資源開発について協力することを約している。それは中国が快く思わないことであるにもかかわらずである。しかし、戦略的拠点であるカムラン湾については、ロシアは利用したいが、すでに米軍に利用させているベトナムは首を縦に振らないらしい(5月7日の本HP「南シナ海でのロシアと中国の不一致」を参照願いたい)。
2015.07.17

(短評)イランの核協議で合意成立

 ウィーンで行われていたイランとp5+1(米英仏露中独)の核協議が、数回にわたる延長の末7月14日、最終合意に達し、イランは今後15年間高濃縮ウランを製造しない、現在保有している低濃縮ウランは大幅に減少する、IAEA(国際原子力機関)の査察は軍事施設に対しても行なう、イランに対する各国の制裁は一部を除き解除する、こととなった。
 日本にとってもこの合意は大きな意味がある。核不拡散の観点もさることながら、イラン原油の輸入を再開できるからである。
 オバマ大統領は就任以来イランとの対話を重視してきたが、その後の進展は芳しくなく、共和党の保守勢力からは、シリアとの関係、医療改革などとともに批判されがちであった。同大統領の残りの任期が短くなってきている中で、議会との関係では今後も困難な局面が出てくるであろうが、今回の協議成功がオバマ大統領の得点となることは間違いない。
 イスラエルとの関係では、ネタニヤフ首相が、四の五の言うイランに対して核協議の成立を待たず直ちに攻撃すべきであるという極論を唱え、また、米議会、とくに共和党との関係を重視し、オバマ政権は相手にしないと言わんばかりの姿勢を取るなどしたため米イスラエル関係は悪化していた。ネタニヤフ首相は今回の合意後も、「歴史的誤りだ」と評するなど相変わらずの姿勢であるが、各国としてはあまりにかたくななイスラエルを支持するのは困難になるはずである。
 最近、イスラエルとの関係強化に関心を見せている中国は、今回の協議で建設的な役割を果たしたと言っている(王毅外相)。当然中国としても今次合意を積極的に評価しているのでネタニヤフ首相との付き合いは簡単でないだろう。
 今回の協議は2002年の問題発生から数えると13年間かかった。その間のイランの対応を見ると、イランが国際協調的になったと判断するのは早すぎる。今回の交渉の最終段階でも歴史的、政治的な事情に起因する米国への警戒心が表れ、合意達成にブレーキとなっていた。
 ロハニ大統領が就任した2年前から本件協議が前進し始めた。協議の最終段階でも同大統領は国内の保守勢力を抑えつつ、対外的に協調的な姿勢を貫くことができた。複雑な状況にある中東で、今後、イランが積極的な役割を果たすことが期待される。

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