10月, 2016 - 平和外交研究所
2016.10.31
日本は決議に反対票を投じたが、これには国民の多くが疑問を覚えており、私も「棄権」のほうがよかったと思う。この条約についてはいくつかの疑問がある。
まず、日本が決議に反対した理由について、岸田外相は「核兵器国と非核兵器国の間の対立をいっそう助長し、亀裂を深める」からと説明したが、日本は、核兵器国に対して「強く迫る、圧力をかける」ことなど考えなくてもよいのだろうか。おそらく、被爆者はもちろん、多くの国、市民団体も圧力をかけなければ物事は進まない、と考えているだろう。彼らに対して、日本の穏健な姿勢のほうがよいことを主張できるだろうか。
日本が反対した本当の理由は、「日本は米国の核の抑止力に依存しており、そのことに妨げになるようなことはできない」ということだろう。なぜそう言わないのか。米国の核に依存していることは本質的な問題であり、これに比べれば、核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう助長することなど、現象的なことでないか。
来年、核兵器禁止条約の交渉が始まる。岸田外相は、日本は参加すると表明しているが、外務省では交渉への参加には慎重な考えが強いと言われている。交渉に参加する場合には日本として考えを明確にしておかなければならないことがある。
核兵器禁止条約は、すべての国を対象とする、つまり、核兵器はどの国に対しても使用を禁止することが想定されているだろうが、第一段階として、核兵器を持っていない国に対してだけ禁止する方法もある。そのほうがハードルは低くなろう。にもかかわらず、なぜ最初から困難な道を選ぶのか。実は非核兵器国に対する核兵器使用の禁止問題は古くから存在している。
禁止条約を仮に作っても、条約を守らない、あるいは恣意的に解釈する国が出てくる恐れがある。世界政府が成立していれば別だが、現状ではそれはない。国連には条約を強制的に執行する力はない。また、条約が成立し署名しても、批准できない国が出てくると、同様の問題が生じる。抜け駆けの危険も古くから指摘されている問題であり、NPTの言葉でいえば、「厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小」(第6条)が必要なのだが、それはまだできない。
日本は被爆国だから、核軍縮にもっと積極的に臨むべきだとよく言われる。それはもっともなことだが、被爆国だから核兵器の恐ろしさをどの国よりもよく知っており、したがって他国から核攻撃されることをどの国よりも恐れるのも事実でないか。そうであれば、核攻撃されないようあらゆる手立てを講じることも必要となる。
核兵器禁止条約の交渉では遅かれ早かれ、以上のような問題が出てくるだろう。交渉を成功させるのは針の穴を通すより難しいが、積極的に臨んでもらいたい。日本としては核についての考えを整理しなおす機会にもなる。
(短評)核兵器禁止条約
10月27日、国連総会第1委員会(軍縮を担当)で核兵器禁止条約についての交渉を明年から開始するという決議が採択された。日本は決議に反対票を投じたが、これには国民の多くが疑問を覚えており、私も「棄権」のほうがよかったと思う。この条約についてはいくつかの疑問がある。
まず、日本が決議に反対した理由について、岸田外相は「核兵器国と非核兵器国の間の対立をいっそう助長し、亀裂を深める」からと説明したが、日本は、核兵器国に対して「強く迫る、圧力をかける」ことなど考えなくてもよいのだろうか。おそらく、被爆者はもちろん、多くの国、市民団体も圧力をかけなければ物事は進まない、と考えているだろう。彼らに対して、日本の穏健な姿勢のほうがよいことを主張できるだろうか。
日本が反対した本当の理由は、「日本は米国の核の抑止力に依存しており、そのことに妨げになるようなことはできない」ということだろう。なぜそう言わないのか。米国の核に依存していることは本質的な問題であり、これに比べれば、核兵器国と非核兵器国の対立をいっそう助長することなど、現象的なことでないか。
来年、核兵器禁止条約の交渉が始まる。岸田外相は、日本は参加すると表明しているが、外務省では交渉への参加には慎重な考えが強いと言われている。交渉に参加する場合には日本として考えを明確にしておかなければならないことがある。
核兵器禁止条約は、すべての国を対象とする、つまり、核兵器はどの国に対しても使用を禁止することが想定されているだろうが、第一段階として、核兵器を持っていない国に対してだけ禁止する方法もある。そのほうがハードルは低くなろう。にもかかわらず、なぜ最初から困難な道を選ぶのか。実は非核兵器国に対する核兵器使用の禁止問題は古くから存在している。
禁止条約を仮に作っても、条約を守らない、あるいは恣意的に解釈する国が出てくる恐れがある。世界政府が成立していれば別だが、現状ではそれはない。国連には条約を強制的に執行する力はない。また、条約が成立し署名しても、批准できない国が出てくると、同様の問題が生じる。抜け駆けの危険も古くから指摘されている問題であり、NPTの言葉でいえば、「厳重かつ効果的な国際管理の下における全面的かつ完全な軍備縮小」(第6条)が必要なのだが、それはまだできない。
日本は被爆国だから、核軍縮にもっと積極的に臨むべきだとよく言われる。それはもっともなことだが、被爆国だから核兵器の恐ろしさをどの国よりもよく知っており、したがって他国から核攻撃されることをどの国よりも恐れるのも事実でないか。そうであれば、核攻撃されないようあらゆる手立てを講じることも必要となる。
核兵器禁止条約の交渉では遅かれ早かれ、以上のような問題が出てくるだろう。交渉を成功させるのは針の穴を通すより難しいが、積極的に臨んでもらいたい。日本としては核についての考えを整理しなおす機会にもなる。
2016.10.30
今次会議では、中央と地方の指導体制が大幅に一新されることが確実となった。党員の心構えを定めた二つの規則が採択された。他にもいくつか決定されたが、なかでも、習近平総書記を「核心」と位置づけたことが注目された。今後は「習近平を核心とする党中央」などという表現が使われるそうだ。
「核心」と位置付けたのは習近平の権威を高めるためだが、なぜわざわざそんなことをしたのかよくわからない。
習近平は「総書記」としてすでに中国共産党のトップだ。中国共産党の歴史を見ると、「総書記」という地位は置かれないときもあった。また、置かれていても党規約で規定されたり、されなかったりすることもあった。したがって、過去においては一言では言えない面があったが、現在は、中国のトップ7の中でも「総書記」の地位は抜きんでており、ナンバーワンである「総書記」とそれ以外の指導者の地位とは質的に違っていると言えるだろう。
にもかかわらず、「総書記」に加えて「核心」という位置づけをすることにどれほどの意味があるのか。「総書記」はナンバーワンであっても絶対的な権威でないと言うのなら、「核心」も似たようなものだ。五十歩百歩だと思う。
かつて、「核心」と位置付けられた指導者として毛沢東、鄧小平、江沢民がおり、習近平は彼らと肩を並べるほど高い地位に就いたのだという趣旨の説明をよく聞く。そのこと自体は誤りでないだろうが、毛沢東は「核心」とされたので傑出した指導者となったのではなく、抗日戦争を戦いながら国民党政権と競い、ついには事実上の勝利を獲得したので絶大の権力と権威を持つに至ったのだ。
鄧小平も「核心」と呼ばれたが、実際にはそう言われることは少なかった。それはともかくとして、鄧小平が傑出した指導者となったのは、革命戦争に参加したことに加え、極めて有能だったからで、「核心」と位置付けられて押し上げられたのではなかった。
江沢民は「核心」とみなされた点では毛沢東や鄧小平と同様であったとしても、指導者としての権威は比較にならないくらい低いままであった。つまり、「核心」という位置づけには平均的な指導者を特別の地位に押し上げる力はなかったのだ。
習近平の場合はなぜ「核心」と言い始めたか。文字の意味から見れば、習近平の指導力を強化し、バラバラになりがちな党内を一束にするという気持ちがうかがわれる。
習近平は就任以来、多くの特別指導機関を作った。「小組」と呼ばれるが、実態は既存の官僚機構では不十分なので新しく作った機構であり、その権力は「小組」という名称とは裏腹に絶大だ。悪名高い文化大革命を指導したのも「小組」であった。そして習近平はすべての新設小組の長となった。
そして、習近平は「腐敗取締り」と「言論統制」の2本の鞭を使って、既存のマニュアルでは動かない巨大官僚機構を叱咤し、活を入れ、動かそうとしてきた。習近平の積極的な取り組みは実績を上げたが、反発も強くなっただろう。先般の退役軍人によるデモなどは氷山の一角だと思う。
したがって、習近平の権威をさらに高め、共産党を習近平中心に結集させることは現実的な必要性があるが、「核心」とすると習近平に同意しない勢力があることを示唆する恐れがある。従来中国共産党が内部矛盾を外へさらけ出すときは、特定の人物を批判する場合に限られており、それ以外は「すべてうまく行っている」という姿勢をつらぬいてきた。そう考えれば、「核心」と位置付けることを手放しで喜べないはずだ。
ここから先は推測になるが、習近平は既存の党・政の官僚機構に不満であり、前述のように新しい手法を積極的に使ってきたのは、既存の組織があまりにも機能しないからで、新しい体制づくりに腐心しているように思われる。改革開放以来30年あまりが経過し、経済は目覚ましく成長したが、現在の共産党の指導体制は曲がり角に来ているのかもしれない。「総書記」も旧来の共産党の秩序の一環であり、新しい手法で改革を積極的に実行していくのにぴったり来ないと考えたのではないか。
仮説にすぎないが、長い時間をかけて検証していくべきことと思う。
習近平主席をなぜ「核心」と位置付けたのか
習近平政権は来年の第19回中国共産党大会で第2期目に入ることが決定される。さる10月24~27日に開催された6中全会(第18期中国共産党第6回中央委員会全体会議)はその最終準備であったが、習近平主席が中国共産党の現状に不満であることが垣間見えてきた。今次会議では、中央と地方の指導体制が大幅に一新されることが確実となった。党員の心構えを定めた二つの規則が採択された。他にもいくつか決定されたが、なかでも、習近平総書記を「核心」と位置づけたことが注目された。今後は「習近平を核心とする党中央」などという表現が使われるそうだ。
「核心」と位置付けたのは習近平の権威を高めるためだが、なぜわざわざそんなことをしたのかよくわからない。
習近平は「総書記」としてすでに中国共産党のトップだ。中国共産党の歴史を見ると、「総書記」という地位は置かれないときもあった。また、置かれていても党規約で規定されたり、されなかったりすることもあった。したがって、過去においては一言では言えない面があったが、現在は、中国のトップ7の中でも「総書記」の地位は抜きんでており、ナンバーワンである「総書記」とそれ以外の指導者の地位とは質的に違っていると言えるだろう。
にもかかわらず、「総書記」に加えて「核心」という位置づけをすることにどれほどの意味があるのか。「総書記」はナンバーワンであっても絶対的な権威でないと言うのなら、「核心」も似たようなものだ。五十歩百歩だと思う。
かつて、「核心」と位置付けられた指導者として毛沢東、鄧小平、江沢民がおり、習近平は彼らと肩を並べるほど高い地位に就いたのだという趣旨の説明をよく聞く。そのこと自体は誤りでないだろうが、毛沢東は「核心」とされたので傑出した指導者となったのではなく、抗日戦争を戦いながら国民党政権と競い、ついには事実上の勝利を獲得したので絶大の権力と権威を持つに至ったのだ。
鄧小平も「核心」と呼ばれたが、実際にはそう言われることは少なかった。それはともかくとして、鄧小平が傑出した指導者となったのは、革命戦争に参加したことに加え、極めて有能だったからで、「核心」と位置付けられて押し上げられたのではなかった。
江沢民は「核心」とみなされた点では毛沢東や鄧小平と同様であったとしても、指導者としての権威は比較にならないくらい低いままであった。つまり、「核心」という位置づけには平均的な指導者を特別の地位に押し上げる力はなかったのだ。
習近平の場合はなぜ「核心」と言い始めたか。文字の意味から見れば、習近平の指導力を強化し、バラバラになりがちな党内を一束にするという気持ちがうかがわれる。
習近平は就任以来、多くの特別指導機関を作った。「小組」と呼ばれるが、実態は既存の官僚機構では不十分なので新しく作った機構であり、その権力は「小組」という名称とは裏腹に絶大だ。悪名高い文化大革命を指導したのも「小組」であった。そして習近平はすべての新設小組の長となった。
そして、習近平は「腐敗取締り」と「言論統制」の2本の鞭を使って、既存のマニュアルでは動かない巨大官僚機構を叱咤し、活を入れ、動かそうとしてきた。習近平の積極的な取り組みは実績を上げたが、反発も強くなっただろう。先般の退役軍人によるデモなどは氷山の一角だと思う。
したがって、習近平の権威をさらに高め、共産党を習近平中心に結集させることは現実的な必要性があるが、「核心」とすると習近平に同意しない勢力があることを示唆する恐れがある。従来中国共産党が内部矛盾を外へさらけ出すときは、特定の人物を批判する場合に限られており、それ以外は「すべてうまく行っている」という姿勢をつらぬいてきた。そう考えれば、「核心」と位置付けることを手放しで喜べないはずだ。
ここから先は推測になるが、習近平は既存の党・政の官僚機構に不満であり、前述のように新しい手法を積極的に使ってきたのは、既存の組織があまりにも機能しないからで、新しい体制づくりに腐心しているように思われる。改革開放以来30年あまりが経過し、経済は目覚ましく成長したが、現在の共産党の指導体制は曲がり角に来ているのかもしれない。「総書記」も旧来の共産党の秩序の一環であり、新しい手法で改革を積極的に実行していくのにぴったり来ないと考えたのではないか。
仮説にすぎないが、長い時間をかけて検証していくべきことと思う。
2016.10.29
しかし、実情は複雑なようだ。28日付の多維新聞(米国にある中国語新聞)は、ドゥテルテ大統領に同行したフィリピンの議員(中国の表記では「羅可」)の説明としてつぎのような交渉経緯を伝えている。
「今回の協議で中国側は、中国の漁民がスカボロー礁で漁業に従事することを「許可する」という文言が入った文書に双方が署名することを求め、フィリピン側はこれに回答しなかった。合意は公開されていない。正式に署名もされていない。フィリピン側はもちろん中国が「許可」することを受け入れられない。これは今回の仲裁判決に違反することだ。」
中国が「許可」することになれば、権利は中国側にあり、フィリピン側はいわば「恩恵」として魚を取らせてもらうことになる。合意文書の文言については現在も中比双方で協議が行われているそうだが、フィリピン側がどこまで中国の圧力をかわせるかを試す試金石になりそうだ。
協議が終わっても、南シナ海問題は引き続き注目が必要と思う
(短評)ドゥテルテ大統領訪中のフォローアップ
フィリピンの排他的経済水域内にあるスカボロー礁で中国の艦船がフィリピンの漁船を妨害している問題について、今回のドゥテルテ大統領の訪中の効果がどのように表れるか注目されていたところ、10月28日、フィリピンのロレンザーナ国防相は、中国船が3日前から、つまり同大統領が中国訪問を終えた4日後から、姿を消していることを公表した。これはまさにドゥテルテ大統領訪中の効果であり、中国側がフィリピン側と交わした約束を実行していることを示すことだ。しかし、実情は複雑なようだ。28日付の多維新聞(米国にある中国語新聞)は、ドゥテルテ大統領に同行したフィリピンの議員(中国の表記では「羅可」)の説明としてつぎのような交渉経緯を伝えている。
「今回の協議で中国側は、中国の漁民がスカボロー礁で漁業に従事することを「許可する」という文言が入った文書に双方が署名することを求め、フィリピン側はこれに回答しなかった。合意は公開されていない。正式に署名もされていない。フィリピン側はもちろん中国が「許可」することを受け入れられない。これは今回の仲裁判決に違反することだ。」
中国が「許可」することになれば、権利は中国側にあり、フィリピン側はいわば「恩恵」として魚を取らせてもらうことになる。合意文書の文言については現在も中比双方で協議が行われているそうだが、フィリピン側がどこまで中国の圧力をかわせるかを試す試金石になりそうだ。
協議が終わっても、南シナ海問題は引き続き注目が必要と思う
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