平和外交研究所

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2025.02.01

国連女性差別撤廃委員会への拠出停止

国連女性差別撤廃委員会(CEDAW)は昨年10月、8年ぶりとなる日本への勧告の中で、男系男子の皇位継承を定めた皇室典範の規定は条約の目的や趣旨と相いれないとして、改正を勧告した。政府はこれに抗議し、さらに同委員会に日本の拠出金は使わせないと決め、国連側に伝えた。この発表は本年1月29日に行われた。

日本は国連中心主義を外交の原則として掲げており、今回の措置はこの原則に反する暴挙である。国連には日本政府の考えと相いれないことは、残念ながら存在する。一方、国連があるために日本が助かっていることはいくつもある。このようなことは日本だけでなく、他の国にもある。どの国も利害得失を呑み込んで国連と協力しており、長い目で見れば、そのように柔軟に対応することが国益を守ることになる。

日本政府の主張を聞き入れず、また抗議にも耳を傾けないからといって、実力行使に出ることは許されない。日本政府があくまで主張を貫く必要があると考えるなら、説得を続けるべきであり、そうするしかない。国連や他国から見れば、日本の拠出金停止は強引な方法と映っているのではないか。

今回の措置により、日本政府は女性差別をなくす取り組みに積極的でないとみられる懸念を抱く向きもあるが、実態はもっと厳しい。日本は女性差別の撤廃に積極的だとは思われていない。だから、女性差別撤廃のため、これまで多くの日本人が尽力してきた。女性差別撤廃委員会の議長として国際的に貢献したこともあった。今回の措置はそのような努力に水を差すことになる。

世界を相手に、日本の主張を聞け、そうしないと実力行使も辞さないということがどれほど危険で、国益を害することであるか、第二次大戦で苦しんで、苦しみぬいて経験したはずである。二度とカネの力で国際組織に圧力をかけるようなふるまいをしてはならない。

2024.10.19

北朝鮮が最近挑発的行動を強めている 2024年秋

 北朝鮮は2024年10月15日、韓国とつながる京義線と東海線の南北連結道路と鉄道を爆破し通行不能にした。

 その1週間前には最高人民会議(国会に相当)を開いて憲法を改定した。その内容は公表されていないが、「統一」という表現を削除し、領土に関する条項を新設した可能性がある。2024年1月に行われた最高人民会議において、金正恩総書記は「今日、80年間の北南関係史に終止符を打つ」と宣言し、また、北朝鮮憲法から「和解や統一の相手であり同族だという既成概念を完全に消し去る」ことが必要だと主張していた。また2023年末の朝鮮労働党中央委員会総会では、「韓国とは同族関係でなく、敵対的な国家関係」だと述べていた。

 韓国との統一は建国以来北朝鮮の国家目標であり、金正恩総書記の爆弾発言は直ちに信用されなかったが、今回の最高人民会議での憲法改定は金総書記が本気であることを示唆している。

 さらに金総書記は、韓国を「第一の敵対国」「不変の主敵」として教育することなども求めている。詳しくは不明であるが、これらについても北朝鮮はすでに決定したか、その方向に向かって進みつつある。

 北朝鮮の韓国に対する姿勢が著しく挑発的になったのは、北朝鮮内部の変化も深くかかわっている。

 金日成は北朝鮮建国の父であり、「偉大なる首領様」と尊称されるなど、その権威は絶大であった。ところが、2019年頃から変化が表れた。労働新聞の2019年3月の記事は孫の金正恩が書簡で「もし偉大さを強調するなどといって、首領(最高指導者)の革命活動や風貌を神格化すれば、真実を隠すことにつながる」との考えを表したことを伝えた(朝日新聞2020年5月22日)。労働新聞のこの報道は金日成の立場に変化が生じていることを示す最初の兆候であった。さらに2020年5月20日付の同新聞は「縮地法の秘訣」と題した記事で、抗日パルチザン時代の縮地法について霊的な技術を言ったものではないとして金日成・金正日時代の解釈とは異なる見解を伝えた。「縮地」とは道教の思想で、この術を使えば地中に隠れたり、あるいは、地面自体を縮めることで距離を接近させ、瞬間移動を行うことができるという教えであり、金日成と金正日はこれを使えると北朝鮮では言ってきた。

 そして、金日成の肖像や銅像が公の場から撤去され始めた。これは以前の常識からすればありえないことである。北朝鮮の指導者は金日成から始まり、次はその子の金正日、さらにその次は金正日の子の金正恩と続いてきた。金正日は父の金日成に付き従って指導者となったが、映画鑑賞などが趣味の好き者であり、その権威は金日成には到底及ばなかった。さらに金正恩は年若くして指導者となり、経験は乏しい。北朝鮮を率いていけるか、疑問に思われていた。

 金正恩はこの常識を覆し始めた。金日成の偶像崇拝をやめた(完全にはやめていない可能性もある)のに続いて、金日成の生誕年である1912年を元年とする「主体年号」の使用もやめてしまった。2024年10月13日付からは西暦だけを公に使用するようになった。11日夜に北朝鮮外務省が出した「重大声明」では主体年号も明記されていたが、12日夜の金与正(キム・ヨジョン)党副部長の談話発表以後は西暦だけが記されていた。

 金総書記が自信をつけたのは2つの理由があると思う。1つは世界にとってはなはだ遺憾なことだが、核兵器および弾道ミサイルの開発・配備である。

 北朝鮮は核兵器や弾道ミサイルを開発・配備し、米国を攻撃することも可能になっていると自負している。このような軍事力は金正日のもとで開発をはじめ、金正恩の時代になって完成させたものである。これに比べると金日成時代には韓国と戦争したが、中国の助けがなければ負けていた。金日成時代にはそれでも強がりを言っていたが、核もミサイルもまだ保有していなかったのは明らかであり、北朝鮮の軍事力は米国などに敵うものでなかった、というのが金正恩総書記の考えであろう。

 他の1つの理由はロシアとの関係で自信を深めたことである。ウクライナ侵攻がきっかけとなり、北朝鮮はロシアから弾薬などの提供を求められ、これに応じた。ウクライナでは北朝鮮製兵器の残骸が各処に転がっているという。
金正恩総書記は2023年9月ロシアの極東地域を訪問し、4年前の訪問時とは比較にならない熱烈な歓迎を受けた。当初、それは表面的なことにすぎないと高をくくる見方が多かったが、北朝鮮は兵器および兵員を提供し、ロシアは北朝鮮への依存を強めているのは事実のようである。ロシアがウクライナとの関係で劣勢にあるのかどうか、それは知らないが、ウクライナ戦争は北朝鮮の立場を一気に高めたのである。

 ゼレンスキー・ウクライナ大統領は10月中旬、ベルギーでEU・ヨーロッパ連合の首脳会議に出席したあとの記者会見で、1万人規模の北朝鮮兵がロシアで訓練されていることを把握していると述べた。すでに数千の北朝鮮兵がロシアとウクライナの国境付近に配備されているとも、また一部の北朝鮮兵は脱走しているともいわれている。

 これらの出来事とほぼ同時期、プーチン大統領は、さる6月19日に北朝鮮と締結した新条約「包括的戦略パートナーシップ条約」を批准のためにロシア国会に提出した。その第4条は、露朝いずれかが武力侵攻を受け、戦争状態に陥った場合、「遅滞なく、保有するあらゆる手段で軍事的、その他の援助を提供する」としている。冷戦時代の軍事同盟の復活を意味するものであるといわれている。

 金正恩総書記がロシアとの関係で自信をつけていることは明らかである。北朝鮮が韓国を相手にしないという態度を取り始めたことも自信の表れであろう。北朝鮮の立場からすれば、いまや軍事面で世界的な影響力を持ち始めている北朝鮮として、韓国との関係にいつまでもかかずらわっていたくない。北朝鮮は核保有国である。その実態にふさわしいのは分裂国家という半人前でなく、独立した強国であると考えているのではないか。

 1年前と比べ、北朝鮮の行動は一層過激になっているが、目指すべき方向は変わっておらず、北朝鮮の力を認めてくれるロシアとの関係を最重要視しつつ、金日成の権威にとらわれない金正恩のリーダーシップを確立すること、韓国との統一問題にかかずらわない独立国家を樹立することであり、その半ばは達成している、ないし達成しつつあるとみなしているのではないか。

 一方、中国とはこれまでの関係を維持するにとどめるのではないかと推測される。韓国メディアなどでは、金正恩総書記が中国を「宿敵」と呼んだなどと報道されているが、北朝鮮と中国の関係は複雑である。今後の推移を見届ける必要があろう。

2024.06.22

沖縄戦で戦い、犠牲となった方々を悼む

 この季節になると戦争に関連する歴史があいついでよみがえってくる。外国に関係することが多いのは当然だが、国内の問題も少なくない。日本国民として悔しいと感じることが多いが、元気づけられることもある。戦争は複雑で、何が悪かったなどと簡単には言えないが、日本が取った行動について言い訳がましく弁護したり、都合の悪いことは隠そうとするのはもってのほかだ。ごまかしからは日本の将来は開けてこない。

 当研究所は毎年6月23日に、沖縄戦で戦い、犠牲となった若者を悼む以下のような一文をホームページに掲載してきた(1995年6月23日、読売新聞に寄稿したもの)。沖縄は戦争において大きな犠牲を強いられ、しかもその傷跡は今もなお癒えていないからである。
 
「1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで一言申し上げる。

 戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。

 個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は疑問である。

 歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
 
 では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。ひめゆり学徒隊の人たちは、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。

 軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。それは任務である。

 戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
 
 さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。

 したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。

 もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動の評価は行われていない。
 
 顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。

 戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。
 
 また、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。

 もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。

 個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。

 個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」

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