オピニオン
2017.07.29
トランプ大統領はメディアを攻撃し、激しく対立するので報道官はメディアからの反撃の盾になる。一般論として、メディアと報道官の間には協力関係の中にも一定の緊張関係があるが、トランプ大統領のようにメディアを激しく攻撃することはかつてなかったことであり、ホワイトハウスの報道官を務めるのは並大抵のことでない。スパイサー氏の後任にはサラ・ハッカビー・サンダース副報道官が昇格するが、どのくらい持つか。失礼なことを言うようだが、トランプ政権の場合には疑問視されても仕方がないだろう。
ロシア疑惑については、ロバート・モラー特別検察官による調査が継続中である。トランプ大統領は、この問題の扱いが不満でFBIのジェームズ・コミー長官を解任した後、クリストファー・レイ氏を新長官に指名したが、FBIは今後も特別検察官に全面的に協力することが義務付けられており、新体制になってもトランプ大統領の思い通りにはならないだろう。
一方、政権内にあってトランプ大統領を擁護することを期待されていたセッションズ司法長官だが、ロシア疑惑にはかかわらないことを早々と宣言してしまった。セッションズ長官は大統領選挙キャンペーンにおいて重要な役割を果たし、当選後の祝賀式典ではトランプ大統領の家族とともに壇上に立つくらい功績を認められていたのだが、肝心のロシア疑惑ではお手伝いしないと宣言したのだ。トランプ氏は7月19日、自身が宿敵とみなすニューヨークタイムズ紙に、「セッションズ司法長官がロシア疑惑に関する調査から外れると知っていたら、司法長官に指名しなかった」と語っている。トランプ氏らしいが、きわめて不適切な発言であり、この発言を支持する米国人はどのくらいいるだろうか。トランプ氏はセッションズ長官の解任を検討しているとも報道されている。
時間的には前後するが、マイケル・フリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は新政権成立以前からロシアと接触していたため辞任に追い込まれ、調査の対象となっている。
政権内にあってトランプ氏を補佐している女婿のジャレッド・クシュナー氏も、また、政権外でトランプ氏の不動産業を引き継いでいる長男のドナルド・トランプ・ジュニア氏も調査の対象となっている。ロシア疑惑の関係ではまだ明確になっていないことも多々あるようだが、以上判明していることだけを見ても、トランプ政権のロシア疑惑は深刻な状況にある。
7月初め、ドイツでG20が開催された際、トランプ大統領はプーチン大統領と約2時間会談し、ウクライナ、サイバー攻撃、北朝鮮、シリアなどについて話し合い、予定を約1時間以上超過した。プーチン大統領はトランプ氏の後で会談する予定であった安倍首相をそれだけ待たせたので「謝罪する」と述べていたそうである。詳細は不明だが、実際謝罪したのだろう。
このことだけでも異例であったが、トランプ大統領はさらにメルケル首相主催の夕食会の席でも途中からプーチン大統領の席に移動して話しこんだ。
しかるに、ホワイトハウスはこの件について当初発表せず、10日以上も経った18日になってようやく明らかにし、両大統領は「短い会話」を交わしたとする声明を出したが、トランプ大統領が宿敵とみなすCNNは、「あるホワイトハウス高官が語ったところによると、夕食会での会話は1時間近く続いた」と報道した。
しかも、この時米側のロシア語通訳はおらずロシア側の通訳だけであったので、米国内ではそのような形で話し合ったことも批判された。2国間の会議では、発言はその国の通訳が訳して伝えるのが常識である。正確なコミュニケーションのためにはそうすることが必要だからだ。
また、米側では会談の記録も作成できなかった。首脳だけの会談の場合通訳のメモは正確な記録を作成するための貴重な資料である。後に、両首脳の発言内容が問題になる場合、ロシア側は記録に基づいて発言内容を主張できるが、米側はできない。これも深刻な問題である。
共和党支持者の間では72%がトランプ大統領を支持しているという調査もあるようだが、米国民全体ではトランプ大統領の支持率はすでに40%をきるところまで急落している。米連邦議会においては、共和党議員はまだトランプ大統領を支持しているが、明年には連邦議会の選挙(いわゆる中間選挙)があるので共和党にとっても懸念材料は増えているわけだ。
下院は7月25日、ロシアなどへの制裁強化法案を圧倒的多数で可決した。トランプ大統領が望んでも制裁を緩和するには議会の同意が必要とされている。つまり、議会の共和党議員はトランプ大統領を支持しつつも、ロシアとの関係では民主党議員と同様強い態度を取ることに迷いはないのだ。
スカラムーチ広報部長は就任早々、プリーバス大統領首席補佐官とバノン首席戦略官兼上級顧問の両氏を汚い言葉で非難し始め(ロイター)、プリーバス首席補佐官は解任された。セッションズ司法長官はどうなるか未定だが、近日中に結論が下されるかもしれない。
おりしも、トランプ米政権と与党共和党の指導部は7月27日、国境税の導入を見送ることを決定した。同税は、海外で生産した製品を米国に輸入して販売する企業の税負担を重くすることが目的であり、まさにトランプ氏の主張であり、下院共和党の指導部が導入を訴えてきたものだ。
翌日、上院は、医療保険制度改革法(オバマケア)について、撤廃の範囲を絞り込んだ「スキニー・リピール(ちょっとだけの廃案)」と呼ばれる廃止法案を否決した。一部共和党議員が法案に反対したためである。
トランプ大統領をめぐる状況はますます混迷を深め、予測不可能になっている。
そんななか、北朝鮮は28日深夜、またしてもICBMの発射実験を行った。この難しい問題に対して米国は賢明に、かつ有効に対処できるか。北朝鮮は最初のICBM実験の時から兆候があったが、米国の足元を見透かして大胆な行動に出ているのではないか。
混迷するトランプ政権
ショーン・スパイサー報道官の辞任によりトランプ政権の混迷はさらに激しくなった。スパイサー氏は、マイケル・ドゥブケ氏が辞任して以来ホワイトハウスの広報部長も兼任していたが、後任の広報部長には7月21日、アンソニー・スカラムーチ氏が任命された。トランプ大統領はメディアを攻撃し、激しく対立するので報道官はメディアからの反撃の盾になる。一般論として、メディアと報道官の間には協力関係の中にも一定の緊張関係があるが、トランプ大統領のようにメディアを激しく攻撃することはかつてなかったことであり、ホワイトハウスの報道官を務めるのは並大抵のことでない。スパイサー氏の後任にはサラ・ハッカビー・サンダース副報道官が昇格するが、どのくらい持つか。失礼なことを言うようだが、トランプ政権の場合には疑問視されても仕方がないだろう。
ロシア疑惑については、ロバート・モラー特別検察官による調査が継続中である。トランプ大統領は、この問題の扱いが不満でFBIのジェームズ・コミー長官を解任した後、クリストファー・レイ氏を新長官に指名したが、FBIは今後も特別検察官に全面的に協力することが義務付けられており、新体制になってもトランプ大統領の思い通りにはならないだろう。
一方、政権内にあってトランプ大統領を擁護することを期待されていたセッションズ司法長官だが、ロシア疑惑にはかかわらないことを早々と宣言してしまった。セッションズ長官は大統領選挙キャンペーンにおいて重要な役割を果たし、当選後の祝賀式典ではトランプ大統領の家族とともに壇上に立つくらい功績を認められていたのだが、肝心のロシア疑惑ではお手伝いしないと宣言したのだ。トランプ氏は7月19日、自身が宿敵とみなすニューヨークタイムズ紙に、「セッションズ司法長官がロシア疑惑に関する調査から外れると知っていたら、司法長官に指名しなかった」と語っている。トランプ氏らしいが、きわめて不適切な発言であり、この発言を支持する米国人はどのくらいいるだろうか。トランプ氏はセッションズ長官の解任を検討しているとも報道されている。
時間的には前後するが、マイケル・フリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は新政権成立以前からロシアと接触していたため辞任に追い込まれ、調査の対象となっている。
政権内にあってトランプ氏を補佐している女婿のジャレッド・クシュナー氏も、また、政権外でトランプ氏の不動産業を引き継いでいる長男のドナルド・トランプ・ジュニア氏も調査の対象となっている。ロシア疑惑の関係ではまだ明確になっていないことも多々あるようだが、以上判明していることだけを見ても、トランプ政権のロシア疑惑は深刻な状況にある。
7月初め、ドイツでG20が開催された際、トランプ大統領はプーチン大統領と約2時間会談し、ウクライナ、サイバー攻撃、北朝鮮、シリアなどについて話し合い、予定を約1時間以上超過した。プーチン大統領はトランプ氏の後で会談する予定であった安倍首相をそれだけ待たせたので「謝罪する」と述べていたそうである。詳細は不明だが、実際謝罪したのだろう。
このことだけでも異例であったが、トランプ大統領はさらにメルケル首相主催の夕食会の席でも途中からプーチン大統領の席に移動して話しこんだ。
しかるに、ホワイトハウスはこの件について当初発表せず、10日以上も経った18日になってようやく明らかにし、両大統領は「短い会話」を交わしたとする声明を出したが、トランプ大統領が宿敵とみなすCNNは、「あるホワイトハウス高官が語ったところによると、夕食会での会話は1時間近く続いた」と報道した。
しかも、この時米側のロシア語通訳はおらずロシア側の通訳だけであったので、米国内ではそのような形で話し合ったことも批判された。2国間の会議では、発言はその国の通訳が訳して伝えるのが常識である。正確なコミュニケーションのためにはそうすることが必要だからだ。
また、米側では会談の記録も作成できなかった。首脳だけの会談の場合通訳のメモは正確な記録を作成するための貴重な資料である。後に、両首脳の発言内容が問題になる場合、ロシア側は記録に基づいて発言内容を主張できるが、米側はできない。これも深刻な問題である。
共和党支持者の間では72%がトランプ大統領を支持しているという調査もあるようだが、米国民全体ではトランプ大統領の支持率はすでに40%をきるところまで急落している。米連邦議会においては、共和党議員はまだトランプ大統領を支持しているが、明年には連邦議会の選挙(いわゆる中間選挙)があるので共和党にとっても懸念材料は増えているわけだ。
下院は7月25日、ロシアなどへの制裁強化法案を圧倒的多数で可決した。トランプ大統領が望んでも制裁を緩和するには議会の同意が必要とされている。つまり、議会の共和党議員はトランプ大統領を支持しつつも、ロシアとの関係では民主党議員と同様強い態度を取ることに迷いはないのだ。
スカラムーチ広報部長は就任早々、プリーバス大統領首席補佐官とバノン首席戦略官兼上級顧問の両氏を汚い言葉で非難し始め(ロイター)、プリーバス首席補佐官は解任された。セッションズ司法長官はどうなるか未定だが、近日中に結論が下されるかもしれない。
おりしも、トランプ米政権と与党共和党の指導部は7月27日、国境税の導入を見送ることを決定した。同税は、海外で生産した製品を米国に輸入して販売する企業の税負担を重くすることが目的であり、まさにトランプ氏の主張であり、下院共和党の指導部が導入を訴えてきたものだ。
翌日、上院は、医療保険制度改革法(オバマケア)について、撤廃の範囲を絞り込んだ「スキニー・リピール(ちょっとだけの廃案)」と呼ばれる廃止法案を否決した。一部共和党議員が法案に反対したためである。
トランプ大統領をめぐる状況はますます混迷を深め、予測不可能になっている。
そんななか、北朝鮮は28日深夜、またしてもICBMの発射実験を行った。この難しい問題に対して米国は賢明に、かつ有効に対処できるか。北朝鮮は最初のICBM実験の時から兆候があったが、米国の足元を見透かして大胆な行動に出ているのではないか。
2017.07.28
そして、あるジャーナリストにより現地部隊が作成した日報の開示請求が行われた(10月)のに対し、防衛省はすでに破棄されたと回答した(12月初め)。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が残っていることが判明した(12月末)。
稲田防衛相には、1月27日に防衛省の事務方である統合幕僚監部より日報のデータが残っていることが報告された。2月7日、防衛省は日報を公表した。
現地の状況をありのままに伝える日報は、自衛隊の派遣が憲法に抵触するか否かを判断する有力な資料である。公表された日報は一部黒塗りになっていたが、そこには戦闘の細かい様子や、弾薬の使用状況などが記載されていたらしい。
カギとなる「戦闘」という言葉は多数使われていた。政府はこの「戦闘」は「大規模な武力衝突」のことであるという説明をした。それであれば、憲法に抵触しないという考えだと言われていた。はたして、このような言いかえが有効か疑問の余地があるが、政府はそのように考えたのであり、ここではそれ以上論じない。
ところが、肝心の陸上自衛隊にも日報が残っていたことが判明した。どのような経緯で表に出てきたのか不明だが、陸上自衛隊は日報の扱いに元から不満であったとも言われていた。メディアがそれを察知したのは2月の10日頃であり、防衛省のトップは当然そのころには陸上自衛隊の日報の存在について報告を受けていただろう。
しかし、そうなるとこれまでの説明と矛盾が出てくる。防衛省全体の信頼性にもかかわってくる。そこで、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議した。
この前後、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを突かれていた。現在、メディアでは2月15日の会議を中心に協議の内容、さらには稲田氏の関与の程度について探求が行われている。
稲田防衛相が防衛相直属の防衛監察本部に命じた特別防衛監察は3月17日に調査を開始し、7月28日に調査結果を報告したのだが、この特別監察によっても事実関係は解明されなかった。とくに、稲田氏が、陸上自衛隊の日報を不公表とすることを了承したかについては、「そのような事実はない」と明言しているが、その前後の状況は不明としつつ、なぜ、そのような結論が得られるのか疑問を持たれている。この監察結果は総じて非常に不十分だと見られている。
本稿で指摘したい第1のことは、自衛隊の行動について調査が必要となる事態が発生した際に、どこまで真相究明ができるかであるが、今回の経緯を見ると、現在の制度では真相究明は極めて困難で、おそらく不可能だと言わざるを得ない。調査を命じた防衛相、実際に調査に当たった人たちに熱意がなかったからでなく、防衛相の直属の機関では、防衛省が隠したい事実の真相究明はできないからである。
第2には、いわゆる文民統制に問題があることも露呈された。今回は稲田氏の防衛相として統率力、さらには経験や資質も問われたが、そもそも現在の憲法が定める文民統制だけでは不十分である。
稲田氏は、いったん自衛隊が「廃棄した」と言った日報について大臣命令で調査させその存在を明らかにしたと胸を張ったが、今回の特別監察は大事な点を究明できなかった。
初期段階の日報の存在についての稲田氏への報告が一カ月以上遅れたことは重大な問題であった。新しい安保法制では自衛隊が朝鮮半島へ派遣されることもありうるが、その場合、自衛隊について大事なことが生じているのにそのように長い間報告されなければどういう事態になるか空恐ろしい気がする。報告をする、しないの問題ではすまない。国会などで議論されていることについて自衛隊内部で情報がとどめ置かれると日本国の命運にかかわる問題になる危険がある。これをふせぐには、現憲法のように「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)ことになっているから大丈夫とはとても言えないのではないか。
今回のような問題が発生する危険を防止するには、大臣だけでなく、すべての防衛省員、自衛隊員に、その行動は文民統制に違反する危険を内包していること、具体的には、たとえば、隠ぺいなどをしてはならないことなどを明確な規範として示す必要がある。本当はこの点だけでも憲法改正に値すると思うが、それはやや先走りすぎかもしれない。しかし、少なくとも法律で定めることが必要である。
自衛隊員は命がけで国の安全に努めているが、神様ではない。人であり、過ちもある。隠したがるのも自然だ。だからこそ明確な規範が必要である。
防衛省の隠ぺい工作と稲田防衛相の辞任
稲田防衛相は7月28日、辞任すると表明した。そもそもの問題は昨年夏、自衛隊のPKO部隊が派遣されていた南スーダンの状況が悪化し、自衛隊を維持することについて疑義が生じてきたことから始まり、国会では活発な議論が行われた。そして、あるジャーナリストにより現地部隊が作成した日報の開示請求が行われた(10月)のに対し、防衛省はすでに破棄されたと回答した(12月初め)。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が残っていることが判明した(12月末)。
稲田防衛相には、1月27日に防衛省の事務方である統合幕僚監部より日報のデータが残っていることが報告された。2月7日、防衛省は日報を公表した。
現地の状況をありのままに伝える日報は、自衛隊の派遣が憲法に抵触するか否かを判断する有力な資料である。公表された日報は一部黒塗りになっていたが、そこには戦闘の細かい様子や、弾薬の使用状況などが記載されていたらしい。
カギとなる「戦闘」という言葉は多数使われていた。政府はこの「戦闘」は「大規模な武力衝突」のことであるという説明をした。それであれば、憲法に抵触しないという考えだと言われていた。はたして、このような言いかえが有効か疑問の余地があるが、政府はそのように考えたのであり、ここではそれ以上論じない。
ところが、肝心の陸上自衛隊にも日報が残っていたことが判明した。どのような経緯で表に出てきたのか不明だが、陸上自衛隊は日報の扱いに元から不満であったとも言われていた。メディアがそれを察知したのは2月の10日頃であり、防衛省のトップは当然そのころには陸上自衛隊の日報の存在について報告を受けていただろう。
しかし、そうなるとこれまでの説明と矛盾が出てくる。防衛省全体の信頼性にもかかわってくる。そこで、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議した。
この前後、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを突かれていた。現在、メディアでは2月15日の会議を中心に協議の内容、さらには稲田氏の関与の程度について探求が行われている。
稲田防衛相が防衛相直属の防衛監察本部に命じた特別防衛監察は3月17日に調査を開始し、7月28日に調査結果を報告したのだが、この特別監察によっても事実関係は解明されなかった。とくに、稲田氏が、陸上自衛隊の日報を不公表とすることを了承したかについては、「そのような事実はない」と明言しているが、その前後の状況は不明としつつ、なぜ、そのような結論が得られるのか疑問を持たれている。この監察結果は総じて非常に不十分だと見られている。
本稿で指摘したい第1のことは、自衛隊の行動について調査が必要となる事態が発生した際に、どこまで真相究明ができるかであるが、今回の経緯を見ると、現在の制度では真相究明は極めて困難で、おそらく不可能だと言わざるを得ない。調査を命じた防衛相、実際に調査に当たった人たちに熱意がなかったからでなく、防衛相の直属の機関では、防衛省が隠したい事実の真相究明はできないからである。
第2には、いわゆる文民統制に問題があることも露呈された。今回は稲田氏の防衛相として統率力、さらには経験や資質も問われたが、そもそも現在の憲法が定める文民統制だけでは不十分である。
稲田氏は、いったん自衛隊が「廃棄した」と言った日報について大臣命令で調査させその存在を明らかにしたと胸を張ったが、今回の特別監察は大事な点を究明できなかった。
初期段階の日報の存在についての稲田氏への報告が一カ月以上遅れたことは重大な問題であった。新しい安保法制では自衛隊が朝鮮半島へ派遣されることもありうるが、その場合、自衛隊について大事なことが生じているのにそのように長い間報告されなければどういう事態になるか空恐ろしい気がする。報告をする、しないの問題ではすまない。国会などで議論されていることについて自衛隊内部で情報がとどめ置かれると日本国の命運にかかわる問題になる危険がある。これをふせぐには、現憲法のように「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)ことになっているから大丈夫とはとても言えないのではないか。
今回のような問題が発生する危険を防止するには、大臣だけでなく、すべての防衛省員、自衛隊員に、その行動は文民統制に違反する危険を内包していること、具体的には、たとえば、隠ぺいなどをしてはならないことなどを明確な規範として示す必要がある。本当はこの点だけでも憲法改正に値すると思うが、それはやや先走りすぎかもしれない。しかし、少なくとも法律で定めることが必要である。
自衛隊員は命がけで国の安全に努めているが、神様ではない。人であり、過ちもある。隠したがるのも自然だ。だからこそ明確な規範が必要である。
2017.06.23
「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
戦争で戦った人たち
1945年6月23日は沖縄で「組織的戦闘が終了」した日。戦って命を落とされた方々を悼んで、22年前、読売新聞に以下の一文を寄稿した。戦争で戦った人は立派だった、しかし戦争を指導した人たちは敬うべきでないという考えだ。「戦後五十年、戦争に関する議論が盛んであるが、戦死者に対する鎮魂の問題については、戦争と個人の関係をよく整理する必要がある。あくまでも個人的見解であるが、一考察してみたい。
個人の行動を評価する場合には、「戦争の犠牲」とか[殉国]などのように、戦争や国家へ貢献したかどうか、あるいは戦争や国家が個人にどんな意義をもったか、などから評価されることが多い。しかし、そのような評価の仕方は、少々考えるべき点があるのではないだろうか。
歴史的には、個人の行動に焦点を当てた評価もあった。例えば「敵ながらあっぱれ」という考えは、その戦争とは明確に区別して、個人の行動を評価している。
では、太平洋戦争末期に十五万人の民間人死者が出た沖縄戦はどうか。中でも、悲運として広く知られるひめゆり学徒隊の行動は、自分たちを守るという強い精神力に支えられたもので、何らかの見返りを期待したのでもなく、条件つきでもなかった。従って「犠牲者」のイメージで連想される弱者には似つかわしくない。勇者と呼ぶにふさわしいと思う。また、[殉国]のイメージとも違う。[殉国]型の評価は、個人が国家のために一身を捧げたとみなされており、自らを守ることについて特に評価は与えられていないのだ。
個人と国家は区別され、その個人の評価は国家に対する献身なり、貢献という角度から下されている。しかし、ひめゆり学徒隊の大部分は、自分自身も、家族も故郷も、祖国も、守るべき対象として一緒に観念していたのではないか。「犠牲者」とか[殉国者]と言うより、人間として極めて優れた行動をとったと評価されるべき場合だったと思う。
これは軍人についても同じことで、「防御ならよいが攻撃は不可」とは考えない。軍人の、刻々の状況に応じた攻撃は、何ら恥ずべきことではない。もちろん罪でもなく、任務であり、当たり前のことである。
他方、このことと戦争全体の性格、すなわち侵略的(攻撃的)か、防御的かは全く別問題である。戦争全体が侵略的であるかないかを問わず、個人の防御的な行動もあれば、攻撃的な行動もある。
さらに、局部的な戦争と戦争全体との関係もやはり区別して評価すべきである。たとえば、沖縄戦はどの角度から見ても防御であった。まさか日本側が米軍に対して攻撃した戦争と思っている人はいないだろう。他方わが国は、太平洋戦争において、侵略を行なってしまったが、防御のために沖縄戦と、侵略を行なってしまったこととの間に何ら矛盾はない。
したがって、軍人の行動を称賛すると、戦争を美化することになるといった考えは誤りであると言わざるを得ない。その行動が、敵に対する攻撃であっても同じことである。もちろん、攻撃すべてが積極的に評価できると言っているのではない。
もう一つの問題は、軍人の行動を「祖国を守るために奮闘した」との趣旨で顕彰することである。この種の顕彰文には、自分自身を守るという自然な感情が、少なくとも隠れた形になっており、個人の行動を中心に評価が行われていない。
顕彰文を例に出して、「軍人が祖国を防衛したことのみを強調するのは、あたかも戦争全体が防御的だったという印象を与え、戦争全体の侵略性を歪曲する」という趣旨の評論が一部にあるが、賛成できない。個人の行動の評価と戦争全体の評価を連動させているからである。
戦争美化と逆であるが、わが国が行った戦争を侵略であったと言うと、戦死者は「犬死に」したことになるという考えがある。これも個人と戦争全体の評価を連動させている誤った考えである。個人の行動を中心に評価するとなれば、積極的に評価できない場合も当然出てくる。
一方、戦死者は平等に弔うべきだという考えがあるが、弔いだけならいい。当然死者は皆丁重に弔うべきだ。しかし、弔いの名分の下に、死者の生前の業績に対する顕彰の要素が混入してくれば問題である。
もしそのように扱うことになれば、間違った個人の行動を客観的に評価することができなくなるのではないか。そうなれば、侵略という結果をもたらした戦争指導の誤りも、弔いとともに顕彰することになりはしないか。それでは、戦争への責任をウヤムヤにするという内外の批判に、到底耐え得ないだろう。
個人の行動を中心に評価することは洋の東西を問わず認められている、と私は信じている。ある一つの戦争を戦う二つの国民が、ともに人間として立派に行動したということは十分ありうることである。片方が攻撃、他方が防御となることが多いだろうが、双方とも人間として高く評価しうる行動をとったということは何ら不思議でない。
個人と戦争全体、国家との関係をこのように整理した上で、戦争という極限状況の中で、あくまで人間として、力の限り、立派に生きた人たちに、日本人、外国人の区別なく、崇高なる敬意を捧げたい。」
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