オピニオン
2017.08.10
問題は、派遣部隊が作成していた日報の開示が求められたのに対し、防衛省は調査の結果として、すでに破棄したと答えたことからはじまった。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が統合幕僚監部に残っていることが判明した(12月末)。このことが稲田防衛相に報告されたのは、翌年の1月末であった。
さらにその後、日報は派遣部隊の親元である陸上自衛隊にも残っていたことが判明した。そうなると、防衛省の最初の「破棄した」との説明と矛盾してくる、虚偽の回答をしたと追及される恐れもあった。発見された日報の取り扱いに苦慮した防衛省では、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議し、「不公表」とすることに決定した。しかし、後日、その経緯も外部に漏出した。
この間、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを指摘された。これに対し稲田氏は、自身が指示して徹底的に調査し、日報を公表させたとし、「シビリアン・コントロールは効いていた」と強調した(3月17日の記者会見)が、国民の納得を得ることはできなかった。
問題点は、大きく言って二つある。稲田氏の防衛相としての言動が適切であったかという問題と、現憲法が定めるシビリアン・コントロールは適切かという問題である。前者については、今後国会などにおいて解明がすすむことを期待したい。本稿では後者の制度問題を取り上げる。
まず、日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問がある。憲法9条によれば、日本には「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要もないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールの必要があるだろう。
具体的には、シビリアン・コントロールは、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって確保されていると解されている。しかし、これでシビリアン・コントロールが十分とは言えないと思う。
現憲法では、旧憲法下のように陸軍が強引に内閣を倒すことは不可能になっている。この点では改善しているのだが、次のような問題が残っている。
第1に、防衛相に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。防衛相は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても心底から仕えたい防衛相もいれば、信頼できないとみなす人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが今回の事件で露呈された。要するに、文民がトップであってもそれだけでは安心できないのである。内閣の構成員が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのだ。
第2に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛相がそれを承認しないとするのは困難なことである。たとえば、自衛隊が作戦Aで成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみる。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛相ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛相に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われた。
一方、政府の判断は多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は弱い。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることがありうる。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは異なっているところがある。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は今までは皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことでなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。
内閣改造②シビリアン・コントロール
南スーダンへの自衛隊PKO部隊の派遣は憲法の文民統制(シビリアン・コントロール)についてあらためて考える機会になった。問題は、派遣部隊が作成していた日報の開示が求められたのに対し、防衛省は調査の結果として、すでに破棄したと答えたことからはじまった。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が統合幕僚監部に残っていることが判明した(12月末)。このことが稲田防衛相に報告されたのは、翌年の1月末であった。
さらにその後、日報は派遣部隊の親元である陸上自衛隊にも残っていたことが判明した。そうなると、防衛省の最初の「破棄した」との説明と矛盾してくる、虚偽の回答をしたと追及される恐れもあった。発見された日報の取り扱いに苦慮した防衛省では、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議し、「不公表」とすることに決定した。しかし、後日、その経緯も外部に漏出した。
この間、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを指摘された。これに対し稲田氏は、自身が指示して徹底的に調査し、日報を公表させたとし、「シビリアン・コントロールは効いていた」と強調した(3月17日の記者会見)が、国民の納得を得ることはできなかった。
問題点は、大きく言って二つある。稲田氏の防衛相としての言動が適切であったかという問題と、現憲法が定めるシビリアン・コントロールは適切かという問題である。前者については、今後国会などにおいて解明がすすむことを期待したい。本稿では後者の制度問題を取り上げる。
まず、日本国憲法の下では、そもそも「シビリアン・コントロール」を論じる余地はあるのか、という疑問がある。憲法9条によれば、日本には「軍」はないので、シビリアン・コントロールの必要もないとも考えられるからである。しかし、日本は自衛のために武装した自衛隊を持っているので、やはり、シビリアン・コントロールの必要があるだろう。
具体的には、シビリアン・コントロールは、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」という規定(66条2項)によって確保されていると解されている。しかし、これでシビリアン・コントロールが十分とは言えないと思う。
現憲法では、旧憲法下のように陸軍が強引に内閣を倒すことは不可能になっている。この点では改善しているのだが、次のような問題が残っている。
第1に、防衛相に就任する人はつねに能力があるとは限らない。自衛隊を適切に監督できる人もいれば、できない人もいる。防衛相は、例えば、政治資金規正法違反の理由で刑事罰を受けるかもしれない。また、自衛隊を政治目的に濫用するかもしれない。
自衛隊から見ても心底から仕えたい防衛相もいれば、信頼できないとみなす人もいる。これらは通常、表で語られないことであるが、現実には問題になりうることが今回の事件で露呈された。要するに、文民がトップであってもそれだけでは安心できないのである。内閣の構成員が文民でなければならないのは、シビリアン・コントロールの必要条件であるが、十分条件ではないのだ。
第2に、自衛隊の主張には説得力があり、防衛相がそれを承認しないとするのは困難なことである。たとえば、自衛隊が作戦Aで成功しなかったので作戦Bが必要と主張するケースを考えてみる。政府は諸外国との関係など総合的な考慮から作戦Bを実行すべきでないと判断しても、防衛相ははたして作戦Bを不許可とできるか。理論的にはもちろんできるはずだが、実際には自衛隊は現場をよく知っており、よく考えて防衛相に上げてくるだろうからその主張には説得力がある。
また、かつての帝国軍隊の場合は、作戦を途中で変更すると、それまでの犠牲を「無駄にするのか」という議論が使われた。
一方、政府の判断は多かれ少なかれ妥協が含まれており、したがって説得力は弱い。自衛隊の考えのほうが理屈にかなっているように見えることがありうる。
しかし、それでも自衛隊の主張を退け、政府の判断に従わせなければならないことがある。これがシビリアン・コントロールであるが、単に上に立つ政府が自衛隊を押さえつけるということでなく、長い目で見ると妥協をした政府のほうが正しかったことが分かってくるのである。これは裁判の証明のようなことでないが、歴史の教訓である。
日本の憲法規定は米国に習ったものであるが、実は、日米のシビリアン・コントロールは異なっているところがある。米国ではシビリアン・コントロールはよく効いているように見えるが、実際にはシビリアン・コントロールは簡単でなく、あらゆる手段で確保に努めなければならないと認識されている。
これに比べると、日本のシビリアン・コントロールは、憲法の規定はあるが、自衛隊の海外での武力行使は今までは皆無であり、したがってまた、シビリアン・コントロールが本当に必要になる事態には立ち至ったことがなかった。つまり経験が乏しいので、シビリアン・コントロールの議論は机上の空論に陥るのである。旧憲法下では問題とすべき事例が多数あったが、旧軍のことは現在の自衛隊とはほぼ完全に切り離されており、参照すべき前例とは認識されていない。
今後どうすればよいかだが、憲法を改正して自衛隊を正規の防衛軍にするなら、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則を明記すべきだ。つまり、文民によるコントロールは人の面からの規制であり、「軍はいかなる場合でも政府の判断に従う」という原則はルールの問題であり、両方が必要である。そして、この二つの原則の下でシビリアン・コントロールが必要な諸事項、とくに、政治にかかわってくる問題について自衛隊がどこまで研究したり、主張したりできるかを法律で規定すべきである。かつて、自衛隊員が有事の場合の対応に関する法制上の欠陥について研究したことが問題視されたことがあったが、一概に否定されるべきことでなかった。それは一定程度まで、つまり、シビリアン・コントロールに反しない限度内では認められてしかるべきことであった。
さらに、制度面の措置とともに、戦前の軍による暴走とそれをコントロールできなかった政治の欠陥などを含め歴史を徹底的に見つめなおし、その結果を政府と自衛隊の在り方に反映させ、自衛隊が政府に反旗を翻すようなことはあり得ないようにする努力が必要である。
2017.07.29
トランプ大統領はメディアを攻撃し、激しく対立するので報道官はメディアからの反撃の盾になる。一般論として、メディアと報道官の間には協力関係の中にも一定の緊張関係があるが、トランプ大統領のようにメディアを激しく攻撃することはかつてなかったことであり、ホワイトハウスの報道官を務めるのは並大抵のことでない。スパイサー氏の後任にはサラ・ハッカビー・サンダース副報道官が昇格するが、どのくらい持つか。失礼なことを言うようだが、トランプ政権の場合には疑問視されても仕方がないだろう。
ロシア疑惑については、ロバート・モラー特別検察官による調査が継続中である。トランプ大統領は、この問題の扱いが不満でFBIのジェームズ・コミー長官を解任した後、クリストファー・レイ氏を新長官に指名したが、FBIは今後も特別検察官に全面的に協力することが義務付けられており、新体制になってもトランプ大統領の思い通りにはならないだろう。
一方、政権内にあってトランプ大統領を擁護することを期待されていたセッションズ司法長官だが、ロシア疑惑にはかかわらないことを早々と宣言してしまった。セッションズ長官は大統領選挙キャンペーンにおいて重要な役割を果たし、当選後の祝賀式典ではトランプ大統領の家族とともに壇上に立つくらい功績を認められていたのだが、肝心のロシア疑惑ではお手伝いしないと宣言したのだ。トランプ氏は7月19日、自身が宿敵とみなすニューヨークタイムズ紙に、「セッションズ司法長官がロシア疑惑に関する調査から外れると知っていたら、司法長官に指名しなかった」と語っている。トランプ氏らしいが、きわめて不適切な発言であり、この発言を支持する米国人はどのくらいいるだろうか。トランプ氏はセッションズ長官の解任を検討しているとも報道されている。
時間的には前後するが、マイケル・フリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は新政権成立以前からロシアと接触していたため辞任に追い込まれ、調査の対象となっている。
政権内にあってトランプ氏を補佐している女婿のジャレッド・クシュナー氏も、また、政権外でトランプ氏の不動産業を引き継いでいる長男のドナルド・トランプ・ジュニア氏も調査の対象となっている。ロシア疑惑の関係ではまだ明確になっていないことも多々あるようだが、以上判明していることだけを見ても、トランプ政権のロシア疑惑は深刻な状況にある。
7月初め、ドイツでG20が開催された際、トランプ大統領はプーチン大統領と約2時間会談し、ウクライナ、サイバー攻撃、北朝鮮、シリアなどについて話し合い、予定を約1時間以上超過した。プーチン大統領はトランプ氏の後で会談する予定であった安倍首相をそれだけ待たせたので「謝罪する」と述べていたそうである。詳細は不明だが、実際謝罪したのだろう。
このことだけでも異例であったが、トランプ大統領はさらにメルケル首相主催の夕食会の席でも途中からプーチン大統領の席に移動して話しこんだ。
しかるに、ホワイトハウスはこの件について当初発表せず、10日以上も経った18日になってようやく明らかにし、両大統領は「短い会話」を交わしたとする声明を出したが、トランプ大統領が宿敵とみなすCNNは、「あるホワイトハウス高官が語ったところによると、夕食会での会話は1時間近く続いた」と報道した。
しかも、この時米側のロシア語通訳はおらずロシア側の通訳だけであったので、米国内ではそのような形で話し合ったことも批判された。2国間の会議では、発言はその国の通訳が訳して伝えるのが常識である。正確なコミュニケーションのためにはそうすることが必要だからだ。
また、米側では会談の記録も作成できなかった。首脳だけの会談の場合通訳のメモは正確な記録を作成するための貴重な資料である。後に、両首脳の発言内容が問題になる場合、ロシア側は記録に基づいて発言内容を主張できるが、米側はできない。これも深刻な問題である。
共和党支持者の間では72%がトランプ大統領を支持しているという調査もあるようだが、米国民全体ではトランプ大統領の支持率はすでに40%をきるところまで急落している。米連邦議会においては、共和党議員はまだトランプ大統領を支持しているが、明年には連邦議会の選挙(いわゆる中間選挙)があるので共和党にとっても懸念材料は増えているわけだ。
下院は7月25日、ロシアなどへの制裁強化法案を圧倒的多数で可決した。トランプ大統領が望んでも制裁を緩和するには議会の同意が必要とされている。つまり、議会の共和党議員はトランプ大統領を支持しつつも、ロシアとの関係では民主党議員と同様強い態度を取ることに迷いはないのだ。
スカラムーチ広報部長は就任早々、プリーバス大統領首席補佐官とバノン首席戦略官兼上級顧問の両氏を汚い言葉で非難し始め(ロイター)、プリーバス首席補佐官は解任された。セッションズ司法長官はどうなるか未定だが、近日中に結論が下されるかもしれない。
おりしも、トランプ米政権と与党共和党の指導部は7月27日、国境税の導入を見送ることを決定した。同税は、海外で生産した製品を米国に輸入して販売する企業の税負担を重くすることが目的であり、まさにトランプ氏の主張であり、下院共和党の指導部が導入を訴えてきたものだ。
翌日、上院は、医療保険制度改革法(オバマケア)について、撤廃の範囲を絞り込んだ「スキニー・リピール(ちょっとだけの廃案)」と呼ばれる廃止法案を否決した。一部共和党議員が法案に反対したためである。
トランプ大統領をめぐる状況はますます混迷を深め、予測不可能になっている。
そんななか、北朝鮮は28日深夜、またしてもICBMの発射実験を行った。この難しい問題に対して米国は賢明に、かつ有効に対処できるか。北朝鮮は最初のICBM実験の時から兆候があったが、米国の足元を見透かして大胆な行動に出ているのではないか。
混迷するトランプ政権
ショーン・スパイサー報道官の辞任によりトランプ政権の混迷はさらに激しくなった。スパイサー氏は、マイケル・ドゥブケ氏が辞任して以来ホワイトハウスの広報部長も兼任していたが、後任の広報部長には7月21日、アンソニー・スカラムーチ氏が任命された。トランプ大統領はメディアを攻撃し、激しく対立するので報道官はメディアからの反撃の盾になる。一般論として、メディアと報道官の間には協力関係の中にも一定の緊張関係があるが、トランプ大統領のようにメディアを激しく攻撃することはかつてなかったことであり、ホワイトハウスの報道官を務めるのは並大抵のことでない。スパイサー氏の後任にはサラ・ハッカビー・サンダース副報道官が昇格するが、どのくらい持つか。失礼なことを言うようだが、トランプ政権の場合には疑問視されても仕方がないだろう。
ロシア疑惑については、ロバート・モラー特別検察官による調査が継続中である。トランプ大統領は、この問題の扱いが不満でFBIのジェームズ・コミー長官を解任した後、クリストファー・レイ氏を新長官に指名したが、FBIは今後も特別検察官に全面的に協力することが義務付けられており、新体制になってもトランプ大統領の思い通りにはならないだろう。
一方、政権内にあってトランプ大統領を擁護することを期待されていたセッションズ司法長官だが、ロシア疑惑にはかかわらないことを早々と宣言してしまった。セッションズ長官は大統領選挙キャンペーンにおいて重要な役割を果たし、当選後の祝賀式典ではトランプ大統領の家族とともに壇上に立つくらい功績を認められていたのだが、肝心のロシア疑惑ではお手伝いしないと宣言したのだ。トランプ氏は7月19日、自身が宿敵とみなすニューヨークタイムズ紙に、「セッションズ司法長官がロシア疑惑に関する調査から外れると知っていたら、司法長官に指名しなかった」と語っている。トランプ氏らしいが、きわめて不適切な発言であり、この発言を支持する米国人はどのくらいいるだろうか。トランプ氏はセッションズ長官の解任を検討しているとも報道されている。
時間的には前後するが、マイケル・フリン前大統領補佐官(国家安全保障問題担当)は新政権成立以前からロシアと接触していたため辞任に追い込まれ、調査の対象となっている。
政権内にあってトランプ氏を補佐している女婿のジャレッド・クシュナー氏も、また、政権外でトランプ氏の不動産業を引き継いでいる長男のドナルド・トランプ・ジュニア氏も調査の対象となっている。ロシア疑惑の関係ではまだ明確になっていないことも多々あるようだが、以上判明していることだけを見ても、トランプ政権のロシア疑惑は深刻な状況にある。
7月初め、ドイツでG20が開催された際、トランプ大統領はプーチン大統領と約2時間会談し、ウクライナ、サイバー攻撃、北朝鮮、シリアなどについて話し合い、予定を約1時間以上超過した。プーチン大統領はトランプ氏の後で会談する予定であった安倍首相をそれだけ待たせたので「謝罪する」と述べていたそうである。詳細は不明だが、実際謝罪したのだろう。
このことだけでも異例であったが、トランプ大統領はさらにメルケル首相主催の夕食会の席でも途中からプーチン大統領の席に移動して話しこんだ。
しかるに、ホワイトハウスはこの件について当初発表せず、10日以上も経った18日になってようやく明らかにし、両大統領は「短い会話」を交わしたとする声明を出したが、トランプ大統領が宿敵とみなすCNNは、「あるホワイトハウス高官が語ったところによると、夕食会での会話は1時間近く続いた」と報道した。
しかも、この時米側のロシア語通訳はおらずロシア側の通訳だけであったので、米国内ではそのような形で話し合ったことも批判された。2国間の会議では、発言はその国の通訳が訳して伝えるのが常識である。正確なコミュニケーションのためにはそうすることが必要だからだ。
また、米側では会談の記録も作成できなかった。首脳だけの会談の場合通訳のメモは正確な記録を作成するための貴重な資料である。後に、両首脳の発言内容が問題になる場合、ロシア側は記録に基づいて発言内容を主張できるが、米側はできない。これも深刻な問題である。
共和党支持者の間では72%がトランプ大統領を支持しているという調査もあるようだが、米国民全体ではトランプ大統領の支持率はすでに40%をきるところまで急落している。米連邦議会においては、共和党議員はまだトランプ大統領を支持しているが、明年には連邦議会の選挙(いわゆる中間選挙)があるので共和党にとっても懸念材料は増えているわけだ。
下院は7月25日、ロシアなどへの制裁強化法案を圧倒的多数で可決した。トランプ大統領が望んでも制裁を緩和するには議会の同意が必要とされている。つまり、議会の共和党議員はトランプ大統領を支持しつつも、ロシアとの関係では民主党議員と同様強い態度を取ることに迷いはないのだ。
スカラムーチ広報部長は就任早々、プリーバス大統領首席補佐官とバノン首席戦略官兼上級顧問の両氏を汚い言葉で非難し始め(ロイター)、プリーバス首席補佐官は解任された。セッションズ司法長官はどうなるか未定だが、近日中に結論が下されるかもしれない。
おりしも、トランプ米政権と与党共和党の指導部は7月27日、国境税の導入を見送ることを決定した。同税は、海外で生産した製品を米国に輸入して販売する企業の税負担を重くすることが目的であり、まさにトランプ氏の主張であり、下院共和党の指導部が導入を訴えてきたものだ。
翌日、上院は、医療保険制度改革法(オバマケア)について、撤廃の範囲を絞り込んだ「スキニー・リピール(ちょっとだけの廃案)」と呼ばれる廃止法案を否決した。一部共和党議員が法案に反対したためである。
トランプ大統領をめぐる状況はますます混迷を深め、予測不可能になっている。
そんななか、北朝鮮は28日深夜、またしてもICBMの発射実験を行った。この難しい問題に対して米国は賢明に、かつ有効に対処できるか。北朝鮮は最初のICBM実験の時から兆候があったが、米国の足元を見透かして大胆な行動に出ているのではないか。
2017.07.28
そして、あるジャーナリストにより現地部隊が作成した日報の開示請求が行われた(10月)のに対し、防衛省はすでに破棄されたと回答した(12月初め)。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が残っていることが判明した(12月末)。
稲田防衛相には、1月27日に防衛省の事務方である統合幕僚監部より日報のデータが残っていることが報告された。2月7日、防衛省は日報を公表した。
現地の状況をありのままに伝える日報は、自衛隊の派遣が憲法に抵触するか否かを判断する有力な資料である。公表された日報は一部黒塗りになっていたが、そこには戦闘の細かい様子や、弾薬の使用状況などが記載されていたらしい。
カギとなる「戦闘」という言葉は多数使われていた。政府はこの「戦闘」は「大規模な武力衝突」のことであるという説明をした。それであれば、憲法に抵触しないという考えだと言われていた。はたして、このような言いかえが有効か疑問の余地があるが、政府はそのように考えたのであり、ここではそれ以上論じない。
ところが、肝心の陸上自衛隊にも日報が残っていたことが判明した。どのような経緯で表に出てきたのか不明だが、陸上自衛隊は日報の扱いに元から不満であったとも言われていた。メディアがそれを察知したのは2月の10日頃であり、防衛省のトップは当然そのころには陸上自衛隊の日報の存在について報告を受けていただろう。
しかし、そうなるとこれまでの説明と矛盾が出てくる。防衛省全体の信頼性にもかかわってくる。そこで、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議した。
この前後、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを突かれていた。現在、メディアでは2月15日の会議を中心に協議の内容、さらには稲田氏の関与の程度について探求が行われている。
稲田防衛相が防衛相直属の防衛監察本部に命じた特別防衛監察は3月17日に調査を開始し、7月28日に調査結果を報告したのだが、この特別監察によっても事実関係は解明されなかった。とくに、稲田氏が、陸上自衛隊の日報を不公表とすることを了承したかについては、「そのような事実はない」と明言しているが、その前後の状況は不明としつつ、なぜ、そのような結論が得られるのか疑問を持たれている。この監察結果は総じて非常に不十分だと見られている。
本稿で指摘したい第1のことは、自衛隊の行動について調査が必要となる事態が発生した際に、どこまで真相究明ができるかであるが、今回の経緯を見ると、現在の制度では真相究明は極めて困難で、おそらく不可能だと言わざるを得ない。調査を命じた防衛相、実際に調査に当たった人たちに熱意がなかったからでなく、防衛相の直属の機関では、防衛省が隠したい事実の真相究明はできないからである。
第2には、いわゆる文民統制に問題があることも露呈された。今回は稲田氏の防衛相として統率力、さらには経験や資質も問われたが、そもそも現在の憲法が定める文民統制だけでは不十分である。
稲田氏は、いったん自衛隊が「廃棄した」と言った日報について大臣命令で調査させその存在を明らかにしたと胸を張ったが、今回の特別監察は大事な点を究明できなかった。
初期段階の日報の存在についての稲田氏への報告が一カ月以上遅れたことは重大な問題であった。新しい安保法制では自衛隊が朝鮮半島へ派遣されることもありうるが、その場合、自衛隊について大事なことが生じているのにそのように長い間報告されなければどういう事態になるか空恐ろしい気がする。報告をする、しないの問題ではすまない。国会などで議論されていることについて自衛隊内部で情報がとどめ置かれると日本国の命運にかかわる問題になる危険がある。これをふせぐには、現憲法のように「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)ことになっているから大丈夫とはとても言えないのではないか。
今回のような問題が発生する危険を防止するには、大臣だけでなく、すべての防衛省員、自衛隊員に、その行動は文民統制に違反する危険を内包していること、具体的には、たとえば、隠ぺいなどをしてはならないことなどを明確な規範として示す必要がある。本当はこの点だけでも憲法改正に値すると思うが、それはやや先走りすぎかもしれない。しかし、少なくとも法律で定めることが必要である。
自衛隊員は命がけで国の安全に努めているが、神様ではない。人であり、過ちもある。隠したがるのも自然だ。だからこそ明確な規範が必要である。
防衛省の隠ぺい工作と稲田防衛相の辞任
稲田防衛相は7月28日、辞任すると表明した。そもそもの問題は昨年夏、自衛隊のPKO部隊が派遣されていた南スーダンの状況が悪化し、自衛隊を維持することについて疑義が生じてきたことから始まり、国会では活発な議論が行われた。そして、あるジャーナリストにより現地部隊が作成した日報の開示請求が行われた(10月)のに対し、防衛省はすでに破棄されたと回答した(12月初め)。しかし、さらにある自民党議員によって再調査が求められた結果、日報が残っていることが判明した(12月末)。
稲田防衛相には、1月27日に防衛省の事務方である統合幕僚監部より日報のデータが残っていることが報告された。2月7日、防衛省は日報を公表した。
現地の状況をありのままに伝える日報は、自衛隊の派遣が憲法に抵触するか否かを判断する有力な資料である。公表された日報は一部黒塗りになっていたが、そこには戦闘の細かい様子や、弾薬の使用状況などが記載されていたらしい。
カギとなる「戦闘」という言葉は多数使われていた。政府はこの「戦闘」は「大規模な武力衝突」のことであるという説明をした。それであれば、憲法に抵触しないという考えだと言われていた。はたして、このような言いかえが有効か疑問の余地があるが、政府はそのように考えたのであり、ここではそれ以上論じない。
ところが、肝心の陸上自衛隊にも日報が残っていたことが判明した。どのような経緯で表に出てきたのか不明だが、陸上自衛隊は日報の扱いに元から不満であったとも言われていた。メディアがそれを察知したのは2月の10日頃であり、防衛省のトップは当然そのころには陸上自衛隊の日報の存在について報告を受けていただろう。
しかし、そうなるとこれまでの説明と矛盾が出てくる。防衛省全体の信頼性にもかかわってくる。そこで、2月15日、稲田防衛相、岡部陸上幕僚長、事務方トップの黒江事務次官らが出席して対応を協議した。
この前後、稲田防衛相は国会で答弁の矛盾、事実関係の説明の不明確さ、防衛省内の把握の不十分さを突かれていた。現在、メディアでは2月15日の会議を中心に協議の内容、さらには稲田氏の関与の程度について探求が行われている。
稲田防衛相が防衛相直属の防衛監察本部に命じた特別防衛監察は3月17日に調査を開始し、7月28日に調査結果を報告したのだが、この特別監察によっても事実関係は解明されなかった。とくに、稲田氏が、陸上自衛隊の日報を不公表とすることを了承したかについては、「そのような事実はない」と明言しているが、その前後の状況は不明としつつ、なぜ、そのような結論が得られるのか疑問を持たれている。この監察結果は総じて非常に不十分だと見られている。
本稿で指摘したい第1のことは、自衛隊の行動について調査が必要となる事態が発生した際に、どこまで真相究明ができるかであるが、今回の経緯を見ると、現在の制度では真相究明は極めて困難で、おそらく不可能だと言わざるを得ない。調査を命じた防衛相、実際に調査に当たった人たちに熱意がなかったからでなく、防衛相の直属の機関では、防衛省が隠したい事実の真相究明はできないからである。
第2には、いわゆる文民統制に問題があることも露呈された。今回は稲田氏の防衛相として統率力、さらには経験や資質も問われたが、そもそも現在の憲法が定める文民統制だけでは不十分である。
稲田氏は、いったん自衛隊が「廃棄した」と言った日報について大臣命令で調査させその存在を明らかにしたと胸を張ったが、今回の特別監察は大事な点を究明できなかった。
初期段階の日報の存在についての稲田氏への報告が一カ月以上遅れたことは重大な問題であった。新しい安保法制では自衛隊が朝鮮半島へ派遣されることもありうるが、その場合、自衛隊について大事なことが生じているのにそのように長い間報告されなければどういう事態になるか空恐ろしい気がする。報告をする、しないの問題ではすまない。国会などで議論されていることについて自衛隊内部で情報がとどめ置かれると日本国の命運にかかわる問題になる危険がある。これをふせぐには、現憲法のように「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」(66条2項)ことになっているから大丈夫とはとても言えないのではないか。
今回のような問題が発生する危険を防止するには、大臣だけでなく、すべての防衛省員、自衛隊員に、その行動は文民統制に違反する危険を内包していること、具体的には、たとえば、隠ぺいなどをしてはならないことなどを明確な規範として示す必要がある。本当はこの点だけでも憲法改正に値すると思うが、それはやや先走りすぎかもしれない。しかし、少なくとも法律で定めることが必要である。
自衛隊員は命がけで国の安全に努めているが、神様ではない。人であり、過ちもある。隠したがるのも自然だ。だからこそ明確な規範が必要である。
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