その他
2016.03.05
前回の2012年選挙では290の定数のうち、一発で決まった議席が225、残りは
決選投票に持ち越された。
改選前の勢力は改革派が1割、保守強硬派が4割程度。他に中道の保守穏健派や独立派があり、保守派を合わせると3分の2の多数となっていた。
中間開票結果では、ローハニ大統領を支持する改革派が躍進し、獲得議席数は保守派を凌駕する可能性が出てきている。首都テヘランでは全30議席を改革派が取った。
また、国会の選挙と同時に実施された、最高指導者の選出権限を持つ「専門家会議」(定数88)の選挙でも、改革派が大幅に伸長した。
ローハニ大統領は2013年に就任して以来国際社会との協調路線を進め、15年7月には核開発について米欧など6カ国と「最終合意」に達し、今年1月には米国とEUが制裁を解除するなど順調に歩んできた。米欧とイスラエルにはイランが本当に協調的になったか、懐疑的な見解がまだ残っているが、今回の選挙はローハニ大統領の国際協調路線がイラン国民に支持されていることを示しており、さらなる前進だ。
ISなどまだ困難な問題があるが、イランの穏健・協調的姿勢への転換は中東の政治状況にも大きな影響を与えうる。
14年前にブッシュ米大統領はイラクおよび北朝鮮とともにイランを「悪の枢軸」と呼んだが、イランはそのような姿を一新しつつあるのだ。
(短文)イランの国会選挙
2月26日、イランで実施された国会選挙の中間開票状況が発表された。イランでは一定の投票数に満たないと当選にならず、後日あらためて投票が行われる(決選投票)仕組みになっており、最終的な結果は4月以降にならないと出ないそうだ。前回の2012年選挙では290の定数のうち、一発で決まった議席が225、残りは
決選投票に持ち越された。
改選前の勢力は改革派が1割、保守強硬派が4割程度。他に中道の保守穏健派や独立派があり、保守派を合わせると3分の2の多数となっていた。
中間開票結果では、ローハニ大統領を支持する改革派が躍進し、獲得議席数は保守派を凌駕する可能性が出てきている。首都テヘランでは全30議席を改革派が取った。
また、国会の選挙と同時に実施された、最高指導者の選出権限を持つ「専門家会議」(定数88)の選挙でも、改革派が大幅に伸長した。
ローハニ大統領は2013年に就任して以来国際社会との協調路線を進め、15年7月には核開発について米欧など6カ国と「最終合意」に達し、今年1月には米国とEUが制裁を解除するなど順調に歩んできた。米欧とイスラエルにはイランが本当に協調的になったか、懐疑的な見解がまだ残っているが、今回の選挙はローハニ大統領の国際協調路線がイラン国民に支持されていることを示しており、さらなる前進だ。
ISなどまだ困難な問題があるが、イランの穏健・協調的姿勢への転換は中東の政治状況にも大きな影響を与えうる。
14年前にブッシュ米大統領はイラクおよび北朝鮮とともにイランを「悪の枢軸」と呼んだが、イランはそのような姿を一新しつつあるのだ。
2016.02.10
インドが2月6日に開いた国際観艦式では、日米など約50カ国が参加した。
インドは近年海軍を増強しており、2013年にはロシアから空母の引き渡しを受けた。中国が先にウクライナから獲得した「遼寧」号とよく似た形の飛行甲板である。また、救難飛行艇US2を日本から購入する交渉もしている。
目覚ましい経済発展を遂げ、実力が備わってきているインドとして当然のことであり、とくに、中国が海上のシルクロード建設を進めていることに対抗する点で注目される。
南シナ海については、2014年11月、クアラルンプールでのインド・ASEAN首脳会議でモディ首相は、「インドは1982年の国連海洋法条約を含め国際法に従った航行、飛行、商業の自由の尊重をASEANと共有する。 領土に関する紛争は平和的な方法で解決すべきだ。インドは南シナ海のすべての紛争当事者が行動宣言を順守し、さらに行動綱領を早期に採択するよう努力を強化することを希望する。」とASEAN寄りの発言を行った。
国民会議派中心の前連立政権時代には、中国を刺激しないよう慎重な姿勢であったのとは対照的だった。
2015年1月末、訪印したオバマ大統領とモディ首相は南シナ海問題について特別声明“US-India Joint Strategic Vision for the Asia-Pacific and Indian Ocean Region”を発表し、海洋の安全保障と南シナ海を含む全海域における航行および飛行の自由の確保の重要性を強調した。
さらに、同年10月、インド・フィリピン共同委員会の共同声明は、南シナ海のことをフィリピン側が“West Philippines Sea”と呼んだことをそのまま引用したので、一部報道はこれをもって、インドがフィリピンによる仲裁裁判への訴えを支持した意味合いがあるとコメントしたが、同声明でインド側は、“the West Philippine Sea/South China Sea dispute”と呼んでいた。つまり、インドとしてはフィリピンの使う表現を拒否はしないが、それはSouth China Sea のことだと表現しており、インドがフィリピンの仲裁裁判を支持したとまでは言えない。
しかし、そうであっても、米国の重視する航行と飛行の自由の確保にモディ首相は明確に同調しており、米国が進める、南シナ海における自由航行確保のための国際連帯には参加したと言えるだろう。
モディ首相は、習近平主席との相互訪問を実現しつつ、「一帯一路」のキャンペーンの一環としてパキスタンを始めスリランカ、バングラデシュ、ミャンマーなどへの働きかけを強める中国の動きには警戒しているのだ。モディ首相は、中国については是々非々の姿勢で臨む、中国だからと言って遠慮はしないという方針だと思われる。
以下はインド・フィリピン共同委員会の共同声明の第11項である。
Joint Statement : Third India-Philippines Joint Commission on Bilateral Cooperation
October 14, 2015
Para 11
“Secretary Del Rosario briefed Minister Swaraj on the developments in the West Philippine Sea, and the status of the Philippine arbitration case at the Permanent Court of Arbitration, in The Hague, the Netherlands. Minister Swaraj expressed support for the peaceful resolution of the West Philippine Sea/South China Sea dispute. Both sides reiterated the importance of the settlement of all disputes by peaceful means and of refraining from the threat or use of force , in accordance with universally recognised principles of international law, including the 1982 UNCLOS. The two Ministers asserted the importance of safeguarding the freedom of navigation and overflight in the South China Sea. In this regard, they reiterated the importance of an expeditious conclusion on a Code of Conduct and full and effective implementation of the 2002 Declaration of the Code of Conduct of Parties in the South China Sea.”
インドの南シナ海に対する態度
インドの海軍が15年ぶりに国際観艦式を行なったことがちょっとした話題になっている。観艦式はどの国の海軍にとっても最高の晴れ舞台であり、主要艦が次々に登場し、来賓の前を通り過ぎていく。日本の場合は首相が自衛隊の最高指揮官としてこれを観閲する。インドが2月6日に開いた国際観艦式では、日米など約50カ国が参加した。
インドは近年海軍を増強しており、2013年にはロシアから空母の引き渡しを受けた。中国が先にウクライナから獲得した「遼寧」号とよく似た形の飛行甲板である。また、救難飛行艇US2を日本から購入する交渉もしている。
目覚ましい経済発展を遂げ、実力が備わってきているインドとして当然のことであり、とくに、中国が海上のシルクロード建設を進めていることに対抗する点で注目される。
南シナ海については、2014年11月、クアラルンプールでのインド・ASEAN首脳会議でモディ首相は、「インドは1982年の国連海洋法条約を含め国際法に従った航行、飛行、商業の自由の尊重をASEANと共有する。 領土に関する紛争は平和的な方法で解決すべきだ。インドは南シナ海のすべての紛争当事者が行動宣言を順守し、さらに行動綱領を早期に採択するよう努力を強化することを希望する。」とASEAN寄りの発言を行った。
国民会議派中心の前連立政権時代には、中国を刺激しないよう慎重な姿勢であったのとは対照的だった。
2015年1月末、訪印したオバマ大統領とモディ首相は南シナ海問題について特別声明“US-India Joint Strategic Vision for the Asia-Pacific and Indian Ocean Region”を発表し、海洋の安全保障と南シナ海を含む全海域における航行および飛行の自由の確保の重要性を強調した。
さらに、同年10月、インド・フィリピン共同委員会の共同声明は、南シナ海のことをフィリピン側が“West Philippines Sea”と呼んだことをそのまま引用したので、一部報道はこれをもって、インドがフィリピンによる仲裁裁判への訴えを支持した意味合いがあるとコメントしたが、同声明でインド側は、“the West Philippine Sea/South China Sea dispute”と呼んでいた。つまり、インドとしてはフィリピンの使う表現を拒否はしないが、それはSouth China Sea のことだと表現しており、インドがフィリピンの仲裁裁判を支持したとまでは言えない。
しかし、そうであっても、米国の重視する航行と飛行の自由の確保にモディ首相は明確に同調しており、米国が進める、南シナ海における自由航行確保のための国際連帯には参加したと言えるだろう。
モディ首相は、習近平主席との相互訪問を実現しつつ、「一帯一路」のキャンペーンの一環としてパキスタンを始めスリランカ、バングラデシュ、ミャンマーなどへの働きかけを強める中国の動きには警戒しているのだ。モディ首相は、中国については是々非々の姿勢で臨む、中国だからと言って遠慮はしないという方針だと思われる。
以下はインド・フィリピン共同委員会の共同声明の第11項である。
Joint Statement : Third India-Philippines Joint Commission on Bilateral Cooperation
October 14, 2015
Para 11
“Secretary Del Rosario briefed Minister Swaraj on the developments in the West Philippine Sea, and the status of the Philippine arbitration case at the Permanent Court of Arbitration, in The Hague, the Netherlands. Minister Swaraj expressed support for the peaceful resolution of the West Philippine Sea/South China Sea dispute. Both sides reiterated the importance of the settlement of all disputes by peaceful means and of refraining from the threat or use of force , in accordance with universally recognised principles of international law, including the 1982 UNCLOS. The two Ministers asserted the importance of safeguarding the freedom of navigation and overflight in the South China Sea. In this regard, they reiterated the importance of an expeditious conclusion on a Code of Conduct and full and effective implementation of the 2002 Declaration of the Code of Conduct of Parties in the South China Sea.”
2016.02.02
最大の焦点はグエン・タン・ズン首相が新書記長に就任するか否かであり、下馬評では有力とする見方と同人には反発が強いとする見方があったが、結局ズンは新書記長にならず、近く引退することになった。
ズンはベトナムの改革開放政策「ドイモイ(刷新)」の強力な推進者であった。この政策が始められたのは1986年の第6回党大会であり、市場経済システムの導入と対外開放化が柱であった。それ以来ベトナムは各国から有望な投資先として注目されてきた。
ズンは共産党内での実務が長く、一時期ベトナム国家銀行(中央銀行 SBV)総裁を兼務し、金融システムの改革に尽力したこともあった。首相に就任したのは2007年である。
以前、ズンは「中国より」「日本嫌い」と評されたこともあった。ベトナム共産党内での行動や発言にそのように取られることがあったのかもしれないが、本当はどうだったのか、不明だ。
しかし、最近のズンは旗幟鮮明であり、2014年、中国が西沙諸島で石油開発を強行した際には、「ベトナムは主権と合法的な利権を中国との虚偽で従属的な友情と交換しない」と厳しく中国を批判する一方、米国や日本との関係を重視しつつ経済改革を強力に進めてきた。
しかし、性急な改革ドイモイの進展の裏で、貧富の差の拡大、汚職の蔓廷、官僚主義の弊害、環境破壊などのマイナス面も顕在化しており、TPPへの参加についても国内産業が打撃を受けるとして強い反対があったが、ズンはそれを押し切って参加したと言われている。まだTPPに参加することを決断できないタイとは対照的だ。
今後5年間、引き続き書記長を務めることとなったグエン・フー・チョンは、逆に中国との関係を重視し、米国との関係がよくないと言われていた。西沙諸島での石油開発についても、チョンは中国批判をためらったと噂されたことがあった。しかしチョンが2015年7月、訪米したころから米国との関係を重視する姿勢が目立ってきた。それまでベトナム共産党の書記長が訪米したことはなく、訪米すること自体歴史的な意味があった。
今回の人事で、ズンが退けられたのは、チョンがこれからのベトナムの指導者としてふさわしいと思われたというよりも、ズンが独断で突っ走るところがあるために敬遠されたからだ。チョンはすでに71歳であり、ベトナム共産党規約で定められている引退の年齢を過ぎている。再任に当たり、チョンが指導部のコンセンサス重視を強調したのも象徴的だ。
ズンは退けられたが、ズンの功績まで否定されたのではない。ズンの息子のグエン・タイン・ギは今回の人事で政治局入りした。トップ19の一人となったのだ。
ズンが首相を退任した後新しい首相に就任するのはNguyen Xuan Phuc。チョン書記長に近い人物らしい。
TPPについても既定方針通り本年6月の国会で承認される予定だ。
国家銀行総裁のNguyen Van Binhも政治局入りした。
ベトナムと中国の間で矛盾が発生するのは今後も避けがたい。そのような場合に新指導部がどのように対応するか。中国と激しく対立するのは避けたいというのが新指導部考えだが、中国寄りになると見るべきではない。
重要なことは米国と中国のバランスであり、経済発展にとって米国や日本との友好関係が不可欠であることは今後も変わらない。米国で教育を受け、ズン首相の信頼するファン・ビン・ミン外相が政治局入りしたのも米国と中国をともに重視する姿勢の表れだと見られている。
ベトナムの新指導部
ベトナム共産党第12回大会(1月21~28日)で決定された新指導部に関する内外の新聞報道や論評の要点である。最大の焦点はグエン・タン・ズン首相が新書記長に就任するか否かであり、下馬評では有力とする見方と同人には反発が強いとする見方があったが、結局ズンは新書記長にならず、近く引退することになった。
ズンはベトナムの改革開放政策「ドイモイ(刷新)」の強力な推進者であった。この政策が始められたのは1986年の第6回党大会であり、市場経済システムの導入と対外開放化が柱であった。それ以来ベトナムは各国から有望な投資先として注目されてきた。
ズンは共産党内での実務が長く、一時期ベトナム国家銀行(中央銀行 SBV)総裁を兼務し、金融システムの改革に尽力したこともあった。首相に就任したのは2007年である。
以前、ズンは「中国より」「日本嫌い」と評されたこともあった。ベトナム共産党内での行動や発言にそのように取られることがあったのかもしれないが、本当はどうだったのか、不明だ。
しかし、最近のズンは旗幟鮮明であり、2014年、中国が西沙諸島で石油開発を強行した際には、「ベトナムは主権と合法的な利権を中国との虚偽で従属的な友情と交換しない」と厳しく中国を批判する一方、米国や日本との関係を重視しつつ経済改革を強力に進めてきた。
しかし、性急な改革ドイモイの進展の裏で、貧富の差の拡大、汚職の蔓廷、官僚主義の弊害、環境破壊などのマイナス面も顕在化しており、TPPへの参加についても国内産業が打撃を受けるとして強い反対があったが、ズンはそれを押し切って参加したと言われている。まだTPPに参加することを決断できないタイとは対照的だ。
今後5年間、引き続き書記長を務めることとなったグエン・フー・チョンは、逆に中国との関係を重視し、米国との関係がよくないと言われていた。西沙諸島での石油開発についても、チョンは中国批判をためらったと噂されたことがあった。しかしチョンが2015年7月、訪米したころから米国との関係を重視する姿勢が目立ってきた。それまでベトナム共産党の書記長が訪米したことはなく、訪米すること自体歴史的な意味があった。
今回の人事で、ズンが退けられたのは、チョンがこれからのベトナムの指導者としてふさわしいと思われたというよりも、ズンが独断で突っ走るところがあるために敬遠されたからだ。チョンはすでに71歳であり、ベトナム共産党規約で定められている引退の年齢を過ぎている。再任に当たり、チョンが指導部のコンセンサス重視を強調したのも象徴的だ。
ズンは退けられたが、ズンの功績まで否定されたのではない。ズンの息子のグエン・タイン・ギは今回の人事で政治局入りした。トップ19の一人となったのだ。
ズンが首相を退任した後新しい首相に就任するのはNguyen Xuan Phuc。チョン書記長に近い人物らしい。
TPPについても既定方針通り本年6月の国会で承認される予定だ。
国家銀行総裁のNguyen Van Binhも政治局入りした。
ベトナムと中国の間で矛盾が発生するのは今後も避けがたい。そのような場合に新指導部がどのように対応するか。中国と激しく対立するのは避けたいというのが新指導部考えだが、中国寄りになると見るべきではない。
重要なことは米国と中国のバランスであり、経済発展にとって米国や日本との友好関係が不可欠であることは今後も変わらない。米国で教育を受け、ズン首相の信頼するファン・ビン・ミン外相が政治局入りしたのも米国と中国をともに重視する姿勢の表れだと見られている。
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