平和外交研究所

中国

2014.01.03

「財新」記者辞職の政治的背景

中国のメディア「財新」の龐皎明記者が辞職させられたことに関し、習近平支持者と江沢民の大番頭、曾慶紅の間で争いがあることを示唆する記事がインターネットに流され話題になっている。『財新』は、1998年に創刊された経済誌『財経』(外国から最も信頼されている中国のメディアの一つ)の創刊者の一人である胡舒立が2009年、同誌の中心メンバーとともに独立して立ち上げた新しいメディアであり、サイトの『財新網』、週刊誌の『新世紀』、月刊誌の『中国改革』が「財新グループ」を形成している。以下は2013年12月27日付の多維新聞が伝える事件のいきさつである。

「『財新』は習近平に近いと見られている。胡舒立は『財経』時代、江沢民の大番頭である曾慶紅の家族による7百億元にも上る腐敗を暴いた女傑で、彼女のことを「中国の最も危険な女性」と呼ぶ人も居るくらいである。この暴露記事のため胡舒立とその仲間は辞職を要求された。そこへ調停に入ったのが王岐山政治局常務委員で、胡舒立は王が農業信託投資公司の総経理の時から知りあいであった。結局胡舒立は『財経』を辞職することとなり、『財新』を立ち上げ、王の支持のもとに海南の雑誌『中国改革』をそのグループ吸収した。
2013年の初頭、『南方周末』の新年賀詞改ざん事件が起こったが、これが収まったのは「著名な女性報道関係者」が王岐山に頼み、胡春華(習近平の後継者候補として名高い)が調停に入ったからだと『中国改革』の前社長が中国版ツイッターで話していた。
龐皎明はもともと『中国経済時報』の記者であったが、一人っ子政策の実態を隠す政府の関与を暴く記事を書いたことで胡舒立から目をかけられていた。しかし、その後広州・武漢鉄道の資材にまつわる汚職事件を報道したため当局からにらまれて同紙にいられなくなり、『南方都市報』を経て、2011年から『財新』の記者となっていた。
龐皎明は『財新』に入ってからも鋭い記事を書き続けては当局から目をつけられ、そのたびに胡舒立の保護の下に筆名を変えて追及を逃れてきたが、結局かわせなくなり辞職することになった。」

この記事については、龐皎明記者の辞職に関するいきさつは比較的正確であろう。しかし、胡舒立と曾慶紅の争い、習近平と江沢民の関係などについては一定の関連事実はあるであろうが、このような話は中国にありがちな権力闘争にまつわることでもあり、なお今後の展開を注目する必要があると思われる。

2014.01.02

習近平主席の「深改組」組長就任

12月31日の多維新聞や1月2日の大公報などは、12月30日の政治局会議で習近平が「中央全面深化改革領導小組(「深改組」と略称)」の組長になることが決定されたことに注目している。
この小組は先の三中全会で設立が決定されたものであるので小組自体もその長も新しく、前例はないが、従来の常識からして首相が担当することになっても不思議でないと思われているらしい。習近平主席と李克強首相の間には一種の争いがあると三中全会以降ささやかれてきた経緯があるところ、今回の習近平の「深改組」組長就任はそのようなうわさが事実であることを示している。
多維新聞はさらに、習近平はこの小組だけでなく、今後設置されるいくつかの小組の組長に就任するだろうという中国内部の情報をも報道している。

2013.12.31

中国雑記 2013年末まで

○中共中央農村工作会議 12月23~24日
食の安全、農村の基本経営制度、農産品の質と量および安全、「誰が植えるか(谁来种地)、農村社会の管理の5項目が議題。農民の身分も討議。
24日付の多維新聞によれば、「連続して増産」と言わなかったのはめずらしい、今後食の安全が経済面での最大の課題となることは12月初めに開催された中央経済工作会議でも言われていた、2012年に中国の食糧自給率に重大な問題が現れていたそうである。
○中共中央政治局会議 12月30日
腐敗が主議題であった。表には出ていないが周永康関連が最大の問題か。会議の最後に《党政领导干部选拔任用工作条例》を採択。
○新華社が「軍網」サイトを開設 12月。
○三中全会後、黒竜江、浙江、甘粛省で武警の司令官が交代しており、さらに四川でも調整が行われている。

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