中国
2014.12.26
習近平は、2012年11月の中国共産党第18回全国代表大会で党主席に選出される以前から周永康政治局常務委員兼政治法政委員会書記(ナンバーワン)と令計画党中央弁公庁主任を排除する考えを固め、周到な準備を始めていた。中央弁公庁主任とは、日本で言えば、政権党の幹事長兼官房長官のような要職である。令計画は胡錦濤主席の側近であり、かつ同政権のキーマンだったのである。
この年の8月、習近平をはじめとする次期政権の指導者候補と元老は、政治局常務委員は従来の9人から7人に減らすことを決定しており、また、この決定と並行して、周永康は中央政治法政委員会書記のポストを孟建柱に譲ることに同意していた。政治法政委員会は警察、公安、検察を牛耳る強力な機構である。周永康は政治局常務委員でありながらこの委員会の書記を務めていたが、新書記である孟建柱は、政治局員であるが常務委員ではない。つまり、常務委員を9人から7人にする新決定は政治法政委員会を政治局常務委員レベルでなく、平の政治局員レベルに落とすことを意味していた。周永康が悪事を働くのに利用した同委員会の力をそぐこととなったのである。
第18回党大会の準備の過程で習近平が解決しなければならないと考えていたもう一つの問題が令計画の処分であった。同人については2012年3月に息子の令谷が女性をフェラーリに乗せて交通事故を起こして死亡し、そのことが表に出ないよう周永康に善処を依頼したことがよく引用される。しかし、それもさることながら、山西省で起こった大規模な腐敗への関与が大問題であった。山西省では令計画の兄弟を含む多数の高官や実業家が汚職の容疑で逮捕・訴追されており、令計画はその背後の黒幕と見られていた。
習近平は、同人を排除した後釜に、前貴州省書記であり7月から中央弁公庁に異動させていた栗戦書をつけたかった。しかし、周永康についても令計画についてもその処分は容易でなかった。周永康の背後には江沢民がおり、令計画は胡錦涛主席の側近だったからである。そこで、習近平は党内の元老に対し、「もし両人の処分に同意が得られないのであれば自分は後継者にならない」とまで言い切った。
この発言が事実であったか否か確かめることはできないが、元老たちの同意がなかなか得られない習近平は、9月1日に中央党校の式典に出た後公の場に出ることを拒否し自宅に引きこもってしまった。このことは広く知られた事実であった。習近平はおりから、次期主席としてヒラリー・クリントン国務長官、シンガポールのリー・シェンロン首相、デンマークのトーニングシュミット首相など外国の要人と会見する予定であったが、ドタキャンし、外電で世界に報道されたからである(たとえば9月11日AFP)。
習近平が公の場に再び姿を現したのは、元老たちが最終的に同意した後の9月15日であり、それまでの間、山東、華北などから来た革命元老の子弟と会い、支持を固めていたそうである。会った人の数は100人を超えていた。そのようなことを知らない世間では、習近平は背中の痛みがあるとか言われていた。暗殺説も出ていた。
以上が、今回の報道の概要である。元老が政治的影響力を維持しているなかで、習近平は断固とした方針で周到な準備を行ない新体制を作り上げてきたことがうかがわれる。
一方、中国で人脈はきわめて重要な意味を持つが、江沢民派、胡錦濤派などの派閥では割り切れない面がある。令計画は胡錦濤の後を継ぐ共産主義青年団(共青団)のホープであったが、栗戦書も共青団であり、今回の出来事が共青団を狙ったものとは思えない。文化大革命時に猖獗をきわめた江青(毛沢東夫人)らの四人組をもじって、令計画は江沢民につながる保守派の周永康などとともに「新四人組」と言われている。どの程度実態があるか必ずしも明らかでないが、派閥横断的である。
習近平による周永康と令計画の排除
中国共産党の統一戦線工作部長であり、全国政治協商会議副主席を兼務する令計画の取り調べが始まった。邦字紙でもかなり大きく報道されているが、台湾の中国時報は世界日報(統一教会系)を引用する形で、習近平が令計画問題にどのように対処してきたかを説明する記事を掲載している。いくつか参考になる点があるので注釈を交えてその概要を紹介する。習近平は、2012年11月の中国共産党第18回全国代表大会で党主席に選出される以前から周永康政治局常務委員兼政治法政委員会書記(ナンバーワン)と令計画党中央弁公庁主任を排除する考えを固め、周到な準備を始めていた。中央弁公庁主任とは、日本で言えば、政権党の幹事長兼官房長官のような要職である。令計画は胡錦濤主席の側近であり、かつ同政権のキーマンだったのである。
この年の8月、習近平をはじめとする次期政権の指導者候補と元老は、政治局常務委員は従来の9人から7人に減らすことを決定しており、また、この決定と並行して、周永康は中央政治法政委員会書記のポストを孟建柱に譲ることに同意していた。政治法政委員会は警察、公安、検察を牛耳る強力な機構である。周永康は政治局常務委員でありながらこの委員会の書記を務めていたが、新書記である孟建柱は、政治局員であるが常務委員ではない。つまり、常務委員を9人から7人にする新決定は政治法政委員会を政治局常務委員レベルでなく、平の政治局員レベルに落とすことを意味していた。周永康が悪事を働くのに利用した同委員会の力をそぐこととなったのである。
第18回党大会の準備の過程で習近平が解決しなければならないと考えていたもう一つの問題が令計画の処分であった。同人については2012年3月に息子の令谷が女性をフェラーリに乗せて交通事故を起こして死亡し、そのことが表に出ないよう周永康に善処を依頼したことがよく引用される。しかし、それもさることながら、山西省で起こった大規模な腐敗への関与が大問題であった。山西省では令計画の兄弟を含む多数の高官や実業家が汚職の容疑で逮捕・訴追されており、令計画はその背後の黒幕と見られていた。
習近平は、同人を排除した後釜に、前貴州省書記であり7月から中央弁公庁に異動させていた栗戦書をつけたかった。しかし、周永康についても令計画についてもその処分は容易でなかった。周永康の背後には江沢民がおり、令計画は胡錦涛主席の側近だったからである。そこで、習近平は党内の元老に対し、「もし両人の処分に同意が得られないのであれば自分は後継者にならない」とまで言い切った。
この発言が事実であったか否か確かめることはできないが、元老たちの同意がなかなか得られない習近平は、9月1日に中央党校の式典に出た後公の場に出ることを拒否し自宅に引きこもってしまった。このことは広く知られた事実であった。習近平はおりから、次期主席としてヒラリー・クリントン国務長官、シンガポールのリー・シェンロン首相、デンマークのトーニングシュミット首相など外国の要人と会見する予定であったが、ドタキャンし、外電で世界に報道されたからである(たとえば9月11日AFP)。
習近平が公の場に再び姿を現したのは、元老たちが最終的に同意した後の9月15日であり、それまでの間、山東、華北などから来た革命元老の子弟と会い、支持を固めていたそうである。会った人の数は100人を超えていた。そのようなことを知らない世間では、習近平は背中の痛みがあるとか言われていた。暗殺説も出ていた。
以上が、今回の報道の概要である。元老が政治的影響力を維持しているなかで、習近平は断固とした方針で周到な準備を行ない新体制を作り上げてきたことがうかがわれる。
一方、中国で人脈はきわめて重要な意味を持つが、江沢民派、胡錦濤派などの派閥では割り切れない面がある。令計画は胡錦濤の後を継ぐ共産主義青年団(共青団)のホープであったが、栗戦書も共青団であり、今回の出来事が共青団を狙ったものとは思えない。文化大革命時に猖獗をきわめた江青(毛沢東夫人)らの四人組をもじって、令計画は江沢民につながる保守派の周永康などとともに「新四人組」と言われている。どの程度実態があるか必ずしも明らかでないが、派閥横断的である。
2014.12.22
南沙諸島全体では約18の小島や岩礁があり、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、中国が領有権を主張している。実効支配はいずれかの国が行なっており(複数の国が行動すると衝突となる)、南沙諸島で最大の太平島は台湾が支配し、軍用飛行場を建設している。
中国が実効支配している6つの岩礁は国別ではむしろ少数であり、中国ではかねてから、南沙諸島における中国の拠点は他国に比べ弱いとみなされていた。そして最近、中国は永暑礁を拠点として強化することを決定したのであろう。滑走路のほか、港湾や海洋観測所なども建設すると見られている。
このような中国の動きはベトナムやフィリピンを刺激する。しかし中国は、2013年10月、習近平主席がASEANを訪問した際建設を提案した「海上のシルクロード」構想(本HPには11月25日アップ)を掲げてこれらの国を牽制し、また、おりしもAPECやASEANの首脳会議が相ついだため、ベトナムやフィリピンは反発する機会がなかったとも言われている。
もちろんベトナムやフィリピンが納得したわけではないが、永暑礁だけであれば大きな問題に発展しないかもしれない。中国以外の国はそれぞれ実効支配している島、岩礁で中国以上の活動をしているからである。HISジェーンズなどは、南沙諸島に関する限り中国はこれで他国と対等になるとコメントしている。しかし、これは一面的な見方である。問題は、滑走路が完成し、観測所なども建設された後に中国がどのような行動に出るか、つまり、中国の海洋戦略いかんである。
永暑礁を拠点にする中国
軍事情報会社HIS Jane’sは2014年11月末、南沙諸島内の永暑礁(フィアリィ・クロス)の衛星写真を公開し、中国が全長3千メートル、幅200~300メートルの人工島を建設中であり、南沙諸島における中国初の滑走路になる可能性が高いと報道した。この岩礁は、1988年、中国がベトナムと戦い(スプラトリー諸島海戦)手中に収めた6つの岩礁の一つである。南沙諸島全体では約18の小島や岩礁があり、台湾、フィリピン、ベトナム、マレーシア、中国が領有権を主張している。実効支配はいずれかの国が行なっており(複数の国が行動すると衝突となる)、南沙諸島で最大の太平島は台湾が支配し、軍用飛行場を建設している。
中国が実効支配している6つの岩礁は国別ではむしろ少数であり、中国ではかねてから、南沙諸島における中国の拠点は他国に比べ弱いとみなされていた。そして最近、中国は永暑礁を拠点として強化することを決定したのであろう。滑走路のほか、港湾や海洋観測所なども建設すると見られている。
このような中国の動きはベトナムやフィリピンを刺激する。しかし中国は、2013年10月、習近平主席がASEANを訪問した際建設を提案した「海上のシルクロード」構想(本HPには11月25日アップ)を掲げてこれらの国を牽制し、また、おりしもAPECやASEANの首脳会議が相ついだため、ベトナムやフィリピンは反発する機会がなかったとも言われている。
もちろんベトナムやフィリピンが納得したわけではないが、永暑礁だけであれば大きな問題に発展しないかもしれない。中国以外の国はそれぞれ実効支配している島、岩礁で中国以上の活動をしているからである。HISジェーンズなどは、南沙諸島に関する限り中国はこれで他国と対等になるとコメントしている。しかし、これは一面的な見方である。問題は、滑走路が完成し、観測所なども建設された後に中国がどのような行動に出るか、つまり、中国の海洋戦略いかんである。
2014.12.21
マカオと香港はそれぞれポルトガルと英国の植民地であったが、1990年代の後半に相次いで中国に返還され、その後50年間、現状を維持することが認められた。どちらも特別行政区となっている。しかしその行政長官は、中国政府が認めた選挙人によって選ばれるので、真に民主的な選挙を求める人たちは不満である。
マカオと香港では若干の違いもある。マカオでは返還以前から親中国系の勢力が強く、ポルトガル政府は返還よりはるか以前から実質的コントロールを失っていたことなどから、中国の統治に対する抵抗は香港には及ばない。しかし、習近平主席はマカオで香港と同様の動きが発生することを強く警戒したのであろう。中国政府が、中国本土であれ、香港であれ、マカオであれ、民社化要求が強まることに極めて神経質になっていることがうかがわれる。
習近平主席は、「一国二制度」に言及して香港やマカオが独自の制度を維持することをあらためて認めつつ、「中央政府が全面的な管轄権を有効に行使することで、特別行政区の高度な自治権が十分に保障される」「国家の主権と安全を守り、長期的な繁栄と安定を保つという根本的な趣旨をしっかり認識しなければならない」と強調した。形式的には、特別行政区の高度な自治を認めているように聞こえるが、中央政府の指示は香港やマカオで普通選挙の要求を認めない、つまり高度の自治を認めないということにもなる。香港では現実にそうなった。習近平はマカオで香港の梁振英行政長官とも会談し、香港政府と警察が実力で占拠を収束させたことについて、「勇敢に責務を果たし、情勢を好転させた」と評価したと伝えられている。中央政府の指示に従った香港政府の非民主的措置を称賛したのである。
特別行政区の自治は中央政府の管轄下にあり、その指示に従うべきである、と言うのは国家主義的であり、強権的でさえある。
なお、マカオの民主化グループは20日、行政長官と立法会(議会)の普通選挙を求めるデモをし、約100人が参加したそうである。
マカオ返還記念式典での習近平演説
マカオが中国に返還されて15年になる12月20日、同地で行われた記念式典で習近平主席は先般の香港における普通選挙要求デモのマカオへの影響を強く意識し、マカオの住民が香港と同様の行動に出ないよう牽制する趣旨の演説を行なった。マカオと香港はそれぞれポルトガルと英国の植民地であったが、1990年代の後半に相次いで中国に返還され、その後50年間、現状を維持することが認められた。どちらも特別行政区となっている。しかしその行政長官は、中国政府が認めた選挙人によって選ばれるので、真に民主的な選挙を求める人たちは不満である。
マカオと香港では若干の違いもある。マカオでは返還以前から親中国系の勢力が強く、ポルトガル政府は返還よりはるか以前から実質的コントロールを失っていたことなどから、中国の統治に対する抵抗は香港には及ばない。しかし、習近平主席はマカオで香港と同様の動きが発生することを強く警戒したのであろう。中国政府が、中国本土であれ、香港であれ、マカオであれ、民社化要求が強まることに極めて神経質になっていることがうかがわれる。
習近平主席は、「一国二制度」に言及して香港やマカオが独自の制度を維持することをあらためて認めつつ、「中央政府が全面的な管轄権を有効に行使することで、特別行政区の高度な自治権が十分に保障される」「国家の主権と安全を守り、長期的な繁栄と安定を保つという根本的な趣旨をしっかり認識しなければならない」と強調した。形式的には、特別行政区の高度な自治を認めているように聞こえるが、中央政府の指示は香港やマカオで普通選挙の要求を認めない、つまり高度の自治を認めないということにもなる。香港では現実にそうなった。習近平はマカオで香港の梁振英行政長官とも会談し、香港政府と警察が実力で占拠を収束させたことについて、「勇敢に責務を果たし、情勢を好転させた」と評価したと伝えられている。中央政府の指示に従った香港政府の非民主的措置を称賛したのである。
特別行政区の自治は中央政府の管轄下にあり、その指示に従うべきである、と言うのは国家主義的であり、強権的でさえある。
なお、マカオの民主化グループは20日、行政長官と立法会(議会)の普通選挙を求めるデモをし、約100人が参加したそうである。
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