平和外交研究所

中国

2014.12.21

マカオ返還記念式典での習近平演説

マカオが中国に返還されて15年になる12月20日、同地で行われた記念式典で習近平主席は先般の香港における普通選挙要求デモのマカオへの影響を強く意識し、マカオの住民が香港と同様の行動に出ないよう牽制する趣旨の演説を行なった。

マカオと香港はそれぞれポルトガルと英国の植民地であったが、1990年代の後半に相次いで中国に返還され、その後50年間、現状を維持することが認められた。どちらも特別行政区となっている。しかしその行政長官は、中国政府が認めた選挙人によって選ばれるので、真に民主的な選挙を求める人たちは不満である。

マカオと香港では若干の違いもある。マカオでは返還以前から親中国系の勢力が強く、ポルトガル政府は返還よりはるか以前から実質的コントロールを失っていたことなどから、中国の統治に対する抵抗は香港には及ばない。しかし、習近平主席はマカオで香港と同様の動きが発生することを強く警戒したのであろう。中国政府が、中国本土であれ、香港であれ、マカオであれ、民社化要求が強まることに極めて神経質になっていることがうかがわれる。

習近平主席は、「一国二制度」に言及して香港やマカオが独自の制度を維持することをあらためて認めつつ、「中央政府が全面的な管轄権を有効に行使することで、特別行政区の高度な自治権が十分に保障される」「国家の主権と安全を守り、長期的な繁栄と安定を保つという根本的な趣旨をしっかり認識しなければならない」と強調した。形式的には、特別行政区の高度な自治を認めているように聞こえるが、中央政府の指示は香港やマカオで普通選挙の要求を認めない、つまり高度の自治を認めないということにもなる。香港では現実にそうなった。習近平はマカオで香港の梁振英行政長官とも会談し、香港政府と警察が実力で占拠を収束させたことについて、「勇敢に責務を果たし、情勢を好転させた」と評価したと伝えられている。中央政府の指示に従った香港政府の非民主的措置を称賛したのである。
特別行政区の自治は中央政府の管轄下にあり、その指示に従うべきである、と言うのは国家主義的であり、強権的でさえある。

なお、マカオの民主化グループは20日、行政長官と立法会(議会)の普通選挙を求めるデモをし、約100人が参加したそうである。
2014.12.09

周永康の処分か雨傘革命か

「最近処分された前政治局常務委員の周永康や前中央軍事委員会副主席の徐才厚らによる不正行為と香港の雨傘革命とかけて何と解く」「心は、ともに中国の指導者を恐れさせている」とでも言いたくなるほどこれらの人の処分と雨傘革命は結びつかないが、中央社会主義学院(共産党のみならずいわゆる民主諸党派が参加する趣旨で設立されたので「統一戦線」の学院とみなされている)の王占陽教授と人民解放軍の高級軍人とがこの二つの問題をめぐって激しく論争した。12月8日の香港紙『明報』の報道を以下に紹介する。

王教授は、『環球時報』紙(人民日報傘下の通俗紙)の年次会議で、「雨傘革命はジャスミン革命(チュニジアから始まった民主化革命)と言われるが、たいしたことはない。本当に怖いのは周永康や徐才厚のように銃をもった腐敗分子である」と発言した(注 周永康は軍人でないが、公安の元締めであるのでこのように表現されてもおかしくないのであろう)。
 これに対して出席していた3人の解放軍将官から激しい反論がなされ、昼食時にも王教授は彼らに取り囲まれた。王教授によると、議論の冒頭に「ジャスミン革命はわれわれからどのくらい遠いか」という短編の映画(ビデオ?)が放映されており、香港の雨傘革命はジャスミン革命の例とみなされていた。
 王教授の発言に最初に反論したのは中国国家安全論壇副秘書長の彭光謙であり、「西側の敵対勢力は中国の内部に彼らの意見を代弁する「第五縦隊」を育成しており、ある程度の組織と社会的基礎を形成している。ジャスミン革命は、中国では爆発のきっかけ(引爆点和時機)がないだけである」と言った。また、中国国際戦略学会の高級顧問である王海運少将もそれに同意し、「ジャスミン革命の社会土壌は基本的に出来上がっている。ことが起こっても、政府や共産党を擁護する人は少なく、中国共産党を批判するだろう。このような動きは現在大手を振って前進している。
王教授はまた、「腐敗が共産党を劣化させる(変成「黒党」)。しかし、中国は大きな国なので北アフリカや中東のように簡単には倒れない、西側諸国が逆に自信をなくしている。知識分子を警戒する必要はない。かれらは秀才であり、国家にたいした影響を与えることはない。鍵は、銃をもった腐敗分子であり、それが一番怖い。周永康や徐才厚は「黒色革命」、つまり共産党を赤い党から黒い党に変質させる危険がある」と述べた。
国防大学の前研究所長の楊毅海軍少将は、これに反論して「王教授は党の傘下にある学校の教授でありながら共産党を信用していない。社会主義学院は社会主義を擁護しないか」と批判した。彭光謙は「腐敗に反対することも、ジャスミン革命に反対することもともに必要だ。腐敗に反対するとジャスミン革命を批判したり、それを止めたりすることはできないということではない」とも言った。

王占陽教授と人民解放軍の高級軍人との論争は以上である。議論としては粗い論理であり、説得力はあまりないが、彼らの関心事項が何かを示していることは明らかであろう。この論争にも中国の指導者が体制維持について強い懸念を抱いていることが示されている。

2014.12.08

周永康の処分

前政治局常務委員の周永康に対する処分が12月5日の政治局会議で決定され、周永康は党籍を剥奪された。その子分格である国務院国有資産監督管理委員会の蒋潔敏主任(閣僚級)と前中央軍事委員会副主席の徐才厚がやはり党籍剥奪の処分を受けたのは今年の6月30日であったが、その時周永康の処分は発表されず、また10月の四中全会(共産党中央委員会第4回全体会議)でも発表がなかったので、その処分に政治的な圧力がかかっているのではないかと噂されていた経緯がある。
中国政府は今次決定の前日である12月4日を憲法の日と定めていた。これにタイミングを合わせて処分を決定、発表したのは、現政権が「法治」を重視していることをアピールするのに利用したためであるという見方がある。ただし、「法治」はさる10月の四中全会の中心議題であったので、それをアピールするためであればその時に発表したほうがよかったとも思われるが、その時点では発表の用意ができていなかったのかもしれない。タイミングの点についてはどうも状況がはっきりしない。
それより深刻な問題は、周永康らが厳しく処分されたのは、彼らが問題を起こしたこともさることながら権力闘争の結果であることだ。よく指摘されているのは、周永康が、第18回党大会の開催が間近な時点で失脚した前重慶市長の薄熙来と関係が深かったことであるが、さらに周永康は江沢民の庇護下にあり、同人に対する摘発、処分に江沢民がブレーキをかけていたとも言われていた。そうかもしれない。現時点で客観的に言えることは限られているが、いずれ関連の事実が公になるものと思われる。
周永康に対する処分決定により、反腐敗運動に力を入れてきた習近平政権としてさらに大きな成果を上げたことになる。しかし、「法治」については、中共は四中全会の目玉であるかの如く扱ったが、本当にそれが貫徹されると思うチャイナ・ウォッチャーはまずいないだろう。習近平政権が「憲法の日」を制定して憲法を重視していることをアピールしようとしたとしてもその面で成果があったとは思えない。中国は、司法も含め今後も中国共産党の指導下にある。昨年の春、「七不講」として政府が公式に指示したタブーの一つが、司法の独立について論じることであった。司法についても共産党の指導が優位であることは何も変わっていないのである。

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