中国
2015.03.02
2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。
○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。
しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。
○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。
○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。
○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。
○習近平の「家訓」
習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。
中国革命功労者の親族と反腐敗運動 習近平自身の身体検査
反腐敗運動は習近平政権が成立して以来最も力を入れてきたことであり、検挙者の数などで見れば過去2年間、かなりの実績があったと言える。しかし、革命の元老の親族による国有企業を利用した私腹肥やしは、必ずしも違法でないため、退治は困難である。2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。
○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。
しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。
○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。
○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。
○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。
○習近平の「家訓」
習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。
2015.02.25
中国がこの討論会を提案したのは、安倍首相が今年中、場合によっては来る4月末に開催される予定のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)60周年記念式典で発表する可能性がある戦後70周年談話に関し、一種の牽制をする狙いと、第二次大戦の記念行事を通じて中国のグローバルな存在感を高めようとする積極的な外交目的の両面があると思われる。
安倍首相が70年談話について、「村山談話と小泉談話を全体として継承するが、キーワードについては引き継がない」との趣旨を述べていることに中国などが強く警戒していることは周知のことである。
国連での討論会で、中国の王毅外相は「過去の侵略の罪のごまかしを試みる者がいる」と演説した。これは特定の国を指すものでないと討論会後の記者会見で説明したそうだが、日本の安倍首相を指していることを疑う者はまず皆無であろう。
世界中が見ている国連は、中国が安倍首相の姿勢を懸念していることを各国にアピールする最適の場であったのだろう。安保理の常任理事国はすべて戦勝国であり、中国としては常任理事国はもちろん、その他の理事国からも理解が得られると踏んでいたものと思われる。日本の吉川大使は日本が戦後努めてきたことを説明し事実上の反論を行なった。一部の報道では、この討論会で日中両国が論争したと伝えられた。当然である。
王毅外相の発言、とくに「ごまかしを試みる者がいる」という表現はたがいに主権国として尊重しあう外交の常識に照らして問題である。ただし、表向きはどの国とも言っていないので、中国は逃げ道は残しつつ過激な表現を使ったのである。
中国は、昨年12月13日、それまで江蘇省や南京市が中心となって催してきた南京事件記念式典を、今年から「国家哀悼日」として政府による主催に格上げした(1月31日のHP)。さらに今回の国連での公開討論である。習近平政権の、とくに歴史問題をめぐる対日強硬姿勢はますます顕著である。
中国は第二次大戦の記念行事を通じてグローバルな存在感を高めようとする積極的な外交目的があるというのは、日本との戦争だけでなく、中国が関係しなかった欧州戦線での連合国の勝利をも利用しようとしていることである。ドイツとの戦勝記念を大々的に行いたいのはロシアであるが、百カ国以上の首脳に招待状を送っている。中国はそのなかに一国であるが、中国は日本との戦争とあわせて戦勝を祝おうと逆提案した。ロシアでの記念式典に出ないということではなく、従来通り参加するのであろう。それに加えて、中国は「第二次大戦」の勝利を中国の主催で、軍事パレードもして大々的に行いたいのである。具体的な方策はまだ不明であるが、来る5月のロシアでの式典ではそのような考えを強調するものと思われる。
国連での70年記念と中国の積極外交
国連安保理の議長を務める中国(2月の担当)の提案で2月23日、国連創設70年を記念して公開討論会が開かれた。中国がこの討論会を提案したのは、安倍首相が今年中、場合によっては来る4月末に開催される予定のバンドン会議(アジア・アフリカ会議)60周年記念式典で発表する可能性がある戦後70周年談話に関し、一種の牽制をする狙いと、第二次大戦の記念行事を通じて中国のグローバルな存在感を高めようとする積極的な外交目的の両面があると思われる。
安倍首相が70年談話について、「村山談話と小泉談話を全体として継承するが、キーワードについては引き継がない」との趣旨を述べていることに中国などが強く警戒していることは周知のことである。
国連での討論会で、中国の王毅外相は「過去の侵略の罪のごまかしを試みる者がいる」と演説した。これは特定の国を指すものでないと討論会後の記者会見で説明したそうだが、日本の安倍首相を指していることを疑う者はまず皆無であろう。
世界中が見ている国連は、中国が安倍首相の姿勢を懸念していることを各国にアピールする最適の場であったのだろう。安保理の常任理事国はすべて戦勝国であり、中国としては常任理事国はもちろん、その他の理事国からも理解が得られると踏んでいたものと思われる。日本の吉川大使は日本が戦後努めてきたことを説明し事実上の反論を行なった。一部の報道では、この討論会で日中両国が論争したと伝えられた。当然である。
王毅外相の発言、とくに「ごまかしを試みる者がいる」という表現はたがいに主権国として尊重しあう外交の常識に照らして問題である。ただし、表向きはどの国とも言っていないので、中国は逃げ道は残しつつ過激な表現を使ったのである。
中国は、昨年12月13日、それまで江蘇省や南京市が中心となって催してきた南京事件記念式典を、今年から「国家哀悼日」として政府による主催に格上げした(1月31日のHP)。さらに今回の国連での公開討論である。習近平政権の、とくに歴史問題をめぐる対日強硬姿勢はますます顕著である。
中国は第二次大戦の記念行事を通じてグローバルな存在感を高めようとする積極的な外交目的があるというのは、日本との戦争だけでなく、中国が関係しなかった欧州戦線での連合国の勝利をも利用しようとしていることである。ドイツとの戦勝記念を大々的に行いたいのはロシアであるが、百カ国以上の首脳に招待状を送っている。中国はそのなかに一国であるが、中国は日本との戦争とあわせて戦勝を祝おうと逆提案した。ロシアでの記念式典に出ないということではなく、従来通り参加するのであろう。それに加えて、中国は「第二次大戦」の勝利を中国の主催で、軍事パレードもして大々的に行いたいのである。具体的な方策はまだ不明であるが、来る5月のロシアでの式典ではそのような考えを強調するものと思われる。
2015.02.23
経済面では、中国が天安門事件を経て改革開放路線に復帰してから、すなわち1990年代の初頭から協力関係が目立って進展した。大型のプロジェクトが次々に実現し、現在建設中のGandhara新空港の建設に中国企業はパキスタン企業とともに参加している(設計はフランス、シンガポールなどの企業)。中国はまた、カラコルム・ハイウェイの延長・拡張、パキスタンのChashma原子力発電所の建設に協力し、原子炉も供給している。2006年には両国共同でHaier・Ruba経済特区を開設した。これは中国として初の海外における経済特区である。現在は中パ両国で貿易経済発展5カ年計画を進めている。
イランとの国境に近いグワダル(Gwadar)での深海港建設工事は中国の中東への進出の関連でとくに注目されている。計画は1993年から進められ、第1期工事は中国企業により2007年に完成し、現在第2期の工事中である。この間、2013年に中国は同港の運営権をシンガポールのPSA社から獲得した。新港の運用は2015年の4月に開始される予定である。
グワダルは1958年、元の所有者であったオマーンからパキスタンが購入した時は漁村であったが、ペルシャ湾とホルムズ海峡への海路を扼する絶好の地点にあるので港が建設され、さらに深海港に改良されているのである。
機能的には、中国の海上シルクロード建設にとって重要な拠点となっている他、同港から新疆自治区へ延びるパイプラインも建設中であり、これが完成すれば中東から中国への石油輸送のルートが海上と陸上の2本になる。ただし、陸上のルートはタリバンの影響が強い地域を経由しているので建設は順調に進展していないと言われている。
中国とパキスタンの関係に、近年アフガニスタンが絡むようになっている。アフガニスタンではタリバン政権が打倒された2001年以降も多くの地域で紛争が続き、米軍はじめ各国の部隊が安定化に努めてきたが、すでに撤退傾向になっており、米軍は2016年末までに完全撤退すると発表されている。
この間、中国は多国籍軍にはいっさい参加しなかったが、アフガニスタンと中国との関係は進展し、カルザイ前大統領は5回訪中した。2014年9月に就任したガニ新大統領はその翌月中国を訪問した。北京でアフガニスタン地域協力に関するイスタンブール・プロセス外相会議第4回会合が開かれるのに出席するのが目的であったが、アフガニスタンの新大統領として初の外国訪問が中国となった。ガニ大統領と習近平主席の会談後に発表された共同声明では、中国は、今後4年間で計20億元(約360億円)の無償援助の提供、アフガニスタンにおける鉱山や油田の開発支援、アフガニスタン技術者3千人の育成支援などが発表された。
このような状況は中国内でも驚きをもって見られるほど急激で、予想を超えるものであり、中国外交としては成果を上げた形になっているが、アフガニスタンの安定化に協力してきた諸国から見れば複雑な気持ちであろう。2001年以降、各国は重い負担を強いられ、米国は5千人近い兵士を犠牲にしながら、経済的な支援を行なってきた。今後もこれらの諸国の経済面での協力は前述のイスタンブール・プロセスのような多国間協力を中心に進められる。アフガニスタンとしては西側の協力は決定的に重要であり、弱体化しないようあらゆる努力を続ける必要がある。したがって、中国の影響力の増大にはおのずと限界があると思われる。
ガニ大統領が3月に米国を訪問するのは当然である。また、米国は就任早々のカーター国防長官をアフガニスタンへ派遣し、オバマ政権が、来年末までとしている駐留米軍の撤退期限の延長を検討していることをガニ大統領に伝えた。米国の方針変更は、アフガニスタンの状況が不安定なまま推移していることが最大の理由であろうが、中国とアフガニスタンとの関係強化も当然意識しているものと思われる。
中国にとってはアフガニスタンとの外交関係もさることながら、タリバンおよびイスラム勢力との関係も重要な問題である。タリバン政権下でアフガニスタンは新疆自治区の反政府分子の逃避先になっており、現在も過激派ウイグル人はタリバンと関係を保っている。もしアフガニスタンの情勢が悪化しタリバンの力が強くなると中国にとっての危険が増すので、中国としては新疆自治区の反政府分子をコントロールするためにもアフガニスタン政府に期待するところ大である。
今年に入ってからアフガニスタン当局は15人のウイグル人を拘束し、中国当局に引き渡した。その際、パキスタン政府がタリバン、あるいは直接でなくてもタリバンに近いパキスタンの武装グループを通じて、アフガニスタン政府と交渉に応じるよう説得するよう中国に要請したと報道されている(ロイター電2月20日)。本来はアフガニスタン政府がタリバンと交渉すればよいのであるが、それが実現しないのでアフガニスタン政府はタリバンに影響力があるパキスタン政府、さらには中国政府にも頼み込むという複雑な関係になっているわけである。
中国の「海上シルクロード」続き3
中国とパキスタンは長らく友好関係にあり、とくに、政治・軍事面では1960年代から緊密であった。両国ともインドと対立していることが背景になっている。1998年、パキスタンがインドに続いて核実験を行えたのは中国からの協力があったからである。経済面では、中国が天安門事件を経て改革開放路線に復帰してから、すなわち1990年代の初頭から協力関係が目立って進展した。大型のプロジェクトが次々に実現し、現在建設中のGandhara新空港の建設に中国企業はパキスタン企業とともに参加している(設計はフランス、シンガポールなどの企業)。中国はまた、カラコルム・ハイウェイの延長・拡張、パキスタンのChashma原子力発電所の建設に協力し、原子炉も供給している。2006年には両国共同でHaier・Ruba経済特区を開設した。これは中国として初の海外における経済特区である。現在は中パ両国で貿易経済発展5カ年計画を進めている。
イランとの国境に近いグワダル(Gwadar)での深海港建設工事は中国の中東への進出の関連でとくに注目されている。計画は1993年から進められ、第1期工事は中国企業により2007年に完成し、現在第2期の工事中である。この間、2013年に中国は同港の運営権をシンガポールのPSA社から獲得した。新港の運用は2015年の4月に開始される予定である。
グワダルは1958年、元の所有者であったオマーンからパキスタンが購入した時は漁村であったが、ペルシャ湾とホルムズ海峡への海路を扼する絶好の地点にあるので港が建設され、さらに深海港に改良されているのである。
機能的には、中国の海上シルクロード建設にとって重要な拠点となっている他、同港から新疆自治区へ延びるパイプラインも建設中であり、これが完成すれば中東から中国への石油輸送のルートが海上と陸上の2本になる。ただし、陸上のルートはタリバンの影響が強い地域を経由しているので建設は順調に進展していないと言われている。
中国とパキスタンの関係に、近年アフガニスタンが絡むようになっている。アフガニスタンではタリバン政権が打倒された2001年以降も多くの地域で紛争が続き、米軍はじめ各国の部隊が安定化に努めてきたが、すでに撤退傾向になっており、米軍は2016年末までに完全撤退すると発表されている。
この間、中国は多国籍軍にはいっさい参加しなかったが、アフガニスタンと中国との関係は進展し、カルザイ前大統領は5回訪中した。2014年9月に就任したガニ新大統領はその翌月中国を訪問した。北京でアフガニスタン地域協力に関するイスタンブール・プロセス外相会議第4回会合が開かれるのに出席するのが目的であったが、アフガニスタンの新大統領として初の外国訪問が中国となった。ガニ大統領と習近平主席の会談後に発表された共同声明では、中国は、今後4年間で計20億元(約360億円)の無償援助の提供、アフガニスタンにおける鉱山や油田の開発支援、アフガニスタン技術者3千人の育成支援などが発表された。
このような状況は中国内でも驚きをもって見られるほど急激で、予想を超えるものであり、中国外交としては成果を上げた形になっているが、アフガニスタンの安定化に協力してきた諸国から見れば複雑な気持ちであろう。2001年以降、各国は重い負担を強いられ、米国は5千人近い兵士を犠牲にしながら、経済的な支援を行なってきた。今後もこれらの諸国の経済面での協力は前述のイスタンブール・プロセスのような多国間協力を中心に進められる。アフガニスタンとしては西側の協力は決定的に重要であり、弱体化しないようあらゆる努力を続ける必要がある。したがって、中国の影響力の増大にはおのずと限界があると思われる。
ガニ大統領が3月に米国を訪問するのは当然である。また、米国は就任早々のカーター国防長官をアフガニスタンへ派遣し、オバマ政権が、来年末までとしている駐留米軍の撤退期限の延長を検討していることをガニ大統領に伝えた。米国の方針変更は、アフガニスタンの状況が不安定なまま推移していることが最大の理由であろうが、中国とアフガニスタンとの関係強化も当然意識しているものと思われる。
中国にとってはアフガニスタンとの外交関係もさることながら、タリバンおよびイスラム勢力との関係も重要な問題である。タリバン政権下でアフガニスタンは新疆自治区の反政府分子の逃避先になっており、現在も過激派ウイグル人はタリバンと関係を保っている。もしアフガニスタンの情勢が悪化しタリバンの力が強くなると中国にとっての危険が増すので、中国としては新疆自治区の反政府分子をコントロールするためにもアフガニスタン政府に期待するところ大である。
今年に入ってからアフガニスタン当局は15人のウイグル人を拘束し、中国当局に引き渡した。その際、パキスタン政府がタリバン、あるいは直接でなくてもタリバンに近いパキスタンの武装グループを通じて、アフガニスタン政府と交渉に応じるよう説得するよう中国に要請したと報道されている(ロイター電2月20日)。本来はアフガニスタン政府がタリバンと交渉すればよいのであるが、それが実現しないのでアフガニスタン政府はタリバンに影響力があるパキスタン政府、さらには中国政府にも頼み込むという複雑な関係になっているわけである。
最近の投稿
アーカイブ
- 2024年10月
- 2024年8月
- 2024年7月
- 2024年6月
- 2024年5月
- 2024年4月
- 2024年3月
- 2024年2月
- 2024年1月
- 2023年12月
- 2023年11月
- 2023年10月
- 2023年9月
- 2023年8月
- 2023年7月
- 2023年6月
- 2023年5月
- 2023年4月
- 2023年3月
- 2023年2月
- 2022年12月
- 2022年11月
- 2022年10月
- 2022年9月
- 2022年8月
- 2022年7月
- 2022年6月
- 2022年5月
- 2022年4月
- 2022年3月
- 2022年2月
- 2022年1月
- 2021年12月
- 2021年11月
- 2021年10月
- 2021年9月
- 2021年8月
- 2021年7月
- 2021年6月
- 2021年5月
- 2021年4月
- 2021年3月
- 2021年2月
- 2021年1月
- 2020年12月
- 2020年11月
- 2020年10月
- 2020年9月
- 2020年8月
- 2020年7月
- 2020年6月
- 2020年5月
- 2020年4月
- 2020年3月
- 2020年2月
- 2020年1月
- 2019年12月
- 2019年11月
- 2019年10月
- 2019年9月
- 2019年8月
- 2019年7月
- 2019年6月
- 2019年5月
- 2019年4月
- 2019年3月
- 2019年2月
- 2019年1月
- 2018年12月
- 2018年11月
- 2018年10月
- 2018年9月
- 2018年8月
- 2018年7月
- 2018年6月
- 2018年5月
- 2018年4月
- 2018年3月
- 2018年2月
- 2018年1月
- 2017年12月
- 2017年11月
- 2017年10月
- 2017年9月
- 2017年8月
- 2017年7月
- 2017年6月
- 2017年5月
- 2017年4月
- 2017年3月
- 2017年2月
- 2017年1月
- 2016年12月
- 2016年11月
- 2016年10月
- 2016年9月
- 2016年8月
- 2016年7月
- 2016年6月
- 2016年5月
- 2016年4月
- 2016年3月
- 2016年2月
- 2016年1月
- 2015年12月
- 2015年11月
- 2015年10月
- 2015年9月
- 2015年8月
- 2015年7月
- 2015年6月
- 2015年5月
- 2015年4月
- 2015年3月
- 2015年2月
- 2015年1月
- 2014年12月
- 2014年11月
- 2014年10月
- 2014年9月
- 2014年8月
- 2014年7月
- 2014年6月
- 2014年5月
- 2014年4月
- 2014年3月
- 2014年2月
- 2014年1月
- 2013年12月
- 2013年11月
- 2013年10月
- 2013年9月
- 2013年8月
- 2013年7月
- 2013年6月
- 2013年5月
- 2013年4月