中国
2015.03.20
第1の出来事は2014年3月18日に起こった学生運動である。そのきっかけとなったのは立法院(台湾の議会)での中国とのサービス貿易協定の審議であり、約300人の学生が議場になだれ込んで抗議し、議場の外では学生の行動を支持する人が万の単位で集まった。さらに学生は警察の防衛線を破って行政院にも突入した。この中で学生はひまわりをシンボルに使ったので「太陽花(ひまわり)運動」とも、また、日付を取って単に三一八とも呼ばれている。
学生の実力行動は約20日間続いた。台湾でこのように大規模な、しかも強硬手段を使った運動が起きたのは初めてであった。主な原因は、就職難で学生たちの不満が高じていたのに、馬英九政府は中国との関係を重視して中国とのサービス貿易協定を結ぼうとしたからであった。馬英九総統の支持率はそれ以前から下降傾向にあったが、この事件の結果、10%前後まで低下した。
この事件は馬英九総統を支持する中国政府にとっても衝撃的であり、4月16日、このような運動は両岸関係の平和的発展を阻害すると学生たちを批判した。しかし、この「ひまわり運動」の約半年後に、香港で「雨傘革命」と呼ばれる反政府学生運動が起きた。中国政府は学生の不満から生じたこれら反政府運動が中国国内へ影響することを強く警戒し、神経をとがらせたと思われる。
台湾ではひまわり運動から8か月後の11月29日に統一地方選挙が行われた。「直轄市長」、「県市長」以下「先住民区民代表」まで9つのカテゴリーの選挙が一斉に行われたので、「九合一」と呼ばれている。政治的にもっとも重要なのは6つの直轄市の選挙であり、台北市長は無所属の柯文哲、台北市の隣の新北市は国民党の朱立倫が当選したが、その他4つはすべて民進党候補が当選した。さらに直轄市以外のカテゴリーでも民進党候補は国民党候補を次々に破った。
台北市長選に民進党は候補を出さなかった。最初の段階では候補を出そうとしていたが、柯文哲に勝てそうもないので早々と自党候補は引っ込め、柯文哲支持に回っていたのである。また、新北市は台北市と並んで従来から国民党が強いところであるが、民進党候補はもう少しで当選するところまで国民党候補を追い上げた。「九合一」は民進党の大勝利であったと言われている。
台北市長になった柯文哲は救急医療・臓器移植の権威である台湾大学教授であり、政治の世界では無名の人物であった。ところが選挙戦が進むにつれ、本命候補と目されていた国民党の連勝文より人気が集まっていることが世論調査で判明した。連勝文は国民党名誉主席・連戦の息子で金も地位も知名度もあったが、評判は上がらなかった。あわてた国民党は、柯文哲の家庭は「青山」という日本名を持っていたことなどを口実に個人攻撃したのでますます票を失ったそうである。
ともかく、柯文哲の圧勝は大多数の人の予想をはるかに超えるものであり、同人について、顔つきはごく普通、髪型はバサバサ、コミュニケーションがよくできないなどいろいろと言われた。映画俳優然とした馬英九とは正反対のキャラであるが、それが受けたとも言われている。なお、柯文哲の立候補には夫人の陳佩琪の働きも大きかった。彼女も台北市ではよく知られ、尊敬されている小児科の専門医である。
柯文哲市長の個性を示すエピソードがいくつかある。一つは歯に衣着せず発言することで、ある時外国からの訪問客が贈り物をしたところ、「こんな安物はいらない」と言ってすぐ処分したそうだ。新市政府で柯文哲は、「能力があるものを登用するのは当然、なければやめてもらう」と公言し、いわゆる外省人も要職に登用している。台湾では外省人と本省人、すなわち台湾人との区別は今でも大きな意味があるが、そのようなことには重きを置かないようである。
それでも台湾人にとって柯文哲は愛すべき市長である。さる2月28日、いわゆる二二八事件(国民党軍が台湾に来て多数の台湾人を虐殺した)記念式典での演説は、涙で何回も中断された。講演が終わって臨席の馬英九総統が握手を求めたが、応じなかった。彼は柯P(カーピーと発音する)と親しみと尊敬をこめて呼ばれている。PはPhD、つまり博士であり、さしずめ「柯博士さん」といったところか。
就任してまだ3か月そこそこであり、行政能力を判断するには早すぎるかもしれないが、同人の特色ある仕事ぶりは目立っている。能力優先であることは前述した。さらに、服務規律に厳しく、公務につく者は任命から1か月以内に財産を公表すること、勤務場所以外への移動と接待については1週間以内に申告すること、講演なども報告することなど細かく指示しており、柯文哲市長は透明性を重視すると評判になっている。申し分のない滑り出しである。
柯文哲市長について長々と書いたのは、台湾では、国民党対民進党というこれまでの図式だけでは政治状況を語れなくなっているからである。
民進党は「九合一」選挙で大勝したが、投票率では国民党をわずかに上回った程度であった。ひまわり運動が起こったのは、厳しい経済状況の中にありながら、馬英九政府が台湾人の気持ちを無視して中国との関係を進めようとしたからであり、必ずしも民進党に支持が移ったのではなかった。将来、様々な事情で風向きが変われば、国民党が議席を奪い返すことは十分ありうる。台湾は日本と同様小選挙区制であり、風向きが変わると全体の支持率以上に議席が動く。
民進党には功罪両面がある。陳水扁総統の下での8年間、行政能力に欠ける(経験がないためであったが)ことが明らかになり、また、中国による民進党敵視政策も手伝って同党の評価は急落し、皮肉にも国民党復権のおぜん立てをする結果になった。
しかし、民進党は総崩れになったのではなかった。党首蔡英文は、2012年の選挙で馬英九に敗れたが、その後も党内の支持を失わず、同党首の下で党勢の回復はかなり進み、今回の「九合一」選挙では民進党が国民党に勝利した。とくに台湾南部では民進党の勢力は強く、高雄市の陳菊市長などはライバルを寄せ付けない女傑である。
2016年1月16日実施と決定された次期総統選挙では、馬英九の後をついで国民党の新党首となった朱立倫が立候補を決断すればチャンスがあるという見方もあるが、大多数の見方は蔡英文の勝利である。
他方、民進党はいくつかの弱点を抱えている。政党としての組織力ではまだ国民党に遠く及ばない。民進党内部は蔡英文党首を中心に結束しているとは言い難い状況もある。
また、蔡英文は前回の総統選挙で、中国との関係についての立場が明確でない、台湾独立を目指すかもしれないというイメージを持たれ、米国からも警戒されて敗北した。現在、蔡英文は中国との関係について「現状維持」をしきりに強調している。これであれば、台湾の国民は、非民進党系をふくめて安心できる。
しかし、中国との関係は複雑であり、蔡英文が総統になれば中国は馬英九時代にはなかった態度を取る可能性があり、そうなると「現状維持」を標榜しているだけではすまなくなるとの指摘もある。また、中国が意図的に蔡英文の障害とならなくても、中国との経済関係が悪くなると国民の支持は民進党から離れていく。
一方、国民党は今回の敗北で明らかになった党勢頽廃から立ち直れるか。同党の強みである組織力は依然として健在であり、選挙での大敗の原因、国民の支持を失った原因の究明と党勢の立て直しに懸命である。一つの大きな問題は馬英九の失政の評価であり、馬英九と国民党は等号ではない。朱立倫党首が馬英九色を脱し、かつ、台湾人の民意を吸い上げることができれば、国民党が復権する可能性はある。
しかし、国民党にとってさらに大きな問題がある。歴史的に見ていく必要があるが、国民党は元来大陸を武力ででも回復するということを国家目標としており、それは国民が何と言おうと変わらない国家綱領であった。戒厳令が解除されたのは1987年である。しかし、このような国家目標は国民党の主体的判断だけでなく米国との関係でも放棄せざるを得なかった。米国が中国と国交を樹立した際、中国による台湾の武力統一を許さないという約束を米国から取り付けたが、台湾が武力で大陸を回復する可能性もなくなったのである。
しかしそうなると国民党にとっても台湾人の民意を吸収して政治に反映できるかということが従来に増して大きな問題となった。つまり、国家目標が武力による大陸制圧から、他国と同様国民の福祉実現に変わったのである。しかし、民進党政権下で国家目標がさらに変化し、台湾独立に近くなったのではないかという疑念が持たれ、事態は複雑化して同政権は退場した。
そこで出てきた国民党の馬英九は、台湾の揺れを独立寄りから戻して中国との関係重視に向かい、それに伴い国民の願望を軽視しているという反発を受けた。
では朱立倫は何を目標として党勢を立て直せるか。かりに台湾の現状維持を中間、台湾の独立を左、中国との統一は右とすれば、国民党の目指す方向は現状維持でなく、右半分の中にある、右の中のどのくらいのところかは別として、右にあることは間違いない。それで台湾人の心を取り戻せるかということである。世論調査によれば、「中国人でなく、台湾人だ」という意識を持つ国民が増え、7割に達している。大多数の国民は中国との関係を進めたくないのであり、彼らの心は左半分にある。
つまり、国民党としては、「現状維持」は言えないが、国民の民意は重視せざるをえないという大変なジレンマを抱えているのであり、それは国民党にとってボディーブローとなって利いてくるのではないかと思われてならない。
過去1年に起こった変化は、民進党と国民党にはそれぞれ強いところも弱いところもあること、また、台湾の国民は民進党と国民党の間を行ったり来たりするだけではないということをさらけ出す結果になった。平たく言えば、どちらの党にも満足できない人たちが増えているのである。
柯文哲が無所属で選挙を戦い、勝利したことはそのような新しい情勢を象徴的に表している。民進党は柯文哲を支持し、国民党は敗れたが、柯文哲は民進党でなく、同党寄りと見ることさえ適当でない。同人は二二八記念には人前で涙を流す台湾人であり、また「九合一」選挙において民進党の協力を得たのでそれなりに借りを作っているだろうが、基本的には、党派より能力を優先させる人物である。台湾人か外省人かを問わず仕事ができる者は使うというドライな姿勢に彼の特性が表れている。
台湾にはすでに国民党と民進党以外の小政党ができているが、それらは問題でなく、注目されているのは党派の別を超える勢いを示している柯文哲であり、国民は同人を「第三の勢力」として見始めている。台湾のテレビでは「第三の勢力」と「素人政治」という言葉が連日飛び交っている。
もっとも、「第三の勢力」が民進党や国民党に比較できるくらい組織的にまとまっているのでないことは明らかである。この言葉は国民党や民進党のように既存の政党には満足できない勢力があることの象徴として使われているにすぎないかもしれない。それ以上になりうるか。もう少し時間をかけて見ていく必要がある。
当面の問題は2016年1月の総統選挙である。第三の候補は出るかもしれないが、実質的には民進党と国民党の戦いになる。今後の台湾にとって重要なことは経済問題であり、また中国との関係である。いずれについても不確定要因があり、見通しは不透明である。そのような状況の中で、一介の市長であるが、国民的人気があり、党派を超える勢いのある柯文哲の動静は台湾の国政にも影響するのではないかと注目されている。
台湾に第3の政治勢力が生まれつつあるか?
3月16日から19日まで台北に滞在した。前回訪問した1年半前と比べ台湾は大きく変化していた。以下は台湾の変化を大づかみに描写した試論である。第1の出来事は2014年3月18日に起こった学生運動である。そのきっかけとなったのは立法院(台湾の議会)での中国とのサービス貿易協定の審議であり、約300人の学生が議場になだれ込んで抗議し、議場の外では学生の行動を支持する人が万の単位で集まった。さらに学生は警察の防衛線を破って行政院にも突入した。この中で学生はひまわりをシンボルに使ったので「太陽花(ひまわり)運動」とも、また、日付を取って単に三一八とも呼ばれている。
学生の実力行動は約20日間続いた。台湾でこのように大規模な、しかも強硬手段を使った運動が起きたのは初めてであった。主な原因は、就職難で学生たちの不満が高じていたのに、馬英九政府は中国との関係を重視して中国とのサービス貿易協定を結ぼうとしたからであった。馬英九総統の支持率はそれ以前から下降傾向にあったが、この事件の結果、10%前後まで低下した。
この事件は馬英九総統を支持する中国政府にとっても衝撃的であり、4月16日、このような運動は両岸関係の平和的発展を阻害すると学生たちを批判した。しかし、この「ひまわり運動」の約半年後に、香港で「雨傘革命」と呼ばれる反政府学生運動が起きた。中国政府は学生の不満から生じたこれら反政府運動が中国国内へ影響することを強く警戒し、神経をとがらせたと思われる。
台湾ではひまわり運動から8か月後の11月29日に統一地方選挙が行われた。「直轄市長」、「県市長」以下「先住民区民代表」まで9つのカテゴリーの選挙が一斉に行われたので、「九合一」と呼ばれている。政治的にもっとも重要なのは6つの直轄市の選挙であり、台北市長は無所属の柯文哲、台北市の隣の新北市は国民党の朱立倫が当選したが、その他4つはすべて民進党候補が当選した。さらに直轄市以外のカテゴリーでも民進党候補は国民党候補を次々に破った。
台北市長選に民進党は候補を出さなかった。最初の段階では候補を出そうとしていたが、柯文哲に勝てそうもないので早々と自党候補は引っ込め、柯文哲支持に回っていたのである。また、新北市は台北市と並んで従来から国民党が強いところであるが、民進党候補はもう少しで当選するところまで国民党候補を追い上げた。「九合一」は民進党の大勝利であったと言われている。
台北市長になった柯文哲は救急医療・臓器移植の権威である台湾大学教授であり、政治の世界では無名の人物であった。ところが選挙戦が進むにつれ、本命候補と目されていた国民党の連勝文より人気が集まっていることが世論調査で判明した。連勝文は国民党名誉主席・連戦の息子で金も地位も知名度もあったが、評判は上がらなかった。あわてた国民党は、柯文哲の家庭は「青山」という日本名を持っていたことなどを口実に個人攻撃したのでますます票を失ったそうである。
ともかく、柯文哲の圧勝は大多数の人の予想をはるかに超えるものであり、同人について、顔つきはごく普通、髪型はバサバサ、コミュニケーションがよくできないなどいろいろと言われた。映画俳優然とした馬英九とは正反対のキャラであるが、それが受けたとも言われている。なお、柯文哲の立候補には夫人の陳佩琪の働きも大きかった。彼女も台北市ではよく知られ、尊敬されている小児科の専門医である。
柯文哲市長の個性を示すエピソードがいくつかある。一つは歯に衣着せず発言することで、ある時外国からの訪問客が贈り物をしたところ、「こんな安物はいらない」と言ってすぐ処分したそうだ。新市政府で柯文哲は、「能力があるものを登用するのは当然、なければやめてもらう」と公言し、いわゆる外省人も要職に登用している。台湾では外省人と本省人、すなわち台湾人との区別は今でも大きな意味があるが、そのようなことには重きを置かないようである。
それでも台湾人にとって柯文哲は愛すべき市長である。さる2月28日、いわゆる二二八事件(国民党軍が台湾に来て多数の台湾人を虐殺した)記念式典での演説は、涙で何回も中断された。講演が終わって臨席の馬英九総統が握手を求めたが、応じなかった。彼は柯P(カーピーと発音する)と親しみと尊敬をこめて呼ばれている。PはPhD、つまり博士であり、さしずめ「柯博士さん」といったところか。
就任してまだ3か月そこそこであり、行政能力を判断するには早すぎるかもしれないが、同人の特色ある仕事ぶりは目立っている。能力優先であることは前述した。さらに、服務規律に厳しく、公務につく者は任命から1か月以内に財産を公表すること、勤務場所以外への移動と接待については1週間以内に申告すること、講演なども報告することなど細かく指示しており、柯文哲市長は透明性を重視すると評判になっている。申し分のない滑り出しである。
柯文哲市長について長々と書いたのは、台湾では、国民党対民進党というこれまでの図式だけでは政治状況を語れなくなっているからである。
民進党は「九合一」選挙で大勝したが、投票率では国民党をわずかに上回った程度であった。ひまわり運動が起こったのは、厳しい経済状況の中にありながら、馬英九政府が台湾人の気持ちを無視して中国との関係を進めようとしたからであり、必ずしも民進党に支持が移ったのではなかった。将来、様々な事情で風向きが変われば、国民党が議席を奪い返すことは十分ありうる。台湾は日本と同様小選挙区制であり、風向きが変わると全体の支持率以上に議席が動く。
民進党には功罪両面がある。陳水扁総統の下での8年間、行政能力に欠ける(経験がないためであったが)ことが明らかになり、また、中国による民進党敵視政策も手伝って同党の評価は急落し、皮肉にも国民党復権のおぜん立てをする結果になった。
しかし、民進党は総崩れになったのではなかった。党首蔡英文は、2012年の選挙で馬英九に敗れたが、その後も党内の支持を失わず、同党首の下で党勢の回復はかなり進み、今回の「九合一」選挙では民進党が国民党に勝利した。とくに台湾南部では民進党の勢力は強く、高雄市の陳菊市長などはライバルを寄せ付けない女傑である。
2016年1月16日実施と決定された次期総統選挙では、馬英九の後をついで国民党の新党首となった朱立倫が立候補を決断すればチャンスがあるという見方もあるが、大多数の見方は蔡英文の勝利である。
他方、民進党はいくつかの弱点を抱えている。政党としての組織力ではまだ国民党に遠く及ばない。民進党内部は蔡英文党首を中心に結束しているとは言い難い状況もある。
また、蔡英文は前回の総統選挙で、中国との関係についての立場が明確でない、台湾独立を目指すかもしれないというイメージを持たれ、米国からも警戒されて敗北した。現在、蔡英文は中国との関係について「現状維持」をしきりに強調している。これであれば、台湾の国民は、非民進党系をふくめて安心できる。
しかし、中国との関係は複雑であり、蔡英文が総統になれば中国は馬英九時代にはなかった態度を取る可能性があり、そうなると「現状維持」を標榜しているだけではすまなくなるとの指摘もある。また、中国が意図的に蔡英文の障害とならなくても、中国との経済関係が悪くなると国民の支持は民進党から離れていく。
一方、国民党は今回の敗北で明らかになった党勢頽廃から立ち直れるか。同党の強みである組織力は依然として健在であり、選挙での大敗の原因、国民の支持を失った原因の究明と党勢の立て直しに懸命である。一つの大きな問題は馬英九の失政の評価であり、馬英九と国民党は等号ではない。朱立倫党首が馬英九色を脱し、かつ、台湾人の民意を吸い上げることができれば、国民党が復権する可能性はある。
しかし、国民党にとってさらに大きな問題がある。歴史的に見ていく必要があるが、国民党は元来大陸を武力ででも回復するということを国家目標としており、それは国民が何と言おうと変わらない国家綱領であった。戒厳令が解除されたのは1987年である。しかし、このような国家目標は国民党の主体的判断だけでなく米国との関係でも放棄せざるを得なかった。米国が中国と国交を樹立した際、中国による台湾の武力統一を許さないという約束を米国から取り付けたが、台湾が武力で大陸を回復する可能性もなくなったのである。
しかしそうなると国民党にとっても台湾人の民意を吸収して政治に反映できるかということが従来に増して大きな問題となった。つまり、国家目標が武力による大陸制圧から、他国と同様国民の福祉実現に変わったのである。しかし、民進党政権下で国家目標がさらに変化し、台湾独立に近くなったのではないかという疑念が持たれ、事態は複雑化して同政権は退場した。
そこで出てきた国民党の馬英九は、台湾の揺れを独立寄りから戻して中国との関係重視に向かい、それに伴い国民の願望を軽視しているという反発を受けた。
では朱立倫は何を目標として党勢を立て直せるか。かりに台湾の現状維持を中間、台湾の独立を左、中国との統一は右とすれば、国民党の目指す方向は現状維持でなく、右半分の中にある、右の中のどのくらいのところかは別として、右にあることは間違いない。それで台湾人の心を取り戻せるかということである。世論調査によれば、「中国人でなく、台湾人だ」という意識を持つ国民が増え、7割に達している。大多数の国民は中国との関係を進めたくないのであり、彼らの心は左半分にある。
つまり、国民党としては、「現状維持」は言えないが、国民の民意は重視せざるをえないという大変なジレンマを抱えているのであり、それは国民党にとってボディーブローとなって利いてくるのではないかと思われてならない。
過去1年に起こった変化は、民進党と国民党にはそれぞれ強いところも弱いところもあること、また、台湾の国民は民進党と国民党の間を行ったり来たりするだけではないということをさらけ出す結果になった。平たく言えば、どちらの党にも満足できない人たちが増えているのである。
柯文哲が無所属で選挙を戦い、勝利したことはそのような新しい情勢を象徴的に表している。民進党は柯文哲を支持し、国民党は敗れたが、柯文哲は民進党でなく、同党寄りと見ることさえ適当でない。同人は二二八記念には人前で涙を流す台湾人であり、また「九合一」選挙において民進党の協力を得たのでそれなりに借りを作っているだろうが、基本的には、党派より能力を優先させる人物である。台湾人か外省人かを問わず仕事ができる者は使うというドライな姿勢に彼の特性が表れている。
台湾にはすでに国民党と民進党以外の小政党ができているが、それらは問題でなく、注目されているのは党派の別を超える勢いを示している柯文哲であり、国民は同人を「第三の勢力」として見始めている。台湾のテレビでは「第三の勢力」と「素人政治」という言葉が連日飛び交っている。
もっとも、「第三の勢力」が民進党や国民党に比較できるくらい組織的にまとまっているのでないことは明らかである。この言葉は国民党や民進党のように既存の政党には満足できない勢力があることの象徴として使われているにすぎないかもしれない。それ以上になりうるか。もう少し時間をかけて見ていく必要がある。
当面の問題は2016年1月の総統選挙である。第三の候補は出るかもしれないが、実質的には民進党と国民党の戦いになる。今後の台湾にとって重要なことは経済問題であり、また中国との関係である。いずれについても不確定要因があり、見通しは不透明である。そのような状況の中で、一介の市長であるが、国民的人気があり、党派を超える勢いのある柯文哲の動静は台湾の国政にも影響するのではないかと注目されている。
2015.03.11
①軍のトップから末端に至るあらゆるレベルで、軍人は共産党員である政治委員と指揮権を共有している。近年政治委員に軍事を習得させる努力をしてはいるが、実戦段階での指揮権共有は困難な事態をもたらす。
②中国軍は伝統的に陸軍中心である。軍人の数では陸72%、海10%、空17%と陸が圧倒的である。2013年11月に3軍の格を同じレベルにするため人民解放軍の編成替えが発表されたが、まだ具体化されていない。実行されれば権力や地位を失う者が強く抵抗するからであり、統一した指揮系統を実現するには数年はかかるだろう。
③非戦闘要員の数が過大である。160万人の陸上戦力のうち85万人が国境警備・教育訓練など非戦闘部署に配備されている。また、全国に地域ごとの軍区を置くのは交通や通信が発達していなかったときに必要であったからであり、時代遅れである。地方の軍区は中央の軍事委員会・国防部と地方政府の二重指導を受ける。この制度を改善すれば、軍人の数を大幅に減らせる。
④指揮官や参謀も実戦経験が不足しており、将官クラスから訓練が必要である。
⑤作戦の基本となる大隊レベルで参謀が不足し、配下の部隊を有効・有機的に使用する能力が不足している。
⑥下士官の訓練が不足している。10年ほど前に士官級指揮官を補佐する下士官を養成する計画を始めたがまだ実績があがっていない。
⑦様々な世代の兵器体系の併存しているため、相互連携が困難である。
⑧訓練にも問題があり、実戦さながらの訓練がなかなか行われず、形式的・デモンストレーションとしての訓練が多い。
⑨空軍の対地上支援能力は依然開発段階にあり、実際にはまだ機能しない。
⑩士気が低い軍人が多く、軍を食い物にしてよい生活をしようとしている。
以上の分析に基づきDennis Blaskoはつぎのような結論を導いている。
○中国軍は予算を増加し武器の近代化を図っているが、諸軍種の統合強化が実際に効果を発揮するようになるのは今世紀の中葉くらいであると中国軍の指導者は見ているようだ。
○中国軍はアグレッシブな印象が強いが、以上の弱点を認識している軍の指導者はイメージと異なり軍事行動には慎重な態度を取る公算が大である。
○東シナ海、尖閣諸島海域で海軍の船舶でなく、海警が前面に出て行動しているのも軍の弱点と関係がある。
○それでも共産党が決定したなら、軍は戦闘行動を起こすであろう。迅速に勝利する作戦に出るだろうが、同時に持久戦にも備えるであろう。中国軍が勝つ可能性は一概には言えず、いつ、どこで戦闘が行われるかにより左右される。
中国軍の弱点‐米軍事研究家の分析
米国の中国軍研究家(元在中国米大使館付武官)、Dennis Blaskoは、軍事外交政策に関する論壇サイト、War on the Rocksに、中国軍は予算を増強し、兵器の近代化に努めているが、現状では次のような弱点があると指摘している。この論文は、多維新聞など中国ウォッチャーの間ではかなり広く注目されているようである。①軍のトップから末端に至るあらゆるレベルで、軍人は共産党員である政治委員と指揮権を共有している。近年政治委員に軍事を習得させる努力をしてはいるが、実戦段階での指揮権共有は困難な事態をもたらす。
②中国軍は伝統的に陸軍中心である。軍人の数では陸72%、海10%、空17%と陸が圧倒的である。2013年11月に3軍の格を同じレベルにするため人民解放軍の編成替えが発表されたが、まだ具体化されていない。実行されれば権力や地位を失う者が強く抵抗するからであり、統一した指揮系統を実現するには数年はかかるだろう。
③非戦闘要員の数が過大である。160万人の陸上戦力のうち85万人が国境警備・教育訓練など非戦闘部署に配備されている。また、全国に地域ごとの軍区を置くのは交通や通信が発達していなかったときに必要であったからであり、時代遅れである。地方の軍区は中央の軍事委員会・国防部と地方政府の二重指導を受ける。この制度を改善すれば、軍人の数を大幅に減らせる。
④指揮官や参謀も実戦経験が不足しており、将官クラスから訓練が必要である。
⑤作戦の基本となる大隊レベルで参謀が不足し、配下の部隊を有効・有機的に使用する能力が不足している。
⑥下士官の訓練が不足している。10年ほど前に士官級指揮官を補佐する下士官を養成する計画を始めたがまだ実績があがっていない。
⑦様々な世代の兵器体系の併存しているため、相互連携が困難である。
⑧訓練にも問題があり、実戦さながらの訓練がなかなか行われず、形式的・デモンストレーションとしての訓練が多い。
⑨空軍の対地上支援能力は依然開発段階にあり、実際にはまだ機能しない。
⑩士気が低い軍人が多く、軍を食い物にしてよい生活をしようとしている。
以上の分析に基づきDennis Blaskoはつぎのような結論を導いている。
○中国軍は予算を増加し武器の近代化を図っているが、諸軍種の統合強化が実際に効果を発揮するようになるのは今世紀の中葉くらいであると中国軍の指導者は見ているようだ。
○中国軍はアグレッシブな印象が強いが、以上の弱点を認識している軍の指導者はイメージと異なり軍事行動には慎重な態度を取る公算が大である。
○東シナ海、尖閣諸島海域で海軍の船舶でなく、海警が前面に出て行動しているのも軍の弱点と関係がある。
○それでも共産党が決定したなら、軍は戦闘行動を起こすであろう。迅速に勝利する作戦に出るだろうが、同時に持久戦にも備えるであろう。中国軍が勝つ可能性は一概には言えず、いつ、どこで戦闘が行われるかにより左右される。
2015.03.02
2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。
○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。
しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。
○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。
○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。
○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。
○習近平の「家訓」
習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。
中国革命功労者の親族と反腐敗運動 習近平自身の身体検査
反腐敗運動は習近平政権が成立して以来最も力を入れてきたことであり、検挙者の数などで見れば過去2年間、かなりの実績があったと言える。しかし、革命の元老の親族による国有企業を利用した私腹肥やしは、必ずしも違法でないため、退治は困難である。2月20日の『多維新聞』はこの問題についてかなり踏み込んだ分析を行なっており、参考になる。この新聞は、本HPでも何回か紹介したが、米国に本拠を置く中国語の新聞で、中国の内政にはよく通じている。
「紅色中国」とは「赤い中国」、すなわち共産党による支配下の中国のことであり、「紅色権貴」とはこのような中国における「権力と地位」を兼ね備えた者、いわゆる幹部を言い、「紅二代」「紅色子女」とは革命の功労者の子を指す。「紅色身分」とは革命の功労者の親族という身分のことである。
なお、2月3日に当HPで「反腐敗運動と「紅色家族」」について掲載した一文も参照願いたい。
○2015年になって「安邦保険」が突如世間を騒がせるようになったが、鄧小平と陳毅の親族を巻き込んでいたからである。同社の副社長姚大锋は北京のメディアに対し、メディアは伝聞や事実と異なる噂を流し安邦保険の吴小晖社長を個人攻撃していると批判し、裁判に訴える権利を留保すると述べたが、この弁解はあまり効き目がなかった。
財新網はこのインタビューに先立って、安邦保険の吴小晖社長と鄧小平の孫娘鄧卓苒はすでに夫婦でなくなっていると報道し、また、陳毅(元老の一人、元外相)の息子の陳小魯が公開の場で「自分は安邦保険をコントロールしていない。顧問に過ぎない。そこにいるだけで、株も持っていない。会社の経営に介入していない」などと言明したことを報道していた。
しかしこのような報道は、疑惑を晴らすことはできなかった。安邦保険は鄧小平の親族を身内に入れていたために他の会社を次々に併呑できたことは周知のことである。現在安邦保険には「紅色権貴」はなくなっているとしても、飛躍の基礎はすでに出来上がっていたのであり、それは「紅色権貴」の原罪であった。
○以前「紅色子女」は政治や軍など親の職業を継ぐことが多かったが、最近の優秀な若者は商業に身を投じ、ものすごく頑張って伸している。これには二つの種類がある。一つは大国有企業に入り、掌握してしまうタイプである。元老王震の次男である王軍が中信(中国中信集団公司 中国で最大級の政府系産業・金融企業集団)を掌握したことがよく知られているが、長男の王兵は天下り的に南海石油公司の社長になり、三男の王之は長城コンピュータ公司の総経理になるなど一家の三人が経済のかなめで活躍した。
中信は、鄧小平が改革開放政策の一環で外資を導入するため、1979年に栄毅仁(赤い資本家と呼ばれた。後に、国家副主席)に設立させた会社であり、海外の有力企業による中国への直接投資を助け合弁事業を立ち上げるなど中国の産業発展に重要な役割を果たした。その後を継いだのが王軍であり、さらに秦晓(元中国科学院副書記秦力の子)や孔丹(共産党の情報機関である中央調査部部长孔原の子)などが社長になった。いずれも「紅二代」である。また、中信の傘下子会社にも「紅二代」が大勢入っている。彭真の子である傅亮、栄毅仁の子の栄智健、張震の子の張連陽、曾培炎の子曾之杰などである。
李鵬の子李小鵬が華能集団の総経理になったこと、娘の李小琳は現在でも中国電力国際発展集団を支配していることも有名である。
○国有企業に入らず独立で起業する紅二代がもう一つのタイプである。このタイプはとくに改革開放後に出てきた子女に多い。強い背景を持ちながら、現代企業経営と金融を学んだ権貴階級であり、金融界などで水を得た魚のように活躍している。
2012年の第18回党大会前後に暴露された温家宝の家族による横領案件についてはまだ解明されていないことが多く、彼らの「原罪」を証明する確たる証拠はない。しかし、「宝石の女王」と呼ばれる温家宝の妻、張蓓莉と彼らの子で「新天域資本」創設者の温云松および娘でモルガン・スタンレーを助けた温如春、それに温家宝の弟でタフな温家宏らの勢力はあなどれない。
モルガン・スタンレーが2年前から何回も調査を受けたのは高官の子女を受け入れているためであり、温如春が業務外の方面との間を仲立ちしたほか、中国銀行業監督管理委員会前副主席兼中国光大集団の会長である唐双寧の子お唐暁寧や鉄道部元総技術士張曙光の娘張曦曦を使っていた。今年(2015年)2月には商務部部長の高虎城の子高珏との関係のために再び調査の対象となった。
「紅色子女」がすでに巨大な勢力を形成していることは明らかである。彼らは主要な国有企業から、あるいは自前の企業を作って巨大な利益を手に入れている。多くの場合、権力とカネをブレンドして巧妙に利用している。彼らには政治に人脈があり、また、彼らだけが得られる情報があり、市場では両方が役に立つ。
○毛沢東の孫である毛新宇は、かつて、「毛沢東は、毛家は絶対に商売をしない、いかなる経営活動もしないという家訓を残した」と言ったことがあった。毛沢東に限らず、中国共産党の元老の多くはこれに似た戒めを説いていた。たとえば鄧小平時代の中共八元老の一人である李先念も子女や親族に対して大変厳しく、「商売をして金儲けしてはならない」と明確に禁止していた。
1985年5月、国務院は、指導者の子女、配偶者の商売を禁止する決定を行ない、「彼らは特殊な身分と社会的地位を利用し、国家が欠乏している物資をかすめ取り、非合法の売買をして、大衆の不満を惹起し、党の威信を著しく損ない、党政の指導者のイメージを損なった。県・団級以上のいかなる幹部の子女、配偶者も国営企業、集団的企業、合弁企業および子女の就職のための「労働サービス性業種に従事している者(劳动服务性行业工作者)」を除き、商業に従事してはならない。いずれの幹部の子女、とくに経済関係の職に就いている幹部の子女は家族関係を利用し、参加と派遣の区別、正価と割引値の区別などを利用し、関係を強要し、違法な売買を行ない、暴利をむさぼってはならない」と定めた。
しかし、改革開放の激流は止めようがなかった。1989年に天安門事件が惹起された誘因の一つは幹部による不正な金儲け(官倒)への反発であった。
2013年の『新財富』誌は「毛沢東の孫娘孔東梅とその夫であり泰康人寿(これも保険会社)の会長である陳東昇が50億元をため込んでいる。これはその年度の中国の富豪番付で第242位である。孔東梅は毛沢東の遺訓に背かないか質問されたのに対し、「時代は変わった」と述べた」と報道している。
確かに時代は変わっている。中国の「紅色権貴」は祖先の遺訓をいつまでもそのまま受け継ぐことはできないだろう。しかし、かれらが商業を行なうと、生来の「紅色身分」があるために簡単に利益を得られる。周永康の子周浜が石油、鉱業さらには電力まで影響力を拡大することができたのも一つの例である。
○習近平の「家訓」
習近平は政権に就く前後、家族に商業を禁止した。その母である齐心は2008年と2011年3月の2回にわたって家族会議を開き、家族が習近平の旗印をバックに商売を行なうことを厳禁した。さらに2012年の家族会議では、すべての家族に対し商業利益につながるいかなる活動も禁止し、習近平の弟習遠平は上海における一切の仕事を禁止された。習家の高飛車な姉御(大姐)斉橋橋とその夫の鄧家貴はすべての商売を放棄させられた。習近平が身内のことを心配せずに反腐敗運動を行なえるのはこのようなことをしていたからである。
家人が商売をせず、蓄財をしないことこそ李下に冠を正さないもっとも有効な方法であり、中共はそれをできるのである。
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