オピニオン
2018.05.16
今回の準備委員会では、「核兵器禁止条約」に関する核保有国と非保有国の意見の違いが激しく、その影響か、全般的に準備が進んだとはとても言えない有様であった。
会議が順調であれば、討議の結果をまとめた文書が採択される。部分的に合意されなかったことがあっても差し支えない。来年もう1回準備委員会が開かれるのでそのときに調整することも可能である。あるいは2020年の本会議で調整されることもありうる。しかし、今回の準備委員会ではそのような文書は採択されなかった。
NPTが1970年に発効して以来、5年ごとに再検討会議が開かれてきたが、合意文書が採択されなかったことは珍しくなかった。むしろ文書が採択されたほうが少なかった。それだけ核軍縮については各国の立場が違っているのである。
合意文書がない場合には「議長総括」が代わりに作られる。これは議長の責任で作成する文書であるが、議長が完全に自己の裁量で作成するのではなく、できるだけ各国の意見を聞き、取り入れて作成する。書き直しもする。
各国の意見の対立があまりに激しいと、「議長総括」もだせなくなる時がある。NPTにおいては、今年も去年も準備委員会は「議長総括」を出せなかった。
今年の場合、会議終了の前日夕刻に「議長総括案」が配布された。議長としては侃々諤々の議論をできるだけ反映して起案したのだろうが、各国の立場の違いはあまりに大きかった。
議長は「議長総括案」を前に各国代表が意見を戦わすことを許したが、どうやらはじめから「議長総括」を作ることはあきらめていたらしい。会議の終了に際しては「議長総括」のかわりに、Chair’s Reflections on the State of the NPTなる文書を配布した。これが今次準備委員会の最後の文書となった。
いわば、これは「議長の感想」とでも訳すべきものであり、「議長総括」よりさらに主観的な性質が強い文書なのであろう。
実は、昨年の準備委員会でも最後の文書は今年と同じReflectionsであった。
準備委員会は来年もう1回開かれるが、おそらく今年や去年と同じく準備は進まないだろう。そうなると、大事な問題は本会議において決めるしかない。しかし、3年も準備してまとまらないのに本会議だけで合意が成立する公算は極めて低い。つまり、不吉なことを言うようだが、2020年の再検討会議は、発効から50年の記念すべき会議なのだが、成功の可能性は低いのである。
日本は今次準備委員会に先立って世界の核専門家らを集め、「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」を開催し、提言をもらっていた。河野外相はその提言で示されている橋渡しの取組のうち、①透明性の向上に向けた取組、②核軍縮検証メカニズムの構築に向けた取組の強化、③核兵器国と非核兵器国の両者を巻き込んだ対話型討論の必要性を強調した。
賢人会議の提言はChair’s Reflectionsでも言及された。困難な状況の中での日本政府の現実的な努力であり、注目されたことは喜ばしい。
しかし、2020年のNPT再検討会議の成功にとって最大の問題点は「核兵器禁止条約」の扱いであり、日本政府の提案ははたしてその点で効果的か、疑問と言わざるを得ない。再検討会議を有意義なものとするには越えなければならない山がまだいくつもあるようだ。
核不拡散条約2020年会議の準備は進んだか
2020年に開催される核不拡散条約(NPT)再検討会議の準備委員会(4月23日~5月4日、於ジュネーブ)については、当研究所HP2018年5月7日の「核兵器禁止条約とNPTの違い」で紹介したところである。今回の準備委員会では、「核兵器禁止条約」に関する核保有国と非保有国の意見の違いが激しく、その影響か、全般的に準備が進んだとはとても言えない有様であった。
会議が順調であれば、討議の結果をまとめた文書が採択される。部分的に合意されなかったことがあっても差し支えない。来年もう1回準備委員会が開かれるのでそのときに調整することも可能である。あるいは2020年の本会議で調整されることもありうる。しかし、今回の準備委員会ではそのような文書は採択されなかった。
NPTが1970年に発効して以来、5年ごとに再検討会議が開かれてきたが、合意文書が採択されなかったことは珍しくなかった。むしろ文書が採択されたほうが少なかった。それだけ核軍縮については各国の立場が違っているのである。
合意文書がない場合には「議長総括」が代わりに作られる。これは議長の責任で作成する文書であるが、議長が完全に自己の裁量で作成するのではなく、できるだけ各国の意見を聞き、取り入れて作成する。書き直しもする。
各国の意見の対立があまりに激しいと、「議長総括」もだせなくなる時がある。NPTにおいては、今年も去年も準備委員会は「議長総括」を出せなかった。
今年の場合、会議終了の前日夕刻に「議長総括案」が配布された。議長としては侃々諤々の議論をできるだけ反映して起案したのだろうが、各国の立場の違いはあまりに大きかった。
議長は「議長総括案」を前に各国代表が意見を戦わすことを許したが、どうやらはじめから「議長総括」を作ることはあきらめていたらしい。会議の終了に際しては「議長総括」のかわりに、Chair’s Reflections on the State of the NPTなる文書を配布した。これが今次準備委員会の最後の文書となった。
いわば、これは「議長の感想」とでも訳すべきものであり、「議長総括」よりさらに主観的な性質が強い文書なのであろう。
実は、昨年の準備委員会でも最後の文書は今年と同じReflectionsであった。
準備委員会は来年もう1回開かれるが、おそらく今年や去年と同じく準備は進まないだろう。そうなると、大事な問題は本会議において決めるしかない。しかし、3年も準備してまとまらないのに本会議だけで合意が成立する公算は極めて低い。つまり、不吉なことを言うようだが、2020年の再検討会議は、発効から50年の記念すべき会議なのだが、成功の可能性は低いのである。
日本は今次準備委員会に先立って世界の核専門家らを集め、「核軍縮の実質的な進展のための賢人会議」を開催し、提言をもらっていた。河野外相はその提言で示されている橋渡しの取組のうち、①透明性の向上に向けた取組、②核軍縮検証メカニズムの構築に向けた取組の強化、③核兵器国と非核兵器国の両者を巻き込んだ対話型討論の必要性を強調した。
賢人会議の提言はChair’s Reflectionsでも言及された。困難な状況の中での日本政府の現実的な努力であり、注目されたことは喜ばしい。
しかし、2020年のNPT再検討会議の成功にとって最大の問題点は「核兵器禁止条約」の扱いであり、日本政府の提案ははたしてその点で効果的か、疑問と言わざるを得ない。再検討会議を有意義なものとするには越えなければならない山がまだいくつもあるようだ。
2018.05.07
NPT(核兵器不拡散条約)は1970年に発効して以来、5年ごとに「再検討会議」を開催している。NPTにかかわるさまざまな問題、たとえば、核の廃絶は進んでいるかなどを検討するためである。外務省は「再検討会議」でなく、「運用検討会議」と呼んでいる。英語ではreview conferenceである。
5年たつといきなり再検討会議が開かれるのではなく、そのまえに、3回「準備委員会」が開催されている。扱う問題について各国の意見の違いが激しいからである。世界には多くの条約があるが、このように大掛かりで、複雑な会議は他にないと思う。今回開かれたのは2020年再検討会議のための第2回準備委員会であった。
今回の準備委員会でもっとも注目されていたのは2017年に採択された「核兵器禁止条約」の扱いであった。
NPTと「核兵器禁止条約」の違いはなにか。NPTは米国、ロシア、英国、フランスおよび中国が核兵器を保有することは認めつつ、他の国へ「拡散」するのを防止することが主たる目的である。この「拡散防止」とは、これら5カ国以外の国には保有など核兵器に関するすべてのことを禁止するという意味であった。
一方、「核兵器禁止条約」は5カ国を例外扱いしていない。この点が両条約の最大の違いである。
「核兵器禁止条約」は、「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用」をすべて禁止しており、また、現在保有している核兵器は廃絶することを義務付けている。NPTは、5核兵器国にはこれらをほとんどすべて認めている。ただ、核兵器の「使用」や「威嚇」は認めると書いてないが、禁止されているわけではない。
この二つの条約を比較すれば、もちろん「核兵器禁止条約」のほうが徹底している。この条約制定を推進した国々は、NPTでは抜け穴があるため、長年経っても核兵器の廃絶が実現しないのだと主張する。
しかし、核兵器国は、現実の世界で核兵器を禁止してしまうことはできない、また、そうすることはNPTと矛盾することになるとして反対し、条約に参加しないでいる。核の傘に依存している日本や西欧諸国も参加していない。日本は、被爆国であり、率先して核廃絶運動を進めていくべき立場にあるのに核兵器国と同じ立場に立つべきでないとして批判される。この批判は厳しいものである。
核兵器禁止条約とNPTの違い
4月23日から5月4日まで、ジュネーブにおいて核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議準備委員会が開催された。107カ国が出席し、日本を含め多くの国は閣僚級を代表として派遣した重要会議であるが、注目度は低かった。専門以外の人にとってはわかりにくいことが一つの問題なので、今回の会議をできるだけわかりやすく、あまり細かい問題に立ち入らないで説明してみたい。NPT(核兵器不拡散条約)は1970年に発効して以来、5年ごとに「再検討会議」を開催している。NPTにかかわるさまざまな問題、たとえば、核の廃絶は進んでいるかなどを検討するためである。外務省は「再検討会議」でなく、「運用検討会議」と呼んでいる。英語ではreview conferenceである。
5年たつといきなり再検討会議が開かれるのではなく、そのまえに、3回「準備委員会」が開催されている。扱う問題について各国の意見の違いが激しいからである。世界には多くの条約があるが、このように大掛かりで、複雑な会議は他にないと思う。今回開かれたのは2020年再検討会議のための第2回準備委員会であった。
今回の準備委員会でもっとも注目されていたのは2017年に採択された「核兵器禁止条約」の扱いであった。
NPTと「核兵器禁止条約」の違いはなにか。NPTは米国、ロシア、英国、フランスおよび中国が核兵器を保有することは認めつつ、他の国へ「拡散」するのを防止することが主たる目的である。この「拡散防止」とは、これら5カ国以外の国には保有など核兵器に関するすべてのことを禁止するという意味であった。
一方、「核兵器禁止条約」は5カ国を例外扱いしていない。この点が両条約の最大の違いである。
「核兵器禁止条約」は、「核兵器の開発、実験、製造、備蓄、移譲、使用及び威嚇としての使用」をすべて禁止しており、また、現在保有している核兵器は廃絶することを義務付けている。NPTは、5核兵器国にはこれらをほとんどすべて認めている。ただ、核兵器の「使用」や「威嚇」は認めると書いてないが、禁止されているわけではない。
この二つの条約を比較すれば、もちろん「核兵器禁止条約」のほうが徹底している。この条約制定を推進した国々は、NPTでは抜け穴があるため、長年経っても核兵器の廃絶が実現しないのだと主張する。
しかし、核兵器国は、現実の世界で核兵器を禁止してしまうことはできない、また、そうすることはNPTと矛盾することになるとして反対し、条約に参加しないでいる。核の傘に依存している日本や西欧諸国も参加していない。日本は、被爆国であり、率先して核廃絶運動を進めていくべき立場にあるのに核兵器国と同じ立場に立つべきでないとして批判される。この批判は厳しいものである。
2018.04.16
今回の攻撃を認めた国連安保理決議はない。シリア軍による化学兵器使用の疑惑については2013年以来複雑な経緯があり、国連安保理はこの間何回も開催されてきたが、シリア政府に対する攻撃を承認した決議は採択されていないのである。そうなったのは、シリア政府を擁護するロシアが拒否権を発動したからであり、米国の国連大使によれば、その回数は通算11回にのぼっているそうだ。
今回の攻撃後、ロシアは安保理の開催を求め、逆に攻撃を非難する決議案を提出して反撃しようとした。しかし、これは、もちろん否決された。
国連決議のない実力行使は問題だが、なくても認められる場合がある。「ある」と断定するのはまだ早すぎ、「そういう場合が出てきている」というべきかもしれない。ともかく、「人道上の理由」で認められる可能性が出てきているのである。その場合でも、他に方法がないことや過度の攻撃にならないことなどの要件を満たすことが必要だ。安保理で英国は、今回の行動はこれらの諸点を満たしていると強調し、国際法的に合法であると主張した。いかにも英国らしい。
決議がなくても「人道上の理由」で攻撃が認められたのが、2014年9月の、米国をはじめとする有志国連合による過激派組織ISへの空爆であった。
今回の攻撃について、日本では、安保理決議がないことを問題視する意見があるが、国際法はいつまでも同じ内容でなく、発展する。それに、もし、決議がないからといって行動をとらないと、アサド政権を助けることになる。これは悩ましい問題である。
ともかく、シリア軍による化学兵器使用疑惑については真相解明が必要である。アサド大統領は前述の化学兵器使用疑惑が出た後の2013年9月、化学兵器禁止機関(OPCW)に加盟し、保有化学兵器約1300トンを全量引き渡した。この時にはロシアも協力的であったのでアサドも折れたのだろう。引き渡された化学兵器はすでに廃棄済みである。
ところが、その後も化学兵器による被害はやまなかった。サリンや塩素ガスなどは、簡単に作れるらしく、化学兵器の廃棄後に製造された可能性があるといわれている。
OPCWはもちろん調査を続け、2015年には国連と共同でOPCW-UN Joint Investigative Mechanism (JIMと略称。安保理決議2235号)を設置した。ここまではロシアも協力的だったのだ。
ところが、JIMは2017年12月に期限切れで終了してしまった。ロシアが継続に反対したためである。当然ロシアは厳しく非難されたが、ロシアの大使は、手続きが強引であったため反対したのであり、いつまでも反対する予定ではなかったと弁明していたともいう。
しかし、そのままに放置しておくわけにはいかない。真相の調査は絶対的に必要であり、今回の攻撃に先立つ4月9日、米国は真相解明に取り組むあらたな調査チームを設立する決議案に取り掛かった。しかし、事前の折衝で成立の見込みがないことが判明した。新決議案は、攻撃があった4月7日の軍の飛行記録やヘリコプター部隊の指揮官の名前の提出などをシリア政府に義務づける内容だったのに対し、ロシアのネベンジャ国連大使は「受け入れられない要素がある」として反対したのだ。ネベンジャ氏は、あったとされる化学兵器の攻撃の軌道や時期に不自然な点があると指摘したそうだ。シリアに駐在しているロシア軍の行動との関連があったのかもしれない。
一方、OPCWは別途4月14日から、被害が出た東グータ地区で現地調査を始める予定であったが、これは延期されたと思われる。ミサイルが飛んでくる状況ではそれは無理である。今後OPCWではどのように調査を再開するのか、一つの重要なカギとなっている。なお、OPCWでは実質事項(matters of substance)は3分の2、査察に反対する場合は4分の3の特別多数決で決定される。拒否権は認められていないので一カ国だけの反対で前に進めなくなることはないはずである。
今後、冷え込んでいるロシアと米欧諸国との関係が改善されるにはかなりの時間が必要となるかもしれない。また、トランプ政権のロシア疑惑も微妙に関係しているかもしれない。そのような事情はあるが、調査の早期開始は絶対的に必要であり、そのためには、ロシア批判をしばし抑制しても調査開始の決定を急ぐ必要がある。
日本は、かねてからOPCWを重視している。中東問題、特に政治問題には直接の関係は少ないが、それだけに中立的に動けるはずだ。日本としても調査開始の決定に努めるべきだ。
化学兵器使用問題と米英仏のシリア攻撃
4月13日、米国は英仏両国と共同でシリアの化学兵器関連施設をミサイル攻撃した。使用されたミサイルの数は昨年4月の際の約2倍、105発であったという。今回の攻撃を認めた国連安保理決議はない。シリア軍による化学兵器使用の疑惑については2013年以来複雑な経緯があり、国連安保理はこの間何回も開催されてきたが、シリア政府に対する攻撃を承認した決議は採択されていないのである。そうなったのは、シリア政府を擁護するロシアが拒否権を発動したからであり、米国の国連大使によれば、その回数は通算11回にのぼっているそうだ。
今回の攻撃後、ロシアは安保理の開催を求め、逆に攻撃を非難する決議案を提出して反撃しようとした。しかし、これは、もちろん否決された。
国連決議のない実力行使は問題だが、なくても認められる場合がある。「ある」と断定するのはまだ早すぎ、「そういう場合が出てきている」というべきかもしれない。ともかく、「人道上の理由」で認められる可能性が出てきているのである。その場合でも、他に方法がないことや過度の攻撃にならないことなどの要件を満たすことが必要だ。安保理で英国は、今回の行動はこれらの諸点を満たしていると強調し、国際法的に合法であると主張した。いかにも英国らしい。
決議がなくても「人道上の理由」で攻撃が認められたのが、2014年9月の、米国をはじめとする有志国連合による過激派組織ISへの空爆であった。
今回の攻撃について、日本では、安保理決議がないことを問題視する意見があるが、国際法はいつまでも同じ内容でなく、発展する。それに、もし、決議がないからといって行動をとらないと、アサド政権を助けることになる。これは悩ましい問題である。
ともかく、シリア軍による化学兵器使用疑惑については真相解明が必要である。アサド大統領は前述の化学兵器使用疑惑が出た後の2013年9月、化学兵器禁止機関(OPCW)に加盟し、保有化学兵器約1300トンを全量引き渡した。この時にはロシアも協力的であったのでアサドも折れたのだろう。引き渡された化学兵器はすでに廃棄済みである。
ところが、その後も化学兵器による被害はやまなかった。サリンや塩素ガスなどは、簡単に作れるらしく、化学兵器の廃棄後に製造された可能性があるといわれている。
OPCWはもちろん調査を続け、2015年には国連と共同でOPCW-UN Joint Investigative Mechanism (JIMと略称。安保理決議2235号)を設置した。ここまではロシアも協力的だったのだ。
ところが、JIMは2017年12月に期限切れで終了してしまった。ロシアが継続に反対したためである。当然ロシアは厳しく非難されたが、ロシアの大使は、手続きが強引であったため反対したのであり、いつまでも反対する予定ではなかったと弁明していたともいう。
しかし、そのままに放置しておくわけにはいかない。真相の調査は絶対的に必要であり、今回の攻撃に先立つ4月9日、米国は真相解明に取り組むあらたな調査チームを設立する決議案に取り掛かった。しかし、事前の折衝で成立の見込みがないことが判明した。新決議案は、攻撃があった4月7日の軍の飛行記録やヘリコプター部隊の指揮官の名前の提出などをシリア政府に義務づける内容だったのに対し、ロシアのネベンジャ国連大使は「受け入れられない要素がある」として反対したのだ。ネベンジャ氏は、あったとされる化学兵器の攻撃の軌道や時期に不自然な点があると指摘したそうだ。シリアに駐在しているロシア軍の行動との関連があったのかもしれない。
一方、OPCWは別途4月14日から、被害が出た東グータ地区で現地調査を始める予定であったが、これは延期されたと思われる。ミサイルが飛んでくる状況ではそれは無理である。今後OPCWではどのように調査を再開するのか、一つの重要なカギとなっている。なお、OPCWでは実質事項(matters of substance)は3分の2、査察に反対する場合は4分の3の特別多数決で決定される。拒否権は認められていないので一カ国だけの反対で前に進めなくなることはないはずである。
今後、冷え込んでいるロシアと米欧諸国との関係が改善されるにはかなりの時間が必要となるかもしれない。また、トランプ政権のロシア疑惑も微妙に関係しているかもしれない。そのような事情はあるが、調査の早期開始は絶対的に必要であり、そのためには、ロシア批判をしばし抑制しても調査開始の決定を急ぐ必要がある。
日本は、かねてからOPCWを重視している。中東問題、特に政治問題には直接の関係は少ないが、それだけに中立的に動けるはずだ。日本としても調査開始の決定に努めるべきだ。
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