オピニオン
2014.04.09
国連のPKO活動に参加している自衛隊による武器の使用については、制約があると内閣法制局によって解釈されており、「隊員の生命などを防護する場合(いわゆるA型)」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合(B型)」は「状況によっては武力行使にあたる恐れがある」という理由で認められていない。
国連のPKO活動に対する日本の参加については長い歴史があり、1992年のいわゆるPKO協力法の成立は、日本のPKO参加を可能にした一つの大きな節目であった。しかし、日本政府はこの法律の施行段階になってもなお慎重であり、日本の参加にあたっての基本方針(いわゆるPKO参加5原則)を定め、その第5項で、「武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること」、つまり法制局の解する、A型に限られることを確認していた。
もう一つの自制は、PKOに参加しても輸送や道路工事のように戦闘行為とは距離があることはできても、停戦監視、緩衝地帯の巡回、武器回収などの業務(PKO活動の本体業務と観念された)は武器使用に制限がかかっている限り参加は困難であるとみなした。
武器使用の制限と本体業務は密接な関係があり、かりに武器使用に制限がなければ、本体業務への参加は当然のこととなり、議論されることもなかったであろう。
2001年12月、PKO協力法の一部が改正された。
○いわゆるPKF(平和維持隊)本体業務の凍結解除
1992年のPKO協力法制定以来、我が国は各種の協力を実施し、特に自衛隊の部隊等の派遣による協力については、同法施行後9年間において6回行い、着実に実績と経験を積み上げてきたことを踏まえ、また、我が国が国連を中心とした国際平和のための努力に積極的に貢献することについて内外で期待が高まってきていることにかんがみ、いわゆる本体業務の凍結を解除することとした。
○武器の使用による防衛対象の拡大
国際平和協力業務において自衛隊の部隊は幅広い場面において他国のPKO要員や国連職員、NGOと同一の場所で活動することが多く、また、平和維持隊に参加する各国の部隊が同一の場所で活動することは少なくない。そこで、国際平和協力業務に従事する自衛官等は、他国の隊員であっても日本隊と同じ現場で職務を行うに伴い日本隊の「管理の下に入った者」については、その生命または身体の防衛のために武器を使用できることとした。
○自衛隊法第95条(武器等防護のための武器の使用)の適用除外の解除
これまでの自衛隊の部隊等の派遣の経験を踏まえると、派遣先国において自衛隊法第95条を適用したとしても、事態を混乱させることはないと考えられる一方、武器等の破壊・奪取を看過することにより、隊員の緊急事態への対応能力の低下や治安の悪化につながることも想定されることが認識されるようになった。そこで、派遣先国で国際平和協力業務に従事する自衛官について同条の適用除外規定を削除し、自衛隊の武器等を防護するために武器を使用できることとした。
この改正により武器を使用できる場合はかなり広がり、また、PKOらしい業務を行なえるようになったが、これは迄建前だけのことであり、現実にはこの程度の武器使用ではまだ不十分であるという考えも強く、文民や他国部隊の警護等といった他国部隊であれば国連PKOにおいて当然実施できることすらできない状況にある。外務省は、「現在の国際社会においては,どの国も自国のみで自らの平和と安全を維持することはできない。日本は,平和で安定した国際的環境が確保されることによって自国にも確かな安全と繁栄がもたらされることを改めて認識した上で,国際の平和と安定に責任ある一員として,積極的に国連PKOを通じて世界の平和と安定のために貢献していくための具体的な方策を今後さらに議論していく」という考えである(外務省「わかる!国際情勢 国連PKOを通じた日本の貢献の歩み」)。
PKOと武力行使①
「集団的自衛権とPKO」について論点の整理と点検を数回にわたって行う。国連のPKO活動に参加している自衛隊による武器の使用については、制約があると内閣法制局によって解釈されており、「隊員の生命などを防護する場合(いわゆるA型)」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合(B型)」は「状況によっては武力行使にあたる恐れがある」という理由で認められていない。
国連のPKO活動に対する日本の参加については長い歴史があり、1992年のいわゆるPKO協力法の成立は、日本のPKO参加を可能にした一つの大きな節目であった。しかし、日本政府はこの法律の施行段階になってもなお慎重であり、日本の参加にあたっての基本方針(いわゆるPKO参加5原則)を定め、その第5項で、「武器の使用は、要員の生命等の防護のために必要な最小限のものに限られること」、つまり法制局の解する、A型に限られることを確認していた。
もう一つの自制は、PKOに参加しても輸送や道路工事のように戦闘行為とは距離があることはできても、停戦監視、緩衝地帯の巡回、武器回収などの業務(PKO活動の本体業務と観念された)は武器使用に制限がかかっている限り参加は困難であるとみなした。
武器使用の制限と本体業務は密接な関係があり、かりに武器使用に制限がなければ、本体業務への参加は当然のこととなり、議論されることもなかったであろう。
2001年12月、PKO協力法の一部が改正された。
○いわゆるPKF(平和維持隊)本体業務の凍結解除
1992年のPKO協力法制定以来、我が国は各種の協力を実施し、特に自衛隊の部隊等の派遣による協力については、同法施行後9年間において6回行い、着実に実績と経験を積み上げてきたことを踏まえ、また、我が国が国連を中心とした国際平和のための努力に積極的に貢献することについて内外で期待が高まってきていることにかんがみ、いわゆる本体業務の凍結を解除することとした。
○武器の使用による防衛対象の拡大
国際平和協力業務において自衛隊の部隊は幅広い場面において他国のPKO要員や国連職員、NGOと同一の場所で活動することが多く、また、平和維持隊に参加する各国の部隊が同一の場所で活動することは少なくない。そこで、国際平和協力業務に従事する自衛官等は、他国の隊員であっても日本隊と同じ現場で職務を行うに伴い日本隊の「管理の下に入った者」については、その生命または身体の防衛のために武器を使用できることとした。
○自衛隊法第95条(武器等防護のための武器の使用)の適用除外の解除
これまでの自衛隊の部隊等の派遣の経験を踏まえると、派遣先国において自衛隊法第95条を適用したとしても、事態を混乱させることはないと考えられる一方、武器等の破壊・奪取を看過することにより、隊員の緊急事態への対応能力の低下や治安の悪化につながることも想定されることが認識されるようになった。そこで、派遣先国で国際平和協力業務に従事する自衛官について同条の適用除外規定を削除し、自衛隊の武器等を防護するために武器を使用できることとした。
この改正により武器を使用できる場合はかなり広がり、また、PKOらしい業務を行なえるようになったが、これは迄建前だけのことであり、現実にはこの程度の武器使用ではまだ不十分であるという考えも強く、文民や他国部隊の警護等といった他国部隊であれば国連PKOにおいて当然実施できることすらできない状況にある。外務省は、「現在の国際社会においては,どの国も自国のみで自らの平和と安全を維持することはできない。日本は,平和で安定した国際的環境が確保されることによって自国にも確かな安全と繁栄がもたらされることを改めて認識した上で,国際の平和と安定に責任ある一員として,積極的に国連PKOを通じて世界の平和と安定のために貢献していくための具体的な方策を今後さらに議論していく」という考えである(外務省「わかる!国際情勢 国連PKOを通じた日本の貢献の歩み」)。
2014.03.22
醍醐寺は桜の名所であり、秀吉が北の政所、淀殿はじめ女房衆および直参の武将など1300人余を引き連れて花見をしたことは歴史上あまりにも有名である。現在でも、4月の第2日曜日には往時をしのんで花見行列が行われる。秀吉が花見をした場所は「やり山」の中腹で「上醍醐」と呼ばれる地域にあり、記念碑がたっている。当時そこからの見晴らしは絶景であったが、今は樹木が大きくなりすぎて肝心の桜はよく見えなくなっている。秀吉はその花見から数か月後に他界したので、醍醐の花見は秀吉最後の一大イベントであった。
醍醐寺と秀吉の関係は非常に深い。一言でいえば、醍醐寺は秀吉の博物館の役割を果たしている。徳川家康については徳川記念館がある。信長については遺品やゆかりのものは後世にほとんど伝えられない(?)。秀吉については江戸時代にゆかりの建物などが破壊されたので、正規の記念館的なところはないと思っていたが、実は醍醐寺がその役割を果たしている。
秀吉は醍醐寺を大のひいきにし、紀州の湯浅のお寺の本堂を移築して金堂(醍醐寺の本堂 国宝)を建てた。醍醐寺の一角をなす三宝院の庭を自ら設計し、その庭を臨む表書院も秀吉の趣向で作らせた。いかに時の権力者とは言え、立場上そんな資格はなかったはずであるが、秀吉は醍醐寺を別邸か迎賓館のように思っていたようである。花見の後には紅葉狩り、また翌春には後陽成天皇の行幸を予定しいた。
また、醍醐寺の別の一角である「霊宝館」には秀吉が安置した仏像、直筆の書簡、使用した茶器、腰掛、野外火鉢などが展覧されている。秀吉から始まり、前田利家、秀頼、北の政所、淀殿などが花見の時に詠んだ歌を順番に収めている記録は、記録と言うよりは芸術品である。また、これは招待客の序列を示している。秀頼は当時まだ幼く歌など詠めなかったはずであるが、記録に残すためか第3位に記されている。
醍醐寺の座主義演が花見の行事や秀吉からの贈り物を細かく記した日記も興味深い。
秀吉の息遣いまで聞こえてくるようである。他のところでは、たとえば、大阪城には秀吉が作った金の茶室があるが、飾ってあるだけであり、秀吉の面影は浮かび上がってこない。
秀吉は義演座主と懇意であったのは明らかであるが、それも半端でなかったようだ。
醍醐寺は秀吉の死後も豊臣家と緊密であり、秀頼は西大門(仁王門)、上醍醐如意輪堂、五大堂開山堂などを再建、あるいは改築した。北の政所が寄贈した院もある。
醍醐寺のいたるところに豊臣家の家紋である桐が描かれているのも当然である。
醍醐寺は秀吉の病が重くなると総力を挙げて快癒の祈祷をし、死後には盛大な法要を営んだ。このことに対して豊臣家は惜しみなく礼をしたのであろう。
醍醐寺と秀吉の関係を想像するだけでやめておくべきかもしれないが、権力者と結びつく寺院という構図がある。否定しようがないくらい明らかである。
醍醐寺は秀吉以前も権力者と密接な関係にあった。そもそも醍醐、朱雀、村上天皇が薬師堂、伽藍、釈迦堂、五重塔などを建立し、また仏像を安置した。白河天皇も多くの堂宇を建てた。
南北朝時代、賢俊座主は足利尊氏の帰依を一身に集めた。満済准后は足利幕府時代黒衣の宰相と言われた。准后は皇后に準ずる皇族、貴族である。
そして義演准后は秀吉と懇意にした。父は二条晴良(藤原氏の長者)、母は伏見宮貞敦親王王女の位子であり、足利幕府15代将軍足利義昭の猶子であった。そのあたりにもいろいろは事情があったようである。
醍醐寺と秀吉
今日は、ちょっと変わって醍醐寺について。醍醐寺は桜の名所であり、秀吉が北の政所、淀殿はじめ女房衆および直参の武将など1300人余を引き連れて花見をしたことは歴史上あまりにも有名である。現在でも、4月の第2日曜日には往時をしのんで花見行列が行われる。秀吉が花見をした場所は「やり山」の中腹で「上醍醐」と呼ばれる地域にあり、記念碑がたっている。当時そこからの見晴らしは絶景であったが、今は樹木が大きくなりすぎて肝心の桜はよく見えなくなっている。秀吉はその花見から数か月後に他界したので、醍醐の花見は秀吉最後の一大イベントであった。
醍醐寺と秀吉の関係は非常に深い。一言でいえば、醍醐寺は秀吉の博物館の役割を果たしている。徳川家康については徳川記念館がある。信長については遺品やゆかりのものは後世にほとんど伝えられない(?)。秀吉については江戸時代にゆかりの建物などが破壊されたので、正規の記念館的なところはないと思っていたが、実は醍醐寺がその役割を果たしている。
秀吉は醍醐寺を大のひいきにし、紀州の湯浅のお寺の本堂を移築して金堂(醍醐寺の本堂 国宝)を建てた。醍醐寺の一角をなす三宝院の庭を自ら設計し、その庭を臨む表書院も秀吉の趣向で作らせた。いかに時の権力者とは言え、立場上そんな資格はなかったはずであるが、秀吉は醍醐寺を別邸か迎賓館のように思っていたようである。花見の後には紅葉狩り、また翌春には後陽成天皇の行幸を予定しいた。
また、醍醐寺の別の一角である「霊宝館」には秀吉が安置した仏像、直筆の書簡、使用した茶器、腰掛、野外火鉢などが展覧されている。秀吉から始まり、前田利家、秀頼、北の政所、淀殿などが花見の時に詠んだ歌を順番に収めている記録は、記録と言うよりは芸術品である。また、これは招待客の序列を示している。秀頼は当時まだ幼く歌など詠めなかったはずであるが、記録に残すためか第3位に記されている。
醍醐寺の座主義演が花見の行事や秀吉からの贈り物を細かく記した日記も興味深い。
秀吉の息遣いまで聞こえてくるようである。他のところでは、たとえば、大阪城には秀吉が作った金の茶室があるが、飾ってあるだけであり、秀吉の面影は浮かび上がってこない。
秀吉は義演座主と懇意であったのは明らかであるが、それも半端でなかったようだ。
醍醐寺は秀吉の死後も豊臣家と緊密であり、秀頼は西大門(仁王門)、上醍醐如意輪堂、五大堂開山堂などを再建、あるいは改築した。北の政所が寄贈した院もある。
醍醐寺のいたるところに豊臣家の家紋である桐が描かれているのも当然である。
醍醐寺は秀吉の病が重くなると総力を挙げて快癒の祈祷をし、死後には盛大な法要を営んだ。このことに対して豊臣家は惜しみなく礼をしたのであろう。
醍醐寺と秀吉の関係を想像するだけでやめておくべきかもしれないが、権力者と結びつく寺院という構図がある。否定しようがないくらい明らかである。
醍醐寺は秀吉以前も権力者と密接な関係にあった。そもそも醍醐、朱雀、村上天皇が薬師堂、伽藍、釈迦堂、五重塔などを建立し、また仏像を安置した。白河天皇も多くの堂宇を建てた。
南北朝時代、賢俊座主は足利尊氏の帰依を一身に集めた。満済准后は足利幕府時代黒衣の宰相と言われた。准后は皇后に準ずる皇族、貴族である。
そして義演准后は秀吉と懇意にした。父は二条晴良(藤原氏の長者)、母は伏見宮貞敦親王王女の位子であり、足利幕府15代将軍足利義昭の猶子であった。そのあたりにもいろいろは事情があったようである。
2014.03.19
クリミア
住民投票で独立の結論が出た。ロシアはすでにクリミアを独立国家として承認し、さらにクリミア共和国をロシア連邦に編入する条約にも署名した。国際社会から批判され、クリミアを併合しないよう圧力を受けているが途中で引き返せない。クリミアはロシア連邦の一部となるのであろう。
経緯的には、クリミアの住民投票は5月に予定されていたが、なぜそのようなことが決まっていたのか。
また、それを繰り上げて3月中に実施したのはいかなる理由によるか。
クリミアがロシア連邦の一部となった後、ウクライナとの関係はどうなるか。当然ウクライナはクリミアを承認しないだろうが、現実には隣り合っており、一定程度の相互依存関係が残るのではないか。
ウクライナ
ロシアはヤヌコビッチを大統領として依然として認めており、暫定政権を認めていないが、ヤヌコビッチがウクライナに帰還し、以前の状態に復帰する可能性はないか。他国の例をみるとそれはなさそうだが、ウクライナの親ロシア勢力はかなり強い。
ロシアはヤヌコビッチを抱え込んでどうするつもりか。
暫定政権も右派勢力をかかえており、複雑なようだ。
ロシアとの関係が悪化してもエネルギーはロシアから供給を受けるだろう。ヨーロッパは一時的には供給できても、長続きは困難であろう。
ウクライナの対ロシア債務をどう処理するか。パイプラインの使用料、ロシアからのエネルギー供給に対する支払い、さらには黒海艦隊によるクリミア基地使用料などロシアとの間にはかねてから複雑な債権債務関係がある。政治関係の変化に応じて、その清算条件も変わってくる。
ウクライナの債務救済に対するヨーロッパの役割いかん。
ウクライナの安全保障。とくにロシアの脅威。当面はそれどころでないかもしれないが、ウクライナは核を放棄すべきでなかったという議論はある。
米欧とロシアの関係
米欧の対ロ制裁はすでに開始しており、ロシアの出方次第でさらに強くするというのが米欧の立場。これは効果的か。
ロシアの米欧に対する対抗措置。概してロシアの立場は強くない。エネルギーは例外。とくにドイツなどロシアへの依存度が高い国には。
金融面では圧倒的の米欧が優位。
ロシアとして有力なのは軍事的な対抗手段。新核戦略交渉に応じない?現行の査察に協力しない?INFで合意違反?しかし、軍事・安全保障に拡大するとロシアにとっても危険は大きい。当面はこちらに波及する危険をちらつかせるだけにとどめるか。
ロシアとして政治的、外交的な応戦を続ける余地がある。
ロシアはコソボの例を持ちだし、米欧がダブルスタンダードだと主張し、クリミア併合を正当化しようとしている。米欧は、コソボではアルバニア人が虐待されたが、クリミアではロシア人は虐待された証拠はないと主張。しかし、泥仕合になる可能性はある。ロシアの狙いか?
G8への影響は避けられない。米欧と日本はボイコットが確実なのでロシアはモスクワ・オリンピックのような立場に置かれる。
ロシアにとってロシア系のウクライナ、クリミアのロシア系を支援することはそれほど重要な問題か。米欧にとってはロシアが軍事力を背景にウクライナに介入することは大きな問題。
中ロ関係
中国とロシアの立場の違いが浮き上がった。中国は民族問題が深刻であり、クリミアの住民投票を認めるわけにはいかない。「民族自決」には目を皿のようにして注目。
最大の問題は台湾、これは大き過ぎる問題かもしれないが、香港についてはクリミア化の危険はある?
西側にとっては、中ロの亀裂は歓迎すべきこと。しかし中国は米欧に同調できない。
日本
米欧と共通点が多い。
しかし、ウクライナ情勢は日ロ関係に影響があるかどうか。日本は孤立するロシアとどのように向き合うか。日ロ関係、とくに領土問題の解決にどのように影響してくるか。
ロシアを怒らせたくないから、ウクライナ問題で強く出ないというのはさもしい発想であり、下心はすぐにばれる。
そうではなく、日本は中国と協力して、あるいは単独でロシアに抑制を促し、米欧との距離を少なくするのに努めるのがよいのではないか。
ウクライナ問題の主要点
ウクライナ情勢は流動的であるが、この時点でポイントを整理しておこう。2014年3月19日クリミア
住民投票で独立の結論が出た。ロシアはすでにクリミアを独立国家として承認し、さらにクリミア共和国をロシア連邦に編入する条約にも署名した。国際社会から批判され、クリミアを併合しないよう圧力を受けているが途中で引き返せない。クリミアはロシア連邦の一部となるのであろう。
経緯的には、クリミアの住民投票は5月に予定されていたが、なぜそのようなことが決まっていたのか。
また、それを繰り上げて3月中に実施したのはいかなる理由によるか。
クリミアがロシア連邦の一部となった後、ウクライナとの関係はどうなるか。当然ウクライナはクリミアを承認しないだろうが、現実には隣り合っており、一定程度の相互依存関係が残るのではないか。
ウクライナ
ロシアはヤヌコビッチを大統領として依然として認めており、暫定政権を認めていないが、ヤヌコビッチがウクライナに帰還し、以前の状態に復帰する可能性はないか。他国の例をみるとそれはなさそうだが、ウクライナの親ロシア勢力はかなり強い。
ロシアはヤヌコビッチを抱え込んでどうするつもりか。
暫定政権も右派勢力をかかえており、複雑なようだ。
ロシアとの関係が悪化してもエネルギーはロシアから供給を受けるだろう。ヨーロッパは一時的には供給できても、長続きは困難であろう。
ウクライナの対ロシア債務をどう処理するか。パイプラインの使用料、ロシアからのエネルギー供給に対する支払い、さらには黒海艦隊によるクリミア基地使用料などロシアとの間にはかねてから複雑な債権債務関係がある。政治関係の変化に応じて、その清算条件も変わってくる。
ウクライナの債務救済に対するヨーロッパの役割いかん。
ウクライナの安全保障。とくにロシアの脅威。当面はそれどころでないかもしれないが、ウクライナは核を放棄すべきでなかったという議論はある。
米欧とロシアの関係
米欧の対ロ制裁はすでに開始しており、ロシアの出方次第でさらに強くするというのが米欧の立場。これは効果的か。
ロシアの米欧に対する対抗措置。概してロシアの立場は強くない。エネルギーは例外。とくにドイツなどロシアへの依存度が高い国には。
金融面では圧倒的の米欧が優位。
ロシアとして有力なのは軍事的な対抗手段。新核戦略交渉に応じない?現行の査察に協力しない?INFで合意違反?しかし、軍事・安全保障に拡大するとロシアにとっても危険は大きい。当面はこちらに波及する危険をちらつかせるだけにとどめるか。
ロシアとして政治的、外交的な応戦を続ける余地がある。
ロシアはコソボの例を持ちだし、米欧がダブルスタンダードだと主張し、クリミア併合を正当化しようとしている。米欧は、コソボではアルバニア人が虐待されたが、クリミアではロシア人は虐待された証拠はないと主張。しかし、泥仕合になる可能性はある。ロシアの狙いか?
G8への影響は避けられない。米欧と日本はボイコットが確実なのでロシアはモスクワ・オリンピックのような立場に置かれる。
ロシアにとってロシア系のウクライナ、クリミアのロシア系を支援することはそれほど重要な問題か。米欧にとってはロシアが軍事力を背景にウクライナに介入することは大きな問題。
中ロ関係
中国とロシアの立場の違いが浮き上がった。中国は民族問題が深刻であり、クリミアの住民投票を認めるわけにはいかない。「民族自決」には目を皿のようにして注目。
最大の問題は台湾、これは大き過ぎる問題かもしれないが、香港についてはクリミア化の危険はある?
西側にとっては、中ロの亀裂は歓迎すべきこと。しかし中国は米欧に同調できない。
日本
米欧と共通点が多い。
しかし、ウクライナ情勢は日ロ関係に影響があるかどうか。日本は孤立するロシアとどのように向き合うか。日ロ関係、とくに領土問題の解決にどのように影響してくるか。
ロシアを怒らせたくないから、ウクライナ問題で強く出ないというのはさもしい発想であり、下心はすぐにばれる。
そうではなく、日本は中国と協力して、あるいは単独でロシアに抑制を促し、米欧との距離を少なくするのに努めるのがよいのではないか。
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