平和外交研究所

ブログ

オピニオン

2014.03.11

尖閣諸島ー大日本管辖分地図

3月6日付の環球時報の記事を同日付の新華社電が伝えている。
要点は次のとおりである。
○1894年3月5日に発行され、1895年5月19日修訂再販された『大日本管辖分地図』中の「沖縄県管内全図」には尖閣諸島が日本領であることを示す記述はなく、またそのなかの地図で示されている日本の領域の境界によれば、明らかに尖閣諸島は日本領土の外にある。
○この地図は1895年4月17日に下関条約が署名された後に発行されたものである(注 日本が主張している、尖閣諸島は日清戦争の結果獲得したものでないということへの反論であろう)。
○この地図は、国際法のcritical dateにしたがって尖閣諸島の帰属を決定するのに重要な参考資料となる。国際法のcritical date とは領土問題について争いが起こる期日を指し、法律上当事者が主張する法律関係が存在するか否かを確定する期日を指す。つまり、期日以前の帰属状況が確認されれば、期日以後の行為は無効である(不起作用)。
○中日間の尖閣諸島に関する争いのキーとなる期日は日清戦争の前後である。これより以前、中国と古代琉球の間に島の領有に関する争いはなく、またいわゆる「無主地」なるものもなかった。尖閣諸島は中国の版図に編入されてすでに500年以上になる(これは問題の記述なので原文を記載しておく「因为在此之前,中国和古代琉球国之间既无岛屿领土争议也无所谓“无主地”。钓鱼岛被纳入中国版图已逾500年」)。

思うに、この記事の中で事実関係を比較的正確に伝えているのは『大日本管辖分地図』に関する部分だけである。
国際法理論の説明が正しいか。しばし不問にしよう。
問題は日清戦争以前、尖閣諸島は中国に属していたとする記述であり、これは現在中国が言っていることの繰り返しに過ぎない。しかるに、尖閣諸島は中国領でなかったことを示す中国の資料として、明国朝廷の公式日誌「皇明實録」や「大明一統誌」や各地方誌がある。後者は、明国の「領域」は「東のかた海岸に至る」つまり海岸までと明記しているのである。
詳しくはキヤノングローバル戦略研究所ホームページ所掲の溝口修平研究員の一文(石井望長崎純心大学准教授の研究を紹介したもの)を参照されたい。

2014.03.02

中台関係⑦

「PRCと台湾は「1つの中国」の原則の下でお互いに承認し合える」
「中国」も「中国は1つ」も不明確なところがあるとは言え、それは実態がないということではなかろう。
それを言葉でどのように説明するかを別として、「中国」は昔から存在してきたし、これからも変わらないだろう。歴代の政権は、「中国」に比べれば短命であり、歴史が記述されるようになって以来、5百年以上続いた政権はなかった。「中華民国」はいままでのところ、せいぜい百年であり、「中華人民共和国」は60年強である。いずれも永遠に続くという保証はない。中国人に対して失礼千万かもしれないが、歴史的事実を参考にして推測すると、遠い将来には、PRCも台湾もなくなっているかもしれない。
しかし、「中国」は永遠である。現在生存している中国人とその子孫にとっては、特定の政権よりも「中国」の方が大事である。「中華人民共和国」も「中華民国」も中国人にとって重要であるのは否定しないが、「中国」の重要性は次元を異にしたものである。1千年、あるいは2千年先でもこのことは変わらないだろう。
しかるに、現在両岸の中国人は「中国は1つ」に合意している。これは、実に偉大なことであり、「中華人民共和国」がどのような状態にあるか、また「中華民国」はどうかなど、具体的には「台湾はPRCの一部である」かどうかなどは一定期間に限って問題となることであり、そのような問題についてどのような結論が得られようと、「中国は1つ」であり続ける。
PRCも台湾も「中国」そのものではない。「中国」を統治しようとしている政権に過ぎない。どちらにも「国」という字が入っているが、本当は国家ではない。国家は「中国」しかない。永遠の存在である「中国」という国家は1つしかない。PRCも台湾も、その「中国」とはPRCあるいは台湾のことだなどとおこがましく言えないはずである。それは有限の存在である人間が、無限である神を僭称するのと同じくらいありえないこと、あってはならないことであろう。
このように考えると、有限のPRCも台湾もおたがいに相手が自国の傘下に入ることを要求するべきでない。とくに住民が嫌がる限り、それを強要すべきでない。軍事力で一定の領域を自国の領土とすることは歴史的に行われてきた。もし、中国大陸か、台湾か、いずれかがが第三国の領土になっているのであれば、それを「中国」に取り戻すことは昔もそうであったように、ありうることである。しかし、「中国」については事情が違っている。中国人は、どこの住民であるかを問わず、「中国は1つ」という立場であり、それはすなわち、中国大陸も台湾も「中国」に属していることを認めていることを意味している。つまり、国家レベルでは「中国は1つ」はすでに実現しているのである。
そのように考えれば、PRCにしても台湾にしてもおたがいにありのままの姿で認め合うこと、つまり、台湾はPRCを承認し、PRCは台湾を承認する余地がある。これは「国家承認」ではありえず、「政府の承認」である。何度も繰り返すが、PRCも台湾も「中国」そのものでなく、国家は「中国」しかないからである。
将来どうなるかは分からない。PRCと台湾が現在お互いに承認し合っても、将来別名の国家を形成することはありうる。もちろん、中国人がそれを望めばの話であるが。
PRCは「一国二制度」を認める立場である。制度と政府の承認は違うという反論があるかもしれないが、政府がどのようなものか、それは有限の存在であることはすでに説明した。制度と違うとしても、国家である「中国」と比べれば政府と制度の違いは五十歩百歩であろう。「1つの国」のなかに異なる制度を認められるのであれば、異なる政府を認めるのに根本的な障害はないと考える。

2014.03.01

中台関係⑥

「中国とはなにか」

中台関係⑤までは、「中国」が1つか否かという問題を、いくつかの異なる角度から各国の立場を観察し、整理した結果である。

次に、「中国」とは何かを明確にしなければならない。これは、これまでほとんど、あるいはまったく疑問が呈されたことがなかった問題であろう。

「中国」は実在しているか。大いに疑問であると言わざるをえない。もし実在しているという人があれば、その「中国」を地図上で指し示してもらいたい。PRCは指し示せても「中国」ではない。
「清」「明」「唐」などは実在しても「中国」という名称の国は古今なかったのではないか。もっとも、古くなればなるほど国名の表記は現在と異なることが多くなるし、また外国がつける名称はまた違っていたことがある。たとえば、日本は「倭」と呼ばれたこともあるし、さらに古くは「邪馬台国」とも呼ばれたので、この問題は簡単に答えられないのかもしれない。中国の、あるいは第三国の古典のなかに、「中国」という名称の国家が説明されているかもしれない。
しかし、かりに「中国」という国名が見つかっても、その版図を示せるとは思えない。我々が知っている歴史上版図を持った「中国」などなかったはずである。だから「中国」という国家が実在したと思えない。
「中国」に比べ「中国人」ははるかに明確である。ただし、明確になるのは「中国語を話す」という共通項を備えているという意味であり、国籍ではない。国籍となると結局PRCなのか、「中国」なのかという問題になるであろう。
「中国人が支配している領域」が「中国」だとも言えない。シンガポールの例を見ればすぐ分かる。

では、「中国」をできるだけ常識から離れず、しかも正確に説明すれば、「中国」は、「東シナ海と中央アジアの間の大陸を統治してきた歴代の政権の総称」とでも言うべきか。これがよい説明か、人々に受け入れられるか心もとないが、他によい説明、あるいは定義があれば教えてもらいたい。

いずれにしても、「中国は1つ」と言ってもその意味が明確になるとは思えない。本中台関係シリーズの③で、米国は「台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ1つであり、台湾は中国の1部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論を唱えない」と応じたことを紹介し、米国も「中国」とはなにかよく分からないと思っていたかもしれないと説明した。
ともかく、「中国」が明確でなければ、「中国は1つ」と言っても明確になりえない。「台湾はPRCの一部である」など、いろいろなケースが考えられることはすでに見てきたが、それらおは別に、PRCも台湾も「中国は1つ」とみなしているのは興味ある事実である。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.