オピニオン
2014.03.22
醍醐寺は桜の名所であり、秀吉が北の政所、淀殿はじめ女房衆および直参の武将など1300人余を引き連れて花見をしたことは歴史上あまりにも有名である。現在でも、4月の第2日曜日には往時をしのんで花見行列が行われる。秀吉が花見をした場所は「やり山」の中腹で「上醍醐」と呼ばれる地域にあり、記念碑がたっている。当時そこからの見晴らしは絶景であったが、今は樹木が大きくなりすぎて肝心の桜はよく見えなくなっている。秀吉はその花見から数か月後に他界したので、醍醐の花見は秀吉最後の一大イベントであった。
醍醐寺と秀吉の関係は非常に深い。一言でいえば、醍醐寺は秀吉の博物館の役割を果たしている。徳川家康については徳川記念館がある。信長については遺品やゆかりのものは後世にほとんど伝えられない(?)。秀吉については江戸時代にゆかりの建物などが破壊されたので、正規の記念館的なところはないと思っていたが、実は醍醐寺がその役割を果たしている。
秀吉は醍醐寺を大のひいきにし、紀州の湯浅のお寺の本堂を移築して金堂(醍醐寺の本堂 国宝)を建てた。醍醐寺の一角をなす三宝院の庭を自ら設計し、その庭を臨む表書院も秀吉の趣向で作らせた。いかに時の権力者とは言え、立場上そんな資格はなかったはずであるが、秀吉は醍醐寺を別邸か迎賓館のように思っていたようである。花見の後には紅葉狩り、また翌春には後陽成天皇の行幸を予定しいた。
また、醍醐寺の別の一角である「霊宝館」には秀吉が安置した仏像、直筆の書簡、使用した茶器、腰掛、野外火鉢などが展覧されている。秀吉から始まり、前田利家、秀頼、北の政所、淀殿などが花見の時に詠んだ歌を順番に収めている記録は、記録と言うよりは芸術品である。また、これは招待客の序列を示している。秀頼は当時まだ幼く歌など詠めなかったはずであるが、記録に残すためか第3位に記されている。
醍醐寺の座主義演が花見の行事や秀吉からの贈り物を細かく記した日記も興味深い。
秀吉の息遣いまで聞こえてくるようである。他のところでは、たとえば、大阪城には秀吉が作った金の茶室があるが、飾ってあるだけであり、秀吉の面影は浮かび上がってこない。
秀吉は義演座主と懇意であったのは明らかであるが、それも半端でなかったようだ。
醍醐寺は秀吉の死後も豊臣家と緊密であり、秀頼は西大門(仁王門)、上醍醐如意輪堂、五大堂開山堂などを再建、あるいは改築した。北の政所が寄贈した院もある。
醍醐寺のいたるところに豊臣家の家紋である桐が描かれているのも当然である。
醍醐寺は秀吉の病が重くなると総力を挙げて快癒の祈祷をし、死後には盛大な法要を営んだ。このことに対して豊臣家は惜しみなく礼をしたのであろう。
醍醐寺と秀吉の関係を想像するだけでやめておくべきかもしれないが、権力者と結びつく寺院という構図がある。否定しようがないくらい明らかである。
醍醐寺は秀吉以前も権力者と密接な関係にあった。そもそも醍醐、朱雀、村上天皇が薬師堂、伽藍、釈迦堂、五重塔などを建立し、また仏像を安置した。白河天皇も多くの堂宇を建てた。
南北朝時代、賢俊座主は足利尊氏の帰依を一身に集めた。満済准后は足利幕府時代黒衣の宰相と言われた。准后は皇后に準ずる皇族、貴族である。
そして義演准后は秀吉と懇意にした。父は二条晴良(藤原氏の長者)、母は伏見宮貞敦親王王女の位子であり、足利幕府15代将軍足利義昭の猶子であった。そのあたりにもいろいろは事情があったようである。

醍醐寺と秀吉
今日は、ちょっと変わって醍醐寺について。醍醐寺は桜の名所であり、秀吉が北の政所、淀殿はじめ女房衆および直参の武将など1300人余を引き連れて花見をしたことは歴史上あまりにも有名である。現在でも、4月の第2日曜日には往時をしのんで花見行列が行われる。秀吉が花見をした場所は「やり山」の中腹で「上醍醐」と呼ばれる地域にあり、記念碑がたっている。当時そこからの見晴らしは絶景であったが、今は樹木が大きくなりすぎて肝心の桜はよく見えなくなっている。秀吉はその花見から数か月後に他界したので、醍醐の花見は秀吉最後の一大イベントであった。
醍醐寺と秀吉の関係は非常に深い。一言でいえば、醍醐寺は秀吉の博物館の役割を果たしている。徳川家康については徳川記念館がある。信長については遺品やゆかりのものは後世にほとんど伝えられない(?)。秀吉については江戸時代にゆかりの建物などが破壊されたので、正規の記念館的なところはないと思っていたが、実は醍醐寺がその役割を果たしている。
秀吉は醍醐寺を大のひいきにし、紀州の湯浅のお寺の本堂を移築して金堂(醍醐寺の本堂 国宝)を建てた。醍醐寺の一角をなす三宝院の庭を自ら設計し、その庭を臨む表書院も秀吉の趣向で作らせた。いかに時の権力者とは言え、立場上そんな資格はなかったはずであるが、秀吉は醍醐寺を別邸か迎賓館のように思っていたようである。花見の後には紅葉狩り、また翌春には後陽成天皇の行幸を予定しいた。
また、醍醐寺の別の一角である「霊宝館」には秀吉が安置した仏像、直筆の書簡、使用した茶器、腰掛、野外火鉢などが展覧されている。秀吉から始まり、前田利家、秀頼、北の政所、淀殿などが花見の時に詠んだ歌を順番に収めている記録は、記録と言うよりは芸術品である。また、これは招待客の序列を示している。秀頼は当時まだ幼く歌など詠めなかったはずであるが、記録に残すためか第3位に記されている。
醍醐寺の座主義演が花見の行事や秀吉からの贈り物を細かく記した日記も興味深い。
秀吉の息遣いまで聞こえてくるようである。他のところでは、たとえば、大阪城には秀吉が作った金の茶室があるが、飾ってあるだけであり、秀吉の面影は浮かび上がってこない。
秀吉は義演座主と懇意であったのは明らかであるが、それも半端でなかったようだ。
醍醐寺は秀吉の死後も豊臣家と緊密であり、秀頼は西大門(仁王門)、上醍醐如意輪堂、五大堂開山堂などを再建、あるいは改築した。北の政所が寄贈した院もある。
醍醐寺のいたるところに豊臣家の家紋である桐が描かれているのも当然である。
醍醐寺は秀吉の病が重くなると総力を挙げて快癒の祈祷をし、死後には盛大な法要を営んだ。このことに対して豊臣家は惜しみなく礼をしたのであろう。
醍醐寺と秀吉の関係を想像するだけでやめておくべきかもしれないが、権力者と結びつく寺院という構図がある。否定しようがないくらい明らかである。
醍醐寺は秀吉以前も権力者と密接な関係にあった。そもそも醍醐、朱雀、村上天皇が薬師堂、伽藍、釈迦堂、五重塔などを建立し、また仏像を安置した。白河天皇も多くの堂宇を建てた。
南北朝時代、賢俊座主は足利尊氏の帰依を一身に集めた。満済准后は足利幕府時代黒衣の宰相と言われた。准后は皇后に準ずる皇族、貴族である。
そして義演准后は秀吉と懇意にした。父は二条晴良(藤原氏の長者)、母は伏見宮貞敦親王王女の位子であり、足利幕府15代将軍足利義昭の猶子であった。そのあたりにもいろいろは事情があったようである。

2014.03.19
クリミア
住民投票で独立の結論が出た。ロシアはすでにクリミアを独立国家として承認し、さらにクリミア共和国をロシア連邦に編入する条約にも署名した。国際社会から批判され、クリミアを併合しないよう圧力を受けているが途中で引き返せない。クリミアはロシア連邦の一部となるのであろう。
経緯的には、クリミアの住民投票は5月に予定されていたが、なぜそのようなことが決まっていたのか。
また、それを繰り上げて3月中に実施したのはいかなる理由によるか。
クリミアがロシア連邦の一部となった後、ウクライナとの関係はどうなるか。当然ウクライナはクリミアを承認しないだろうが、現実には隣り合っており、一定程度の相互依存関係が残るのではないか。
ウクライナ
ロシアはヤヌコビッチを大統領として依然として認めており、暫定政権を認めていないが、ヤヌコビッチがウクライナに帰還し、以前の状態に復帰する可能性はないか。他国の例をみるとそれはなさそうだが、ウクライナの親ロシア勢力はかなり強い。
ロシアはヤヌコビッチを抱え込んでどうするつもりか。
暫定政権も右派勢力をかかえており、複雑なようだ。
ロシアとの関係が悪化してもエネルギーはロシアから供給を受けるだろう。ヨーロッパは一時的には供給できても、長続きは困難であろう。
ウクライナの対ロシア債務をどう処理するか。パイプラインの使用料、ロシアからのエネルギー供給に対する支払い、さらには黒海艦隊によるクリミア基地使用料などロシアとの間にはかねてから複雑な債権債務関係がある。政治関係の変化に応じて、その清算条件も変わってくる。
ウクライナの債務救済に対するヨーロッパの役割いかん。
ウクライナの安全保障。とくにロシアの脅威。当面はそれどころでないかもしれないが、ウクライナは核を放棄すべきでなかったという議論はある。
米欧とロシアの関係
米欧の対ロ制裁はすでに開始しており、ロシアの出方次第でさらに強くするというのが米欧の立場。これは効果的か。
ロシアの米欧に対する対抗措置。概してロシアの立場は強くない。エネルギーは例外。とくにドイツなどロシアへの依存度が高い国には。
金融面では圧倒的の米欧が優位。
ロシアとして有力なのは軍事的な対抗手段。新核戦略交渉に応じない?現行の査察に協力しない?INFで合意違反?しかし、軍事・安全保障に拡大するとロシアにとっても危険は大きい。当面はこちらに波及する危険をちらつかせるだけにとどめるか。
ロシアとして政治的、外交的な応戦を続ける余地がある。
ロシアはコソボの例を持ちだし、米欧がダブルスタンダードだと主張し、クリミア併合を正当化しようとしている。米欧は、コソボではアルバニア人が虐待されたが、クリミアではロシア人は虐待された証拠はないと主張。しかし、泥仕合になる可能性はある。ロシアの狙いか?
G8への影響は避けられない。米欧と日本はボイコットが確実なのでロシアはモスクワ・オリンピックのような立場に置かれる。
ロシアにとってロシア系のウクライナ、クリミアのロシア系を支援することはそれほど重要な問題か。米欧にとってはロシアが軍事力を背景にウクライナに介入することは大きな問題。
中ロ関係
中国とロシアの立場の違いが浮き上がった。中国は民族問題が深刻であり、クリミアの住民投票を認めるわけにはいかない。「民族自決」には目を皿のようにして注目。
最大の問題は台湾、これは大き過ぎる問題かもしれないが、香港についてはクリミア化の危険はある?
西側にとっては、中ロの亀裂は歓迎すべきこと。しかし中国は米欧に同調できない。
日本
米欧と共通点が多い。
しかし、ウクライナ情勢は日ロ関係に影響があるかどうか。日本は孤立するロシアとどのように向き合うか。日ロ関係、とくに領土問題の解決にどのように影響してくるか。
ロシアを怒らせたくないから、ウクライナ問題で強く出ないというのはさもしい発想であり、下心はすぐにばれる。
そうではなく、日本は中国と協力して、あるいは単独でロシアに抑制を促し、米欧との距離を少なくするのに努めるのがよいのではないか。
ウクライナ問題の主要点
ウクライナ情勢は流動的であるが、この時点でポイントを整理しておこう。2014年3月19日クリミア
住民投票で独立の結論が出た。ロシアはすでにクリミアを独立国家として承認し、さらにクリミア共和国をロシア連邦に編入する条約にも署名した。国際社会から批判され、クリミアを併合しないよう圧力を受けているが途中で引き返せない。クリミアはロシア連邦の一部となるのであろう。
経緯的には、クリミアの住民投票は5月に予定されていたが、なぜそのようなことが決まっていたのか。
また、それを繰り上げて3月中に実施したのはいかなる理由によるか。
クリミアがロシア連邦の一部となった後、ウクライナとの関係はどうなるか。当然ウクライナはクリミアを承認しないだろうが、現実には隣り合っており、一定程度の相互依存関係が残るのではないか。
ウクライナ
ロシアはヤヌコビッチを大統領として依然として認めており、暫定政権を認めていないが、ヤヌコビッチがウクライナに帰還し、以前の状態に復帰する可能性はないか。他国の例をみるとそれはなさそうだが、ウクライナの親ロシア勢力はかなり強い。
ロシアはヤヌコビッチを抱え込んでどうするつもりか。
暫定政権も右派勢力をかかえており、複雑なようだ。
ロシアとの関係が悪化してもエネルギーはロシアから供給を受けるだろう。ヨーロッパは一時的には供給できても、長続きは困難であろう。
ウクライナの対ロシア債務をどう処理するか。パイプラインの使用料、ロシアからのエネルギー供給に対する支払い、さらには黒海艦隊によるクリミア基地使用料などロシアとの間にはかねてから複雑な債権債務関係がある。政治関係の変化に応じて、その清算条件も変わってくる。
ウクライナの債務救済に対するヨーロッパの役割いかん。
ウクライナの安全保障。とくにロシアの脅威。当面はそれどころでないかもしれないが、ウクライナは核を放棄すべきでなかったという議論はある。
米欧とロシアの関係
米欧の対ロ制裁はすでに開始しており、ロシアの出方次第でさらに強くするというのが米欧の立場。これは効果的か。
ロシアの米欧に対する対抗措置。概してロシアの立場は強くない。エネルギーは例外。とくにドイツなどロシアへの依存度が高い国には。
金融面では圧倒的の米欧が優位。
ロシアとして有力なのは軍事的な対抗手段。新核戦略交渉に応じない?現行の査察に協力しない?INFで合意違反?しかし、軍事・安全保障に拡大するとロシアにとっても危険は大きい。当面はこちらに波及する危険をちらつかせるだけにとどめるか。
ロシアとして政治的、外交的な応戦を続ける余地がある。
ロシアはコソボの例を持ちだし、米欧がダブルスタンダードだと主張し、クリミア併合を正当化しようとしている。米欧は、コソボではアルバニア人が虐待されたが、クリミアではロシア人は虐待された証拠はないと主張。しかし、泥仕合になる可能性はある。ロシアの狙いか?
G8への影響は避けられない。米欧と日本はボイコットが確実なのでロシアはモスクワ・オリンピックのような立場に置かれる。
ロシアにとってロシア系のウクライナ、クリミアのロシア系を支援することはそれほど重要な問題か。米欧にとってはロシアが軍事力を背景にウクライナに介入することは大きな問題。
中ロ関係
中国とロシアの立場の違いが浮き上がった。中国は民族問題が深刻であり、クリミアの住民投票を認めるわけにはいかない。「民族自決」には目を皿のようにして注目。
最大の問題は台湾、これは大き過ぎる問題かもしれないが、香港についてはクリミア化の危険はある?
西側にとっては、中ロの亀裂は歓迎すべきこと。しかし中国は米欧に同調できない。
日本
米欧と共通点が多い。
しかし、ウクライナ情勢は日ロ関係に影響があるかどうか。日本は孤立するロシアとどのように向き合うか。日ロ関係、とくに領土問題の解決にどのように影響してくるか。
ロシアを怒らせたくないから、ウクライナ問題で強く出ないというのはさもしい発想であり、下心はすぐにばれる。
そうではなく、日本は中国と協力して、あるいは単独でロシアに抑制を促し、米欧との距離を少なくするのに努めるのがよいのではないか。
2014.03.14
日本としては、尖閣諸島がサンフランシスコ平和条約(平和条約)およびその解釈により日本が引き続き領有することになったことは明白であるが、中国(PRC)は平和条約の締約国でないので、それに拘束されない、したがってまた、日本の主張する解釈に縛られないという立場を取る可能性がある。
かりにそうであっても、尖閣諸島が日本の領土であることは平和条約締結以前も以後も変わりがない。つまり平和条約によって日本がはじめて尖閣諸島に対する領有権を獲得したのではないので、PRCが平和条約を認めても認めなくても同じことである。
一方、PRCの領有権を間接的に認めた条約はない。それは国際的に認められたことでなかったのである。
PRCが同平和条約による日本の領域の再画定を認めないとなると、台湾島を日本が放棄したことも認めないということになるはずである。もっとも日本が放棄したという行為はいわゆる物権的行為、すなわち、日本は特定の相手に対し放棄したのではなく、放棄したことをどの国でも主張できるといことになる可能性はある。この解釈に立てば、PRCも日本は台湾島を放棄したと主張できるかもしれない。しかし、そうであれば、尖閣諸島は第3条で処理されたと確認されたことも認めるのが筋であろう。放棄したほうだけを援用し、放棄しなかった方は援用しないわけにいかないからである。
日本と台湾(ROC)との関係では、1952年4月28日署名に署名された「日華平和条約」の第2条で、「日本国はサンフランシスコ平和条約第2条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」と規定されたので、ROCとして日本が台湾島を放棄したと主張するのになんら問題はない。
尖閣諸島と中国のサンフランシスコ平和条約に対する立場
「尖閣諸島の法的地位」(本コラム3月12日)で触れなかった中国の立場について。日本としては、尖閣諸島がサンフランシスコ平和条約(平和条約)およびその解釈により日本が引き続き領有することになったことは明白であるが、中国(PRC)は平和条約の締約国でないので、それに拘束されない、したがってまた、日本の主張する解釈に縛られないという立場を取る可能性がある。
かりにそうであっても、尖閣諸島が日本の領土であることは平和条約締結以前も以後も変わりがない。つまり平和条約によって日本がはじめて尖閣諸島に対する領有権を獲得したのではないので、PRCが平和条約を認めても認めなくても同じことである。
一方、PRCの領有権を間接的に認めた条約はない。それは国際的に認められたことでなかったのである。
PRCが同平和条約による日本の領域の再画定を認めないとなると、台湾島を日本が放棄したことも認めないということになるはずである。もっとも日本が放棄したという行為はいわゆる物権的行為、すなわち、日本は特定の相手に対し放棄したのではなく、放棄したことをどの国でも主張できるといことになる可能性はある。この解釈に立てば、PRCも日本は台湾島を放棄したと主張できるかもしれない。しかし、そうであれば、尖閣諸島は第3条で処理されたと確認されたことも認めるのが筋であろう。放棄したほうだけを援用し、放棄しなかった方は援用しないわけにいかないからである。
日本と台湾(ROC)との関係では、1952年4月28日署名に署名された「日華平和条約」の第2条で、「日本国はサンフランシスコ平和条約第2条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」と規定されたので、ROCとして日本が台湾島を放棄したと主張するのになんら問題はない。
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