平和外交研究所

ブログ

オピニオン

2014.05.13

ウクライナ東部での住民投票

ウクライナの情勢は混迷を深めている。同国東部のドネツク州とルガンスク州で政府施設を占拠している親ロシア派は、プーチン大統領が5月7日、延期を呼びかけたにもかかわらず11日、住民投票を強行した。その結果、9割に近い圧倒的多数が独立に賛成したと発表されたが、これほど問題や不正があった投票はめずらしいのではないか。
そもそも、住民投票で問われたことは「独立に賛成するか」という問いに限定されていたのでなく、さらに広く自治の拡大を求めるとも読める内容であったらしい。そうであれば、投票で示された住民の意思は何なのか。これら2州では多数を占めているロシア系住民が自治の拡大を求めていることはすでに知られていることである。
この他にも問題は多々ある。過激な行動に走っている者のなかには外からはいりこんでいるものがいる。1人で複数回、あるいは複数の投票をする者もいた。票の管理はかなり杜撰で、投票が終わった後さらに票を加えることも可能であった。これら報道されていることがどこまで確認されているか、問題がないわけではないが、今回の投票がかなりひどい状況の中で行なわれたことはほぼ間違いないであろう。
過激な親ロシア派はクリミアの例に味をしめ、これら2州でも同じことを起こそうとしたのであろう。その背景には、ソ連邦の解体後状況がまだ落ち着いておらず、とくに経済はひどい状況にあり、住民が不満を募らせるのは無理もないが、クリミアとは違う側面がある。クリミアにはロシアにとって重要な地中海艦隊基地があるが、東部ウクライナにはそのようなところはない。また、プーチン大統領が住民投票を延期するよう呼びかけたことも大きい。東ウクライナはロシアにとって、ロシア系住民が多いということもさることながら、下手をすればいわゆる「お荷物」になるおそれもある。クリミアの住民はロシアに併合されれば、給与や年金などが倍くらいになると期待感を膨らませているようだが、ロシアは金のなる木でない。エネルギー収入に大きく頼る経済であり、底は深くない。
さらに問題なのは、ロシアがウクライナを緩衝国として必要としていることである。もし、民族問題がさらに激しくなってウクライナ全体に影響がおよんで不安定化し、その結果欧米側に行ってしまうと困るのはロシアである。ロシアが西欧の影響力が強まることに非常に神経質に抵抗してきたのは歴史的事実と言えるであろう。親ロシア系住民の福祉は、残念ながらこの比ではない
また、ロシアは一方で、西側と相互依存の関係にある。天然ガスの供給はその一例にすぎず、ロシアは技術面でも経済面でも冷戦時代とははるかに密接に西欧と関係を結んでおり、政治的、戦略的な考慮から、米欧と対決したくても一定の抑制が働くのではないか。米欧の制裁措置の実効性については議論があるが、双方で依存しあっていることは事実であり、少なくともその限りにおいてロシアはウクライナ問題についても西側と協力関係を維持する必要がある。
ウクライナの東部2州では、今は、急進的な若者を中心に過激な行動が渦巻いているが、これら2州のみならずウクライナ全体がロシアと米欧のはざまにあり、政治、軍事、経済のいずれの側面でも完全な自立、自給は困難である。中長期的には親ロシア系住民も冷静に考え、より合理的に対処せざるをえなくなるものと思われる。

2014.05.06

オバマ発言に関する美根の評論を多維新聞が報道

4月24日の日米首脳共同記者会見でのオバマ大統領の発言(本ブログでも4月28日に取り上げた)に関する私の拙文が共同通信社によって「識者評論」として報道されたところ、5月5日の多維新聞(米国に本部がある中国語の新聞)はその前半だけを報道した。その限りではほぼ正確な報道であった。

報道されなかった後半部分は次の通りである。
「それでは日本として今後どうすべきか。日本が尖閣諸島に対し領有権を持つことは法的・歴史的に明らかであり、「領土問題はない」との基本姿勢は貫くべきだ。しかし中国と対話せず、何もしないというのでは、第三国には理解されない。
 日本は平和的に中国との間にある争いを収める努力をしなければならず、そのためには国際司法裁判所(ICJ)での解決を模索するのがいい。
 日本はこれまで法的な可能性として「中国が提訴すれば受けてもよい」と述べてきた程度だ。日本がICJでの解決を求めており、そのために努力すると歯切れよく表明することが肝要だ。
 米国は一般的にICJでの紛争解決を重視しており、オバマ大統領も平和解決のために何でも協力すると言明している。
 尖閣の主権をめぐる大統領の発言だが、歴史的に米国は特殊な立場にある。尖閣がサンフランシスコ講話条約の「琉球諸島」に含まれるとの解釈を確立したのは、米国と他の締約国だ。しかも米国は主導的役割を果たした。米国にこのことを注意喚起し、適切な対応を取るよう求めるべきだ。」

2014.04.26

PKOと武器使用

キヤノングローバル戦略研究所のホームページに掲載された一文

「国連の平和維持活動(PKO)に参加する日本の部隊の武器使用はかなり制限されており、「隊員の生命などを防護する場合」は認められるが、「任務の遂行を実力で妨害する企てに対する抵抗の場合」は認められていない。前者のケースはA型、後者はB型と呼ばれることがある。この制限を分かりやすく言えば、日本の部隊は、自分たち隊員は助けるが、日本の部隊と同じPKOの中で活動している外国人、日本のNGOなどが生命の危険にさらされても、日本の部隊は、原則として、助けに行けない、日本の部隊ができるのは外国の部隊に対してこれらの人たちを助けてほしいと要請するだけである。
 このようなことは誰が考えても公平でない。しかも日本の部隊は、おそらく他国と比べて装備も訓練も非常に優れており能力的には問題がないだけに、そのような制約が合理的か、国際的には疑問を持たれるであろう。自衛隊の海外での活動について日本の主要新聞にはさまざまな主義主張があるが、B型が認められるよう、あるいは少しでもそれに近づけるよう何とかしたいという気持ちがにじみ出ている論調が増えているように見受けられる。ただし、結論は憲法の制約から認められないというところで止まっている。
 総理の下に設置されている「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会(安保法制懇)」はB型を認めることができるか見直そうとしているそうであり、注目される。
 日本の部隊が活動する場合に武力の行使が制限されるのは、二つの理由による。その一つは、日本国憲法は徹底した平和主義の観点から自衛隊が海外で武力を行使することを原則禁止していると解釈されているからであり、もう一つの理由は、平和維持活動で武力行使が認められるのは、攻撃に対して自衛する場合に限られると解されているからである(たとえば山本草二『国際法』)。
第一の憲法の関係では、9条1項は「武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久に放棄する」と規定しており、日本政府はこの「国際紛争」とは、「国家又は国家に準ずる組織の間で特定の問題について意見を異にし、互いに自己の意見を主張して譲らず、対立している状態」を言うと定義している(官邸ホームページ「国際的な平和活動における武器使用」)。
この定義に立ち、日本は第三国間の紛争において武力を行使できないのはもちろん、特定国内で政府と反乱軍の間で生じている紛争でも武力を行使できないと解されている。しかし、PKOは政府と反乱軍が和平に合意した後のことであり、後者の定義にあたらないのではないか。もしあたらなければ憲法の制約はPKOに及ばないことになる。
 第二は、平和維持活動で武力行使が認められるのは、攻撃に対して自衛する場合に限られるという国際法の解釈は、武力行使を原則禁止にした国連憲章に起因している。すなわち、同憲章は、武力行使禁止の例外としていわゆる国連軍として行動をとる場合(第42条)と、国連加盟国が個別的または集団的に自衛権を行使する場合(第51条)をあげており、国連軍は成立しないので自衛権行使の場合だけを例外として武力行使を認めているように見える。しかし、例外はそれだけではないのではないか。同憲章2条4項は、「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるもの」は武力行使が禁止されると規定しており、逆に言えば、国連の目的と両立する場合は武力行使が認められると解することが可能である。つまり、武力行使禁止の例外には第3のケースがあるということである。このことを認めれば、自衛権の行使でなくても武力行使ができることになる。
 このようにPKOには自衛権の考えを持ちこむ必要がないばかりか、そうすることには問題がある。すなわち、自衛権を行使するのはいずれかの国が攻撃してきた場合であり、その場合攻撃する側と受ける側との間では「国際紛争」がある可能性が高い。攻撃以前の時点では敵味方ではなく平和な関係であったとしても、攻撃を仕掛けてきた場合はそこから「国際紛争」が始まることが多い。つまり「国際紛争」は自衛権の行使と同時、あるいはそれ以前から起こっており、自衛権が行使される場合、通常は「国際紛争」があるのである。
一方PKOは、それまで争っていた当事者間に和平が成立した場合のことであり、平和な状況の中で平和を乱そうとする妨害を防ぐのがPKOの目的である。したがって、PKOについて自衛権の考えを持ちこむのは、平和な状況の中での秩序維持について平和でない場合のルールを持ちこむのに等しく、適切でない。
もちろん、PKOでは武力行使が無制限に許されるのではない。各PKOに関する安保理決議を実行するのに必要な程度まで許されるということである。
 このようにPKOの場合と自衛権を行使する場合を明確に区別すれば、前述したPKOに日本国憲法の制約が及ばないことが一層明確になるであろう。PKOは国連の監視下にある平和な状況の中での行動であり、日本の部隊が武力を行使しても侵略などに発展することはありえない。
 以上、鍵となるのは、PKOを国連憲章2条4項の武力行使禁止の第3の例外とみなすことと、PKOは自衛権発動の事態とは基本的に異質な、平和な状況であることを認識することであり、私はこれらを肯定し、自衛権の発動でも、また日本国憲法で制限されている問題でもないPKO部隊は、国連決議の履行に必要な限りにおいて武力を行使できると考える。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.