オピニオン
2015.02.20
総理の諮問機関という位置づけであり、その役割については、「談話を書くことを目的にしたものではない。政府が談話の具体的内容を検討するに当たり、意見を伺いたい」と菅官房長官により説明された。最終的に談話を作るのは、あくまでも政府だ、政府が作る談話は懇談会の意見と異なるものになりうるということである。懇談会のそうそうたるメンバーに対して失礼ではないかという気もするが、以前よくあった、官僚が作文したものを有識者の意見であると称してそのまま結論とするよりはるかによい。メンバーは自由に意見を述べることができ、それをどのように活用するかは総理しだいというのは総理の諮問機関の本来の姿なのであろう。昨年7月に閣議決定された安全保障法制に関する新方針も、それに先立って発表された懇談会の報告のうち一部を採用しなかった。
談話の内容については、菅官房長官は記者会見で、「先の大戦への反省、戦後平和国家としての歩み、今後日本はアジア太平洋地域や世界にどう貢献していくか。世界に発信できるようなものを英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいきたい」と述べた。これも立派な姿勢であるが、「先の大戦への反省」をどのように表明するかについては考えなければならないことがある。とくに、戦後50年の際の「村山談話」と60年の「小泉談話」で表明したことをどのように扱うかである。
安倍総理は、この二つの談話を「全体として引き継ぐ」と語っている。この言葉には方向性は示されているが、不明確な面もあり、すでに内外でさまざまな議論が出ているが、私は次のように考える。
重要なポイントは、分かりやすくするため多少書き換えたが、①戦争をしたのは誤りであった、②日本は植民地支配と侵略によって多くの国に多大の損害と苦痛を与えた、③反省しお詫びする、の3点であり、これをどう扱うかが問題であるが、結論を先に言うと、新談話ではこの3点を言い換える必要はないし、言い換えるべきでないと思う。その理由はつぎのとおりである。
第1に、この3点に関する村山談話と小泉談話における言及については、国民の間にさまざまな意見があり、一致していない。安倍総理が自分の考えを新談話に盛り込みたいのは分かるが、10年ごとという節目であれ、その時の総理が前任者とは少し異なる自己の信念を書き込むのは果たして賢明か。さらに言えば、村山談話と小泉談話は一致していない部分があり、今回さらに一致しない談話を発表するのは賢明でないのではないか。もし、先の大戦に関して日本に違った意見があることを示すのが目的ならば、2つの談話で足りている。
第2に、新談話が村山談話と小泉談話の過ち、あるいは適切でない点を正そうとするならば、それは無理なことである。新談話は将来安倍総理の談話として記憶されるが、村山談話と小泉談話を書き換えることはできないからである。書き換えるならば、政府が正面からこの3点を取り上げ、国民的議論を行ない、それを集約して政府見解とする必要がある。政府見解は一つの例であり、法律ということも考えられる。いずれにしてもそれは不可能に近いのではないか。
第3に、「全体として引き継ぐ」と説明しつつ、重要なポイントの一部であれ引き継がないのは誠実な姿勢とは言えない。これは総理の考えでないだろうが、念のため指摘しておく。
第4に、安倍総理が国会で指摘したことに通じるが、具体的な文言をあれこれ議論するのは果たして得策か疑問である。
第5に、近隣諸国のみならず米国なども新談話の内容に強い関心を見せている。その状況の中で、村山談話および小泉談話と異なる内容の新談話を発表することが安倍政権として得策か疑問である。下手をすれば、米国などの警戒心をむしろあおる結果になる恐れがある。
以上のような考慮から、新談話では具体的なポイントには深入りせず、ただ「村山談話と小泉談話の立場を継承する」とのみ表明し、その上で「戦後平和国家としての歩み、今後日本はアジア太平洋地域や世界にどう貢献していくか」を大いに論じるのがよいと考える。
戦後70周年新談話
戦後70周年に発出される総理談話に関し、有識者の意見を聞くための懇談会、「20世紀を振り返り21世紀の世界秩序と日本の役割を構想するための有識者懇談会」(略称・21世紀構想懇談会)の設置が発表された。総理の諮問機関という位置づけであり、その役割については、「談話を書くことを目的にしたものではない。政府が談話の具体的内容を検討するに当たり、意見を伺いたい」と菅官房長官により説明された。最終的に談話を作るのは、あくまでも政府だ、政府が作る談話は懇談会の意見と異なるものになりうるということである。懇談会のそうそうたるメンバーに対して失礼ではないかという気もするが、以前よくあった、官僚が作文したものを有識者の意見であると称してそのまま結論とするよりはるかによい。メンバーは自由に意見を述べることができ、それをどのように活用するかは総理しだいというのは総理の諮問機関の本来の姿なのであろう。昨年7月に閣議決定された安全保障法制に関する新方針も、それに先立って発表された懇談会の報告のうち一部を採用しなかった。
談話の内容については、菅官房長官は記者会見で、「先の大戦への反省、戦後平和国家としての歩み、今後日本はアジア太平洋地域や世界にどう貢献していくか。世界に発信できるようなものを英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいきたい」と述べた。これも立派な姿勢であるが、「先の大戦への反省」をどのように表明するかについては考えなければならないことがある。とくに、戦後50年の際の「村山談話」と60年の「小泉談話」で表明したことをどのように扱うかである。
安倍総理は、この二つの談話を「全体として引き継ぐ」と語っている。この言葉には方向性は示されているが、不明確な面もあり、すでに内外でさまざまな議論が出ているが、私は次のように考える。
重要なポイントは、分かりやすくするため多少書き換えたが、①戦争をしたのは誤りであった、②日本は植民地支配と侵略によって多くの国に多大の損害と苦痛を与えた、③反省しお詫びする、の3点であり、これをどう扱うかが問題であるが、結論を先に言うと、新談話ではこの3点を言い換える必要はないし、言い換えるべきでないと思う。その理由はつぎのとおりである。
第1に、この3点に関する村山談話と小泉談話における言及については、国民の間にさまざまな意見があり、一致していない。安倍総理が自分の考えを新談話に盛り込みたいのは分かるが、10年ごとという節目であれ、その時の総理が前任者とは少し異なる自己の信念を書き込むのは果たして賢明か。さらに言えば、村山談話と小泉談話は一致していない部分があり、今回さらに一致しない談話を発表するのは賢明でないのではないか。もし、先の大戦に関して日本に違った意見があることを示すのが目的ならば、2つの談話で足りている。
第2に、新談話が村山談話と小泉談話の過ち、あるいは適切でない点を正そうとするならば、それは無理なことである。新談話は将来安倍総理の談話として記憶されるが、村山談話と小泉談話を書き換えることはできないからである。書き換えるならば、政府が正面からこの3点を取り上げ、国民的議論を行ない、それを集約して政府見解とする必要がある。政府見解は一つの例であり、法律ということも考えられる。いずれにしてもそれは不可能に近いのではないか。
第3に、「全体として引き継ぐ」と説明しつつ、重要なポイントの一部であれ引き継がないのは誠実な姿勢とは言えない。これは総理の考えでないだろうが、念のため指摘しておく。
第4に、安倍総理が国会で指摘したことに通じるが、具体的な文言をあれこれ議論するのは果たして得策か疑問である。
第5に、近隣諸国のみならず米国なども新談話の内容に強い関心を見せている。その状況の中で、村山談話および小泉談話と異なる内容の新談話を発表することが安倍政権として得策か疑問である。下手をすれば、米国などの警戒心をむしろあおる結果になる恐れがある。
以上のような考慮から、新談話では具体的なポイントには深入りせず、ただ「村山談話と小泉談話の立場を継承する」とのみ表明し、その上で「戦後平和国家としての歩み、今後日本はアジア太平洋地域や世界にどう貢献していくか」を大いに論じるのがよいと考える。
2015.02.11
新方針は、A国の軍隊の行動が非軍事目的であるか否かについて、「その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」としている。厳格に判断するという趣旨なのであろう。しかし、軍隊にはいっさい援助しないこととしていた従来の方針と、一定の場合とはいえそれを可能にした新方針の違いは大きい。
政府が非軍事目的であることを確保するのだから大丈夫だ、と考えるのはあまりにも表面的である。たとえば、A国の軍隊は一方では戦争をしながら、他方で災害救助に従事することがあり、その場合に災害救助だけに援助するというのは形式的にはありうるとしても、実質的には意味をなさない。A国の軍隊の財布は一つであり、災害救助に援助することは結果的に戦争にも援助することになるからである。もう少し正確に言えば、災害救助の関係で援助してもらった分だけA国の軍隊は戦争にお金を使えるのである。
もし、「災害援助」に貢献したいならば他に方法がある。たとえば、避難民の支援であれば、国連の難民高等弁務官(UNHCR)に拠出すればよい。実際これまでそうしてきている。あるいは、A国の軍隊でなく政府に対し災害救助のために援助すればよい。これも実際してきている。つまり、災害救助に協力するのはよいが、軍隊に援助する必要はないのである。
また、国際的には、日本が行なった援助がODAとして認められない可能性が出てくる。各国の援助が開発目的にかなっているかを審査するのはDAC(開発援助委員会)という国際機関である。ここではODAとして認められるための基準が定められており、軍に供与した援助はODAとして認められない危険がある。つまり、日本政府が大丈夫と判断すれば問題ないとは言えないのである。
ODAのGNP(国民総生産)に対する比率は、各国の開発協力に対する熱意と努力の度合いを示す指標であり、日本を含め大多数の国はこの比率を高めるのに懸命に努めてきた。日本の協力がODAとして認められなくなれば、この比率は下がる。これは日本にとって深刻な問題となろう。
米国だけはこの比率が低くても意に介さないようである。米国としては対外政策の遂行上巨額の軍事援助を供与することが必要だからであり、比較にならない。
日本の新方針は軍事援助をするということではないので、もちろん米国とは違うが、他国の軍隊に援助する理由も必要性もなく、しかもDACでの審査の問題もあるのにそれに踏み切るのはなぜか。それは、これまでの軍隊にはいっさい援助しないという方針に穴をあけることに眼目があるのではないか。もうしそうだとすれば、形式的には非軍事目的とはいえ、実質的には日本が米国型の軍事援助国に近づく一歩を踏み出そうとしていると考えざるをえない。
これは深刻な問題であり、国民はさらに第2歩、第3歩が踏み出されないよう制止しなければならない。
新「開発協力大綱」には問題あり
政府は2月10日、ODA大綱に代えて新たに「開発協力大綱」を閣議決定した。従来は他国の軍へはいっさい援助を供与しなかったが、新しい方針では災害救助などの非軍事目的の場合には認める道を開いた。たとえば、A国の軍隊が災害救助に従事している場合は資金援助できることにしたのである。新方針は、A国の軍隊の行動が非軍事目的であるか否かについて、「その実質的意義に着目し、個別具体的に検討する」としている。厳格に判断するという趣旨なのであろう。しかし、軍隊にはいっさい援助しないこととしていた従来の方針と、一定の場合とはいえそれを可能にした新方針の違いは大きい。
政府が非軍事目的であることを確保するのだから大丈夫だ、と考えるのはあまりにも表面的である。たとえば、A国の軍隊は一方では戦争をしながら、他方で災害救助に従事することがあり、その場合に災害救助だけに援助するというのは形式的にはありうるとしても、実質的には意味をなさない。A国の軍隊の財布は一つであり、災害救助に援助することは結果的に戦争にも援助することになるからである。もう少し正確に言えば、災害救助の関係で援助してもらった分だけA国の軍隊は戦争にお金を使えるのである。
もし、「災害援助」に貢献したいならば他に方法がある。たとえば、避難民の支援であれば、国連の難民高等弁務官(UNHCR)に拠出すればよい。実際これまでそうしてきている。あるいは、A国の軍隊でなく政府に対し災害救助のために援助すればよい。これも実際してきている。つまり、災害救助に協力するのはよいが、軍隊に援助する必要はないのである。
また、国際的には、日本が行なった援助がODAとして認められない可能性が出てくる。各国の援助が開発目的にかなっているかを審査するのはDAC(開発援助委員会)という国際機関である。ここではODAとして認められるための基準が定められており、軍に供与した援助はODAとして認められない危険がある。つまり、日本政府が大丈夫と判断すれば問題ないとは言えないのである。
ODAのGNP(国民総生産)に対する比率は、各国の開発協力に対する熱意と努力の度合いを示す指標であり、日本を含め大多数の国はこの比率を高めるのに懸命に努めてきた。日本の協力がODAとして認められなくなれば、この比率は下がる。これは日本にとって深刻な問題となろう。
米国だけはこの比率が低くても意に介さないようである。米国としては対外政策の遂行上巨額の軍事援助を供与することが必要だからであり、比較にならない。
日本の新方針は軍事援助をするということではないので、もちろん米国とは違うが、他国の軍隊に援助する理由も必要性もなく、しかもDACでの審査の問題もあるのにそれに踏み切るのはなぜか。それは、これまでの軍隊にはいっさい援助しないという方針に穴をあけることに眼目があるのではないか。もうしそうだとすれば、形式的には非軍事目的とはいえ、実質的には日本が米国型の軍事援助国に近づく一歩を踏み出そうとしていると考えざるをえない。
これは深刻な問題であり、国民はさらに第2歩、第3歩が踏み出されないよう制止しなければならない。
2015.02.08
日本は1910年に韓国(当時は「大韓帝国」)を併合し、統治を始めました。一方、日本は、米国、中華民国などいわゆる連合国と戦争し、1945年にこの戦争は終結しました。この時、日本の朝鮮統治も同時に終了しました。
日本と連合国の間の戦争状態の法的処理は1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約(以下、単に「平和条約」)で行なわれました。朝鮮は日本と戦争状態にあったのではなく連合国でありませんでしたが、連合国の側では戦争中から朝鮮の問題についても関心を持ち、1943年、米英中3国の首脳がカイロで行なった戦後処理に関する宣言では、「前記三大国(注 米英中のこと)ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ(注 「ヤガテ」と読む。意味は「間もなく」)朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」と謳いました。要するに、連合国は朝鮮を独立させると宣言したのです。そして、平和条約はカイロ宣言に基づき、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めました(第2条(a))。
カイロ宣言や平和条約が想定していた「朝鮮」とは朝鮮半島全体を統治する国家のことですが、日本が戦争に敗れると朝鮮半島の南部には連合国が、北部にはソ連が進駐して南北に分かれました。1948年、南部では「大韓民国」が、北部では「朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)」が成立し、両政権は統一朝鮮の実現を目指しましたが、進展しませんでした。それどころか2年後には朝鮮戦争が勃発し、南北の対立は決定的になってしまいました。
日本が統一国家としての「朝鮮」を承認する見込みは遠のいてしまいましたが、ともに自由陣営に属する「大韓民国」とは関係を正常化することが必要だったので、1965年、日本と韓国は基本条約を締結して外交関係を樹立しました。
一方、北部の北朝鮮と日本の間では関係がないままの状態が、戦争が終わって70年になるのに続いています。韓国と北朝鮮が将来統一国家を樹立するか、それは両国の問題ですが、日本と北朝鮮は国交正常化を実現し、諸懸案を解決するための努力を一層強化していくことが必要です。
日韓関係正常化後、韓国は長足の経済成長を実現し、1996年には「先進国クラブ」と言われるOECD(経済協力開発機構)にも加盟しました。世界でも有数の、経済発展の勢いがある国として「タイガー」と呼ばれたこともありました。今や韓国はいくつかの分野で世界のトップクラスにあります。日本はこのような韓国経済の発展に協力してきました。現在、両国間の経済関係は緊密です。
文化面では、韓国は以前日本文化の流入を強く警戒し、制限していましたが、今は開放的になっています。また、日本側でも「韓流ブーム」がおきるなど、韓国に対する関心は高まっています。このような文化面での関係緊密化は経済関係とともに、両国関係を進展させる重要な要因となっています。
一方、歴史問題、とくに慰安婦問題などをめぐって日韓関係は非常に悪化しており、安倍首相と朴槿恵大統領の首脳会談は一度も行われていません。両国は植民地支配を終結させ正規の国家間関係を結びましたが、韓国人の国民感情には過去の歴史の影響を払しょくできない面があることを加害者であった日本として忘れたり、過小評価したりしてはなりません。慰安婦問題を解決するため日本はこれまでに努力を重ねてきましたし、韓国にはそのことを正しく理解してもらいたいのは当然です。それと同時に、日本は国際社会の状況にも注意しつつ、今後もこの問題の解決のため誠実に対応していかなければなりません。
日本と韓国は長い歴史を持つ隣国どうしであり、また、アジアの平和と安定に大きな責任を負っており、一刻も早く関係を改善することが必要です。韓国の朴槿恵大統領は、歴史問題について厳しい姿勢を維持しつつも、日本との関係改善を前向きに考える姿勢を示しています。安倍首相の側でも関係改善の糸口を探ろうとしており、両国の首脳が今後積極的に一歩を踏み出すことが期待されます。
今年は終戦70周年なので安倍首相は新しい談話を発表する考えです。20年前の50周年に村山首相は談話を発表し、戦争をしたのは誤りであった、日本は植民地支配と侵略によって多くの国に多大の損害と苦痛を与えた、反省しお詫びする、という極めて重要な表明を行ないました。これらのことは、今後日本が韓国を含め近隣諸国と善隣友好関係を増進していくのに不可欠の基本認識です。今年行なわれる安倍首相の談話においては、このような認識とともに、日本が戦後一貫して平和国家として歩んできたこと、また、今後アジア太平洋地域や世界に貢献していくことを示すことが期待されます。
(THEPAGEに2月7日掲載)
日韓国交正常化「50年」関係改善なるか 新談話の行方は?
今年は日本と韓国が1965年に正式の国家間関係(外交関係)を結んでからちょうど50年目に当たります。第2次世界大戦は1945年に終わりましたが、それから20年たってようやく日本と韓国の関係が正常化されたのは次のような事情からでした。日本は1910年に韓国(当時は「大韓帝国」)を併合し、統治を始めました。一方、日本は、米国、中華民国などいわゆる連合国と戦争し、1945年にこの戦争は終結しました。この時、日本の朝鮮統治も同時に終了しました。
日本と連合国の間の戦争状態の法的処理は1951年に締結されたサンフランシスコ平和条約(以下、単に「平和条約」)で行なわれました。朝鮮は日本と戦争状態にあったのではなく連合国でありませんでしたが、連合国の側では戦争中から朝鮮の問題についても関心を持ち、1943年、米英中3国の首脳がカイロで行なった戦後処理に関する宣言では、「前記三大国(注 米英中のこと)ハ朝鮮ノ人民ノ奴隷状態ニ留意シ軈テ(注 「ヤガテ」と読む。意味は「間もなく」)朝鮮ヲ自由且独立ノモノタラシムルノ決意ヲ有ス」と謳いました。要するに、連合国は朝鮮を独立させると宣言したのです。そして、平和条約はカイロ宣言に基づき、「日本国は、朝鮮の独立を承認して、済洲島、巨文島及び欝陵島を含む朝鮮に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する」と定めました(第2条(a))。
カイロ宣言や平和条約が想定していた「朝鮮」とは朝鮮半島全体を統治する国家のことですが、日本が戦争に敗れると朝鮮半島の南部には連合国が、北部にはソ連が進駐して南北に分かれました。1948年、南部では「大韓民国」が、北部では「朝鮮民主主義人民共和国(以下「北朝鮮」)」が成立し、両政権は統一朝鮮の実現を目指しましたが、進展しませんでした。それどころか2年後には朝鮮戦争が勃発し、南北の対立は決定的になってしまいました。
日本が統一国家としての「朝鮮」を承認する見込みは遠のいてしまいましたが、ともに自由陣営に属する「大韓民国」とは関係を正常化することが必要だったので、1965年、日本と韓国は基本条約を締結して外交関係を樹立しました。
一方、北部の北朝鮮と日本の間では関係がないままの状態が、戦争が終わって70年になるのに続いています。韓国と北朝鮮が将来統一国家を樹立するか、それは両国の問題ですが、日本と北朝鮮は国交正常化を実現し、諸懸案を解決するための努力を一層強化していくことが必要です。
日韓関係正常化後、韓国は長足の経済成長を実現し、1996年には「先進国クラブ」と言われるOECD(経済協力開発機構)にも加盟しました。世界でも有数の、経済発展の勢いがある国として「タイガー」と呼ばれたこともありました。今や韓国はいくつかの分野で世界のトップクラスにあります。日本はこのような韓国経済の発展に協力してきました。現在、両国間の経済関係は緊密です。
文化面では、韓国は以前日本文化の流入を強く警戒し、制限していましたが、今は開放的になっています。また、日本側でも「韓流ブーム」がおきるなど、韓国に対する関心は高まっています。このような文化面での関係緊密化は経済関係とともに、両国関係を進展させる重要な要因となっています。
一方、歴史問題、とくに慰安婦問題などをめぐって日韓関係は非常に悪化しており、安倍首相と朴槿恵大統領の首脳会談は一度も行われていません。両国は植民地支配を終結させ正規の国家間関係を結びましたが、韓国人の国民感情には過去の歴史の影響を払しょくできない面があることを加害者であった日本として忘れたり、過小評価したりしてはなりません。慰安婦問題を解決するため日本はこれまでに努力を重ねてきましたし、韓国にはそのことを正しく理解してもらいたいのは当然です。それと同時に、日本は国際社会の状況にも注意しつつ、今後もこの問題の解決のため誠実に対応していかなければなりません。
日本と韓国は長い歴史を持つ隣国どうしであり、また、アジアの平和と安定に大きな責任を負っており、一刻も早く関係を改善することが必要です。韓国の朴槿恵大統領は、歴史問題について厳しい姿勢を維持しつつも、日本との関係改善を前向きに考える姿勢を示しています。安倍首相の側でも関係改善の糸口を探ろうとしており、両国の首脳が今後積極的に一歩を踏み出すことが期待されます。
今年は終戦70周年なので安倍首相は新しい談話を発表する考えです。20年前の50周年に村山首相は談話を発表し、戦争をしたのは誤りであった、日本は植民地支配と侵略によって多くの国に多大の損害と苦痛を与えた、反省しお詫びする、という極めて重要な表明を行ないました。これらのことは、今後日本が韓国を含め近隣諸国と善隣友好関係を増進していくのに不可欠の基本認識です。今年行なわれる安倍首相の談話においては、このような認識とともに、日本が戦後一貫して平和国家として歩んできたこと、また、今後アジア太平洋地域や世界に貢献していくことを示すことが期待されます。
(THEPAGEに2月7日掲載)
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