平和外交研究所

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2015.03.15

安全保障関連法案‐国連決議を条件にするべきだ

 安全保障関連法案に関し政府および与党による協議・検討が続けられている。いわゆる多国籍軍の活動に何らかの形で自衛隊が参加、あるいは協力するのに国連決議があることを条件とするか否かが問題になっており、「決議」がなくても国連が「ブレッシング」を与えている場合は認めようという考えがあるようだが、国民として憂慮せざるをえない。

 国連安保理では国際的な紛争が審議されても決議は成立しないことがある。もっともよく起こる不成立のケースは、中国とロシア(いずれか一方でも成立を阻止することは可能だが、両国共同の場合が多い)が反対する場合であり、そのためにこれまで数多くの決議案が葬られてしまった。
 もっとも、中国やロシアとしても、解決の手段について、とくに軍事介入の必要性について意見が異なるのであって、問題を解決しなければならないことは認めることが多く、このような状況では「国連のブレッシング」があるとみなすことが可能かもしれない。そうすると決議に反対する国があっても自衛隊を派遣することが可能となるが、日本は、多国籍軍と国連決議の実態について明確な認識に立った上で対応を決める必要がある。
 そもそも、多国籍軍は、国連が設立された当時期待されていた、強制力を伴う集団安全保障が機能しえない現状において、やむをえず使われている代替手段であり、国連憲章には規定がなく、その性格は本来的に不明確である。
 安保理において多国籍軍に対してどのような期待を表明し、また、行動を要請するかについてはさまざまな例あり、審議の結果決議が成立すれば国連としての意思は明確になるが、それが成立しない場合には、「国連としてブレッシングがあった」と言えそうな場合もあれば、そうでない場合もあるなどまちまちである。
 決議が採択されるか否かについて、中国とロシアが反対する例に言及したが、反対するのは中国とロシアに限られず、西側の諸国の中にも反対に回る国が出ることがある。イラク戦争の場合、ドイツとフランスは行動を起こすことに反対した。
さらに、決議が採択されたか、されていないかについても意見が割れることがある。これもイラク戦争の時に起こった。
 決議が成立しない場合に、構わず行動を取る国と、慎重な国がある。米英などは、決議がなくても、あるいは決議の有無について見解の相違があっても行動を起こすことがありうる。
このように多国籍軍の場合は、その不明確性のためにさまざまな解釈が生じる可能性があるので、国連としての意思を明確に示す「決議」が採択されていることの意味は大きい。それが成立しない場合は何らかの意見の相違があるのである。
 日本の場合は、一方の意見に賛成するのはもちろん構わないが、国連の意思が統一されていない状況で多国籍軍に参加して自衛隊を派遣すると、憲法が厳禁している国際紛争に日本が巻きこまれることとなる危険がある。「国連のブレッシング」だけを条件にすることの問題はこの点にある。
 さらに多国籍軍は、行動を開始した時点では正当な理由があったとしても、後に問題が起きる可能性は排除できない。多国籍軍は平和維持活動と異なり、国連事務総長の指揮下になく、多国籍軍に参加しているいずれかの国の司令官が指揮を執る。後日問題が発生すれば、安保理があらためて審議し、対応を検討するが、結論が出るまでは時間がかかる。

 日本が「国連決議のない多国籍軍には協力しない」という方針で臨むと、米国などから百点満点はもらえないだろう。しかし、米国と日本が違っていても何ら恥じることはない。米国には、「国際紛争に巻き込まれてはならない」という禁止はないどころか、米国は国際の平和維持のために場合によっては紛争に巻き込まれることも必要と考えることができる国である。しかし、日本は違う。日本は戦争で苦痛に満ちた体験をして、「国際紛争を起こしたり、巻き込まれたりしない」という禁止を自らに課したのではないか。その禁止は憲法を順守する観点からのみならず、日本の国際社会での生きざまとしても大事にすべきである。日本はやはり「国連決議」を行動の条件とすべきである。

2015.03.14

原発を危険にさらす無人飛行機ドローン

 無人飛行機ドローンが原発にとって危険なものとなりつつあるが、日本でそのことが十分伝えられているか疑問がある。
 2014年10月、フランスで原発の上空にドローンが侵入する事件が相次いで発生した。昨年12月21日付のThe Independent通信や2月24日付のニューズウィーク誌は、この事件を調べた英国の原子力専門家John Largeがつぎのように説明したと報道している。
○侵入事件は合計で13回あったが、そのうち5回は大西洋海岸からドイツとの国境の間の地域に広範囲に散在している原発において、数時間の間に一斉に起こっており、何らかの意図をもって計画的に行われた。
○この時使われたドローンは民間機だが、テロリストが試験的に使っている恐れは排除できない。事件に使われたドローンはヘリコプター式で、数十キロ飛行可能な強力なエンジンを搭載し、原発を照射する強い光線を発射する機会も積んでいた。カメラも装備していたと推定される。
○この他、パリでも正体不明のドローンが飛行しているのが目撃されている。また、同時飛行事件に先立って、Belleville-sur-Loireでは3人の男女が、インターネットで入手可能な、比較的簡単で100ユーロくらいのドローンを飛ばそうとして逮捕されたが、政治的意図はないことが判明し釈放された。Flamanvilleではアレーバ社の再処理施設の上空にもドローンが侵入した。
○英国でも電力需要の18%を賄っている16の稼働中原発が危険にさらされている。現存の原発はサイボーグ攻撃を想定していない。2014年中、英国の原子力施設で37件の警備ミスが起きており、抜本的な警備強化と原発の安全性診断を早急に行うよう求めたが、英政府は規制当局the Office for Nuclear Regulationに回しただけで自分たちで真剣に検討しようとしない。
○グリーンピース・フランスの要請で報告書はまとめ提出した。グリーンピースはこの報告書を公表していないが、政府は入手可能である(なお、Large 自身はグリーンピースの支持者でないと説明されている)。
○1月にフランスの原子力安全・規制局、仏防衛省と会う予定である。
○ドローンによるテロ攻撃のシナリオとしては、「まず、ドローンが外部電源を破壊し、次に緊急用ディーゼル発電機を破壊する。冷却電源を失った原子炉は30秒で炉心溶融を始め、放射性核分裂生成物が飛散する」ことが考えられる。また、内部の仲間と連携すれば、ドローンが爆弾を運ぶ必要はない。

 日本の原発も同様の危険にさらされているはずである。対策を強化する必要があるのはもちろんであるが、原発の脆弱性にかんがみると完全に防ぐことは可能か、大いに疑問である。
一方、ドローンの性能は急速に向上しており、今や高度1万フィート(約3千メートル)を飛行できるもの、映画ジュラシック・パークに出てくる翼竜ほど大きいものも出現している。コンピュータ制御も行われている。
 ドローンに対する需要は急増しており、日本政府はその普及に向けた特区を設ける検討を進めている。また、早急に強い規制を導入する必要性も認識されている。これら、比較的技術的な面では日本はよく対策を講じるであろう。
 しかし、問題はドローンを使用したテロ攻撃である。わずかな間違いも許されない原発においては違法に侵入してくるドローンは即座に撃ち落さなければならないが、それは可能か。有効な対策はほかにあるか。今後、従来に増してドローンの危険性に注意していく必要がある。
 なお、前述のニューズウィーク誌は、現状では、フランスのほとんどの原発はドローンを利用した攻撃に耐えられないので、閉鎖されるべきだと述べている。これは常識的には極論であろうが、問題意識の高さを表している。

2015.03.09

日本におけるシビリアンコントロール

防衛省のシビリアンコントロール体制を手直しするため防衛省設置法の改正案が3月6日、国会に提出された。その関連でシビリアンコントロールとは何かがメディアなどで解説されているが、その内容はまちまちであり、かなり混乱した状況もある。本HPでは2月26日にTHEPAGEに投稿した一文を転載したが、さらに踏み込んでみていく必要がありそうだ。具体的な問題点は以下のとおりである。

○防衛省におけるシビリアンコントロールは何が問題か
 防衛省における「シビリアンコントロール」とは、陸海空自衛隊の最高指揮権は総理大臣にあり、その下で防衛大臣が自衛隊を指揮・運用するが、その際、防衛大臣は官房長や局長から補佐を受けることになっている(防衛省設置法12条)ことである。この官房長や局長が置かれているところが「内部部局」、略して「内局」であり、そこで勤務している人たちは制服の自衛隊員(制服組) でなく、ビジネススーツの事務官(背広組) である。したがって、内局が自衛隊の上位に立つ関係になっている。
 実際には重要な問題が発生した場合、防衛大臣は会議を開催し事務方の意見を求める。その際背広組だけでなく、制服の自衛官の意見も求めるのが通例である。特に、自衛隊の行動に関すること(そうでないことはあまり重要でない)については幕僚長(いわゆる参謀長に相当する)など自衛官の意見が求められ、背広組がその自衛官の意見について誤りを指摘したり、異なる趣旨の意見を出したりすることはまずない。このため自衛官からすれば防衛大臣を補佐しているのは自衛官だという認識が強く、防衛省設置法が背広組だけが防衛大臣を補佐すると記載していることは実態に合わず、また自衛官を不当に軽視しているとも指摘されていた。

○シビリアンコントロールと「文民統制」は同じか。
 新憲法が制定された際、英語のcivilian controlに相当する言葉は日本になかったので新たに訳語として「文民統制」という言葉が作られた。その経緯からすれば、当然「文民統制」はcivilian controlと同じ意味であるはずであるが、日本ではその言葉が英語のcivilian controlと多少違った意味で使われるようになった。
 日本国憲法この4文字を使わず、第66条2項で「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定しただけであるが、これから導き出されることは「文民による統制」であり、「文民統制」である。
しかし、civilianという英語は「市民」という名詞として使われる場合と「非軍事」という形容詞として使用されることがあり、一般にはcivilian controlのcivilianは形容詞として使われている。たとえば、ハンチントンは次のように述べている。
The term ‘civilian’ on the other hand, merely refers to what is nonmilitary.” Huntington, Samuel. P. 1957. The Soldier and the State: The Theory and Politics of Civil-Military Relations. Cambridge, MA and London
 なお、「文民統制」は定義された法律用語でなく、説明の中で使われる言葉に過ぎない。
 
○civilian controlの本質的意味は何か
 「軍は政府の判断・決定に従わなければならない subordination of the military to political authority」というのが英米における一般的な説明である。この説明が妥当するのは民主主義の国であり、いわゆる軍政、すなわち軍人が政治を行なう場合軍の暴走を止めることは期待できない。そもそも軍政の国では「軍の暴走」などありえないことであろう。
その意味では「文民による統制」あるいは「市民による統制」とする方が適切であるが、軍政国家においては「文民による統制」であれ、あるいは「市民による統制」であれ、しょせんそれはかなわないことであるので、このような用語のほうがよいと言っても実際には意味がないわけである。要するに、civilian controlは民主主義の国においていかにそれを確保するかが問題なのである。 
 英語のcivilian controlは「civilian(市民)による統制」を含まないのではない。それはcivilian controlのために不可欠であると認識されている。
 一方、「civilian(市民)による統制」があれば問題ないというわけではない。たとえば、その言葉だけであれば、政府の外にいる民間人が統制することさえありうるが、それはあってはならないし、ありえないことである。
 以上を総括して言えば、民主主義国家において必要なことは、「軍は政府の判断・決定に従わなければならない」と規範を確立することであり、そのためには「文民による統制」も必要となるということである。

○「文民統制」と「文官統制」は異なるか
 日本ではこの二つの概念が区別され説明されることが多く、「文官統制」は日本の防衛省の中の制度のことを指すものとして理解されているが、これは日本だけのことであり、英語にはcivilian controlしかない。ただし、最近はdemocratic controlと表現することや、前述のハンチントンのような説明もあるが、いずれもcivilian controlのことである。「文官統制」に相当する言葉は英語にはない。
 「文官統制」も「文民統制」と同様、法律で定義された言葉でない。正確には、「文民統制」は憲法第66条2項で、「文官統制」は防衛省設置法第12条でそれぞれ規定されていると言うべきである。つまり、「文民統制」あるいは「文官統制」という4文字は法律にはなく、また定義のない言葉であり、その違いは本来的に明確になしえないものである。
 一方、「文民」と「文官」は慣用的に使う文脈は異なるが、どちらも「非軍人」(「非自衛隊員」)であり、また、公務員である。したがって、防衛省の背広組だけを「文官」とみなすのでなく、内閣総理大臣も「文官」とみなすのが適当である。このように考えれば、憲法が「文民」という造語を使ったのは適切でないと思われる。ただし、それは憲法改正の検討の中で初めて問題にできることである。

○なぜシビリアンコントロールが必要か
 軍と政府の主張・判断が異なる場合、軍は武力を持っているのでその判断を政府に強制することも可能であるが、それを許しては軍の暴走を止められなくなる、戦争の惨禍をもたらすという歴史的経験に基づき、国民の利益を擁護し、その希望を実現するには民主的な政府の判断・決定を優先させなければならないというのがcivilian controlの理由である。民主的な政治であれば誤りはないということではなく、国民が受け入れた方法で出された決定であれば、それでよしとしようという考えに立っている。
○日本には軍隊はないのでcivilian control の必要性はないか
 日本には建前上軍隊はないのは事実である。しかし、自衛隊は武器を所持しているので政府の決定を無視して実力で通すことがありうるので、やはり自衛隊の暴走を防ぐ制度的歯止めとしてcivilian control は必要である。
○civilian controlを憲法でどのように規定するのがよいか
 日本国憲法の規定はcivilian controlのための一つの仕組みであり、その規定が最適か、ほかの方法がよいか、理論的には再検討する余地がある。それは憲法改正を伴う。 
 個人的には、将来憲法を改正する場合、「自衛隊は政府の判断・決定に従わなければならない」と「内閣総理大臣その他の国務大臣は、非自衛隊員でなければならない」と両方規定するのが理想であると考える。前者はcivilian controlの根本規範、後者はそのための基本的方策である。
○防衛省設置法第12条の改正は適切か
 設置法に問題があることは前述した。防衛大臣を補佐する者は背広組に限らず、自衛官も含めることは検討してよい。この問題は基本的にはcivilian controlのための一方策であり、同法12条は金科玉条ではない。
 しかし、憲法の記載を含めどうするのがよいかを検討した上で結論を出すのが望ましい。防衛省設置法の改正によりcivilian controlが弱くなることはないと確かめておくべきだからである。
 もし今回の防衛省設置法改正が自衛官の待遇についての不満から発しているのであれば、その原因を徹底的に解明しなければならない。とくに自衛官は「自衛隊は政府の判断・決定に従わなければならない」「内閣総理大臣その他の国務大臣は、非自衛隊員でなければならない」ということに反対しているのでないことは明確にしておかなければならない。もし、そのような根本的規範に不満であるならが、それこそcivilian controlの観点から看過できない問題であり、それを採用した改正案などもってのほかである。

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