平和外交研究所

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2015.04.23

南シナ海・東シナ海の問題に国際社会の注目が集まった

 南シナ海をめぐって中国の行動が再び注目を浴びている。とくに、ファイアリー・クロス礁(中国名は「永暑礁」)で数カ月前から大規模な埋立工事を行ない飛行場などを建設したからである。この岩礁はかねてからベトナムと争いになっていたが、中国はファイアリー・クロスを南海艦隊の拠点として重視し、今回の大規模工事を行なう前から通信基地を置き、要員を常駐させるなどして実効支配していた。
 しかし、ファイアリー・クロスはその名が示す通り岩礁であり、全体が常時海面より出ているのではなく、領有権を主張できるか疑義があったので、中国はこの度このような工事を行ない、曲がりなりにも島の形にしたのであろう。この工事の模様は衛星写真で鮮明に映し出され世界中に伝えられた。

 来日したカーター国防長官は4月8日、安倍首相をはじめ中谷防衛大臣、岸田外務大臣と会談し、尖閣諸島は日米安保条約の適用を受けることを再確認するとともに南シナ海での中国の行動に懸念を示した。公式の発表では「東シナ海等における力による現状変更の試みには明確に反対した」となっていた(これは岸田外務大臣との会談概要)だけで、具体的にどのような発言をしたか明確でなかったが、カーター長官は訪日前のプレスとのインタビューでも、中国が南シナ海で力により現状変更しようとしていることに懸念を表明するなど同様の発言を繰り返し行なっていた。
 中国側は同長官が余計な発言をすると反発する姿勢を見せ、「中国は自国の領土において海を埋め立て陸地を作って、民間用の施設を構築しているのであり、何が悪い」と外交部のスポークスマンは開き直った。もっとも中国のこのような反発はこれまで何回か繰り返してきたことであり、特に新味があるわけではない。
 
 しかるに、カーター長官訪日と同じときに(4月7~10日)、ベトナム共産党のグエン・フーチョン書記長が訪中し熱烈に歓待された。ベトナムは昨年西沙諸島での中国による石油探査をめぐって中国と鋭く対立したばかりであり、同書記長の訪中を実現させたこと自体は中国外交の成功だったのであろう。海外に拠点がある中国紙『多維新聞』などは、これは内外の注目を集めた「大事件」であると誇らしげに報道していた。つまり、昨年は激しく対立した両国がここまで和解するとは各国は思わなかったであろうが、実現したというわけである。
 今次中越会談の結果はどうであったか。中越共同声明では、「海上の問題について双方は率直な意見交換を行なった」「中越政府の国境交渉に関する仕組みを活用する」「それぞれの立場主張の「過渡性」に影響しない解決方法を積極的に探究する(注 必ずしも意味は明らかでないが、当面は中越双方ともそれぞれの主張を維持することはやむをえないが、将来的には積極的に解決していこうという意味かと思われる)」「その中には共同開発に関する積極的な研究と商談が含まれる」「共同で海上での意見不一致をよく管理する」「争いを複雑化、拡大させる行動はとらない」などの言葉が含まれている(香港紙『明報』4月13日付)。
 これらの言葉は交渉のデリケートさを反映しているが、一部に報道されたように、中越両国は南シナ海の問題を話し合いで解決することとしたのか。そうは思わない。鍵となるのは、「主権に関する争いが拡大するのを避ける」であり、中国側はこの言葉をもって、ベトナムが国際司法裁判所での解決を求めることはしないことに合意したと主張するかもしれない。
 しかし、ベトナム側はそのような解釈をとらず、石油の探査を避けるという意味であると主張するのではないか。今回の共同声明は玉虫色になっているのである。この問題が簡単に解決することは考えられないのでこのような文言になったのは自然なことである。
 ちなみに、中国中央テレビ(CCTV)は、「双方は南シナ海の安定維持に努力することで合意した」と報道した。これも同じことで双方はそれぞれの主張をできそうである。
 なお、習近平主席は「海上のシルクロード」へのベトナムの参加を呼びかけ、チョン書記長は「積極的に検討している」と応じたとも伝えた。

 4月15日、ドイツのリューベックで開催されたG7の外相会議で、「海上の安全保障についての宣言」が採択された。このような宣言が採択されたのは初めてのことであり、その中では、「国際法に基づく海洋秩序を維持する」「我々は引き続き東シナ海および南シナ海の状況を観察しており、大規模な陸地造成のような一方的な行動に懸念を抱いている。それは現状を変更し、緊張を高める」「威嚇、強制、武力による領土主張に強く反対する」「すべての国が平和的方法、または、国際的な紛争解決手続きを含め国際法に従った紛争解決を求めることを呼びかける」「境界設定が完了していない未解決の地域において海洋環境に永続的変化を及ぼす一方的行動を控えるべきである」。
 この宣言が中国の行動を強く意識して書かれているのは明らかである。4月20日、新華網は「G7で海洋安全『宣言』ごり押し、日本の意図は何か」と題した記事を掲載し、憤懣をぶちまけたが、それだけ宣言は効き目があったと考えられる。おそらく、中国は会議出席者に取材し、日本が強く主張した結果であるとの心証を強くしたのであろう。
 かくして、4月中に南シナ海および東シナ海に関し集中的にいくつかの出来事が起こり、まさに海上の安全保障に注目が集まった。中国との関係では今後もこのような紛糾が繰り返されるだろうが、今回の一連の出来事を通じて日本外交は積極的な対応であったと評価できる。今後も緩まずに対応することが期待される。

2015.04.20

アジアインフラ投資銀行の創設メンバーに57か国 今後の焦点は?

THE PAGEに4月17日掲載。

■現状の国際開発金融への不満
 中国は、2013年10月にアジアインフラ投資銀行(以下AIIB)構想を打ち上げてから短い期間に膨大な設立準備作業をこなし、2015年末に正式に発足するところまでこぎつけました。設立準備が超高速であることは高速鉄道網や石油のパイプラインなどの建設の場合もそうでしたが、AIIBの場合は、単に中国内で建設するのではなく、多数の国を巻き込んで国際的なプロジェクトにしようとしています。しかも、世界銀行、国際通貨基金(IMF)、アジア開発銀行など主要な国際開発金融機関に挑戦的な姿勢で設立準備が行われているため、AIIBは米国中心の世界の金融秩序を中国が打ち破り、代わって中国が主導する新秩序を樹立する試みであるととらえる見方もあるようです。
 
 AIIB構想が各国に強くアピールした理由は大きく言って2つあると思います。

 1つは、アジアのインフラ投資需要が巨大であり、アジア開発銀行(ADB)の試算によると、今後10年間で8兆ドル(約960兆円)の投資が見込まれていることです。

 もう1つは、アジア開発銀行など既存の国際開発金融機関は業務ポリシー、マネジメント両面で改革が必要だという不満があることです。先進国首脳会議(G7サミット)でも「国際開発機関の機構改革」が主要な議題の一つとして取り上げられています。
 
 つまり、中国は既存の国際開発金融秩序に対する各国の不満を巧みに利用し、その欠陥を是正するという大義を掲げながら、AIIBが設立されれば大型プロジェクトが続々と作られることになるという印象を作り出し、アジアの諸国のみならず欧州の名だたる強者である英独仏伊などもAIIBの設立準備に吸い寄せたのです。

■中国の決定を各国がのめるか
しかし、AIIBが設立されても国際開発金融の在り方を是正できるか、米国中心の秩序を変えることができるか。これまでの設立準備過程を見ていくと、いくつかの点で疑問です。

 第1に、中国はそもそも各国と平等な立場でAIIBの在り方や運営方法を決定できるか、実際には中国の経済力に物を言わせて反対を押しつぶすのではないかという基本姿勢に関する疑問があります。

 第2に、具体的には、各国の出資比率、AIIBの本部の所在地、総裁の人選などが主要問題ですが、出資比率については50%とすることにこだわる可能性があります。中国が柔軟な姿勢を取るとしても大幅な譲歩は望めません。国内総生産(GDP)を見れば、中国は世界の12・7%(2013年)であり、これは我が国の2倍を超えていますが、米国の22・4%にはまだ遠く及ばず、EUの独仏英伊4カ国の合計とほぼ同額です。このような国内総生産にしたがって出資比率を決定すれば公平な解決となりますが、はたして中国はそのようなことを受け入れられるか疑問です。

 中国の本部を北京とすることは、中国が影響力を行使しやすい諸国との間で決定済みであり(2014年10月24日、北京で署名された創設に関する覚書)、それ以外の国にとってはその決定を呑むか、銀行の設立に参加しないかという選択肢しかありません。また、総裁についても中国人とすることに中国はこだわる可能性があります。

ここに述べたようなことが事実であれば、AIIBが国際機関であるというのは形式だけで、実体は中国の国内銀行とみなすべきでしょう。

■国際化が進んでいない人民元
 第3に、金融の技術的な問題もあります。人民元はまだ国際化が進んでおらず、AIIBは米ドルに頼らざるをえません。そうするとAIIBはドルを管理している米国の政策の影響を受け、たとえば、米国がドルを引き上げるとAIIBもドル不足となり運用が窮屈になるおそれがあります。
米国はこれまでドルを国際的な基軸通貨として運用し、外国の機関がドルを活用することを自由に許容してきました。この原則的方針は簡単には変わりませんが、たとえばドルの価値を防衛するために通貨政策を調整することはありえます。そうするとドルによるAIIBの活動も影響を受けるおそれがあるでしょう。

 一方、中国国内では、金融は健全に機能しておらず、国有企業との癒着、非正規金融の横行などの問題があります。外貨導入を再活性化するために自由貿易区の建設が進められているのはその証左です。AIIBはこのような中国国内の金融困難の影響を受ける恐れがあります。

 出資比率、本部、総裁などAIIBの基本問題と金融の技術的問題をどのような解決するか、とくに欧州は強い関心を持つでしょう。解決は簡単ではありません。協定締結の段階でAIIBから身を引くことも考えられます。

■中国の「海上シルクロード」戦略との関係
 第4に、かつ、もっとも深刻な問題は、中国がかねてから「海上シルクロード」とも「真珠の首飾り」とも「一帯一路」とも呼ばれる、ヨーロッパまで伸びる海上運輸ルート建設構想を打ち出していることとの関連です。しかるに、この構想は中国の海洋大国化戦略と不可分に関係しており、中国がAIIB構想に力を入れているのはこの戦略目標達成が重要課題だからだと思います。
 習近平主席は3月末のボアオ・アジアフォーラムで、「中国と周辺の国家が運命共同体の意識を樹立することが重要であると強調した」「一帯一路(海上シルクロード)戦略はそのための重要なブースターとなる」と述べたと報道されています。中国はAIIB設立構想においてもこのことを明確に意識していると思われます。

 このような見方が正しければ、アジアの巨大な投資需要を満たすのが目的であってもAIIBの運営が中国の国家戦略によって影響を受けることは不可避であり、それと調和しない各国の発展計画の実現にはあまり役立たないのではないかと思われます。

 メディアを含め、AIIBと「海上のシルクロード」との関係に光があてられていませんが、木を見て森を見ないことになってはなりません。中国の戦略はアジア諸国にとって深刻な問題になるはずです。

■AIIBは中国の国内銀行
 以上のように考えると、AIIBを国際機関とみなすことには無理があるので、むしろ中国の国内法人であるという前提で協力関係の在り方を考えていくべきだと思います。たとえば、利益が上がると見込まれればAIIBに投資する、つまり株式あるいは社債を購入すればよいわけです。それを実現するにはAIIBでも株式発行、あるいは社債発行などが必要になるでしょうが、それが可能となるよう交渉すべきです。そうであれば、中国の出資比率が圧倒的に多くなり、本部は北京、総裁も中国人となっても、各国は中国と対立的にならずに協力の道を探求することができるでしょう。我が国としても対応の余地が出てくるのではないかと思われます。

 中国は覇権を求めているのではなく、各国にとって中国との協力関係を維持・発展させることは重要ですが、AIIBのこのような本質を明確に認識しておくことが肝要だと思います。

2015.04.17

尖閣諸島の法的地位

THEPAGEに4月1日掲載された。

 日本の領土はどのように決定されたのでしょうか。大きく見ると、日本は戦前、東アジアを中心にかなり広い領土を持っていましたが、戦後は大幅に縮小され現在の領土になりました。この処理は法的にどのように行われたかという問題です。
 1945年8月、日本は連合国が提示したポツダム宣言を受諾して戦争が終了しました。この宣言の第八項は、「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに我らの決定する諸小島に局限せられるべし」と規定しました。つまり、本州、北海道、九州および四国は日本の領土として認めるが、その他の島については、日本の領土か否か、米、英、中、ソ連の四ヵ国(宣言を発出した国)が決定することとなったのです。日本の領土を日本自身が決めることは認めないという恐ろしい宣言でしたが、日本が戦争に負けた結果であり、日本はそのことを含め無条件にポツダム宣言を受諾するしかありませんでした。
 ポツダム宣言から6年後の1951年に、日本は連合国と平和条約を結びました。サンフランシスコで署名が行われたのでサンフランシスコ平和条約とも呼ばれています。日本と連合国の間の戦争処理、日本の独立回復と国際社会への復帰を法的に決定した条約であり、新憲法とともに、戦後日本が再出発するのに最も重要な法的基礎となりました。ポツダム宣言でうたわれた日本の領土の再画定もその中で行なわれました。
 具体的には、平和条約は日本が放棄する領土とそうでないものを分け、それぞれをどのように処理するか規定しました。放棄するほうが第2条であり、日本は朝鮮半島、台湾などを含め戦前領有していた広大な領土をほとんどすべて放棄しました。
 一方、若干の島嶼については、日本は放棄せず統治を米国に委ねこととなりました。このことを規定したのが第3条です。日本は放棄しなかったのでその領有権は日本に残っていました。
 このように処理されたのが沖縄や小笠原諸島ですが、原文にそって説明すると、①北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)、②孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島および火山列島を含む)、③沖ノ鳥島および南鳥島が米国の統治に委ねられました。
「尖閣諸島」という記載は平和条約のどこにもありませんでしたが、日本の領土の再画定は第2条と第3条で規定されているので、どちらかでした。台湾の一部とみなされれば第2条で処理されることになり、沖縄の一部とみなされれば第3条で処理されることになります。
琉球諸島などの統治を任された米国は、統治を開始するに際して、統治する範囲を緯度と経度で示し、各国に確認を求めました。第3条の対象になりそうな島は数多く、また広範囲に散在しており、さらに島の呼称も確かめる必要があったからです。それが1953年12月25日付の「米国民政府布告第27号」でした。
 この布告は、沖縄を統治する「米民政府」の長官命令として発出されたので、形式的には行政行為のように見えますが、平和条約第3条が言う「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」の意味を確定するものであり、これはとりもなおさず同条の解釈に他なりませんでした。したがって、この布告は米民政府の行政(の一環)であると同時に条約解釈という二つの性格を兼ねていました。
 実は「沖縄」という言葉も平和条約にありませんでした。「沖縄」が琉球諸島の一部であり、米国の統治に委ねられることは、尖閣諸島と同様この布告によって確かめられたのです。

 なお、米国は1972年に沖縄を日本に返還する際、尖閣諸島は日本の領土であることを確認しなかったことを問題視する議論がありますが、平和条約第3条の範囲が確定され、尖閣諸島が琉球諸島の一部であることが確認されたのはそれより19年前の1953年布告によってです。平和条約第3条が米国の統治に委ねた琉球諸島の範囲、すなわち米民政府の管轄する範囲は、この布告によって緯度と経度で明確に示され、その中に尖閣諸島が入っていたのです。平和条約の解釈はそれ以来変更されませんでした。
 沖縄返還時、台湾は反対しましたが、米国は聞き入れず、尖閣諸島を日本に返還しました。ただし、台湾は国連の議席を失った直後であり、また繊維交渉で米国は台湾に大幅な譲歩を求めていた関係上、米政府は台湾に配慮する必要があり尖閣諸島の返還をできるだけ穏便に運ぼうとしていたのは事実ですが、すでに確定していた尖閣諸島の法的地位を揺るがせるようなことはしませんでした。
 現在、米国は第三国の領土紛争に関与しないという方針であり、尖閣諸島に関しても、一方では日米安保条約が適用されると明言しつつ、領有権をめぐって争いがあれば当事者同士で解決すべきであるという立場を取っています。しかし、尖閣諸島が平和条約第3条に含まれることは日本によってではなく、平和条約の履行の過程で米国が主導して連合国が確認したのです。その意味で尖閣諸島は米国にとって第三国間の問題ではない面があります。
 尖閣諸島について中国に要求があるのであれば、国際司法裁判所に訴えればよい、日本は受けて立つ用意がある、というのが日本政府の立場です。これは公平な解決を求める最良の方法だと思います。中国政府は国際司法裁判所での解決を拒否していますが、かりに将来国際司法裁判所で尖閣諸島の法的地位が審議される場合には、日本は、米民政府布告を含め米国の関与の下で尖閣諸島の法的地位が確定したことを主張するでしょうし、それは有力な根拠になると思われます。


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