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2015.04.17

尖閣諸島の法的地位

THEPAGEに4月1日掲載された。

 日本の領土はどのように決定されたのでしょうか。大きく見ると、日本は戦前、東アジアを中心にかなり広い領土を持っていましたが、戦後は大幅に縮小され現在の領土になりました。この処理は法的にどのように行われたかという問題です。
 1945年8月、日本は連合国が提示したポツダム宣言を受諾して戦争が終了しました。この宣言の第八項は、「日本国の主権は本州、北海道、九州および四国ならびに我らの決定する諸小島に局限せられるべし」と規定しました。つまり、本州、北海道、九州および四国は日本の領土として認めるが、その他の島については、日本の領土か否か、米、英、中、ソ連の四ヵ国(宣言を発出した国)が決定することとなったのです。日本の領土を日本自身が決めることは認めないという恐ろしい宣言でしたが、日本が戦争に負けた結果であり、日本はそのことを含め無条件にポツダム宣言を受諾するしかありませんでした。
 ポツダム宣言から6年後の1951年に、日本は連合国と平和条約を結びました。サンフランシスコで署名が行われたのでサンフランシスコ平和条約とも呼ばれています。日本と連合国の間の戦争処理、日本の独立回復と国際社会への復帰を法的に決定した条約であり、新憲法とともに、戦後日本が再出発するのに最も重要な法的基礎となりました。ポツダム宣言でうたわれた日本の領土の再画定もその中で行なわれました。
 具体的には、平和条約は日本が放棄する領土とそうでないものを分け、それぞれをどのように処理するか規定しました。放棄するほうが第2条であり、日本は朝鮮半島、台湾などを含め戦前領有していた広大な領土をほとんどすべて放棄しました。
 一方、若干の島嶼については、日本は放棄せず統治を米国に委ねこととなりました。このことを規定したのが第3条です。日本は放棄しなかったのでその領有権は日本に残っていました。
 このように処理されたのが沖縄や小笠原諸島ですが、原文にそって説明すると、①北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)、②孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島および火山列島を含む)、③沖ノ鳥島および南鳥島が米国の統治に委ねられました。
「尖閣諸島」という記載は平和条約のどこにもありませんでしたが、日本の領土の再画定は第2条と第3条で規定されているので、どちらかでした。台湾の一部とみなされれば第2条で処理されることになり、沖縄の一部とみなされれば第3条で処理されることになります。
琉球諸島などの統治を任された米国は、統治を開始するに際して、統治する範囲を緯度と経度で示し、各国に確認を求めました。第3条の対象になりそうな島は数多く、また広範囲に散在しており、さらに島の呼称も確かめる必要があったからです。それが1953年12月25日付の「米国民政府布告第27号」でした。
 この布告は、沖縄を統治する「米民政府」の長官命令として発出されたので、形式的には行政行為のように見えますが、平和条約第3条が言う「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」の意味を確定するものであり、これはとりもなおさず同条の解釈に他なりませんでした。したがって、この布告は米民政府の行政(の一環)であると同時に条約解釈という二つの性格を兼ねていました。
 実は「沖縄」という言葉も平和条約にありませんでした。「沖縄」が琉球諸島の一部であり、米国の統治に委ねられることは、尖閣諸島と同様この布告によって確かめられたのです。

 なお、米国は1972年に沖縄を日本に返還する際、尖閣諸島は日本の領土であることを確認しなかったことを問題視する議論がありますが、平和条約第3条の範囲が確定され、尖閣諸島が琉球諸島の一部であることが確認されたのはそれより19年前の1953年布告によってです。平和条約第3条が米国の統治に委ねた琉球諸島の範囲、すなわち米民政府の管轄する範囲は、この布告によって緯度と経度で明確に示され、その中に尖閣諸島が入っていたのです。平和条約の解釈はそれ以来変更されませんでした。
 沖縄返還時、台湾は反対しましたが、米国は聞き入れず、尖閣諸島を日本に返還しました。ただし、台湾は国連の議席を失った直後であり、また繊維交渉で米国は台湾に大幅な譲歩を求めていた関係上、米政府は台湾に配慮する必要があり尖閣諸島の返還をできるだけ穏便に運ぼうとしていたのは事実ですが、すでに確定していた尖閣諸島の法的地位を揺るがせるようなことはしませんでした。
 現在、米国は第三国の領土紛争に関与しないという方針であり、尖閣諸島に関しても、一方では日米安保条約が適用されると明言しつつ、領有権をめぐって争いがあれば当事者同士で解決すべきであるという立場を取っています。しかし、尖閣諸島が平和条約第3条に含まれることは日本によってではなく、平和条約の履行の過程で米国が主導して連合国が確認したのです。その意味で尖閣諸島は米国にとって第三国間の問題ではない面があります。
 尖閣諸島について中国に要求があるのであれば、国際司法裁判所に訴えればよい、日本は受けて立つ用意がある、というのが日本政府の立場です。これは公平な解決を求める最良の方法だと思います。中国政府は国際司法裁判所での解決を拒否していますが、かりに将来国際司法裁判所で尖閣諸島の法的地位が審議される場合には、日本は、米民政府布告を含め米国の関与の下で尖閣諸島の法的地位が確定したことを主張するでしょうし、それは有力な根拠になると思われます。


2015.04.10

日本が「アジアインフラ投資銀行」参加に慎重であるべき理由

4月8日、THEPAGEに掲載された(4月6日当HPにアップしたものの改訂版)

「現在、中国が提唱するアジアインフラ投資銀行(AIIB)を設立する方向に向かって、巨大な流れが起きています。日本と米国は流れの外にいますが、かなりの数の国はその中に巻き込まれており、メディアや評論家(国内と外国を含む)の多くもそのような流れを肯定的に見る見解を発表しています。しかし、以下に述べる理由により、この流れは混乱を惹起する危険があると考えます。

中国政府は、AIIBを国際開発金融機関(multilateral development bank=MDB)だと説明しています。AIIBのオームページ(以下単にHP)も同じ説明です。世界銀行、IMF、アジア開発銀行などと同種類の銀行とみなしているのですが、国際機関として見た場合次のような問題があります。
AIIBの資本金は、目標1000億米ドル、最初は500億ドルから出発すると、2014年10月24日、北京で署名された覚書に明記されています(同日の新華社電。しかし、その覚書は公表されていません)が、問題は、各国の出資比率がどうなるかです。各国は出資比率に応じて投票権が与えられるので、出資比率は国際開発銀行における各国の発言権の重さを決める根本問題です。AIIBの場合、HPに記載はありませんが、中国は半分を出資すると表明したと報道されています。これは異常に高い比率であり、中国がAIIBを思い通りに操作可能な比率です。ちなみに、世界銀行の場合、米国は15.85%、日本は次いで6.84%、以下、中国の4.42%となっています。

中国系新聞には、米国はAIIBの1番か2番目の出資国になることを中国に内々打診したが、中国は拒否したと報道しているものがあります。真偽のほどは定かでありませんが、将来かりに米国や日本が参加する場合に必ず出てくる問題であり、中国が出資比率50%にこだわれば、両国が参加することはありえないと思います。それを受け入れれば、出資比率が低い、したがって発言力の弱い日本や米国は中国の言いなりにならざるをえなくなるからです。

さらに、AIIBの本部をどこに置き、ナンバーワン、いわゆる総裁を誰が務めるかも極めて重要なことであり、本部についてはすでに北京に置くことが決定されています(HP)。
総裁についてはまだ決定はなさそうですが、中国は自国人を総裁にすることに固執するだろうという報道はあり、現に中国では総裁候補の名がすでに上がっています。この報道は間違っていないと思います。

このように重要な問題についての現状を見ていくと、一部は推測が混じっていますが、AIIBは国際機関と言えません。国際機関は平等な立場に立つ諸国が協力して設立運営するものであり、1か国が出資比率を50%持ち、その国に本部があり、その国の人が総裁を務めるというのでは国際協力とは到底言えません。

中国がAIIBを国際機関という形式に仕立て上げたのは次のようなプロセスを通じてでした。すなわち、中国は、2013年10月に習近平主席と李克強首相が東南アジアを訪問した際にAIIB創設構想を打ち出して以来一直線に設立準備を進め、1年後の2014年10月24日、北京で創設に関する覚書署名式を行ない、11月27~28日には中国の昆明で、2015年1月15~16日にはインドのムンバイで、3月31日には、カザフスタンのアルマティで準備会議を行ないました。今後、5月の最終協議を経て6月までに関係の協定に合意し、2015年末までにAIIBを正式に発足させるというスケジュールになっています(HP)。

北京で署名された覚書は中国の他20カ国が参加したという意味では国際的でした。そして創設準備のための会議を重ねることにより、中国はAIIBが国際機関であるという体裁を作り上げることに成功しました。しかし、国際機関とは言えないことは前述したとおりです。

では、AIIBの実態をどう見るべきか。中国が圧倒的な出資比率を持ち、本部は中国に置き、中国人が総裁となるAIIBは、実質的には中国の国内銀行に限りなく近いと思います。中国がそのような機関を持ちたいのはよく分かりますし、そのこと自体何ら批難されることでありません。たとえば日本で企業が設立される場合に、設立者がその企業の支配権を確保するために50%の株式を確保し、残りを他に開放することがあります。その範囲内であれば、数十の外国企業が資本参加してもかまいません。AIIBについて起こっていることはこれと同じことだと思います。

各国はどのように考えてAIIB創設準備に協力しているのでしょうか。推測にすぎませんが、いくつかの可能性が考えられます。

1つ目は、中国の国内銀行でも国際機関でも、どちらでもよい、中国が圧倒的な影響力を持ってもかまわないという考えです。

2つ目は、資本金の総額と本部を北京に置くことだけは合意したが、それ以外のことについてはまだ合意していない、今後協議して決定することであるとみなして参加した可能性です。しかし、形式的にはその通りですが、設立準備がほぼ完全に中国のペースで進められていることにかんがみれば、今後の協議においてこれらの国の懸念を払しょくできるか、中国が資本比率は50%、総裁も中国人とすることを正式に提案した場合に拒否できるかはなはだ疑問です。

3つ目は、AIIBが満足できるものとならなければ設立には参加しないという選択肢を残しつつ創設準備に参加した可能性です。

英独仏伊などの欧州諸国で創設準備に参加した国は1か3のケースだと思われます。とくに経済規模の小さい国にとっては、中国の銀行であろうと国際機関であろうと結局大差ないという考えもありえます(1のケース)が、常識的には、中国だけが圧倒的な影響力を持つ機関に出資してまで参加するということに、平等を重視する欧州諸国が甘んじることはないのではないかと思われます。

さらに、かりにAIIBが発足した場合、融資の政策がどうなるかについても注意が必要です。中国がAIIB設立に熱心なのは、「海上のシルクロード」とも、あるいは「一帯一路」とも呼ばれる戦略、したがってまた、中国の海洋大国化戦略を達成したいからでしょう。AIIBの融資ポリシーはこの戦略的考慮によって影響される恐れがあります。 
このことを断定するのは早すぎるとしても、「海上のシルクロード」や「一帯一路」構想は中国が公然と進めていることであり、各国は、すくなくともそのようなこととの関連の有無を明確にすべきです。そのため、今起こっている流れがどのような方向に行くか、見極めてから参加の有無を判断すべきです。中国の海洋大国化戦略の影響をもろに受ける日本として、その確認をしないでAIIBに参加することは、日本の国益に反することになる恐れがあります。

以上のような考えから、AIIBの流れに乗ることに慎重な姿勢を堅持している日米両政府に賛意を表します。今後、日米両国は、できれば共同で、AIIBの創設準備の現状についての見解を公に表明し、建設的な方向に導いていくのが望ましいのではないかと思います。中国と対立する必要はありません。国際機関でなく中国の銀行であることを前提にした上で、協力の可能性を検討する姿勢を示すことが望まれます。」

2015.04.09

機雷除去の是非

 日本政府は、近く国会に提出予定の安保関連法案や4月末にも改定される可能性がある米国との「日米防衛協力のための指針」(ガイドライン)において、今まで日本周辺の海域に限られていた自衛隊による機雷除去を中東のホルムズ海峡などにおいても可能にすることを盛り込む方針であると伝えられている。
 問題は第三国間で紛争が継続中にも機雷除去を行なうことで、これは認めるべきでない。自衛隊が機雷除去を行なうのはあくまで停戦が成立した場合に限るべきである。
 なぜならば、紛争が継続中に自衛隊が機雷除去を行なうと日本は中立ではありえず、紛争のどちらか一方に加担することになるからである。
 憲法をあらためて読み直そう。日本が国際紛争に巻き込まれてはならないと固く禁止していることは明白であり、この禁止は何としても遵守する必要がある。
 これまで集団的自衛権の行使を認めることの意味が明確にされないまま、政治の力で小出しに既成事実化されてき、またこれからもそのようなプロセスが続けられようとしている。ここに根本的な問題があるのだが、理屈はともかく、国民としては憲法を読み直し、紛争中の機雷除去を認めてならないことを確認すべきである。
 機雷除去を停戦成立後に限定することに対して、ホルムズ海峡での機雷敷設は「我が国が武力攻撃を受けた場合と同様な深刻、重大な被害が及ぶことが明らかな状況」であり、我が国としても死活に関わる問題であり、拱手傍観できない、という反論があるかもしれない。しかし、もし日本を守るために停戦前の機雷除去が本当に必要ならば、そう言えばよい。自衛のためであれば国際紛争に巻き込まれないので武力を行使できることは政府だけでなく国民も含め確認してきたことである。政治の中でこの筋道が曲げられてはならない。

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