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2015.10.27

米艦による人工島から12カイリ内への立ち入りとインドネシア、台湾の反応

 米国はかねてから予告していた通り、米国の艦船を中国が埋め立てて造った人工島から12カイリ内に立ち入らせたと報道されている。27日朝のことであり、立ち入ったのは横須賀基地に所属するミサイル駆逐艦「ラッセン」で、数日前からマレーシアで任務に就いていた。同艦は数時間で他の海域へ移動するそうだ。
 在米中国大使館の朱海権報道官は、「航行の自由(作戦)を、影響力の拡大や他国の領有権と安全を傷つけるための言い訳にすべきではない。米国が挑発的な言動を抑制し、地域の平和と安定を維持する責任を果たすことを促す」との声明を発表したが、米国としては想定内の反応だったのだろう。
 米国は、当然ながら慎重に検討した結果の行動であった(東洋経済オンライン10月26日「ついにアメリカが中国の増長を非難し始めた」)。米国は、軍事的に事を構えようとしているのではなく、米艦による12カイリ内への立ち入りは、米国としては「公海上の自由通航」であり、他方、中国の立場に立つと「無害通航」となる性質のものであるが、どちらであっても認められるはずであるという考えだ。

 おりしもオバマ米大統領はインドネシアのジョコ・ウィドド大統領と26日、ホワイトハウスで会談し、中国が南シナ海の南沙諸島で埋め立てや建設工事を進めていることについて「(中国の行動は)地域の緊張を高め、信頼を損ねている」「両大統領は国際的に認められた南シナ海の航行・飛行の自由の重要性を確認した」「(領有権問題が)国連海洋法条約など国際法に沿った平和解決を支持する」などと共同声明で表明した。米国の主張にインドネシアがほぼ全面的に同調した形だ。
 オバマ大統領は、先般朴槿恵大統領に対しても中国の国際法違反には声を上げるべきだと述べていた。米国は、従来より格段に強い姿勢で、中国に国際法順守を求めており、関係諸国に対しても米国と同じ立場に立つことを期待している。

 一方、台湾の国防部は27日、紛争の平和的解決を希望すると述べつつ、「歴史的、地理的および国際法的には南沙諸島、西沙諸島、中沙諸島、東沙諸島およびその周辺の海域は中華民国の固有の領土であり、中華民国は国際法上の権利を有する。いかなる国であれ、いかなる理由であれ、これら諸島や海域に対して主張や占拠することは認められない」とする声明を発表した。南シナ海に対する主張は基本的には中国と同じであり、そもそもその主張は第二次大戦直後から中華民国政府が行っていたものであるので新味はないが、この時点でこのような声明をするのが賢明か疑問だ。
 この声明では、米国には注文を付けているが、中国に対しては、同じことを主張することにより中国の埋め立て工事を間接的に認める形になるからだ。米国は南沙諸島に対して領有権を主張しようとしているのでなく、占拠しようとしているのでもない。国際法の順守に焦点があるのであり、台湾は米国の行動を支持する声明を行うべきでなかったか。
2015.10.20

プーチン大統領の訪日延期と大八車

 日ロ両国が予定していたプーチン大統領の訪日が延期されたのは、ウクライナ問題の影響で日ロ関係まで悪化してしまい、交渉を行なう状況でなくなってしまったためだ。

 日ロ関係は上り坂で大八車を押し上げるようなものだ。この大八車を「日ロ号」と名付けよう。日ロ双方で懸命に日ロ号を押し上げようとするが、途中でロシアの外、時には内から力が働いて支えられなくなり、日ロ号は坂下まで転げ落ちてしまう。このようなことを何回も繰り返してきた。交渉開始は坂の上にあるのでどうしても上げなければならない。
 
 日ロ両国が戦争状態を終了させ、領土問題の解決について中間的な合意を達成したのは1956年の日ソ共同宣言であった。ところがその後ソ連は領土問題について何も合意しなかったかのような態度を取るようになった。冷戦時代、ソ連側が問題にしたのは日米安保条約であった。
 ソ連側が勝手に日ロ号を坂下まで蹴落としたので、日本側は坂下からまた押し上げなければならなかった。
 1973年、田中首相がソ連を訪問し、ブレジネフ書記長から、両国間には未解決の諸問題があり、その中に北方四島の問題が入っていることの確認を引き出した。これは画期的な合意であり、日ロ号は日ソ共同宣言よりさらに少し高いところまで押し上げられた。
 この合意が実現した背景に2年前の沖縄返還があり、それが、日ソ関係を進める影の要因となっていた。
 しかし、冷戦が継続するなかでソ連の態度は元へ戻ってしまい、日ロ号はまた坂下まで落ちてしまった。

 ゴルバチョフ書記長のペレストロイカは日ソ関係にも好影響を及ぼし、1991年4月、同書記長の訪日が実現し、海部首相との間で「歯舞群島、色丹島、国後島および択捉島の帰属についての双方の立場を考慮しつつ領土画定の問題を含め」両国間の平和条約の話合いが行われたという内容の共同声明が発表された。
 文書で、しかも四島が実名で示され、解決すべき問題であることが確認されたのだ。日ロ号は一九五六年の共同宣言よりも、また、田中・ブレジネフ合意よりもさらに一歩高いところまで押し上げられた。
 しかし、海部・ゴルバチョフ会談からわずか4カ月後の8月、ソ連で政変が起こり、ゴルバチョフは書記長を辞任した。

 エリツィン大統領はゴルバチョフ書記長にもまして対日関係の改善に熱心だった。ソ連邦が解体して12の共和国に分かれるという激動のさなかの9月、エリツィン大統領は海部総理に宛てた親書を持たせてハズブラートフ・ロシア最高会議議長代行を日本へ派遣した。さらに、エリツィン大統領自身が訪日しようとしたが、その対日姿勢が政争の的になり、訪日開始予定期日のわずか4日前に宮澤総理に電話を寄こし、ロシア国内の事情により訪日を延期せざるをえないと伝えてきた。
 しかし、エリツィン大統領は93年10月に訪日を実現させ、細川総理と、「択捉島、国後島、色丹島および歯舞群島の帰属に関する問題」を解決して両国間の関係を正常化することに合意した。このことは東京宣言として発表された。

 細川内閣は短命で、その後を羽田首相、さらにその後を村山首相が継ぐなど短時日の間に3人の首相交代があった。
 村山首相の後を継いだ橋本首相は1997年、クラスノヤルスクで「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くす」ことに合意し、さらにエリツィン大統領が98年4月に再度訪日したさいに、東京宣言に基づき四島の帰属問題を解決すべきことを再確認した。「川奈合意」である。その際、さらに突っ込んだ内容の話し合いが非公式に行われた。全体を通して、「日ロ号」号はかつてない高みにまで押し上げられた。
 しかし、橋本首相はその年の参議院選挙での自民党大敗の責任を取って辞任してしまった。11月、橋本総理の後を継いだ小渕総理はエリツィン大統領と「東京宣言、クラスノヤルスク合意および川奈合意に基づいて平和条約の締結に関する交渉を加速する」ことに合意した。両首脳は、また、「平和条約を2000年までに締結するよう全力を尽くすとの決意」も再確認した。日ロ号は川奈合意の高いところで支えられたのだ。
 
 ところが、今度はロシアの事情が変わった。ロシア国内の政治状況は厳しくなり、また、エリツィン大統領は健康状態が悪化して執務に困難をきたすようになり、99年の大晦日突然辞任した。

 プーチン大統領は、2000年9月、訪日し森首相と会談した。翌年3月、森首相が訪ロして会談を重ねた結果、「東京宣言に基づき、2000年までに平和条約を締結するよう全力を尽くすとのクラスノヤルスク合意の実現のための努力を継続する」ことに合意した(イルクーツク声明)。この中に「川奈合意」は言及されなかった。プーチン大統領が拒否したためである。
 日ロ号は、少し引き下ろされたのだ。
 森首相の後を継いだ小泉首相は2003年1月に訪ロし、プーチン大統領と、1956年の共同宣言、東京宣言、イルクーツク声明を基礎として、四島の帰属など諸問題の早期解決のために交渉を加速することで合意した(日ロ行動計画)。
 日ロ号の高さはイルクーツク声明と同じであった。

 プーチン大統領は、2008年5月から2012年5月までメドヴェージェフに大統領を譲り、自らは首相になった。この間、サハリンで麻生首相とメドヴェージェフ大統領の会談もあったが、目立った進展はなく、参議院予算委員会における麻生首相の、「ロシアによる北方四島の不法占拠」発言や、2010年7月の択捉島での軍事演習、11月のメドヴェージェフ大統領の国後島訪問などで雰囲気が悪化し、ロシアの強硬な姿勢が目立つようになった。
 日ロ号は坂を下り始めた感があった。
 
 2012年5月に大統領に復帰したプーチンは、領土問題の解決に熱意を示し、1956年の共同宣言は重視していることを示しつつ、以前森首相と合意したイルクーツク声明については維持するのか否か不明の発言も行なった。
 日ロ号はイルクーツク声明より低いところまで引き下ろされる危険が出てきた。

 2013年4月29日、安倍首相が日本の首相として10年ぶりにロシアを公式訪問してプーチン大統領と発表した共同声明では、「両首脳は,平和条約締結交渉を,2003年の日露行動計画の採択に関する日本国総理大臣及びロシア連邦大統領の共同声明及び日露行動計画を含むこれまでに採択された全ての諸文書及び諸合意に基づいて進めることで合意した」と言及された。
 「全ての諸文書及び諸合意」には東京宣言やイルクーツク声明などの重要合意が含まれるのは当然であるが、それを具体的に列挙することにロシアは応じなかった。

 その状態で今回のプーチン訪日延期となったのだ。
 日ロ号が坂を引き下ろされたとは思いたくない。しかし、ロシアの対応は、冷戦時代をほうふつとさせるところがある。ウクライナ問題の関係で日本が西側の対ロシア制裁に加わっていることが不満で日本との関係を進めることには積極的になれないというのは、かつてのロシアの行動パターンではないか。
2015.10.19

金正恩の権威確立と北朝鮮の対外積極姿勢

「北朝鮮が対外関係の改善へと進み始めた理由」と題する一文を10月19日、東洋経済オンラインに寄稿しました。要点は次の通りです。

○北朝鮮労働党創設70年記念日で注目すべきは、冷え切っていた中朝関係が修復に向けた一歩を踏み出したことだ。
○中国も北朝鮮も関係改善の努力をし、金正恩第1書記は中国の劉雲山代表を熱烈なハグで歓迎した。
○北朝鮮は、今もなお朝鮮戦争における中国軍の参加を高く評価し、恩義を感じていることを示した。
○北朝鮮の新しい指導者として金正恩の権威確立が進んだことにより、中国や米国との関係で積極的な姿勢を取れるようになった。
○米国は、これまでのように中国や六者協議に頼るのでなく、北朝鮮との平和条約締結に向け積極的に乗り出すことを期待する。

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