オピニオン
2015.10.13
この種の事件では珍しくないが、詳しい事実関係がよく分からない。昨年11月に施行された「反スパイ法」違反らしいが、その法律のどの条項に違反したのかは発表されていない。従来の類似の事件から類推すると、次の発表は処分が確定してからであり、その際にも詳細は明らかにされないだろう。
反スパイ法には、刑罰が明記されておらず、一般の刑法により量刑が行なわれる。このことも日本などの法律ではありえないことである。ともかく、刑罰を受ける可能性は大きいと見るべきだろう。国外退去が比較的多いが、最も重い処罰は死刑だ。
拘束された人たちにはたしてスパイ行為があったのか、関心が持たれるが、これに対し正確に答えるのは容易でない。スパイとは、政府、軍、企業などを対象とした外国による情報入手行為、というのが常識的な理解だろうが、実は、それだけでは不十分であり、まず、行為が合法か違法かを区別する必要がある。合法的な情報収集活動は日本も含めどの国でも行なっている。
スパイとして問題になるのは違法な行為であり、菅官房長官が明言したように、日本政府はスパイを送っていない。これははっきりしている。では、4人の日本人はなぜ拘束されたのか、不当な逮捕でないか、などの疑問がわき出てくる。
問題は違法と合法のはざまにある。たとえば、軍の施設の付近で散歩をするのは合法だ、何も問題ないはずだと日本人が思っていても、その時の周囲の状況、当人の背景、中国で接触した相手などいかんでは、中国政府は拘束して取り調べが必要だと判断することがありうる。
今回北朝鮮との国境付近で拘束された人が日本を出発する前、「帰国後話を聞きたい」と頼まれていたことはありうる。日本人からすれば何ら問題ないはずであるが、中国側はその背景などを徹底的に調べるかもしれない。
日本政府は邦人保護のため中国政府に対し説明を求め、十分な保護を求めるのは当然だが、中国側は結論が出るまで面会に応じない恐れがある。
もちろん、中国政府の言いなりになってはならないが、日本人が違法行為をしていないという保証はない。現在拘束中の4人のことでなく、一般論であるが、この種の事件の扱いは非常に困難だ。
1つ注意を要するのは、日本人だけが標的になっているのではないことだ。最近中国は米国人女性実業家やカナダ人も拘束している。バスや地下鉄で痴漢防止ステッカーを配る計画を立てた女性活動家5人が拘束されたこともある。こういう人たちは、大概海外に拠点があるのでスパイと見られやすい。
中国は、国家の安全、体制の安全が脅かされることに神経をとがらせており、その表れが前述の反スパイ法であり、また、今年の7月に制定された「国家安全法」だ。
もともとは1993年の「国家安全法」1本であり、それが「反スパイ法」と新しい「国家安全法」に分かれた。前者は主として外国が企図した、あるいは使嗾した個別の脅威に備える法律であり、後者は内外を問わず、国家、体制、領土など重大利益を損なう行為を対象とするものである。
習近平政権が国家や体制の安全にかかわる個人の行動、言論、インターネットでの発信を厳しい統制下に置くのは、格差が原因で発生するいわゆる「群体性事件(集団事件)」、少数民族による騒乱、大量殺傷事件などが相次いでおり、それらは早期に収拾しないと共産党の独裁体制を揺るがす大問題に発展する恐れがあるという考えがあるからだ。日本では想像もつかない懸念が中国の指導者、指導層にあることを頭の隅においておかなければならない。
中国で日本人がスパイ容疑で拘束された
日本人4人が中国で拘束されている。そのうち2人については中国政府が9月30日、スパイ容疑で拘束していることを公表したが、後の2人については関係筋からの情報として報道されている。連行された場所も日時もバラバラであり、中国が発表したうち1人は北朝鮮との国境に近い丹東市で、また、もう1人は浙江省の軍事施設付近で拘束された。後の2人は北京と上海だったそうだ。この種の事件では珍しくないが、詳しい事実関係がよく分からない。昨年11月に施行された「反スパイ法」違反らしいが、その法律のどの条項に違反したのかは発表されていない。従来の類似の事件から類推すると、次の発表は処分が確定してからであり、その際にも詳細は明らかにされないだろう。
反スパイ法には、刑罰が明記されておらず、一般の刑法により量刑が行なわれる。このことも日本などの法律ではありえないことである。ともかく、刑罰を受ける可能性は大きいと見るべきだろう。国外退去が比較的多いが、最も重い処罰は死刑だ。
拘束された人たちにはたしてスパイ行為があったのか、関心が持たれるが、これに対し正確に答えるのは容易でない。スパイとは、政府、軍、企業などを対象とした外国による情報入手行為、というのが常識的な理解だろうが、実は、それだけでは不十分であり、まず、行為が合法か違法かを区別する必要がある。合法的な情報収集活動は日本も含めどの国でも行なっている。
スパイとして問題になるのは違法な行為であり、菅官房長官が明言したように、日本政府はスパイを送っていない。これははっきりしている。では、4人の日本人はなぜ拘束されたのか、不当な逮捕でないか、などの疑問がわき出てくる。
問題は違法と合法のはざまにある。たとえば、軍の施設の付近で散歩をするのは合法だ、何も問題ないはずだと日本人が思っていても、その時の周囲の状況、当人の背景、中国で接触した相手などいかんでは、中国政府は拘束して取り調べが必要だと判断することがありうる。
今回北朝鮮との国境付近で拘束された人が日本を出発する前、「帰国後話を聞きたい」と頼まれていたことはありうる。日本人からすれば何ら問題ないはずであるが、中国側はその背景などを徹底的に調べるかもしれない。
日本政府は邦人保護のため中国政府に対し説明を求め、十分な保護を求めるのは当然だが、中国側は結論が出るまで面会に応じない恐れがある。
もちろん、中国政府の言いなりになってはならないが、日本人が違法行為をしていないという保証はない。現在拘束中の4人のことでなく、一般論であるが、この種の事件の扱いは非常に困難だ。
1つ注意を要するのは、日本人だけが標的になっているのではないことだ。最近中国は米国人女性実業家やカナダ人も拘束している。バスや地下鉄で痴漢防止ステッカーを配る計画を立てた女性活動家5人が拘束されたこともある。こういう人たちは、大概海外に拠点があるのでスパイと見られやすい。
中国は、国家の安全、体制の安全が脅かされることに神経をとがらせており、その表れが前述の反スパイ法であり、また、今年の7月に制定された「国家安全法」だ。
もともとは1993年の「国家安全法」1本であり、それが「反スパイ法」と新しい「国家安全法」に分かれた。前者は主として外国が企図した、あるいは使嗾した個別の脅威に備える法律であり、後者は内外を問わず、国家、体制、領土など重大利益を損なう行為を対象とするものである。
習近平政権が国家や体制の安全にかかわる個人の行動、言論、インターネットでの発信を厳しい統制下に置くのは、格差が原因で発生するいわゆる「群体性事件(集団事件)」、少数民族による騒乱、大量殺傷事件などが相次いでおり、それらは早期に収拾しないと共産党の独裁体制を揺るがす大問題に発展する恐れがあるという考えがあるからだ。日本では想像もつかない懸念が中国の指導者、指導層にあることを頭の隅においておかなければならない。
2015.10.12
この事件についてはかねてから日中間でも、また日本国内でも論争があり、その事件をどう表示するか、つまりネーミングについても意見が分かれていた。鍵カッコつきの「南京大虐殺」は外務省で採用している表示方法だ(同省「歴史問題Q&A」 平成27年9月18日)。
登録の申請は中国政府が2014年に行ない、日本政府は登録に反対していた。両政府間の最大の相違点は「南京大虐殺」の犠牲者数にあり、中国政府は30万人以上としていたのに対し、日本政府は、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としていた(前記Q&A)。
研究家の間には、数万人と推測する者もある。日本政府は、中国政府の主張を認めることのみならず、研究家の推測を正しいと認めることもできないと言っているのだ。
今回のユネスコによる登録決定に対し、日本は、政府も含めて強く批判的に反応した。
日本政府は、「この案件は、日中間で見解の相違があるにもかかわらず、中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、完全性や真正性に問題があることは明らかだ。これが記憶遺産として登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ。ユネスコの事業が政治利用されることがないよう、制度改革を求めていく」ことを外務報道官の談話として発表した。
一方、一部政治家は、決定を非難しつつ(そこまでは政府とほぼ同じ)、ユネスコに対する拠出金の支払いを再考すべきだとも発言している。趣旨としては、支払いの停止も含めているようだが、それは決して口にしてはいけないことである。ユネスコが日本政府の主張を取り上げなかったことは、日本にとっては残念であり、また、承服できないことである。しかし、決定についての不服をどのように主張すべきか。ユネスコの設立協定約を含む国際法および国際慣習にのっとって主張しなければならない。「南京大虐殺」についての日本の主張が通らなかったからと言って拠出金を出さないというのは認められることでない。しかも、カネに力に物を言わせて主張を通そうとしていると非難を浴びる危険が大きい。
ルールを無視して、カネや力で意見を通そうとしてはならないことはまともな日本人であればだれでも心得ており、そのような誤解を受けないために細心の注意を払う。国際的な場ではいっそう気を付けなければならないのに、拠出金を払わないと言わんばかりの発言をするのは何たることか。日本国内ではある程度ナショナリズムに訴えることができても、国際社会では国益を損なう。日本のカネや力を頼るような発言は必ず反発を受けるからだ。各国の新聞は、供出金の支払いを停止すべきだという意見が日本で出ていることを盛んに報道している。
日本政府の談話はおおむね妥当だが、最後の「制度改革を求めていく」には引っ掛かりを覚える。「「南京大虐殺」を登録すること」と「制度に問題があること」がすぐにつながらないからだ。もし、制度に問題があるのならば、今回同時に決定された「東寺百合文書」と「舞鶴への生還」の登録にもケチがつかないか。
ユネスコの制度に本当に問題があるのか。「制度改革」を求めるならば、個別のケースを超えた一般的な問題がなければならない。政府にはいろいろな思いがあるのかもしれないが、国民には分からない。
この「制度改革」の問題はさておいて、今回の「南京大虐殺」については、日本としてはカネの話など一言もしないで、あくまで決定の誤りを指摘し、是正を求める正攻法によるべきだと考える。
(短評)「南京大虐殺」関係資料の世界記憶遺産への登録
国連教育科学文化機関(ユネスコ)は10月10日、旧日本軍による「南京大虐殺」に関する資料を世界記憶遺産に登録したと発表した。この事件についてはかねてから日中間でも、また日本国内でも論争があり、その事件をどう表示するか、つまりネーミングについても意見が分かれていた。鍵カッコつきの「南京大虐殺」は外務省で採用している表示方法だ(同省「歴史問題Q&A」 平成27年9月18日)。
登録の申請は中国政府が2014年に行ない、日本政府は登録に反対していた。両政府間の最大の相違点は「南京大虐殺」の犠牲者数にあり、中国政府は30万人以上としていたのに対し、日本政府は、「日本軍の南京入城(1937年)後、非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数については諸説あり、政府としてどれが正しい数かを認定することは困難である」としていた(前記Q&A)。
研究家の間には、数万人と推測する者もある。日本政府は、中国政府の主張を認めることのみならず、研究家の推測を正しいと認めることもできないと言っているのだ。
今回のユネスコによる登録決定に対し、日本は、政府も含めて強く批判的に反応した。
日本政府は、「この案件は、日中間で見解の相違があるにもかかわらず、中国の一方的な主張に基づき申請されたものであり、完全性や真正性に問題があることは明らかだ。これが記憶遺産として登録されたことは、中立・公平であるべき国際機関として問題であり、極めて遺憾だ。ユネスコの事業が政治利用されることがないよう、制度改革を求めていく」ことを外務報道官の談話として発表した。
一方、一部政治家は、決定を非難しつつ(そこまでは政府とほぼ同じ)、ユネスコに対する拠出金の支払いを再考すべきだとも発言している。趣旨としては、支払いの停止も含めているようだが、それは決して口にしてはいけないことである。ユネスコが日本政府の主張を取り上げなかったことは、日本にとっては残念であり、また、承服できないことである。しかし、決定についての不服をどのように主張すべきか。ユネスコの設立協定約を含む国際法および国際慣習にのっとって主張しなければならない。「南京大虐殺」についての日本の主張が通らなかったからと言って拠出金を出さないというのは認められることでない。しかも、カネに力に物を言わせて主張を通そうとしていると非難を浴びる危険が大きい。
ルールを無視して、カネや力で意見を通そうとしてはならないことはまともな日本人であればだれでも心得ており、そのような誤解を受けないために細心の注意を払う。国際的な場ではいっそう気を付けなければならないのに、拠出金を払わないと言わんばかりの発言をするのは何たることか。日本国内ではある程度ナショナリズムに訴えることができても、国際社会では国益を損なう。日本のカネや力を頼るような発言は必ず反発を受けるからだ。各国の新聞は、供出金の支払いを停止すべきだという意見が日本で出ていることを盛んに報道している。
日本政府の談話はおおむね妥当だが、最後の「制度改革を求めていく」には引っ掛かりを覚える。「「南京大虐殺」を登録すること」と「制度に問題があること」がすぐにつながらないからだ。もし、制度に問題があるのならば、今回同時に決定された「東寺百合文書」と「舞鶴への生還」の登録にもケチがつかないか。
ユネスコの制度に本当に問題があるのか。「制度改革」を求めるならば、個別のケースを超えた一般的な問題がなければならない。政府にはいろいろな思いがあるのかもしれないが、国民には分からない。
この「制度改革」の問題はさておいて、今回の「南京大虐殺」については、日本としてはカネの話など一言もしないで、あくまで決定の誤りを指摘し、是正を求める正攻法によるべきだと考える。
2015.10.02
改正法案が国会に提出された当初、自衛隊が日本の領域外に出て活動することが想定されていたのは、集団的自衛権の行使に関わる事例と、集団安全保障に関わる事例でした。法案は成立しましたが、これらの事例は自衛隊の新しい任務になるでしょうか。必ずしもそうではないようです。
とくに機雷の除去は、国会での審議が始まる前から重要な事例だとみなされていましたが、安倍首相は国会の会期末近くになって、「今の国際情勢に照らせば、現実問題として発生することは具体的に想定していない」と答弁したので、機雷除去は法改正により自動的に自衛隊の新任務になるのではないと思われます。
避難してきた日本人を乗せた米国の艦船が第三国から攻撃を受けた場合についても、中谷防衛相は、日本人でなくても自衛艦の派遣が考えられるという説明に変えましたが、将来も米艦への防護を行う点では変わらないようです。
国連決議に基づいて行われる「集団安全保障」の関係では、国連平和維持活動(PKO)といわゆる「多国籍軍」への協力が重要問題です。
PKOについては、国際紛争に巻き込まれる危険はありませんが、自衛隊は、これまでできなかったいわゆる「駆け付け警護」が可能となり、同じ場所で活動している他国の隊員が危険な状況に陥った場合救助に駆け付け、必要であれば武器も使用できることになりました。これによって自衛隊は各国のPKO部隊と同等の活動ができるようになり、我が国は国際社会における責務を十分に果たせるようになりました。今次法改正で積極的に評価できる面です。
一方、「多国籍軍」が組織あるいは派遣されるのは通常紛争が終わっていない場合であり、自衛隊がこれに協力すると国際紛争に巻き込まれる危険が大です。改正法は、自衛隊の活動を「非戦闘地域」に、かつ「後方支援」に限れば問題ないとの考えに立っていますが、やはり敵対行為とみなされるという有力な反論があります。
イラク戦争の際に自衛隊が派遣されたのは「多国籍軍」への協力のためでした。今後は、仮定の話ですが、過激派組織ISが勢力を拡大して中東の産油地帯を支配下に置き、そのため我が国などへの原油供給が大幅に減少するに至った場合、自衛隊は米軍などの空爆に協力できるかということなどが問題になりえます。改正法が定める要件を満たすと政府が判断すればそれも可能となりました。
米国など諸外国は日本の法改正をどのように評価するでしょうか。
安倍首相は国会での審議が始まるのに先立って訪米し、オバマ大統領に対してはもちろん、米議会でも法改正の趣旨を説明し、高い評価を得ました。改正された法律に従って自衛隊が米軍の活動に協力すれば、米軍の負担はかなり軽減されるでしょう。心強い味方となります。オバマ大統領の喜色満面の表情が今も目の前に浮かんできます。
わが国の国会審議では、今回の法改正により米国の日本に対する信頼感が高まり、第三国からの攻撃に対する抑止力がはたらくという趣旨の答弁が行なわれました。しかし、抑止力は程度問題であり、「これだけ措置すれば抑止力が得られる、そうでないと抑止力は働かない」というようなことはありません。
今回の法改正を米国は積極的に評価していますが、米国の我が国に対する期待感を完全に満たすものでないことは明白です。
たとえば、米国は、日本や欧州諸国が防衛にどれだけ予算を割いているか、かねてからよく研究しており、とくに欧州諸国に対しては予算を増加させるようおおっぴらに要求しています。防衛予算のGDP比は、米国自身は3・5%程度ですが、欧州諸国は、英仏など多い国でも2%程度であり、少ない部分を米国が肩代わりしていると考えているからです。このことはNATOでも主要問題の一つになっています。
日本の防衛予算は安倍政権下で微増していますが、GDPとの比率では1%をわずかに越えたレベルです。今後、米国は、防衛政策を大転換した日本に対して予算増、しかも、小数点以下の微増でなく、かなりの増額を求めてくる可能性があります。それは、論理的で、自然な考えだと思います。
これは一例にすぎません。米国には、米国本土が第三国から攻撃されても日本は米国の防衛に協力する義務はないことに不満を示す人も居ます。
米国による抑止力を高めるには、本当は日米安保条約を改定する必要があります。それをしないで、日本の法改正だけで抑止力ができるというのは事態をあまりにも単純化しています。
今回の安保関連法の改正は、集団的自衛権の行使を認めたという点ではたしかに日本の防衛政策の大転換でしたが、抑止力を高める必要があるというならば安保条約を改定し、日米が平等な立場に立つようにすべきか、国民的議論を行なうべきではないでしょうか。
また、それとの関連で、憲法についても改正が必要か議論になるでしょう。日本はこれまでどのような事態に対しても「自衛」という風船を膨らませることで対応してきましたが、それは限界を超えて破裂しているのが実態であり、見直すべき時が来ているとも考えられます。
安保関連法の改正後、日本の対外関係はどうなるか
安全保障関連法案の改正が成立したことによって我が国の対外関係にはどのような変化が生じるでしょうか。改正法案が国会に提出された当初、自衛隊が日本の領域外に出て活動することが想定されていたのは、集団的自衛権の行使に関わる事例と、集団安全保障に関わる事例でした。法案は成立しましたが、これらの事例は自衛隊の新しい任務になるでしょうか。必ずしもそうではないようです。
とくに機雷の除去は、国会での審議が始まる前から重要な事例だとみなされていましたが、安倍首相は国会の会期末近くになって、「今の国際情勢に照らせば、現実問題として発生することは具体的に想定していない」と答弁したので、機雷除去は法改正により自動的に自衛隊の新任務になるのではないと思われます。
避難してきた日本人を乗せた米国の艦船が第三国から攻撃を受けた場合についても、中谷防衛相は、日本人でなくても自衛艦の派遣が考えられるという説明に変えましたが、将来も米艦への防護を行う点では変わらないようです。
国連決議に基づいて行われる「集団安全保障」の関係では、国連平和維持活動(PKO)といわゆる「多国籍軍」への協力が重要問題です。
PKOについては、国際紛争に巻き込まれる危険はありませんが、自衛隊は、これまでできなかったいわゆる「駆け付け警護」が可能となり、同じ場所で活動している他国の隊員が危険な状況に陥った場合救助に駆け付け、必要であれば武器も使用できることになりました。これによって自衛隊は各国のPKO部隊と同等の活動ができるようになり、我が国は国際社会における責務を十分に果たせるようになりました。今次法改正で積極的に評価できる面です。
一方、「多国籍軍」が組織あるいは派遣されるのは通常紛争が終わっていない場合であり、自衛隊がこれに協力すると国際紛争に巻き込まれる危険が大です。改正法は、自衛隊の活動を「非戦闘地域」に、かつ「後方支援」に限れば問題ないとの考えに立っていますが、やはり敵対行為とみなされるという有力な反論があります。
イラク戦争の際に自衛隊が派遣されたのは「多国籍軍」への協力のためでした。今後は、仮定の話ですが、過激派組織ISが勢力を拡大して中東の産油地帯を支配下に置き、そのため我が国などへの原油供給が大幅に減少するに至った場合、自衛隊は米軍などの空爆に協力できるかということなどが問題になりえます。改正法が定める要件を満たすと政府が判断すればそれも可能となりました。
米国など諸外国は日本の法改正をどのように評価するでしょうか。
安倍首相は国会での審議が始まるのに先立って訪米し、オバマ大統領に対してはもちろん、米議会でも法改正の趣旨を説明し、高い評価を得ました。改正された法律に従って自衛隊が米軍の活動に協力すれば、米軍の負担はかなり軽減されるでしょう。心強い味方となります。オバマ大統領の喜色満面の表情が今も目の前に浮かんできます。
わが国の国会審議では、今回の法改正により米国の日本に対する信頼感が高まり、第三国からの攻撃に対する抑止力がはたらくという趣旨の答弁が行なわれました。しかし、抑止力は程度問題であり、「これだけ措置すれば抑止力が得られる、そうでないと抑止力は働かない」というようなことはありません。
今回の法改正を米国は積極的に評価していますが、米国の我が国に対する期待感を完全に満たすものでないことは明白です。
たとえば、米国は、日本や欧州諸国が防衛にどれだけ予算を割いているか、かねてからよく研究しており、とくに欧州諸国に対しては予算を増加させるようおおっぴらに要求しています。防衛予算のGDP比は、米国自身は3・5%程度ですが、欧州諸国は、英仏など多い国でも2%程度であり、少ない部分を米国が肩代わりしていると考えているからです。このことはNATOでも主要問題の一つになっています。
日本の防衛予算は安倍政権下で微増していますが、GDPとの比率では1%をわずかに越えたレベルです。今後、米国は、防衛政策を大転換した日本に対して予算増、しかも、小数点以下の微増でなく、かなりの増額を求めてくる可能性があります。それは、論理的で、自然な考えだと思います。
これは一例にすぎません。米国には、米国本土が第三国から攻撃されても日本は米国の防衛に協力する義務はないことに不満を示す人も居ます。
米国による抑止力を高めるには、本当は日米安保条約を改定する必要があります。それをしないで、日本の法改正だけで抑止力ができるというのは事態をあまりにも単純化しています。
今回の安保関連法の改正は、集団的自衛権の行使を認めたという点ではたしかに日本の防衛政策の大転換でしたが、抑止力を高める必要があるというならば安保条約を改定し、日米が平等な立場に立つようにすべきか、国民的議論を行なうべきではないでしょうか。
また、それとの関連で、憲法についても改正が必要か議論になるでしょう。日本はこれまでどのような事態に対しても「自衛」という風船を膨らませることで対応してきましたが、それは限界を超えて破裂しているのが実態であり、見直すべき時が来ているとも考えられます。
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