平和外交研究所

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2016.01.29

(短評)核軍縮作業部会への参加

 昨年、国連で「核軍縮に関する作業部会」の設置が決まった際、日本は棄権したが、2月から始まるこの作業部会には参加する方針を固めたと報道されている。「棄権」は形式的には中立だが、全体の状況の中で見るとかなり否定的な感じである。
 「核軍縮」とは「核を廃絶すること」を意味しているが、いっぺんにそれを実現することはできないので「廃絶の方向に向かって前進すること」などプロセスも含まれる。
 
 5つの核兵器国はすべてこの作業部会の設置に反対した。その理由については、核兵器の使用禁止や違法性の確立などを目指すことを警戒したと説明されている。この説明の通りだろうが、核兵器国は、核兵器を削減するにしても自分たちのペースで進めたい、核兵器を持たない国からせっつかれるのは好まないというのが本心だろう。
 なかには中国のように、核兵器の削減は圧倒的に大量の核兵器を保有している米国とロシアが先に実行すべきであるという立場の国もある。つまり、そのようにならなければ中国は核軍縮を実行しないというわけだ。

 核兵器国の考えは、核軍縮に積極的でないとして批判される。しかし、核兵器国は、現在の国際情勢において核は抑止力として必要だと考えている。この立場の違いは核軍縮に関する議論において常に現れる問題であり、これから始まる作業部会においてもそのような立場の違いは出てくるだろう。
 核兵器国はいずれもこの作業部会に出てこないだろうが、積極的に核軍縮を進めるべきだという国としても核兵器国の立場を無視することはできないので、やはりこの違いは大きな問題となる。
 
 日本は作業部会でどんな貢献ができるか。この相反する2つの考えについて、いずれか一方のみを優先させることは困難だろうが、2つの考えがあることは前提にして議論すべきことがあると思う。具体的には、核兵器の非人道性についての認識を深めることである。かねてからわたくしが主張していることだが、核兵器と通常兵器は、放射能の問題は別として、質的な違いはないと思っている人が世界にはかなりいるのが現実だ。
 核兵器の非人道性についてはこの作業部会に先立って国際会議が数回開催されてきたが、まだまだ不十分だ。今年のG7外相会議は広島で開催されるそうだが、これは良い考えである。
 外相会議ではさらに、核兵器の非人道性を議題として取り上げ、率直に議論してほしい。非公式の場でもよい。フランスなど核兵器の非人道性を認めることに難色を示す可能性が高い国とどのような議論をして説得するべきか、よく検討して臨んでもらいたいものだ。
2016.01.26

(短文)15年前の1月26日、新大久保駅で

 15年前の今日、JRの新大久保駅で、ホームから転落した男性を助けようとして韓国人留学生の李秀賢(イスヒョン)さん(当時26)とカメラマンの関根史郎さん(当時47)が電車にはねられ亡くなった。
 翌02年から、国際交流基金は韓国の高校生を日本に招待して、日本人との交流を通じて日本に対する理解を深めてもらう事業を実施しており、今年は20名が来日した。今日、現場を訪れ献花するそうだ。
 
 韓国の高校生を招待するのは素晴らしいことだと思う。
 この事業の目的として、「李さんの遺志をついで日韓の懸け橋になってもらう」と説明されている。それもよいが、李さんの行動にはもっと普遍的な意義がある。李さんは、とっさに「助けなければならない」と思って危険を顧みずに線路に飛び降りたのではないか。難しく考えすぎかもしれないが、あえて言えば、「日韓のため」とみるのは、よくないとは言いたくないが、不十分な気がするのだ。

 2011年、『グローバル化・変革主体・NGO』という本を出版した。わたくしはその編者として、「序論」で次のように書いた。
 「NGO活動は伝統的に欧米で盛んであり、我が国のNGOは欧米にならって活動をはじめたのかもしれないが、日本で「他人のために」行動することが軽視されていたのではない。「他人のために集団で行動する」ことと、そもそも「他人のために行動する」ことは別問題であり、後者の問題に関しては、日本は、それに韓国や中国も欧米に決して引けを取らないのではないか。例はいくらもあろう。幕末に日本を訪れた西洋人も日本人は親切であると言っていた。具体的な表現は国民ごとに、あるいは民族ごとに違っている部分があるかもしれないが、「他人のために行動する」ことの大切さは人間として身につけてきた普遍的倫理である。JR大久保駅で韓国人留学生と日本人男性がプラットフォームから線路に落ちた人を助けようとして自らの命を犠牲にしたのはたんに「親切にする」という程度をはるかに超える高邁な人道的精神の発露であり、純粋な「他人のための行動」であった。」

 この本はNGOについての識者が市民社会を論じたものであり、「他人のために集団で行動する」とはNGOの特性として言及したことである。
2016.01.19

北朝鮮の核実験と核不拡散

  北朝鮮による核実験は核不拡散体制(NPT)の観点からも見ておく必要がある。
 THE PAGEに1月18日、次の一文を寄稿した。

 「北朝鮮の核開発は「核不拡散」の観点からも問題です。北朝鮮は「核不拡散条約(NPT)」の締約国なので核兵器を開発・保有することを禁止されています。しかし、北朝鮮は1993年、同条約から脱退すると言い始めました。NPTの義務に縛られないで核開発を行なおうとしたのです。
 しかし、国際社会としては許されることではありません。北朝鮮のNPT脱退は認められないと明確に否定しました。
 それから10年後の2003年、北朝鮮は再びNPTから脱退すると、今度は断定的に表明しました。それ以来北朝鮮はNPTにまったくかかわらないでいます。

 NPTは1970年に発効してから一度も破られていません。条約に参加した国はすべて核兵器を開発・保有しないという義務を守ってきたのです。義務を守る覚悟がない国、例えば、インド、パキスタン、イスラエルなどは参加しませんでした。
 北朝鮮による核兵器の開発・保有はNPTとして初めての条約違反です。これはNPTとして放置しておけない問題ですが、解決の方法は見つかっていません。北朝鮮は脱退したと言い、国際社会はそれを認めないという平行線が続いています。

 そもそも、北朝鮮はなぜNPTから脱退すると言い出したのでしょうか。冷戦の終結が背景にありました。北朝鮮は、冷戦が終結に向かう中で、韓国が1990年にソ連と、さらに92年に中国と国交を樹立したので強いショックを受けました。ソ連と中国は北朝鮮の存立にとって不可欠の同盟国だったのですが、ともに北朝鮮の仮想敵国であった韓国と友好国になったのです。ソ連と中国が北朝鮮と断交したのではありませんが、北朝鮮は風前の灯火の状態になったと思われたこともありました。
 最初のNPT脱退宣言はそのような状況の中で行われたのです。国際社会からは認めてもらえませんでしたが、北朝鮮としてはこのような厳しい国際情勢の変化に直面して、生存を維持するには自らの防衛力を高めるしかない、そのため核兵器とミサイルを開発・保有する必要があると考え始めました。
 そして、2002年、北朝鮮は核兵器製造に必要なウラン濃縮をすでに進めていることを米国の高官に表明したのです。米国を平和条約交渉に引き込むためだったのでしょう。翌年には前述したNPTからの確定的脱退宣言をしました。最初の脱退表明から10年の間に北朝鮮の核開発はかなり進んでいました。

 しかし、北朝鮮が核兵器を開発・製造に成功したとしても、万の台の核兵器を保有する米国やロシアと比べれば、その何千、あるいは何万分の一でしかありえません。今回の北朝鮮の核実験は水爆だと言っていますが、それについても疑念を持たれています。つまり、北朝鮮の核兵器は米ロなど核大国とは比較にならない規模であり、将来もその差が縮まるとは思えません。したがって、北朝鮮が核兵器を保有しても軍事的には大して意味はないという見解もあります。
 おそらくその見方は、客観的には正しいでしょうが、北朝鮮はどのように考えているかが問題です。北朝鮮は、米国に攻撃を仕掛け、破壊するために核兵器を保有しているのではなく、かりに、米国が北朝鮮を攻撃してきた場合に、米軍の犠牲は大きくなる、米国の都市も安泰でなくなるということをアピールしようとしているのではないかと発想を変えてみることも必要だと思います。確かな材料は少なすぎるので、あまり推測をたくましくするのは危険ですが、西側の常識だけで見るのも危険です。

 北朝鮮の核開発が明らかになって以降、米、中、韓国、ロシアおよび日本は北朝鮮といわゆる6者協議を続けてきましたが、北朝鮮の体制維持に決定的な影響力を持つ米国が本気で取り組むことにはならなかったため、結果は出ませんでした。
 国際社会が同じことを繰り返すだけでは北朝鮮が核を保有するという状態は解消されません。北朝鮮が核保有国だと国際社会は認めませんが、有効な手を打てなければ既成事実化が進むのではないでしょうか。
 もしかしたら北朝鮮はインドのようになりたいと考えているのかもしれません。今はインドと北朝鮮の状況は非常に違っていますが、インドが初めて核実験を行なったときは、国際社会は今の北朝鮮と同様強く非難し、制裁も加えました。しかし、現在インドは米国と原子力協力協定を結ぶところまで状況が変わってきました。北朝鮮がすぐにインドのようになるとは思いませんが、国際社会としては手遅れとならないよう思い切った手を打つことが必要であり、そのためにはやはり米国が直接北朝鮮と交渉する必要があると思います。

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