平和外交研究所

オピニオン

2022.08.22

日中国交正常化を振り返る

 今から50年前に日本と中国は国交を正常化した。両国それぞれにとって戦後最大の外交成果となったこの出来事を台湾との関係を中心に振り返ってみたい。

 第二次大戦が終結する1945年まで日本は中国を含む連合国と戦争状態にあり、国交は断絶していた。戦争が終われば国交を正常な状態に戻すのが普通の習わしであるが、中国は「中国国民党(以下「国民党」)と「中国共産党」が対立する内戦状態にあり、そのため1951年になって日本はようやく連合国と平和条約を結び、戦争状態を終結させることが可能になった。だが中国は二つに分かれたままの状態だったのでそれに参加できず、日本は翌52年、あらためて台湾の「中華民国(以下「台湾」)」と平和条約を結び戦争状態を終結した。

 米国は中国との関係で日本と同様の法的処理をする必要はなかった。大戦中から米国が「中華民国」と結んでいた外交関係は大戦終結後も変わらなかったからである。

その他の国も台湾との外交関係を維持した。ソ連など共産圏の国々だけが中国大陸を支配する共産党の「中華人民共和国(以下「中国」)」と外交関係を結んだ。この対立状況は東西冷戦の一部であった。

 しかし、時間が経つとともに台湾と外交関係を持つ諸国においても、台湾の50倍以上もの人口を持つ中国と国交がないのは不都合であるという考えが強くなり、1971年10月、国連において、中国を代表するのは台湾の「中華民国」でなく「中華人民共和国」であるとする決議が成立した。

 国際情勢が大きく変化する中で、米国は中国との関係改善に動き出し、国連で歴史的決議が成立する直前の1971年7月、キッシンジャー米大統領補佐官が極秘裏に北京に赴き周恩来首相と会談を行った。そして翌年2月、ニクソン大統領が中国を訪問した。国交を樹立したのは少し遅れて1979年1月であった。

 日本は、やはり国連などでの情勢変化を背景に1972年9月25日、田中首相一行が訪中し、29日に「日中共同声明」に合意・署名した。「日本国と中華人民共和国との間のこれまでの不正常な状態は、この共同声明が発出された日に終了」した。この時まで日本と「中華人民共和国」の間に正式の関係がなかったのは「不正常な状態」と認識されたのであった。

 台湾との関係を断ち、中国と国交を樹立することについては日本でも激しい反対論があった。中国課長として先頭に立って日中国交正常化交渉を指揮していた橋本恕は後に、自民党内の反対が激しく「乱闘寸前にまで行った」と回顧したという。今の政治の世界ではちょっと考えられないことである。

 日本や米国と台湾の関係はすべてなくなったのではない。経済、貿易、文化などの面では密接な関係があり、また、台湾の発展は目覚ましく、一定分野で台湾の企業は世界の一流に成長しており、日台間、米台間の実務関係は発展している。

 しかし、日本や米国と中国との外交関係が出来上がった後、中国と台湾の関係はどのようになるか大問題となった。

 まず日本の場合、中国は「台湾が中国の領土の不可分の一部である」と表明し、そのことを日本が認めるよう求めた。これに対して日本が述べたことは、「中国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する」であり、それ以上は言えなかった。

 終戦直前に米国、英国および中国の3か国が行った同宣言では、「日本の領土は本州、北海道、九州、四国とこの3か国が決定する島嶼に限られる」とされ、日本はこの宣言を受け入れていた。平たく言えば、戦争に敗れた日本は領土を決定する権限を取り上げられたので、日本領であった台湾についても「中国の領土の一部」であると認めることはできなかったのである。俗語でいえば「どうぞご随に」という立場しか取れなかったのだ。しかし、ポツダム宣言に言及して法的な立場を示すだけでは、多大の損害を与えた中国に申し訳ないので、「日本は中国の立場を十分理解し、尊重する」という気持ちも表明したのであった。

 米国は日本と立場が異なった。台湾の領有権について日本のような制約(「何も言えない」という制約)はなかった。1979年に中国と国交を結んだ際、「台湾は中国とは異なる領域であり、米国は今後も中華民国との外交関係を維持する」と主張することもできたはずだが、それでは中国は承服しなかったのだろう。米国としても外交関係を中国と結ぶなら、台湾との外交関係は犠牲にせざるを得なかったのだ。

 ニクソン米大統領の訪中の結果、1972年2月28日に発表された米中共同声明(上海コミュニケ)では、米中間にあったほとんどすべての問題について合意が成立したが、台湾の地位だけは完全な合意が出来上がったか疑問であった。
中国は、「台湾問題は中国と米国との間の関係正常化を阻害しているかなめの問題であり、中華人民共和国政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の一省であり、つとに祖国に返還されており、台湾解放は、他のいかなる国も干渉の権利を有しない中国の国内問題であり、米国の全ての軍隊及び軍事施設は台湾から撤退ないし撤去されなければならない」という立場であり、「一つの中国、一つの台湾」、「一つの中国、二つの政府」、「二つの中国」及び「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する」と表明した。

 これに対し米国は次のように表明した。「米国は、台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ一つであり、台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論をとなえない。米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」と表明した。

 さらに米中外交関係樹立に関する1979年1月1日共同声明では、「米国政府は,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部であるとの中国の立場を認める」とした。「米国は一つの中国を認めた」と今でもよく言われるが、厳密には正しくないかもしれない。米中共同声明原文の英語版では「The Government of the United States of America acknowledges the Chinese position that there is but one China and Taiwan is part of China.」であった。
 中国語版では、「美利坚合众国政府承认中国的立场,即只有一个中国,台湾是中国的一部分。」であった。

 英語版と中国語版の意味は完全に一致しているか、議論となった。二つの疑問点があり、一つは英語の「acknowledge」と中国語の「承认(繁体字では「承認」)が完全に同じ意味かである。

 もう一つは英語版でも中国語版でも米国はその立場を直接表明しておらず、「acknowledge」あるいは「承认」したのは台湾の地位についての中国の主張についてであった。

 この言葉の意味及び関連の文章をどう解するか、本稿で論じる余裕はないが、米国がもしみずから「台湾は中国の一部」だという立場であれば、直接そう表明すればよかったはずである。

 これは用語の問題に見えるかもしれないが、米中国交樹立の成否を左右する大問題であり、しかも、現在でも問い続けられている。かりに「中国は一つであり、台湾は中国の一部」の原則が国際的にも確立すれば、中国の立場は現在より強くなり、台湾の立場は逆に弱くなる。これでは台湾の23百万人の台湾人の権利と利益は十分に守られなくなると懸念されている。

 米国は中国と国交を樹立する際、台湾との関係を犠牲にしたと前述したが、単純に無効化したのではなかった。中国と台湾が統一するか、それは中国人と台湾人が決めればよいが、台湾に対して中国が武力を使うことには反対し、中国もそのような米国の立場を認めた。上海コミュニケでは「米国政府は、中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」と表明した。これに対し、中国政府も米側の表明に異議を唱えなかった。積極的に賛成したのと異議を唱えなかったのは同じでないが、米国のこの立場を中国が認めなければ国交を樹立できなかっただろう。

 日本と中国も「すべての紛争を平和的手段により解決し、武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認」しあった(日中共同声明第6項)。台湾だけを取り出した声明ではなく、「すべての紛争」であったが、日中両国が国交を正常化する際に確認しあったことの意義は大きい。

 台湾の地位は日中間でも米中間でも困難な問題であったが、なんとか合意が成立し、日中共同声明は9月29日に署名された。

 後でわかったことであるが、当時中国内では危険な状況があり、中国を未曽有の混乱に陥れた「文化大革命(文革)」は終わっていなかった。文革はもともと毛沢東による権力奪還の闘争であったが、労働者、学生(若い学生は「紅衛兵」と呼ばれた)が参加し、既存秩序を破壊する一大革命となっていた。中国共産党も破壊の対象になっていた。死者は数百万とも2千万以上とも、被害者は1億人程度ともいわれた。日中国交正常化の際、武装闘争はほぼ終息していたが、文革の中心であったいわゆる四人組はなお健在であり、革命運動を継続していた。

 しかし、中国政府はそんなことを日本側に全く感じさせず、日中国交正常化交渉は平穏無事に行われた。

 田中首相一行は共同声明を発表した後、同日中に周恩来首相とともに上海へ向かった。田中首相は疲労困憊気味で上海へは寄りたくなかったと言われていたが、説得を受け入れ上海に降り立った。同市のナンバーワンは張春橋上海市革命委員会主任であり、四人組の一人であったが、田中首相一行を盛大に出迎えた。上海市南京西路1333号の宴会場で行われた歓迎宴では、田中首相を始め全員が酔っ払い気味になったが、大事業を成功させた喜びがあふれていた。
2022.05.24

バイデン大統領の台湾に関する発言

 バイデン米大統領は5月23日、岸田文雄首相との共同記者会見で、中国が台湾に侵攻した際に米国が台湾防衛に軍事的に関与するかとの質問に対し、「イエス。それが我々の約束(コミットメント)だ」と答えた。
 
 歴代の米政権は中国が台湾に侵攻した際、米国が軍事介入するか明言せず、バイデン氏の今回の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」とも、「失言」であったとも評された。これらの評論は必ずしも間違いでないが、適切であったか疑問の余地がある。

 「あいまいな戦略」については、これは米政権自身が命名したことでなく、研究者やメディアが使ってきた言葉である。

 実は中国が台湾に武力侵攻した場合、米国が軍事力を行使して阻止するかについては法的には「あいまい」な面があった。米国と中国の関係を規定している2つの基本文献を以下に引用しておく。

 1つは1972年のニクソン大統領訪中時の「上海コミュニケ」であり、「米国は,台湾海峡の両側のすべての中国人が,中国はただ一つであり,台湾は中国の一部分であると主張していることを認識している。米国政府は,この立場に異論をとなえない。米国政府は,中国人自らによる台湾問題の平和的解決についての米国政府の関心を再確認する」とした。

 上海コミュニケの後米国で制定された「台湾関係法」は、「台湾人民の安全または社会、経済の制度に危害を与えるいかなる武力行使または他の強制的な方式にも対抗しうる合衆国の能力を維持する」とし(台湾関係法2条B項6)、さらに「大統領は、台湾人民の安全や社会、経済制度に対するいかなる脅威ならびにこれによって米国の利益に対して引き起こされるいかな危険についても、直ちに議会に通告するよう指示される。大統領と議会は、憲法の定める手続きに従い、この種のいかなる危険にも対抗するため、とるべき適切な行動決定しなければならない。」と明記した(同法3条C項)。

 上海コミュニケと台湾関係法によれば、米国が「軍事力を行使することはありうる」が、「そうすることが義務である」とは述べられていない。法的には米国は武力行使するかもしれないが、しないかもしれないのであり、その意味では「あいまい」であった。米国の歴代政権は「あいまい戦略」を取ってきたといわれるが、米中の国交樹立の時点から「あいまい」だったのである。

 米国による武力行使については直接述べられていなかったが、「米国は台湾問題の平和的解決に関心を持つ」、「米国は、台湾人民の安全に危害を与えるいかなる武力行使にも対抗しうる能力を維持する」など間接的な言及はあり、中国が台湾に武力侵攻してきた場合、米国は武力で対抗するだろうというのが大方の解釈であった。

 では今回のバイデン大統領の発言は「あいまい戦略を踏み越えた」か。発言は武力を行使して対抗することを明言している点では踏み越えたように見えるが、バイデン大統領や政府は「武力行使の決定はしていない」という立場であろう。「政治的な意図の表明だ」と弁明するかもしれない。それも間違いとは言えない。実際に米国が武力行使に踏み切る場合、議会に報告し、了承を取り付ける必要がある。また、米国憲法では宣戦布告の権限は議会にあるので、その制約を超えるわけにいかない。つまり、バイデン大統領は「武力行使する」といったが、その前提になっている憲法などの制約に従うことは当然であり、バイデン氏が記者会見で「武力行使」の発言をしても直ちにとがめられることはないのだろう。

 米国政府は米国の対中政策は変わらないといち早く表明した。これもバイデン発言が問題になるのを抑えた。

 バイデン氏の発言は失言でなく、用意されたものであったと思われる。バイデン氏はロシアがウクライナに侵攻する前の2021年末に、「ロシアがウクライナに侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは検討していない」と述べ、台湾をはじめアジアにおいても注目され、懸念された。今回の日米首脳会談では台湾が主要議題の一つとなるので当然関連の質問を想定し、準備もしていただろう。その結果が、今回の政治的発言になったと思われる。
2021.12.22

タン台湾デジタル担当相の講演を韓国側は突然キャンセル

 12月16日、韓国で予定されていたオンライン「グローバル政策会議」において講演を依頼されていた台湾のオードリー・タン・デジタル担当相に対し、韓国側は講演当日の午前7時50分になって突然メールでキャンセルの申し出を行った。理由として「中台関係をめぐる様々な点を考慮した」と挙げていたという。この会議は、韓国の文在寅大統領の指示で設けられた「第四次工業革命委員会」が主催したものであった。

 当然台湾側は反発し、台湾外交部は21日、韓国駐台北代表部(大使館に相当)の代理代表を呼んで抗議した。そして翌日の定例会見で経緯を説明し、会議直前での突然の、一方的なキャンセルは「礼儀を欠いている」とした。
 
 韓国側がこのようなキャンセルを行ったのは、中国からタン氏の講演を中止するよう圧力がかかったためであることはほぼ間違いない。
 
 韓国の現政権が中国を刺激しないように努めていることは今に始まったことでない。文在寅政権は2017年5月の成立早々から、THAAD(高高度防衛ミサイル)配備問題に反発した中国による対韓報復の撤廃が課題であり、文氏の努力でいちおうの調整が行われ、文氏は同年末国賓として中国を訪問した。しかし、文大統領に対する中国側の扱いはあまり友好的でなく、韓国内では不満の声が上がった経緯がある。

 2021年になってからも、韓国が中国から圧力を受けていることを示唆する出来事が起こっている。

 3月にはクアッド(日米豪印戦略対話)の首脳会議がオンラインで開催され、参加4か国は『自由で開かれたインド太平洋』の実現に向け連帯を強化することで合意した。
 その際、韓国内ではクアッドは対中軍事協力でない、この4か国協力の枠組みに韓国が参加しなくてもよいのか、と疑問の声も上がった(尹永寛/元外交部長官・ソウル大学名誉教授、中央日報2021年5月9日)。にもかかわらず韓国はクアッドに背を向けたのだが、そのようになったのは中国から参加しないようくぎを刺されたためであったと思われる。

 9月、英国空母クイーン・エリザベスが米第7艦隊の母港横須賀港に入港した。同艦はそれに先立って釜山に入港予定であったが、これは取り消され、韓英海軍は8月31日、東海南部海上で人道主義支援と災害救助中心の訓練など、縮小した交流活動だけを実施した。クイーン・エリザベスは同時期に横須賀港に入港した米国、オランダ、カナダ、それに日本の海上自衛隊の艦船と共に、7日まで「パシフィッククラウン21-3」という名の多国籍共同訓練を行った。
1週間後、中国の 王毅外相が訪韓し、鄭義溶韓国外相と会談した。この会談で表向きは中韓の協力面が強調されたが、王毅外相は参加しなかった韓国を称賛するとともに今後についてもさらにくぎを押したと推測される。

 さらに文在寅大統領は12月13日、中国の人権問題を理由とした北京冬季五輪への「外交的ボイコット」について、「韓国政府は検討していない」と表明した。

 そしてタン氏に対する講演の一方的なキャンセルとなったのである。その理由として「中台関係をめぐる様々な点を考慮した」と韓国側が挙げたのはかなり露骨な中国重視の表明であった。

 タン氏が講演したからと言って中国の安全保障にはいささかの関係もないだろう。そんな問題についてまで韓国が中国の言いなりになっている、ならざるをえないのは遺憾なことである。韓国では来年3月9日に大統領選挙が行われる。どの候補が有力か、予断を許さないが、新大統領になると中国との関係に変化は起こるのだろうか。日本にも大いに関係してくる問題である。

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