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2014.02.26
これまでの第9条の解釈では、「国際紛争」とは「すべての国際紛争」であり、したがって、日本が紛争の当事者でなくしてPKOに参加している場合武器を使用できないこととなっていた。政府の統一見解は、「隊員個人の生命・身体を守るための必要最小限の武器使用は、憲法の禁じる武力行使にはあたらない」という、きわめて限定的な場合しか武器使用を認めていなかった(いわゆるAタイプ)。
しかし、これでは狭すぎて、いちじるしく不適切であると指摘されてきた。私もその意見に賛成である。他国と協力して平和維持活動に参加している場合に、他国の部隊が何らかの理由で攻撃された場合に、日本の部隊として救援できる状況にあるにもかかわらず、憲法の解釈を理由に救援できないという態度を取ることが、著しく不適切だということである。
私は、このようにPKOに参加している場合はそもそも「国際紛争」を解決しようとしているのではないと思う。紛争の解決は休戦協定あるいは和平協定ですでに成立しており、国連はそれを確認してPKOを構成し、派遣する。したがって、PKOはそもそも「国際紛争」を解決するためでない。このように考えると憲法9条が想定している場合でないと立論できるのではないかと考えている。
しかし、そのような理論整理はまで確立しているとは言えない。それにはPKOについての考えを基本から整理する必要があるかもしれない。そこで、9条のいう「国際紛争」は「日本が当事国である国際紛争」であると解すれば、上述のような場合にも日本部隊が武力を行使できることになるので、これでもよいと考えるのである。
(さらに…)
安保法制懇 9条の解釈
安保法制懇の北岡伸一座長代理が朝日新聞のインタビューに応じて、日本国憲法9条1項の「国際紛争」の解釈を変更することを同懇談会の報告書に盛り込む考えであると述べている。集団的自衛権の行使をできるよう解釈を変更することには問題があるが、こちらの変更には賛成である。私の整理では、9条1項の「国際紛争」の解釈は集団的自衛権の問題ではない。これまでの第9条の解釈では、「国際紛争」とは「すべての国際紛争」であり、したがって、日本が紛争の当事者でなくしてPKOに参加している場合武器を使用できないこととなっていた。政府の統一見解は、「隊員個人の生命・身体を守るための必要最小限の武器使用は、憲法の禁じる武力行使にはあたらない」という、きわめて限定的な場合しか武器使用を認めていなかった(いわゆるAタイプ)。
しかし、これでは狭すぎて、いちじるしく不適切であると指摘されてきた。私もその意見に賛成である。他国と協力して平和維持活動に参加している場合に、他国の部隊が何らかの理由で攻撃された場合に、日本の部隊として救援できる状況にあるにもかかわらず、憲法の解釈を理由に救援できないという態度を取ることが、著しく不適切だということである。
私は、このようにPKOに参加している場合はそもそも「国際紛争」を解決しようとしているのではないと思う。紛争の解決は休戦協定あるいは和平協定ですでに成立しており、国連はそれを確認してPKOを構成し、派遣する。したがって、PKOはそもそも「国際紛争」を解決するためでない。このように考えると憲法9条が想定している場合でないと立論できるのではないかと考えている。
しかし、そのような理論整理はまで確立しているとは言えない。それにはPKOについての考えを基本から整理する必要があるかもしれない。そこで、9条のいう「国際紛争」は「日本が当事国である国際紛争」であると解すれば、上述のような場合にも日本部隊が武力を行使できることになるので、これでもよいと考えるのである。
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2014.02.25
PRCと台湾は、政府間ではなかったが、直接「1つの中国」について合意し合ったことがある。蒋経国総統の死後李登輝が新総統に就任し(1990年)、翌年、「国家統一綱領」を策定した。李登輝は台湾独立に走るのではないかと警戒していたPRCはこれでひとまず安心した。海協会(PRC側)と海基会(台湾側)の間でハイレベルの対話が行われ、PRCは「1つの中国」原則に合意するよう要求し、台湾側は「中国とは中華民国である」とする立場を譲らなかった。しかし、香港での協議において、「1つの中国」原則を堅持しつつ、その解釈権を中台双方が留保する(いわゆる「一中各表」)という内容で合意が成立したそうである。ただし、これは台湾側のバージョンである。ほんとうのところはどうであったか。この合意は「九二共識」と呼ばれるもので、合意の存在は双方が認めているが、口頭で行われ、正式に発表されたこともないので、どうしても不明確さが残る。
PRC側は「1つの中国」で合意があったという解釈を堅持しており、台湾側の主張するような「一中各表」は一度も認めたことがない。
李登輝は総統在任中、「1つの中国」を認めるかどうかPRC側は注目し、警戒した。李登輝総統の発言については、二、三異なるバージョンがあるが、最も明確なのはドイツの新聞『ドイッチェ・ヴェレ』や米国の『フォーリン・アフェアーズ』に対して述べた「両岸の関係は「国家と国家の関係」、少なくとも「特殊な国家と国家の関係」であった」というものであった。
注意して見ていく必要があるが、李登輝総統は「中国は2つ」と言ったのではない。PRCと台湾の関係が「国家と国家の関係」であるとしてもそれは直ちに「中国は2つ」を意味するのではない。しかし、「中国は1つ」と言ったのでもなかった。鍵となるのは、台湾が「国家」であるか否かであり、「国家」であるならば李登輝総統の言っていることは正しいということになろう。
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中台関係④
「PRCと台湾は「1つの中国」に合意しているか」PRCと台湾は、政府間ではなかったが、直接「1つの中国」について合意し合ったことがある。蒋経国総統の死後李登輝が新総統に就任し(1990年)、翌年、「国家統一綱領」を策定した。李登輝は台湾独立に走るのではないかと警戒していたPRCはこれでひとまず安心した。海協会(PRC側)と海基会(台湾側)の間でハイレベルの対話が行われ、PRCは「1つの中国」原則に合意するよう要求し、台湾側は「中国とは中華民国である」とする立場を譲らなかった。しかし、香港での協議において、「1つの中国」原則を堅持しつつ、その解釈権を中台双方が留保する(いわゆる「一中各表」)という内容で合意が成立したそうである。ただし、これは台湾側のバージョンである。ほんとうのところはどうであったか。この合意は「九二共識」と呼ばれるもので、合意の存在は双方が認めているが、口頭で行われ、正式に発表されたこともないので、どうしても不明確さが残る。
PRC側は「1つの中国」で合意があったという解釈を堅持しており、台湾側の主張するような「一中各表」は一度も認めたことがない。
李登輝は総統在任中、「1つの中国」を認めるかどうかPRC側は注目し、警戒した。李登輝総統の発言については、二、三異なるバージョンがあるが、最も明確なのはドイツの新聞『ドイッチェ・ヴェレ』や米国の『フォーリン・アフェアーズ』に対して述べた「両岸の関係は「国家と国家の関係」、少なくとも「特殊な国家と国家の関係」であった」というものであった。
注意して見ていく必要があるが、李登輝総統は「中国は2つ」と言ったのではない。PRCと台湾の関係が「国家と国家の関係」であるとしてもそれは直ちに「中国は2つ」を意味するのではない。しかし、「中国は1つ」と言ったのでもなかった。鍵となるのは、台湾が「国家」であるか否かであり、「国家」であるならば李登輝総統の言っていることは正しいということになろう。
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2014.02.24
PRCも台湾も「中国」は1つであると認めている。
PRCは古くから「中国」は1つであると主張しており、とくに国連で「中国」を代表するのは台湾政府でなく、PRC政府であることを認める国が増えていく過程で、PRCは「中国は1つ」であることを明確に認めるよう各国に要求した。このいわゆる中国代表権問題に決着をつけた国連総会決議(1971年、第2758号)は直接そのことには言及せず、PRCの代表がthe only legitimate representatives of China to the United Nationsであると認めた。つまり、この決議は国連内部のことに限ってPRCが「中国」を代表すると認めたのであった。
翌年のニクソン米大統領の訪中の結果合意されたいわゆる上海コミュニケでは、「中国は1つ」に関し合意できず、それぞれの見解を表明することとなり、PRCは「PRC政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の1省であり(中略)「1つの中国、1つの台湾」「1つの中国、2つの政府」「2つの中国」および「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する」と表明した。
これに対し米国は、「台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ1つであり、台湾は中国の1部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論を唱えない」と応じた。
両者の見解には重要な違いがあった。PRCの表明は、「中国」とは何かについて一定の認識があることを前提とする表現になっていたが、米国は自らはその認識を共有するかしないかは明確にせず、両岸の中国人がそう言っていることには異論を唱えないと言ったにすぎない。米国としては「中国」とは何かよく分からないと、直接は言わなかったが、この表現ではそういう立場であったかもしれないのである。端的に言えば、PRCは「中国」を明確なものと観念する一方、米国は中国人がそう思っていることに異を唱えないが、米国自身としては主体的に認める立場にないという考えであった。
これより7ヶ月後の日中共同声明では、「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」(第2項)、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」(第3項)となった。
この文言は米中共同声明と微妙に違っており、PRC政府が「中国」の唯一の合法政府であると認めているので、「中国」とは何か分かっているとの前提に立っているように読める。
しかし、「中国は1つ」であると表明したのではない。なお、1971年の国連決議は、国連で中国を代表するのはPRCということであり、日中共同声明は、そのような場の限定はなく、一般論としてPRC政府が「中国」の唯一の合法政府であると認めた。
1979年、米中両国は国交を樹立した。そうなると、米国としてもPRC政府を正式に認めなければならない。国交樹立を発表したコミュニケでは、米国も日本と同様、「PRC政府は中国を代表する唯一の合法政府である」ことを認めた(第2項)。
しかし、「中国は1つ」問題については不明確さが残った、このコミュニケの英文はPRCの「中国は1つ、台湾は中国の一部である」という立場を「認識している(acknowledge)」とだけ表明したが、PRC側の発表では米国は中国の立場を「承認した」となった(『人民日報』1978年12月17日付)。米国側のチェックが甘かったのかもしれない。詳しいことは茅原郁生・美根慶樹『21世紀の中国 軍事外交篇』朝日新聞出版2012年(21頁)を参照されたい。
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中台関係③
「PRCと台湾以外の国は「中国は1つ」を認めているか」PRCも台湾も「中国」は1つであると認めている。
PRCは古くから「中国」は1つであると主張しており、とくに国連で「中国」を代表するのは台湾政府でなく、PRC政府であることを認める国が増えていく過程で、PRCは「中国は1つ」であることを明確に認めるよう各国に要求した。このいわゆる中国代表権問題に決着をつけた国連総会決議(1971年、第2758号)は直接そのことには言及せず、PRCの代表がthe only legitimate representatives of China to the United Nationsであると認めた。つまり、この決議は国連内部のことに限ってPRCが「中国」を代表すると認めたのであった。
翌年のニクソン米大統領の訪中の結果合意されたいわゆる上海コミュニケでは、「中国は1つ」に関し合意できず、それぞれの見解を表明することとなり、PRCは「PRC政府は中国の唯一の合法政府であり、台湾は中国の1省であり(中略)「1つの中国、1つの台湾」「1つの中国、2つの政府」「2つの中国」および「台湾独立」を作り上げることを目的とし、あるいは「台湾の地位は未確定である」と唱えるいかなる活動にも断固として反対する」と表明した。
これに対し米国は、「台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ1つであり、台湾は中国の1部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論を唱えない」と応じた。
両者の見解には重要な違いがあった。PRCの表明は、「中国」とは何かについて一定の認識があることを前提とする表現になっていたが、米国は自らはその認識を共有するかしないかは明確にせず、両岸の中国人がそう言っていることには異論を唱えないと言ったにすぎない。米国としては「中国」とは何かよく分からないと、直接は言わなかったが、この表現ではそういう立場であったかもしれないのである。端的に言えば、PRCは「中国」を明確なものと観念する一方、米国は中国人がそう思っていることに異を唱えないが、米国自身としては主体的に認める立場にないという考えであった。
これより7ヶ月後の日中共同声明では、「日本国政府は、中華人民共和国政府が中国の唯一の合法政府であることを承認する」(第2項)、「中華人民共和国政府は、台湾が中華人民共和国の領土の不可分の一部であることを重ねて表明する。日本国政府は、この中華人民共和国政府の立場を十分理解し、尊重し、ポツダム宣言第八項に基づく立場を堅持する。」(第3項)となった。
この文言は米中共同声明と微妙に違っており、PRC政府が「中国」の唯一の合法政府であると認めているので、「中国」とは何か分かっているとの前提に立っているように読める。
しかし、「中国は1つ」であると表明したのではない。なお、1971年の国連決議は、国連で中国を代表するのはPRCということであり、日中共同声明は、そのような場の限定はなく、一般論としてPRC政府が「中国」の唯一の合法政府であると認めた。
1979年、米中両国は国交を樹立した。そうなると、米国としてもPRC政府を正式に認めなければならない。国交樹立を発表したコミュニケでは、米国も日本と同様、「PRC政府は中国を代表する唯一の合法政府である」ことを認めた(第2項)。
しかし、「中国は1つ」問題については不明確さが残った、このコミュニケの英文はPRCの「中国は1つ、台湾は中国の一部である」という立場を「認識している(acknowledge)」とだけ表明したが、PRC側の発表では米国は中国の立場を「承認した」となった(『人民日報』1978年12月17日付)。米国側のチェックが甘かったのかもしれない。詳しいことは茅原郁生・美根慶樹『21世紀の中国 軍事外交篇』朝日新聞出版2012年(21頁)を参照されたい。
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