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2014.03.04

習近平の権力集中

「中央ネット安全情報化指導小組」が2月28日第1回会議を開催したことが報道され、このような組織が作られていること、習近平がこの小組の組長、李克強と劉雲山が副組長となっていることが判明した。(大公網、同日)
習近平は、2012年11月に中国共産党第18回全国代表大会で中央委員会総書記に選出され、翌年3月には国家主席に就任。また軍事面においても事実上新政権の発足と同時に党と国家の中央軍事委員会主席に就任するなど順調に滑り出していた。
そして党大会から1年後の第3回中央委員会全体会議(3中全会)で新設された「全面深化改革領導小組(深改小組)」の組長に就任した。
さらに、同じく新設の「国家安全委員会(国安会)」の主席も兼ねることとなった。国安会は対外的な問題にも関わるが、国内秩序の維持をつかさどる武装警察や公安機関の元締めとなる。関係諸機関間の調整を行なう点では以前からあった中央国家安全領導小組と同様であるが、政策決定も行なう。
かくして習近平は、党総書記・国家主席であると同時に、新設の国政改革を進める機関と内外の安全を確保する機関の長となるなど権力を一身に集めた。
しかるに、今回の「中央ネット安全情報化指導小組」組長就任はさらなる権力集中である。習近平は昨(2013)年来、言論統制の強化を基本方針の一つとして取り組んできており、この小組の新設もそのためである。

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2014.03.03

朴槿恵大統領の3・1演説

朴槿恵大統領が3月1日の「3・1独立運動」記念式典で行なった演説について、ネットなどでは反発する意見が多いようだが、どこまでよく内容を分析した結果であるか疑問である。
慰安婦問題など歴史問題を日本の指導者が直視することを求めている点ではこれまでと変わらない。それは朴槿恵大統領の信念であり、変わるとも思えないが、演説は対日関係についてどのようなことを述べるか、かなり工夫した跡がうかがえる。
まず、全体的に丁寧な表現となっている。そのため、日本への言及は昨年に比べ大幅に増えた。また昨年は、慰安婦の受けた傷は千年たっても変わらないと激しい言葉を使ったが、今年はそのような感情的表現は控えた。
慰安婦は55人しか生存していない、と言ったのも見逃すべきでない。朴槿恵大統領としては、この少ない人数をあえて示して、大国、日本として解決はさほど困難でないはずと言いたかったのかもしれない。
日本が戦後憲法を土台に平和を重視し、近隣国との善隣友好関係を築いてきたこと、村山談話と河野談話の重要性をその文脈で評価していることもよい認識である。

朴槿恵大統領がこのような発言を行なった背景には、あまりにかたくなな態度を取るべきでないという考えが国内にあること、中国との関係も手放しで楽観視できないということがじわじわと分かってきたこと、米国なども日韓関係の改善を強く求めていることなどの事情があるのであろう。また、国内の高い支持率は、昨年の夏には7割近く、今は少し低下したが5割以上であるので、日本に軟弱な姿勢を取ることもできないという事情もあろう。

私としては総理に、朴槿恵大統領と歴史問題を大いに議論してもらいたい。日本として主張すべきこと、反論すべきことがある。
○慰安婦問題は日本政府が大変な努力をして謝罪も償いも行なってきたことを韓国側はなぜ評価しないのか。
○法的、あるいは正式に補償すべきだと言うなら、国際法にしたがった議論をすべきであり、1965年の日韓基本条約を無視することはできない。
○慰安婦は55人と言うが、強制徴用工に波及する可能性がある。それ以外にも戦争、あるいは植民地支配の犠牲になった個人は多数に上る。それらの問題をどのように解決するか、両国で知恵を絞った結果が日韓基本条約ではないか。

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2014.03.02

中台関係⑦

「PRCと台湾は「1つの中国」の原則の下でお互いに承認し合える」
「中国」も「中国は1つ」も不明確なところがあるとは言え、それは実態がないということではなかろう。
それを言葉でどのように説明するかを別として、「中国」は昔から存在してきたし、これからも変わらないだろう。歴代の政権は、「中国」に比べれば短命であり、歴史が記述されるようになって以来、5百年以上続いた政権はなかった。「中華民国」はいままでのところ、せいぜい百年であり、「中華人民共和国」は60年強である。いずれも永遠に続くという保証はない。中国人に対して失礼千万かもしれないが、歴史的事実を参考にして推測すると、遠い将来には、PRCも台湾もなくなっているかもしれない。
しかし、「中国」は永遠である。現在生存している中国人とその子孫にとっては、特定の政権よりも「中国」の方が大事である。「中華人民共和国」も「中華民国」も中国人にとって重要であるのは否定しないが、「中国」の重要性は次元を異にしたものである。1千年、あるいは2千年先でもこのことは変わらないだろう。
しかるに、現在両岸の中国人は「中国は1つ」に合意している。これは、実に偉大なことであり、「中華人民共和国」がどのような状態にあるか、また「中華民国」はどうかなど、具体的には「台湾はPRCの一部である」かどうかなどは一定期間に限って問題となることであり、そのような問題についてどのような結論が得られようと、「中国は1つ」であり続ける。
PRCも台湾も「中国」そのものではない。「中国」を統治しようとしている政権に過ぎない。どちらにも「国」という字が入っているが、本当は国家ではない。国家は「中国」しかない。永遠の存在である「中国」という国家は1つしかない。PRCも台湾も、その「中国」とはPRCあるいは台湾のことだなどとおこがましく言えないはずである。それは有限の存在である人間が、無限である神を僭称するのと同じくらいありえないこと、あってはならないことであろう。
このように考えると、有限のPRCも台湾もおたがいに相手が自国の傘下に入ることを要求するべきでない。とくに住民が嫌がる限り、それを強要すべきでない。軍事力で一定の領域を自国の領土とすることは歴史的に行われてきた。もし、中国大陸か、台湾か、いずれかがが第三国の領土になっているのであれば、それを「中国」に取り戻すことは昔もそうであったように、ありうることである。しかし、「中国」については事情が違っている。中国人は、どこの住民であるかを問わず、「中国は1つ」という立場であり、それはすなわち、中国大陸も台湾も「中国」に属していることを認めていることを意味している。つまり、国家レベルでは「中国は1つ」はすでに実現しているのである。
そのように考えれば、PRCにしても台湾にしてもおたがいにありのままの姿で認め合うこと、つまり、台湾はPRCを承認し、PRCは台湾を承認する余地がある。これは「国家承認」ではありえず、「政府の承認」である。何度も繰り返すが、PRCも台湾も「中国」そのものでなく、国家は「中国」しかないからである。
将来どうなるかは分からない。PRCと台湾が現在お互いに承認し合っても、将来別名の国家を形成することはありうる。もちろん、中国人がそれを望めばの話であるが。
PRCは「一国二制度」を認める立場である。制度と政府の承認は違うという反論があるかもしれないが、政府がどのようなものか、それは有限の存在であることはすでに説明した。制度と違うとしても、国家である「中国」と比べれば政府と制度の違いは五十歩百歩であろう。「1つの国」のなかに異なる制度を認められるのであれば、異なる政府を認めるのに根本的な障害はないと考える。

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