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2014.03.02

中台関係⑦

「PRCと台湾は「1つの中国」の原則の下でお互いに承認し合える」
「中国」も「中国は1つ」も不明確なところがあるとは言え、それは実態がないということではなかろう。
それを言葉でどのように説明するかを別として、「中国」は昔から存在してきたし、これからも変わらないだろう。歴代の政権は、「中国」に比べれば短命であり、歴史が記述されるようになって以来、5百年以上続いた政権はなかった。「中華民国」はいままでのところ、せいぜい百年であり、「中華人民共和国」は60年強である。いずれも永遠に続くという保証はない。中国人に対して失礼千万かもしれないが、歴史的事実を参考にして推測すると、遠い将来には、PRCも台湾もなくなっているかもしれない。
しかし、「中国」は永遠である。現在生存している中国人とその子孫にとっては、特定の政権よりも「中国」の方が大事である。「中華人民共和国」も「中華民国」も中国人にとって重要であるのは否定しないが、「中国」の重要性は次元を異にしたものである。1千年、あるいは2千年先でもこのことは変わらないだろう。
しかるに、現在両岸の中国人は「中国は1つ」に合意している。これは、実に偉大なことであり、「中華人民共和国」がどのような状態にあるか、また「中華民国」はどうかなど、具体的には「台湾はPRCの一部である」かどうかなどは一定期間に限って問題となることであり、そのような問題についてどのような結論が得られようと、「中国は1つ」であり続ける。
PRCも台湾も「中国」そのものではない。「中国」を統治しようとしている政権に過ぎない。どちらにも「国」という字が入っているが、本当は国家ではない。国家は「中国」しかない。永遠の存在である「中国」という国家は1つしかない。PRCも台湾も、その「中国」とはPRCあるいは台湾のことだなどとおこがましく言えないはずである。それは有限の存在である人間が、無限である神を僭称するのと同じくらいありえないこと、あってはならないことであろう。
このように考えると、有限のPRCも台湾もおたがいに相手が自国の傘下に入ることを要求するべきでない。とくに住民が嫌がる限り、それを強要すべきでない。軍事力で一定の領域を自国の領土とすることは歴史的に行われてきた。もし、中国大陸か、台湾か、いずれかがが第三国の領土になっているのであれば、それを「中国」に取り戻すことは昔もそうであったように、ありうることである。しかし、「中国」については事情が違っている。中国人は、どこの住民であるかを問わず、「中国は1つ」という立場であり、それはすなわち、中国大陸も台湾も「中国」に属していることを認めていることを意味している。つまり、国家レベルでは「中国は1つ」はすでに実現しているのである。
そのように考えれば、PRCにしても台湾にしてもおたがいにありのままの姿で認め合うこと、つまり、台湾はPRCを承認し、PRCは台湾を承認する余地がある。これは「国家承認」ではありえず、「政府の承認」である。何度も繰り返すが、PRCも台湾も「中国」そのものでなく、国家は「中国」しかないからである。
将来どうなるかは分からない。PRCと台湾が現在お互いに承認し合っても、将来別名の国家を形成することはありうる。もちろん、中国人がそれを望めばの話であるが。
PRCは「一国二制度」を認める立場である。制度と政府の承認は違うという反論があるかもしれないが、政府がどのようなものか、それは有限の存在であることはすでに説明した。制度と違うとしても、国家である「中国」と比べれば政府と制度の違いは五十歩百歩であろう。「1つの国」のなかに異なる制度を認められるのであれば、異なる政府を認めるのに根本的な障害はないと考える。

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2014.03.01

中台関係⑥

「中国とはなにか」

中台関係⑤までは、「中国」が1つか否かという問題を、いくつかの異なる角度から各国の立場を観察し、整理した結果である。

次に、「中国」とは何かを明確にしなければならない。これは、これまでほとんど、あるいはまったく疑問が呈されたことがなかった問題であろう。

「中国」は実在しているか。大いに疑問であると言わざるをえない。もし実在しているという人があれば、その「中国」を地図上で指し示してもらいたい。PRCは指し示せても「中国」ではない。
「清」「明」「唐」などは実在しても「中国」という名称の国は古今なかったのではないか。もっとも、古くなればなるほど国名の表記は現在と異なることが多くなるし、また外国がつける名称はまた違っていたことがある。たとえば、日本は「倭」と呼ばれたこともあるし、さらに古くは「邪馬台国」とも呼ばれたので、この問題は簡単に答えられないのかもしれない。中国の、あるいは第三国の古典のなかに、「中国」という名称の国家が説明されているかもしれない。
しかし、かりに「中国」という国名が見つかっても、その版図を示せるとは思えない。我々が知っている歴史上版図を持った「中国」などなかったはずである。だから「中国」という国家が実在したと思えない。
「中国」に比べ「中国人」ははるかに明確である。ただし、明確になるのは「中国語を話す」という共通項を備えているという意味であり、国籍ではない。国籍となると結局PRCなのか、「中国」なのかという問題になるであろう。
「中国人が支配している領域」が「中国」だとも言えない。シンガポールの例を見ればすぐ分かる。

では、「中国」をできるだけ常識から離れず、しかも正確に説明すれば、「中国」は、「東シナ海と中央アジアの間の大陸を統治してきた歴代の政権の総称」とでも言うべきか。これがよい説明か、人々に受け入れられるか心もとないが、他によい説明、あるいは定義があれば教えてもらいたい。

いずれにしても、「中国は1つ」と言ってもその意味が明確になるとは思えない。本中台関係シリーズの③で、米国は「台湾海峡の両側のすべての中国人が、中国はただ1つであり、台湾は中国の1部分であると主張していることを認識している。米国政府は、この立場に異論を唱えない」と応じたことを紹介し、米国も「中国」とはなにかよく分からないと思っていたかもしれないと説明した。
ともかく、「中国」が明確でなければ、「中国は1つ」と言っても明確になりえない。「台湾はPRCの一部である」など、いろいろなケースが考えられることはすでに見てきたが、それらおは別に、PRCも台湾も「中国は1つ」とみなしているのは興味ある事実である。

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2014.02.27

中台関係⑤

「台湾は国家か」

2月19日付の『人民日報』は①で引用した新華社電に続けて、習氏はさらに次の指摘をしたとしている。
「両岸はまだ統一されていないが、われわれが共に1つの国、1つの民族に属するということが変ったことはないし、変えることもできない。われわれは台湾同胞が自ら選択した社会制度と生活様式を尊重するし、大陸の発展のチャンスをまず台湾同胞と分かち合うことを望んでいる。両岸同胞は心を一つに協力して、両岸関係の平和的発展を促し続ける必要がある。両岸双方は「1992年の共通認識」を堅持し「台湾独立」に反対するとの共通の基礎を揺るぎないものにし、「1つの中国」の枠組みの維持という共通認識を深化する必要がある。両岸同胞は心を一つに連携し、中華民族の偉大な復興という中国の夢を共にかなえる必要がある」。これは④で紹介したPRCの主張そのものであり、また「国家」は1つしかないという立場である。PRC自身が国家でないと認識していることはありえないだろうから、この立場は「台湾は国家でない」とみなしているのであろう。

李登輝総統の「国家と国家の関係」が成立するかは、台湾が「国家」であるか否かにかかっている。国家として認められる要件は、国民(「永久的住民」a permanent population)、明確な領域、その領域を統治する政府および他国と関係を取り結ぶ能力を備えていることであるというのが国際法の考えであり、台湾は最初の3つは備えているが、第4の要件については疑義がある。もっとも台湾が他国と関係を結べないのはPRCが各国に台湾と関係を結ぶことを受け入れないからであり、いわゆる「従属国」のように台湾がPRCとの間で支配・服従の関係に置かれることを承諾したわけではない。

台湾は日本や米国も含め、多くの国からいわゆる「承認」を受けていない。しかし、そうだからと言って「国家」でなくなったという結論には必ずしもならない。国際法上、他国から承認されていない「国家」はありうる。「未承認国家」が一つの例であり、これに承認を与えていない国家との関係でも一定程度の権利能力が認められる。
 台湾に対する承認を取り消した各国が、台湾とPRCの関係をどう認識するかについてはいくつか異なるバージョンがあり、その1つは、「台湾がPRCの一部である」ことを認めることである。このような立場では台湾を「国家」と認識するのは困難になるだろう。
他の1つは、日本のように、台湾はその領土の一部であるというPRCの主張を「十分理解し、尊重する」である。これをどう解するか。「承認」と異なることは明らかである。PRCの主張に「異議を唱えない」、つまり、「積極的に肯定しないが、否定もしない」という意味のように思われる。このように解されるのであれば、台湾が国家か否かについても、肯定も否定もしないというのが日本の立場だということになる。
一方、日本と台湾の間には民間の関係しかないという形になっている。そのため、双方とも窓口を作って、必要な実務関係を処理している。しかし、台湾が住民に対して強制力を持ち、法律を作り、統治している実態があることにかんがみれば、台湾はいかなる意味でも国家でないとするには無理があるように思われる。

(さらに…)

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