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2014.03.23
習近平はある未公開の会議で次のように発言した。
「共産党の指導は失うわけにいかない。ひとたび失えば、動乱、あるいは状況が不安定になる。」「党の指導を旗幟鮮明にしなければならない。自覚を以て思想上、政治上、行動上において党中央と高度の一致を保たなければならない。」
「中央全面深化改革指導小組」、「国家安全委員会」および「中央インターネットの安全情報化指導小組」の3大「超級」機構が成立したことに伴い、大権を掌握する各大機構は水平的に統合された。中国の特色ある集団指導制は次第に重要でなくなっていく。これに加えて、政治局常務委員は9名から7名に削減された。中央政法委員会は調整を行なわないことになった。外部では中国共産党が再び中央集権を進めているなどと言っている。
また、2014年初頭に開かれた別の未公開中央政法工作会議の記録によると、習近平は党委員会の重要な機能を数十回強調し、「党の政法に対する指導を堅持することに関し中国共産党は現在厳しい政治闘争に直面している」と指摘した。習近平は、敵対勢力が「顔色革命(文字の意味は「色の革命」である。何を指すかはっきりしないが、政権を変えるのでなく様相を変えることか)を起こすことを警戒し、「政法機関」という「刀」をしっかりと握っていなければならないと言うのである。習近平は「党の指導を強化すること」を異常に高いところにまで押し上げた。
習近平が党委員会の重要性を強調する頻度と強度は、政権を握っている共産党内部を重視することであってもきわめて珍しいことである。習近平は「集団指導制」の弊害を取り除こうとしている意図は明らかである。「集団指導制」は毛沢東時代を終わらせる意義があったが、胡錦涛時代にまで続くに及んで「九匹の龍が治める」ように政治局の各常務委員がそれぞれ政治を行なうようになってしまい、弊害が各所に現れた。たとえば、中共の政法系統は周永康政治局常務委員のほしいままになってしまい、他の委員は口をさしはさむことができなかった。
(さらに…)
習近平の権力集中
3月19日の多維新聞(海外に本部がある中立系中国語新聞)は習近平の権力集中についてつぎのように報道している。直訳調であるが。習近平はある未公開の会議で次のように発言した。
「共産党の指導は失うわけにいかない。ひとたび失えば、動乱、あるいは状況が不安定になる。」「党の指導を旗幟鮮明にしなければならない。自覚を以て思想上、政治上、行動上において党中央と高度の一致を保たなければならない。」
「中央全面深化改革指導小組」、「国家安全委員会」および「中央インターネットの安全情報化指導小組」の3大「超級」機構が成立したことに伴い、大権を掌握する各大機構は水平的に統合された。中国の特色ある集団指導制は次第に重要でなくなっていく。これに加えて、政治局常務委員は9名から7名に削減された。中央政法委員会は調整を行なわないことになった。外部では中国共産党が再び中央集権を進めているなどと言っている。
また、2014年初頭に開かれた別の未公開中央政法工作会議の記録によると、習近平は党委員会の重要な機能を数十回強調し、「党の政法に対する指導を堅持することに関し中国共産党は現在厳しい政治闘争に直面している」と指摘した。習近平は、敵対勢力が「顔色革命(文字の意味は「色の革命」である。何を指すかはっきりしないが、政権を変えるのでなく様相を変えることか)を起こすことを警戒し、「政法機関」という「刀」をしっかりと握っていなければならないと言うのである。習近平は「党の指導を強化すること」を異常に高いところにまで押し上げた。
習近平が党委員会の重要性を強調する頻度と強度は、政権を握っている共産党内部を重視することであってもきわめて珍しいことである。習近平は「集団指導制」の弊害を取り除こうとしている意図は明らかである。「集団指導制」は毛沢東時代を終わらせる意義があったが、胡錦涛時代にまで続くに及んで「九匹の龍が治める」ように政治局の各常務委員がそれぞれ政治を行なうようになってしまい、弊害が各所に現れた。たとえば、中共の政法系統は周永康政治局常務委員のほしいままになってしまい、他の委員は口をさしはさむことができなかった。
(さらに…)
2014.03.22
醍醐寺は桜の名所であり、秀吉が北の政所、淀殿はじめ女房衆および直参の武将など1300人余を引き連れて花見をしたことは歴史上あまりにも有名である。現在でも、4月の第2日曜日には往時をしのんで花見行列が行われる。秀吉が花見をした場所は「やり山」の中腹で「上醍醐」と呼ばれる地域にあり、記念碑がたっている。当時そこからの見晴らしは絶景であったが、今は樹木が大きくなりすぎて肝心の桜はよく見えなくなっている。秀吉はその花見から数か月後に他界したので、醍醐の花見は秀吉最後の一大イベントであった。
醍醐寺と秀吉の関係は非常に深い。一言でいえば、醍醐寺は秀吉の博物館の役割を果たしている。徳川家康については徳川記念館がある。信長については遺品やゆかりのものは後世にほとんど伝えられない(?)。秀吉については江戸時代にゆかりの建物などが破壊されたので、正規の記念館的なところはないと思っていたが、実は醍醐寺がその役割を果たしている。
秀吉は醍醐寺を大のひいきにし、紀州の湯浅のお寺の本堂を移築して金堂(醍醐寺の本堂 国宝)を建てた。醍醐寺の一角をなす三宝院の庭を自ら設計し、その庭を臨む表書院も秀吉の趣向で作らせた。いかに時の権力者とは言え、立場上そんな資格はなかったはずであるが、秀吉は醍醐寺を別邸か迎賓館のように思っていたようである。花見の後には紅葉狩り、また翌春には後陽成天皇の行幸を予定しいた。
また、醍醐寺の別の一角である「霊宝館」には秀吉が安置した仏像、直筆の書簡、使用した茶器、腰掛、野外火鉢などが展覧されている。秀吉から始まり、前田利家、秀頼、北の政所、淀殿などが花見の時に詠んだ歌を順番に収めている記録は、記録と言うよりは芸術品である。また、これは招待客の序列を示している。秀頼は当時まだ幼く歌など詠めなかったはずであるが、記録に残すためか第3位に記されている。
醍醐寺の座主義演が花見の行事や秀吉からの贈り物を細かく記した日記も興味深い。
秀吉の息遣いまで聞こえてくるようである。他のところでは、たとえば、大阪城には秀吉が作った金の茶室があるが、飾ってあるだけであり、秀吉の面影は浮かび上がってこない。
秀吉は義演座主と懇意であったのは明らかであるが、それも半端でなかったようだ。
醍醐寺は秀吉の死後も豊臣家と緊密であり、秀頼は西大門(仁王門)、上醍醐如意輪堂、五大堂開山堂などを再建、あるいは改築した。北の政所が寄贈した院もある。
醍醐寺のいたるところに豊臣家の家紋である桐が描かれているのも当然である。
醍醐寺は秀吉の病が重くなると総力を挙げて快癒の祈祷をし、死後には盛大な法要を営んだ。このことに対して豊臣家は惜しみなく礼をしたのであろう。
醍醐寺と秀吉の関係を想像するだけでやめておくべきかもしれないが、権力者と結びつく寺院という構図がある。否定しようがないくらい明らかである。
醍醐寺は秀吉以前も権力者と密接な関係にあった。そもそも醍醐、朱雀、村上天皇が薬師堂、伽藍、釈迦堂、五重塔などを建立し、また仏像を安置した。白河天皇も多くの堂宇を建てた。
南北朝時代、賢俊座主は足利尊氏の帰依を一身に集めた。満済准后は足利幕府時代黒衣の宰相と言われた。准后は皇后に準ずる皇族、貴族である。
そして義演准后は秀吉と懇意にした。父は二条晴良(藤原氏の長者)、母は伏見宮貞敦親王王女の位子であり、足利幕府15代将軍足利義昭の猶子であった。そのあたりにもいろいろは事情があったようである。
(さらに…)
醍醐寺と秀吉
今日は、ちょっと変わって醍醐寺について。醍醐寺は桜の名所であり、秀吉が北の政所、淀殿はじめ女房衆および直参の武将など1300人余を引き連れて花見をしたことは歴史上あまりにも有名である。現在でも、4月の第2日曜日には往時をしのんで花見行列が行われる。秀吉が花見をした場所は「やり山」の中腹で「上醍醐」と呼ばれる地域にあり、記念碑がたっている。当時そこからの見晴らしは絶景であったが、今は樹木が大きくなりすぎて肝心の桜はよく見えなくなっている。秀吉はその花見から数か月後に他界したので、醍醐の花見は秀吉最後の一大イベントであった。
醍醐寺と秀吉の関係は非常に深い。一言でいえば、醍醐寺は秀吉の博物館の役割を果たしている。徳川家康については徳川記念館がある。信長については遺品やゆかりのものは後世にほとんど伝えられない(?)。秀吉については江戸時代にゆかりの建物などが破壊されたので、正規の記念館的なところはないと思っていたが、実は醍醐寺がその役割を果たしている。
秀吉は醍醐寺を大のひいきにし、紀州の湯浅のお寺の本堂を移築して金堂(醍醐寺の本堂 国宝)を建てた。醍醐寺の一角をなす三宝院の庭を自ら設計し、その庭を臨む表書院も秀吉の趣向で作らせた。いかに時の権力者とは言え、立場上そんな資格はなかったはずであるが、秀吉は醍醐寺を別邸か迎賓館のように思っていたようである。花見の後には紅葉狩り、また翌春には後陽成天皇の行幸を予定しいた。
また、醍醐寺の別の一角である「霊宝館」には秀吉が安置した仏像、直筆の書簡、使用した茶器、腰掛、野外火鉢などが展覧されている。秀吉から始まり、前田利家、秀頼、北の政所、淀殿などが花見の時に詠んだ歌を順番に収めている記録は、記録と言うよりは芸術品である。また、これは招待客の序列を示している。秀頼は当時まだ幼く歌など詠めなかったはずであるが、記録に残すためか第3位に記されている。
醍醐寺の座主義演が花見の行事や秀吉からの贈り物を細かく記した日記も興味深い。
秀吉の息遣いまで聞こえてくるようである。他のところでは、たとえば、大阪城には秀吉が作った金の茶室があるが、飾ってあるだけであり、秀吉の面影は浮かび上がってこない。
秀吉は義演座主と懇意であったのは明らかであるが、それも半端でなかったようだ。
醍醐寺は秀吉の死後も豊臣家と緊密であり、秀頼は西大門(仁王門)、上醍醐如意輪堂、五大堂開山堂などを再建、あるいは改築した。北の政所が寄贈した院もある。
醍醐寺のいたるところに豊臣家の家紋である桐が描かれているのも当然である。
醍醐寺は秀吉の病が重くなると総力を挙げて快癒の祈祷をし、死後には盛大な法要を営んだ。このことに対して豊臣家は惜しみなく礼をしたのであろう。
醍醐寺と秀吉の関係を想像するだけでやめておくべきかもしれないが、権力者と結びつく寺院という構図がある。否定しようがないくらい明らかである。
醍醐寺は秀吉以前も権力者と密接な関係にあった。そもそも醍醐、朱雀、村上天皇が薬師堂、伽藍、釈迦堂、五重塔などを建立し、また仏像を安置した。白河天皇も多くの堂宇を建てた。
南北朝時代、賢俊座主は足利尊氏の帰依を一身に集めた。満済准后は足利幕府時代黒衣の宰相と言われた。准后は皇后に準ずる皇族、貴族である。
そして義演准后は秀吉と懇意にした。父は二条晴良(藤原氏の長者)、母は伏見宮貞敦親王王女の位子であり、足利幕府15代将軍足利義昭の猶子であった。そのあたりにもいろいろは事情があったようである。
(さらに…)
2014.03.19
クリミア
住民投票で独立の結論が出た。ロシアはすでにクリミアを独立国家として承認し、さらにクリミア共和国をロシア連邦に編入する条約にも署名した。国際社会から批判され、クリミアを併合しないよう圧力を受けているが途中で引き返せない。クリミアはロシア連邦の一部となるのであろう。
経緯的には、クリミアの住民投票は5月に予定されていたが、なぜそのようなことが決まっていたのか。
また、それを繰り上げて3月中に実施したのはいかなる理由によるか。
クリミアがロシア連邦の一部となった後、ウクライナとの関係はどうなるか。当然ウクライナはクリミアを承認しないだろうが、現実には隣り合っており、一定程度の相互依存関係が残るのではないか。
ウクライナ
ロシアはヤヌコビッチを大統領として依然として認めており、暫定政権を認めていないが、ヤヌコビッチがウクライナに帰還し、以前の状態に復帰する可能性はないか。他国の例をみるとそれはなさそうだが、ウクライナの親ロシア勢力はかなり強い。
ロシアはヤヌコビッチを抱え込んでどうするつもりか。
暫定政権も右派勢力をかかえており、複雑なようだ。
ロシアとの関係が悪化してもエネルギーはロシアから供給を受けるだろう。ヨーロッパは一時的には供給できても、長続きは困難であろう。
ウクライナの対ロシア債務をどう処理するか。パイプラインの使用料、ロシアからのエネルギー供給に対する支払い、さらには黒海艦隊によるクリミア基地使用料などロシアとの間にはかねてから複雑な債権債務関係がある。政治関係の変化に応じて、その清算条件も変わってくる。
ウクライナの債務救済に対するヨーロッパの役割いかん。
ウクライナの安全保障。とくにロシアの脅威。当面はそれどころでないかもしれないが、ウクライナは核を放棄すべきでなかったという議論はある。
米欧とロシアの関係
米欧の対ロ制裁はすでに開始しており、ロシアの出方次第でさらに強くするというのが米欧の立場。これは効果的か。
ロシアの米欧に対する対抗措置。概してロシアの立場は強くない。エネルギーは例外。とくにドイツなどロシアへの依存度が高い国には。
金融面では圧倒的の米欧が優位。
ロシアとして有力なのは軍事的な対抗手段。新核戦略交渉に応じない?現行の査察に協力しない?INFで合意違反?しかし、軍事・安全保障に拡大するとロシアにとっても危険は大きい。当面はこちらに波及する危険をちらつかせるだけにとどめるか。
ロシアとして政治的、外交的な応戦を続ける余地がある。
ロシアはコソボの例を持ちだし、米欧がダブルスタンダードだと主張し、クリミア併合を正当化しようとしている。米欧は、コソボではアルバニア人が虐待されたが、クリミアではロシア人は虐待された証拠はないと主張。しかし、泥仕合になる可能性はある。ロシアの狙いか?
G8への影響は避けられない。米欧と日本はボイコットが確実なのでロシアはモスクワ・オリンピックのような立場に置かれる。
ロシアにとってロシア系のウクライナ、クリミアのロシア系を支援することはそれほど重要な問題か。米欧にとってはロシアが軍事力を背景にウクライナに介入することは大きな問題。
中ロ関係
中国とロシアの立場の違いが浮き上がった。中国は民族問題が深刻であり、クリミアの住民投票を認めるわけにはいかない。「民族自決」には目を皿のようにして注目。
最大の問題は台湾、これは大き過ぎる問題かもしれないが、香港についてはクリミア化の危険はある?
西側にとっては、中ロの亀裂は歓迎すべきこと。しかし中国は米欧に同調できない。
日本
米欧と共通点が多い。
しかし、ウクライナ情勢は日ロ関係に影響があるかどうか。日本は孤立するロシアとどのように向き合うか。日ロ関係、とくに領土問題の解決にどのように影響してくるか。
ロシアを怒らせたくないから、ウクライナ問題で強く出ないというのはさもしい発想であり、下心はすぐにばれる。
そうではなく、日本は中国と協力して、あるいは単独でロシアに抑制を促し、米欧との距離を少なくするのに努めるのがよいのではないか。
(さらに…)
ウクライナ問題の主要点
ウクライナ情勢は流動的であるが、この時点でポイントを整理しておこう。2014年3月19日クリミア
住民投票で独立の結論が出た。ロシアはすでにクリミアを独立国家として承認し、さらにクリミア共和国をロシア連邦に編入する条約にも署名した。国際社会から批判され、クリミアを併合しないよう圧力を受けているが途中で引き返せない。クリミアはロシア連邦の一部となるのであろう。
経緯的には、クリミアの住民投票は5月に予定されていたが、なぜそのようなことが決まっていたのか。
また、それを繰り上げて3月中に実施したのはいかなる理由によるか。
クリミアがロシア連邦の一部となった後、ウクライナとの関係はどうなるか。当然ウクライナはクリミアを承認しないだろうが、現実には隣り合っており、一定程度の相互依存関係が残るのではないか。
ウクライナ
ロシアはヤヌコビッチを大統領として依然として認めており、暫定政権を認めていないが、ヤヌコビッチがウクライナに帰還し、以前の状態に復帰する可能性はないか。他国の例をみるとそれはなさそうだが、ウクライナの親ロシア勢力はかなり強い。
ロシアはヤヌコビッチを抱え込んでどうするつもりか。
暫定政権も右派勢力をかかえており、複雑なようだ。
ロシアとの関係が悪化してもエネルギーはロシアから供給を受けるだろう。ヨーロッパは一時的には供給できても、長続きは困難であろう。
ウクライナの対ロシア債務をどう処理するか。パイプラインの使用料、ロシアからのエネルギー供給に対する支払い、さらには黒海艦隊によるクリミア基地使用料などロシアとの間にはかねてから複雑な債権債務関係がある。政治関係の変化に応じて、その清算条件も変わってくる。
ウクライナの債務救済に対するヨーロッパの役割いかん。
ウクライナの安全保障。とくにロシアの脅威。当面はそれどころでないかもしれないが、ウクライナは核を放棄すべきでなかったという議論はある。
米欧とロシアの関係
米欧の対ロ制裁はすでに開始しており、ロシアの出方次第でさらに強くするというのが米欧の立場。これは効果的か。
ロシアの米欧に対する対抗措置。概してロシアの立場は強くない。エネルギーは例外。とくにドイツなどロシアへの依存度が高い国には。
金融面では圧倒的の米欧が優位。
ロシアとして有力なのは軍事的な対抗手段。新核戦略交渉に応じない?現行の査察に協力しない?INFで合意違反?しかし、軍事・安全保障に拡大するとロシアにとっても危険は大きい。当面はこちらに波及する危険をちらつかせるだけにとどめるか。
ロシアとして政治的、外交的な応戦を続ける余地がある。
ロシアはコソボの例を持ちだし、米欧がダブルスタンダードだと主張し、クリミア併合を正当化しようとしている。米欧は、コソボではアルバニア人が虐待されたが、クリミアではロシア人は虐待された証拠はないと主張。しかし、泥仕合になる可能性はある。ロシアの狙いか?
G8への影響は避けられない。米欧と日本はボイコットが確実なのでロシアはモスクワ・オリンピックのような立場に置かれる。
ロシアにとってロシア系のウクライナ、クリミアのロシア系を支援することはそれほど重要な問題か。米欧にとってはロシアが軍事力を背景にウクライナに介入することは大きな問題。
中ロ関係
中国とロシアの立場の違いが浮き上がった。中国は民族問題が深刻であり、クリミアの住民投票を認めるわけにはいかない。「民族自決」には目を皿のようにして注目。
最大の問題は台湾、これは大き過ぎる問題かもしれないが、香港についてはクリミア化の危険はある?
西側にとっては、中ロの亀裂は歓迎すべきこと。しかし中国は米欧に同調できない。
日本
米欧と共通点が多い。
しかし、ウクライナ情勢は日ロ関係に影響があるかどうか。日本は孤立するロシアとどのように向き合うか。日ロ関係、とくに領土問題の解決にどのように影響してくるか。
ロシアを怒らせたくないから、ウクライナ問題で強く出ないというのはさもしい発想であり、下心はすぐにばれる。
そうではなく、日本は中国と協力して、あるいは単独でロシアに抑制を促し、米欧との距離を少なくするのに努めるのがよいのではないか。
(さらに…)
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