平和外交研究所

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2014.03.15

習近平の権力闘争?

習近平主席が、年初以来、中央政法工作会議、中央規律検査委員会全体会議、中央農村工作会議のすべての会議で「党の政法工作に対する指導」を重要中の重要事と位置付け、「旗幟鮮明に党の指導を堅持し、思想上、政治上、行動上自覚して党中央と高度の一致を保持しなければならない。中国の特色ある社会主義のもっとも本質的な特徴は中国共産党の指導である」と述べ、また、その際厳粛な言葉で「党の政法工作に対する指導を堅持することをめぐって、我々は深刻(厳粛)な政治闘争に直面している」と述べたことが注目されている。
中国のハイレベルに近い人が多維新聞の記者に語ったそうである(多維新聞は米国に本部がある中立的な新聞で報道は3月14日)。

直訳調で読みにくいかもしれないが、要するに、党政軍の権力を掌握し、さらに「全面深化改革小組」「国家安全委員会」「インターネットの安全および情報化小組」すべての主任になるなど権力を一身に集中させている習近平が、なぜ「共産党の指導」を繰り返し強調し、「政治闘争」に直面しているなどと大げさなことを言っているのかということがポイントであろう。
習近平が言っているのは何のことか。あえて推測すれば、前政治局常務委員の周永康の処分はすでに決着がついているというのが多数の見方であるが、その背後にある江沢民や曾慶紅の抵抗が強くて最後の結末をつけるのに難儀しているいということかと思われる。これだけでは材料が乏しすぎるのでいたずらに想像をたくましくすべきでないか。

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2014.03.14

尖閣諸島と中国のサンフランシスコ平和条約に対する立場

「尖閣諸島の法的地位」(本コラム3月12日)で触れなかった中国の立場について。

日本としては、尖閣諸島がサンフランシスコ平和条約(平和条約)およびその解釈により日本が引き続き領有することになったことは明白であるが、中国(PRC)は平和条約の締約国でないので、それに拘束されない、したがってまた、日本の主張する解釈に縛られないという立場を取る可能性がある。

かりにそうであっても、尖閣諸島が日本の領土であることは平和条約締結以前も以後も変わりがない。つまり平和条約によって日本がはじめて尖閣諸島に対する領有権を獲得したのではないので、PRCが平和条約を認めても認めなくても同じことである。

一方、PRCの領有権を間接的に認めた条約はない。それは国際的に認められたことでなかったのである。

PRCが同平和条約による日本の領域の再画定を認めないとなると、台湾島を日本が放棄したことも認めないということになるはずである。もっとも日本が放棄したという行為はいわゆる物権的行為、すなわち、日本は特定の相手に対し放棄したのではなく、放棄したことをどの国でも主張できるといことになる可能性はある。この解釈に立てば、PRCも日本は台湾島を放棄したと主張できるかもしれない。しかし、そうであれば、尖閣諸島は第3条で処理されたと確認されたことも認めるのが筋であろう。放棄したほうだけを援用し、放棄しなかった方は援用しないわけにいかないからである。

日本と台湾(ROC)との関係では、1952年4月28日署名に署名された「日華平和条約」の第2条で、「日本国はサンフランシスコ平和条約第2条に基き、台湾及び澎湖諸島並びに新南群島及び西沙群島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄したことが承認される」と規定されたので、ROCとして日本が台湾島を放棄したと主張するのになんら問題はない。

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2014.03.12

尖閣諸島の法的地位

キヤノングローバル戦略研究所のホームページに掲載されたもの。

「尖閣諸島のことは食傷気味に感じている人が多いかもしれない。たしかによく話題に上るが、関連の資料や文献が多過ぎるためか、基本的な事実が見えにくくなっているのではないかと思われる節がある。
まず、外務省の説明を見てみると、「サンフランシスコ平和条約において,尖閣諸島は,同条約第2条に基づきわが国が放棄した領土のうちには含まれず,第3条に基づき南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ,1972年5月発効の琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定(沖縄返還協定)によりわが国に施政権が返還された地域の中に含まれています。」となっている。
そこで平和条約第3条を開けてみると、そこには「尖閣諸島は米国の施政下に置かれる」とは記載されていない。第3条には「尖閣諸島」という言葉はまったく出てこないのである。外務省の説明が間違っているのでないことはもちろんであるが、今から振り返ってみるとちょっと不親切なところがある。この問題に関してはかつて国会で何回も説明されたが、そこでも同じことであり、基本的にはここに引用した外務省説明の趣旨が繰り返されたに過ぎなかった。
不親切なところの一つは、尖閣諸島という言葉が出てこないにも関わらず、記載されていると誤解されそうな説明になっていることである。
もう一つは、この説明には、尖閣諸島がサンフランシスコ平和条約でどのように決定されたかということと、それから20年後のいわゆる沖縄返還の時にどう処理されたかということが一緒に書いてあるので、分かりにくくなっていることである。特別の知識を持っている人ならいざ知らず、普通の人ではこの説明を正しく理解するのは困難ではないかと思われる。
平和条約は、たしかに戦争で敗れた日本が放棄する領土とそうでないものを分け、それぞれをどのように処理するか規定した。放棄するほうが第2条である。放棄しないが、米国の統治に委ねられることとなったのが第3条であり、その対象は、①北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)、②孀婦岩の南の南方諸島(小笠原群島、西之島および火山列島を含む)、③沖ノ鳥島および南鳥島であった。このうち②と③は尖閣諸島から1千キロ以上離れているので尖閣諸島がそのいずれにも含まれないことは明らかである。したがって、①の「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」に尖閣諸島が含まれるか否かが問題であり、外務省説明は含まれるという立場なのである。
なぜそう言えるか。米国は沖縄統治を開始するに際して、「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」の範囲を緯度と経度で示し、それを公に布告した。1953年12月25日付の「米国民政府布告第27号」である。条約に記載されている「南西諸島」にしても「琉球諸島」にしても多数の島から構成されており、この2つの島名だけでは米国の統治に委ねられる範囲を特定できない。したがって、布告を出して確認しようとしたのは米国として当然であり、また必要であった。
この布告は、沖縄を統治していた「米民政府」の長官命令として発出されたので、形式的には行政行為のように見えるが、平和条約第3条の解釈に関わるものであり、したがって、この布告は米民政府の行政(の一環)であると同時に平和条約第3条を解釈するという二つの性格を兼ねていた。
米国はこの範囲画定を米国だけで行なうこと、いわゆる有権解釈はできなかった。米国の統治に委ねられる範囲は条約で定められており、その解釈を単独の締約国が決定することはできないからである。したがって、この布告は、米国としての考えを示して他の締約国に異議がないか確認するものであった。
平和条約第3条の範囲を確定したものはこの布告以外にはなく、きわめて重要な資料である。これがあるので、「沖縄」や「尖閣諸島」が平和条約第3条の「北緯29度以南の南西諸島(琉球諸島および大東諸島を含む)」に含まれることが明確になっているのである。
平和条約が戦後の日本の領土の再画定において決定的であることは言うまでもない。極端に言えば、古代から日本の領土であっても、かりに平和条約が第三国の領土に決定していたら、経緯のいかんにかかわらず、日本の領土ではなくなったであろう。
なお、米国は沖縄を返還する際、尖閣諸島は日本の領土であることを確認しなかったことを問題視する議論があるが、平和条約第3条の範囲が1953年布告によって明確に確定されたという事実が変わるものではない。沖縄返還時の米政府の説明も、この事実に抵触しないよう慎重に言葉を選んでいた。
現在、米国は第三国の領土紛争に関与しないという方針であり、尖閣諸島に関しても、一方では日米安保条約が適用されると明言しつつ、領有権をめぐって争いがあれば当事者同士で解決すべきであるという立場を取るかもしれないが、日本としては、尖閣諸島が第3条に含まれることは日本によってではなく、平和条約とその履行において米国の主導により連合国によって画定されたという事実を主張できる。日本は現在、尖閣諸島が日本固有の領土であると主張しているが、国際的にもそのことは決定されていたのであり、経緯的には連合国も当事者であった。いつの日か、国際司法裁判所でこの問題が審議される場合には、日本は当然米民政府布告のことを主張するであろうし、有力な根拠となると思われる。」

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