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2015.01.24

中国軍は反腐敗運動の規律検査委員会に牛耳られている

反腐敗運動が大々的に中国軍にも及んでいることを示す報道が最近相次いでいる。とくに『多維新聞』(1月20日付)は、軍も反腐敗運動のなかで聖域でなくなり、中央規律検査委員会の軍門に下ったという趣旨の評論を行なっており、軍の実情を知るうえで参考になる。要点は次の通り。

○1月12~14日に開催された中央規律検査委員会第5回全体会議に7人の政治局常務委員が全員出席した。また軍の規律検査委員会から60余人が出席した。これは異常なことであり、軍内の検査体制が重大な調整を受けていることの証である。政治局常務委員全員が出席したことは中央規律検査委員会の進めている反腐敗運動に対して強力な支持となる。
○これまで軍の規律検査委員会は中央軍事委員会と中央規律検査委員会の両方の指導下にあった。しかし、実際上は中央軍事委員会の下の総政治部が指揮しており、中央規律検査委員会はなかなか手を出せなかった。軍の規律検査委員会が中央規律検査委員会の全体会議に出席しなかったことがそのことを物語っていた。これは地方の規律検査委員会が中央規律検査委員会の指揮下にありながら、その地方の党委員会の指導を受けていたので、中央規律検査委員会の威光が届かなかったのと同じ状況であったが、今回の調整により、下級の規律検査委員会は地方であれ、軍であれ、中央規律検査委員会は垂直的指導をしやすくなった。
○今次中央規律検査委員会全体会議に出席したのは125人であり、365人のオブザーバーも参加した。過去の全体会議でもっとも多かったオブザーバーは66人である。今回のオブザーバーの大多数は軍服であった。いかに軍が今次会議に注目しているかがよく分かる。以前の中央規律検査委員会全体会議の際も軍の規律検査委員会に招待をしていたが、出席しなかったが、今回は出席したのである。
○軍は独立性が高い機関であり、軍の規律検査委員会のナンバーワンは通常総政治部の副主任である。これでは軍のハイレベルを監督することはできなかった。しかしながら、この20年間で軍の雰囲気は急に悪化した。汚職と耽溺、官職の売買、闇の派閥構成などが高じてきた。軍事委員会副主席の徐才厚はもともと政治系統の中で上がってきたのであった。徐才厚が倒れた後、もう一人の副主席であった郭伯雄の地位が揺らいでいる。さらに彼らの後にも同様に追及を受ける人物がいるようだ。
○軍内で反腐敗闘争を成功させるには軍の規律検査委員会の改革が不可欠である。今次調整により、王岐山の実権が強くなり、軍内の規律検査工作に対する発言権が増大するであろう。過去2年間党政両面で培ってきた経験と方法を以て軍内でも反腐敗闘争を成功せれば、人心を得ることができるだろう。
○軍の規律検査委員会を中央規律検査委員会の直接の指導に委ねることは、総政治部の権限縮小を意味する。総政治部は軍の宣伝、思想工作、組織(人事)などをつかさどる。これら権限は過大であり、すべてに完全を期すことはできない。中央規律検査委員会が軍内の紀律を監督するようになれば、総政治部は軍のプロパーの任務に専念できるようになるだろう。
2015.01.22

ウクライナはついにNATOに傾くか

ロシア系住民が多いウクライナ東部の情勢はますます悪化しているようだ。昨年の9月5日にベラルーシの首都ミンスクでOSCE(欧州安全保障協力機構)の立会いの下でウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国(最後の2つはウクライナ東部の地域)の間で停戦がようやく成立し、ミンスク議定書が署名されて以降の主要な出来事を簡単にまとめてみた。

ミンスク合意は、停戦および捕虜の釈放の他、ドネツクおよびルガンスク両地方の自治権を拡大する法律をウクライナが制定すること、ウクライナとロシアの国境に安全地帯を設け、停戦違反が起こらないようOSCEが監視をすること、紛争当事者を交えウクライナ政府および各地方が対話を継続すること、ドネツクおよびルガンスク地方の地位に関する法律に従い選挙を行なうこと、不法な武装グループ、兵器、兵士をウクライナから排除することなどを決めた。
しかし、ミンスク合意直後から違反が相次ぎ、9月19日ミンスク議定書を補完する新しい覚書が作られ、安全地帯の幅は国境からそれぞれ15キロとし、重火器の持ち込み禁止、挑発的行為の禁止、安全地帯上空の飛行禁止、紛争地域からすべての外国兵の撤退などが決められた。

地位に関する法律はまだ成立していないが、両地方は11月2日、選挙を敢行し、それぞれ共和国となったと宣言した。これをウクライナのポロシェンコ大統領は認めないと表明したのは当然である。OSCEの議長はこの選挙はミンスク合意に違反しており、事態を複雑化させると批判した。

この他、NATOのJens Stoltenberg事務総長は11月末、百台以上のトラックがウクライナの許可なしにロシアから越境し、停戦協定に違反して先端兵器を大量に親ロシア派に運び込んでいる、と非難した。
これに対し、ロシア側は、兵士は自発的に休暇に出かけている、エストニアの病院にサイバー攻撃をかけたときに政府は一部愛国者がサイバー攻撃するのを完全には止められないなどと言い訳しているそうである。西側はこのようなのらりくらりの対応に手を焼いているそうである。
一方、ロシアのラブロフ外相は、11月に行なわれた選挙はミンスク合意の範囲内である、ウクライナは10月のウクライナ議会選挙の後恩赦に関する法律を制定した後にOSCEは監視活動を開始できる、この法律はまだ制定されていない、などと主張した(12月5日)。
14日には、ロケット弾の流れ弾がウクライナのバスに当たって12人が死亡する事件が発生し、Poroshenko大統領は、ロケット弾は反政府軍が発射したものだと非難し、ロシア外務省はウクライナの策略だと非難の応酬となった。

情勢悪化はついに、ウクライナによる非同盟政策の放棄にまで発展してしまった。非同盟路線は2010年からウクライナの法律で規定されており、ウクライナがNATOに傾くことを防ぐ役割を果たしてきた。しかるに、ウクライナ東部情勢の悪化はウクライナをNATOに押しやる結果となり、ウクライナの最高会議(議会)は12月23日、「ウクライナによる非同盟政策放棄に関する複数のウクライナ法への修正に関する」法を賛成多数で採択した。同法は、ウクライナがNATOへの加盟に必要とされる基準に到達することを目的としてNATOとの協力を深化することも謳っている。ポロシェンコ大統領は今後、NATO加盟の可否について国民投票を実施する方針だと伝えられている。
ウクライナがNATOに加盟することは、ロシアにとってEU加盟よりはるかに深刻な問題であり、もしそのような動きを見せればロシアは開き直って軍事介入するかもしれないと言われるほど大きな問題であった。

2015.01.20

習近平総書記の独裁体制を認めた政治局常務委員会議

1月16日、中国共産党中央政治局常務委員会議が開催された。中国のトップ7が集まる会議であり、今回はとくに重要な決定が行われた。注目されるのは以下の4点であると多維新聞(米国に本拠がある中国語新。中国内政にはよく通じている)は解説している。

○今次会議は従来の政治局常務委員会議の方式を打破した。全国人民代表大会(注 日本の国会に当たる)、国務院(注 政府)、全国政治協商会議(注 共産党以外の党派、団体、各界を糾合する組織。「統一戦線」組織とも言われる)、最高法院および最高検察院の党組織は共産党中央の象徴である習近平に対して報告を行なった。これは、「集団指導体制」より個人に権力が集中していることを意味しており、習近平を最高権力者とする新しい集団体制である。
○今次会議は「集中統一指導」の考えを打ち出した。これは根本的な政治規範である。従来は鄧小平の指導下の「民主集中制」が根本的な指導原理・指導制度であった。民主集中制の下では権力のチェック・アンド・バランスが図られており、独裁者は出現しにくい。「集中統一制」の下では「民主集中制」を基礎として集中統一指導が行われる。
○今次会議では、軍事委員会から報告が行われなかったが、そうなったのは習近平がすでに中央軍事委員会のトップになっているからである。習近平は民主集中制の下で各領域に分散されていた権力を統一する。
○中共は全国人民代表大会、国務院、全国政治協商会議、最高法院、最高検察院を指導し、これら5つの組織は中共中央の指導を受ける。李国強ら5つの組織の責任者は習近平主席とは同僚でなく、上下関係になる。

中国共産党は従来から実質的には一党独裁であり、すべてを指導してきた。しかし、そのナンバーワンであってもなんでも思いのままになったわけではなく、一定程度は抑制する力が働いていた。中国共産党の歴史上もっとも独裁的な権力を握っていたのは毛沢東であるが、それでも権力を失いかけたことがあった。最高決定機関である政治局常務委員会議は合議制であり、総書記といえども反対意見が多ければ自分の考えを押し通すことはできなかった。もちろんそうならないよう、会議の前に根回しが行われるが、そのようなことが必要なのは合議制だからであった。要するに、総書記は「同輩の中の首席」的な性格が強かったのである。革命戦争の経験を持たない江沢民や胡錦濤はまさにそのような存在であった。
習近平も当然この2人のような総書記になるはずであるが、今次会議は習近平主席と他の政治局常務委員は「上下関係にある」としたので、今後は習近平の鶴の一声で物事を決めることが可能になる。習近平主席は就任以来2年余りの間に、権力を自らに集中させてきたが、今次会議ではそれが制度的に裏付けられたのであり、その独裁体制は一歩も二歩も進んだとみられる。

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