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2015.03.25
コーカン自治区では「ミャンマー国家民主主義同盟軍(MNDAA)」を名乗る反政府武装勢力が活動しており、かつては中国共産党の分派のビルマ共産党の支援を受けてミャンマー政府軍と衝突を繰り返してきたが、ミャンマーが軍事政権になると中国からの支援が少なくなり、MNDAAとミャンマー政府軍の衝突も少なくなっていた。
しかし、最近再び関係が悪化し、ミャンマー軍は、中国側の地元政府がMNDAAに物資補給などの支援をしていると非難していた。そしてミャンマー軍のミグ29戦闘機が3月8日から数回にわたって中国側に越境して爆弾を投下した。とくに13日の爆撃では中国の農民5人が死亡、8人が重軽傷を負った。
中国側の厳しい抗議を受け、ミャンマー政府は中国と合同で調査を開始した。また、ミャンマー政府は越境攻撃を認めていないが、15日、「死傷者が出たことは遺憾だ」とする声明を発表した。
中国とミャンマー双方のソーシャルメディア(インターネットなど)は互いに非難しあっており、中国側にはコーカンを「中国のクリミア」と呼び、併合を叫ぶ声もあるそうだ。
ミャンマーと中国は伝統的に緊密な関係にあり、今後も中国にとって「海上のシルクロード」建設の関係でもミャンマーは重要な拠点である。今年の1月にはミャンマー経由のパイプラインが稼働し始めた。
ミャンマーと中国の関係が大きく変化しない限りMNDAAとミャンマー政府軍の対立は大規模な衝突に発展することはないと思われるが、ミャンマーの政治状況は大きく変化しつつある。とくに西側との関係緊密化傾向が影響を及ぼすことはないか注目される。ミャンマー軍はタイ中部で行われる数か国軍事合同演習Cobra Goldにオブザーバーとしてであるが、初めて招待された。日本の自衛隊も参加する。中国のメディアは盛んに関連の報道を行なっている。
ビルマ・中国国境での紛争
ビルマと中国との国境で紛争が起こっている。場所は、ミャンマー側のコーカン自治区と中国側の雲南省臨滄市の間である。コーカン自治区は昔から漢族が多く北京語(普通語)が公用語になっている。親族が国境を越えて暮らしているケースもあり、国境交易が盛んである。コーカン自治区では「ミャンマー国家民主主義同盟軍(MNDAA)」を名乗る反政府武装勢力が活動しており、かつては中国共産党の分派のビルマ共産党の支援を受けてミャンマー政府軍と衝突を繰り返してきたが、ミャンマーが軍事政権になると中国からの支援が少なくなり、MNDAAとミャンマー政府軍の衝突も少なくなっていた。
しかし、最近再び関係が悪化し、ミャンマー軍は、中国側の地元政府がMNDAAに物資補給などの支援をしていると非難していた。そしてミャンマー軍のミグ29戦闘機が3月8日から数回にわたって中国側に越境して爆弾を投下した。とくに13日の爆撃では中国の農民5人が死亡、8人が重軽傷を負った。
中国側の厳しい抗議を受け、ミャンマー政府は中国と合同で調査を開始した。また、ミャンマー政府は越境攻撃を認めていないが、15日、「死傷者が出たことは遺憾だ」とする声明を発表した。
中国とミャンマー双方のソーシャルメディア(インターネットなど)は互いに非難しあっており、中国側にはコーカンを「中国のクリミア」と呼び、併合を叫ぶ声もあるそうだ。
ミャンマーと中国は伝統的に緊密な関係にあり、今後も中国にとって「海上のシルクロード」建設の関係でもミャンマーは重要な拠点である。今年の1月にはミャンマー経由のパイプラインが稼働し始めた。
ミャンマーと中国の関係が大きく変化しない限りMNDAAとミャンマー政府軍の対立は大規模な衝突に発展することはないと思われるが、ミャンマーの政治状況は大きく変化しつつある。とくに西側との関係緊密化傾向が影響を及ぼすことはないか注目される。ミャンマー軍はタイ中部で行われる数か国軍事合同演習Cobra Goldにオブザーバーとしてであるが、初めて招待された。日本の自衛隊も参加する。中国のメディアは盛んに関連の報道を行なっている。
2015.03.24
リー元首相のご冥福をお祈りする。
リー・クアンユー・シンガポール元首相の死去
リー・クアンユー・シンガポール元首相は学生時代から3月23日に他界するまで、つねに傑出した人物であったことは世界中に知られている。私は2000年、瓦防衛庁長官(当時)がリー上級相に会見した際、お供の一人として同氏の偉大さを垣間見る機会があった。同氏は首相職を退いてからすでに10年経過していたが、アジアの政治状況を一分の緩みもなくフォローしていた。リー氏が日本に対して強い関心を抱いていたこともよく知られていたが、いわゆる「日本びいき」という情緒的なことでなく、アジア情勢の透徹した分析から論理的に導き出した結果として日本に強い期待を抱いていた。リー氏がかくしゃくとして、しかしそれをやさしい言葉で包んで語った光景は忘れられない。リー元首相のご冥福をお祈りする。
2015.03.23
多国間の安全保障としては、①紛争が継続している状況で活動する多国籍軍、および②休戦あるいは和平が成立している状況で行なわれる平和維持活動、の2種類の活動が主である。
与党が合意した共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」(以下「共同文書」)においては、①と②に加え、③「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」があるとし、この種の活動についても一定の条件の下に自衛隊が参加する道を開いている。多国籍軍についてはすでに論じたので、本稿では②と③の平和維持活動について論じる。
順序は逆になるが、③について、共同文書は自衛隊が参加する条件の一つとして「国連決議に基づくものであることまたは関連する国連決議などがあること」を掲げているが、この条件は具体的にどのような意味か分かりにくい。
まず、「国連決議に基づくもの」であるが、③は国連でない平和協力活動の場合であり、その場合に「国連決議に基づく」ことはありうるか。常識的にはないだろう。平たく言えば、国連決議があるのに国連でない平和協力活動などないと思われる。
共同文書は「国連決議に基づくもの」に続けて、「またはこれに関連する国連決議などがあること」を条件としている。これも分からない。「関連する」とは何に関連するのか不明である。「国連決議など」の「など」とは何か、これも不明である。
与党の中では説明があるのかもしれないが、国民にとっては、このように自衛隊が参加する条件という重要なことが不明確なままになっている。
あえて想像すれば、③は過激派組織「イスラム国」に対する空爆のような事態を指しているのかもしれない。空爆は、「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」に当てはまるからである。しかし、もしそうであれば、自衛隊がそもそも参加することを認めるべきかという基本的な問題があり、かりにそれを肯定するとしても、その条件は明確になっていなければならない。共同文書の記述ははなはだしく不明確であり、国民には不親切である。
一方、PKOについて共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」と述べている。これには原則賛成したい。
冒頭で①と②の区別として指摘したように、PKOは停戦あるいは和平の成立を前提として行なわれる業務である。かりに、停戦が崩れるとPKOは撤退する。実際にそのような例はある。停戦ないし和平を前提とするというPKOの基本的性格は維持されている。
しかるに、PKOへ自衛隊が参加する場合、武器の使用について制限を課していたのは、自衛隊は「自衛」の範囲を超えて武器を使用できないという立場であったからである。なぜ「自衛」に限っていたか。これを理解するには日本国憲法が成立していらいの経緯にそって自衛隊の在り方を見ていくのが便宜である。
憲法が制定された際、日本に「戦力」はまったくなかった。自衛隊らしきものは一切なかったのである。いわゆる絶対平和主義の時代である。しかし、数年後それはあまりに現実から遊離しており、日本国の防衛のためには武器を持つ部隊が必要であり、それは憲法においても禁じられていないという解釈となり、自衛隊が創設された(名称は変わったが、ここでは煩雑になるのでとくに言及しない)。
しかし当初は、自衛隊は海外へ派遣できないと解釈されていた。海外に出ると国際紛争に巻き込まれる恐れがあるからである。しかし、この解釈を厳格に維持することも現実に合わなかった。たとえば、航海訓練などで海外へ出ていくのはどの国でも当たり前のことである。とくに問題になったのはPKOであり、1990年の湾岸戦争を契機に日本はPKO法を成立させ自衛隊などが国連PKOに参加する道を開いた。その限りにおいてはいわゆる「海外派兵」は可能となった。
しかし、そうなっても自衛隊は「自衛」しかできないという方針は変わらなかった。自衛隊員が武器を使用できるのは自らを守るためだけであり、他国の部隊が危険にさらされても武器は使用できない。つまり、憲法下で厳禁されている「武力の行使」が例外的に許されるのは「自衛」の場合だけだという立場は変わらなかったのである。
(日本では「武器の使用」と「武力の行使」は区別されているが、これも煩雑なことになるので、本稿では同じ意味とみなし、文脈次第で使い分けている。)
現在もその解釈は変わっていない。2014年7月の閣議決定が集団的自衛権を行使できる道を開いた際、憲法解釈が変わったと評されたが、日本国憲法は「自衛」の場合に限り武力を行使できるという解釈は放棄しなかった。
具体的には、集団的自衛権が必要となる他国に対する攻撃であっても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」は、「あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される」と記載した。外国が攻撃された場合に防衛に協力するという国際間の問題を、「自衛」という日本国憲法のふるいにかけたのである。
そうすることは憲法擁護、憲法解釈の一貫性の観点から積極的に評価される面があったが、集団的自衛権の行使という国際間の問題を、「自衛」という我が国の問題に転換させることに他ならず、不可能を可能にするくらい困難な離れ業であった。
共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」とだけ記載した。今まで「自衛」でないからという理由でできなかった範囲の武力行使ができるようになる、と読める。たとえば他国のPKO部隊が危険な状態に陥った場合、それを助けることは「自衛」でないからわが自衛隊はできないと解してきたが、共同文書によればそれができるようになるようである。そうなると、憲法違反の問題が出てくるはずであるが、共同文書はどのような理屈を考えているのか何も説明していない。
ここでもう一度、PKOは紛争が終了したことを前提に成立していることを想起してもらいたい。従来自衛隊がこれに参加する場合も、「自衛」の範囲内ということで自衛隊員の生命を守るためにしか武器を使用できないというのが日本の立場であったが、PKOという国際の場で「自衛」に徹することはそもそも無理ではなかったか。国際社会における我が国の責任を果たすためにPKOへの参加を認めざるをえなくなったが、憲法の解釈を変えるわけにはいかないという制約のために、国際社会でも我が国の論理を貫いたのであり、やむをえず採用した方便であったと思われる。しかし、その方便には限界があり、「自衛隊員は隊員自身の生命を守るためだけに武力を行使できる」という非国際的な結論にならざるをえなかった。
このように従来は憲法の武力行使禁止の例外はつねに「自衛」の例外で見てきたが、国際的観点から憲法を見なおしてみると、PKOへの参加は「自衛」であるか否かにかかわらず日本国憲法に反しないと見ることが可能である。すなわち、憲法が禁止しているのは国際紛争を解決する手段としての武力行使であり、国際紛争が終了しているPKOにおいては、日本が国際紛争に巻き込まれることはそもそもありえない。したがって、PKOは憲法の禁止に当てはまらない事態として憲法解釈を再構築することが可能であると考える。
もちろん、日本国憲法が武力の行使を禁止し、また戦力を持たないこととしてきたこと、その下で現実の事態に照らして「自衛」だけは憲法に触れないという解釈を導き出してきたことは我が国の戦後の歴史において重要なことであった。しかしながら、「自衛」には限界があることがますますはっきりしつつある今日、「自衛」論にこだわるべきでない。一方、日本国憲法を再度読み直してみれば、国際紛争に巻き込まれる危険がないPKOでは憲法の禁止に触れないと解釈できるし、それは自然な解釈である。その場合、「自衛」論がなくなるわけではない。自衛隊はあくまで「自衛」の範囲内で活動する。しかし、それと同時に、自衛隊は海外でPKOなどに参加し、必要に応じて武器を使用する。それが憲法に触れないことはPKOの本来的性格である「紛争がない状態である」ことにより担保されている。
さらに、PKOにおいては、国連決議は必ず存在し、決議のないPKOはない。このことも重要なことである。多国籍軍の場合、国連決議の存在を絶対の条件とすれば、米国から100点満点をもらえないだろうことは3月15日に述べたが、PKOの場合はそのような問題もない。
多国籍軍とPKOを通じて、国連決議の存在を条件とすることは日本国憲法の国際紛争に巻き込まれることの厳禁にもっともよく調和する。また、憲法を離れても、国連決議が成立しないのは各国の意見が割れているからであり、そのような場合には我が国はとくに注意し、自制してよいのではないか。何もしないというのではない。意見が割れている場合には武器行使につながることはしないということである。
日本では「歯止め」の有無がよく問題になる。もちろんこれは重要なことであるが、国際的に理解されるかと言えば、疑問がある。「国際貢献は自衛の範囲内に限る」も「集団的自衛権の行使はできるが自衛の範囲内である」も国際的には分かりにくい。表現は若干簡略化したが、閣議決定、あるいは共同文書の文言をそのまま使っても各国には分かってもらえないどころか、ますます分かりにくくなるだろう。このような観点から見ても「自衛」だけで自衛隊の行動を律することは限界にきていると考える。
安保関連の法律を整備するにあたって、「自衛」を貫くのがよいか、それとも「国際紛争に巻き込まれない」という柱を立てて行くのがよいか再検討すべき時が来ている。
安保法制‐「自衛」か「紛争に巻き込まれない」か
(この文章を読まれる方は3月15日の「安全保障関連法案‐国連決議を条件にするべきだ」も参照されることをお薦めします。)多国間の安全保障としては、①紛争が継続している状況で活動する多国籍軍、および②休戦あるいは和平が成立している状況で行なわれる平和維持活動、の2種類の活動が主である。
与党が合意した共同文書「安全保障法制整備の具体的な方向性について」(以下「共同文書」)においては、①と②に加え、③「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」があるとし、この種の活動についても一定の条件の下に自衛隊が参加する道を開いている。多国籍軍についてはすでに論じたので、本稿では②と③の平和維持活動について論じる。
順序は逆になるが、③について、共同文書は自衛隊が参加する条件の一つとして「国連決議に基づくものであることまたは関連する国連決議などがあること」を掲げているが、この条件は具体的にどのような意味か分かりにくい。
まず、「国連決議に基づくもの」であるが、③は国連でない平和協力活動の場合であり、その場合に「国連決議に基づく」ことはありうるか。常識的にはないだろう。平たく言えば、国連決議があるのに国連でない平和協力活動などないと思われる。
共同文書は「国連決議に基づくもの」に続けて、「またはこれに関連する国連決議などがあること」を条件としている。これも分からない。「関連する」とは何に関連するのか不明である。「国連決議など」の「など」とは何か、これも不明である。
与党の中では説明があるのかもしれないが、国民にとっては、このように自衛隊が参加する条件という重要なことが不明確なままになっている。
あえて想像すれば、③は過激派組織「イスラム国」に対する空爆のような事態を指しているのかもしれない。空爆は、「国連が統括しない人道復興支援活動や安全確保活動などの国際的な平和協力活動」に当てはまるからである。しかし、もしそうであれば、自衛隊がそもそも参加することを認めるべきかという基本的な問題があり、かりにそれを肯定するとしても、その条件は明確になっていなければならない。共同文書の記述ははなはだしく不明確であり、国民には不親切である。
一方、PKOについて共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」と述べている。これには原則賛成したい。
冒頭で①と②の区別として指摘したように、PKOは停戦あるいは和平の成立を前提として行なわれる業務である。かりに、停戦が崩れるとPKOは撤退する。実際にそのような例はある。停戦ないし和平を前提とするというPKOの基本的性格は維持されている。
しかるに、PKOへ自衛隊が参加する場合、武器の使用について制限を課していたのは、自衛隊は「自衛」の範囲を超えて武器を使用できないという立場であったからである。なぜ「自衛」に限っていたか。これを理解するには日本国憲法が成立していらいの経緯にそって自衛隊の在り方を見ていくのが便宜である。
憲法が制定された際、日本に「戦力」はまったくなかった。自衛隊らしきものは一切なかったのである。いわゆる絶対平和主義の時代である。しかし、数年後それはあまりに現実から遊離しており、日本国の防衛のためには武器を持つ部隊が必要であり、それは憲法においても禁じられていないという解釈となり、自衛隊が創設された(名称は変わったが、ここでは煩雑になるのでとくに言及しない)。
しかし当初は、自衛隊は海外へ派遣できないと解釈されていた。海外に出ると国際紛争に巻き込まれる恐れがあるからである。しかし、この解釈を厳格に維持することも現実に合わなかった。たとえば、航海訓練などで海外へ出ていくのはどの国でも当たり前のことである。とくに問題になったのはPKOであり、1990年の湾岸戦争を契機に日本はPKO法を成立させ自衛隊などが国連PKOに参加する道を開いた。その限りにおいてはいわゆる「海外派兵」は可能となった。
しかし、そうなっても自衛隊は「自衛」しかできないという方針は変わらなかった。自衛隊員が武器を使用できるのは自らを守るためだけであり、他国の部隊が危険にさらされても武器は使用できない。つまり、憲法下で厳禁されている「武力の行使」が例外的に許されるのは「自衛」の場合だけだという立場は変わらなかったのである。
(日本では「武器の使用」と「武力の行使」は区別されているが、これも煩雑なことになるので、本稿では同じ意味とみなし、文脈次第で使い分けている。)
現在もその解釈は変わっていない。2014年7月の閣議決定が集団的自衛権を行使できる道を開いた際、憲法解釈が変わったと評されたが、日本国憲法は「自衛」の場合に限り武力を行使できるという解釈は放棄しなかった。
具体的には、集団的自衛権が必要となる他国に対する攻撃であっても、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」は、「あくまでも我が国の存立を全うし、国民を守るため、すなわち、我が国を防衛するためのやむを得ない自衛の措置として初めて許容される」と記載した。外国が攻撃された場合に防衛に協力するという国際間の問題を、「自衛」という日本国憲法のふるいにかけたのである。
そうすることは憲法擁護、憲法解釈の一貫性の観点から積極的に評価される面があったが、集団的自衛権の行使という国際間の問題を、「自衛」という我が国の問題に転換させることに他ならず、不可能を可能にするくらい困難な離れ業であった。
共同文書は、「国連PKOにおいて実施できる業務の拡大および業務の実施に必要な武器使用権限の見直しを行なう」とだけ記載した。今まで「自衛」でないからという理由でできなかった範囲の武力行使ができるようになる、と読める。たとえば他国のPKO部隊が危険な状態に陥った場合、それを助けることは「自衛」でないからわが自衛隊はできないと解してきたが、共同文書によればそれができるようになるようである。そうなると、憲法違反の問題が出てくるはずであるが、共同文書はどのような理屈を考えているのか何も説明していない。
ここでもう一度、PKOは紛争が終了したことを前提に成立していることを想起してもらいたい。従来自衛隊がこれに参加する場合も、「自衛」の範囲内ということで自衛隊員の生命を守るためにしか武器を使用できないというのが日本の立場であったが、PKOという国際の場で「自衛」に徹することはそもそも無理ではなかったか。国際社会における我が国の責任を果たすためにPKOへの参加を認めざるをえなくなったが、憲法の解釈を変えるわけにはいかないという制約のために、国際社会でも我が国の論理を貫いたのであり、やむをえず採用した方便であったと思われる。しかし、その方便には限界があり、「自衛隊員は隊員自身の生命を守るためだけに武力を行使できる」という非国際的な結論にならざるをえなかった。
このように従来は憲法の武力行使禁止の例外はつねに「自衛」の例外で見てきたが、国際的観点から憲法を見なおしてみると、PKOへの参加は「自衛」であるか否かにかかわらず日本国憲法に反しないと見ることが可能である。すなわち、憲法が禁止しているのは国際紛争を解決する手段としての武力行使であり、国際紛争が終了しているPKOにおいては、日本が国際紛争に巻き込まれることはそもそもありえない。したがって、PKOは憲法の禁止に当てはまらない事態として憲法解釈を再構築することが可能であると考える。
もちろん、日本国憲法が武力の行使を禁止し、また戦力を持たないこととしてきたこと、その下で現実の事態に照らして「自衛」だけは憲法に触れないという解釈を導き出してきたことは我が国の戦後の歴史において重要なことであった。しかしながら、「自衛」には限界があることがますますはっきりしつつある今日、「自衛」論にこだわるべきでない。一方、日本国憲法を再度読み直してみれば、国際紛争に巻き込まれる危険がないPKOでは憲法の禁止に触れないと解釈できるし、それは自然な解釈である。その場合、「自衛」論がなくなるわけではない。自衛隊はあくまで「自衛」の範囲内で活動する。しかし、それと同時に、自衛隊は海外でPKOなどに参加し、必要に応じて武器を使用する。それが憲法に触れないことはPKOの本来的性格である「紛争がない状態である」ことにより担保されている。
さらに、PKOにおいては、国連決議は必ず存在し、決議のないPKOはない。このことも重要なことである。多国籍軍の場合、国連決議の存在を絶対の条件とすれば、米国から100点満点をもらえないだろうことは3月15日に述べたが、PKOの場合はそのような問題もない。
多国籍軍とPKOを通じて、国連決議の存在を条件とすることは日本国憲法の国際紛争に巻き込まれることの厳禁にもっともよく調和する。また、憲法を離れても、国連決議が成立しないのは各国の意見が割れているからであり、そのような場合には我が国はとくに注意し、自制してよいのではないか。何もしないというのではない。意見が割れている場合には武器行使につながることはしないということである。
日本では「歯止め」の有無がよく問題になる。もちろんこれは重要なことであるが、国際的に理解されるかと言えば、疑問がある。「国際貢献は自衛の範囲内に限る」も「集団的自衛権の行使はできるが自衛の範囲内である」も国際的には分かりにくい。表現は若干簡略化したが、閣議決定、あるいは共同文書の文言をそのまま使っても各国には分かってもらえないどころか、ますます分かりにくくなるだろう。このような観点から見ても「自衛」だけで自衛隊の行動を律することは限界にきていると考える。
安保関連の法律を整備するにあたって、「自衛」を貫くのがよいか、それとも「国際紛争に巻き込まれない」という柱を立てて行くのがよいか再検討すべき時が来ている。
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