平和外交研究所

2016 - 平和外交研究所 - Page 27

2016.07.14

南シナ海に関する仲裁判決

 フィリピンが申し立てていたスプラトリー諸島(中国名「南沙諸島」)などにおける中国との紛争について7月12日、仲裁裁判の判決が公表された。その最重要点は、中国によるいわゆる「九段線」主張、すなわち南シナ海のほぼ全域について中国は歴史的権利を有するという主張について、「歴史的権利、その他主権あるいは管轄権を有するとの中国の主張は海洋法条約に反しており、また、同条約に優先しない」と断定したこと、つまり、中国の主張は根拠がないと断じたことだ。
 さらに判決は、20世紀の末以来フィリピンと中国が争っているスカーボロー礁(中国名「黄岩岛、民主礁」)、および中国が埋め立てと飛行場などの建設工事をしているスプラトリー諸島について次の趣旨の判断を下した。
○これらの岩礁はいずれも海洋法上の「低潮高地(注 低潮時にだけ海面に姿を現す岩礁)」や「岩」である。
○これらの岩礁を基点として排他的経済水域(EEZ)や大陸棚の主張はできない。
○一部の岩礁はフィリピンのEEZの範囲内にある。
○中国による人工島の建設は、軍事活動ではないが違法である。
○中国がフィリピンの漁船などの活動を妨害したのも違法だ。
○スカーボロー礁で、中国の艦船は違法な行動によりフィリピンの艦船を危険にさらした。

 中国の主張は全面的に退けられたのだが、今次裁判結果について中国外務省は12日、あらためて「無効で拘束力はなく、受け入れず認めない」との声明を発した。また、翌13日には、南シナ海に関する白書を発表し、中国は歴史的権利を持つことを繰り返した。
 中国は裁判を拒否したが、フィリピンが提起した裁判の当事者であることに変わりはなく、したがって、裁判の決定に拘束される。これは海洋法条約に定められていることだ。
 しかし、中国は口汚く判決を非難し、従来からの一方的主張を繰り返している。冷静な態度とはとても思われないが、中国はあらかじめ判決内容を予想し対応策を検討し、決定したのだろう。判決の翌日に白書を発表したことにそのような状況がうかがわれる。
 
 今回の裁判結果は、実際には、中国に強烈な衝撃となるだろう。南シナ海、東シナ海および台湾について最も強硬な主張を行い、スプラトリー諸島(南沙諸島)で一方的な行動をとっているのは軍であり、今次判決に対し強烈な不満を覚えているはずだ。
 これに対し、中国を世界の大国にまで押し上げ、米国との関係強化も必要な習近平政権としては軍の行動を抑えたいところが、軍は中国国内の安定を維持するためのかなめであり、抑制するのは極めて困難だ。今般の裁判結果は、この困難な状況にさらに強烈な楔を撃ち込むものだと思う。もちろん中国として、今般の裁判結果を、中国が国際化し、合理的な対応をできるように変化する契機にするならば、この楔は建設的な刺激となるが、そうなれるだろうか、疑問はぬぐえない。
 しかし、中国がどんなに怒り狂っても今般の裁判結果は変わらない。中国はフィリピンとの対話により問題を解決するとの方針を示している。そのこと自体は歓迎できるが、フィリピンとの対話をもってしても判決を変えることは不可能だ。
 仲裁裁判の判決はじわじわと、ボディーブローのように効いてくるだろう。とくに、今次判決の意味するところは南シナ海に限らない。判決が明言したことは、根拠のないことは国際法的に認められないということである。しかるに中国は東シナ海(尖閣諸島)や台湾についても十分な法的根拠は示せないまま「歴史的権利」を主張している。これらが国際裁判で取り上げられると、今回と同様「国際法的根拠がない」と判断される可能性が高い。この観点はまだ広く議論されるに至っていないが、いずれ浮上してくるのではないか。

 一方、フィリピンにとっては全面勝訴となったので裁判結果に満足しているだろうが、フィリピンのスカーボロー礁やスプラトリー諸島に対する領有権が認められたのではない。そもそも今次裁判でフィリピンはそのようなことを求めたのではなかった。つまり、今般の判決は、これらの岩礁の領有権について判断したのではなく、中国の主張と行動の当否を判断したのである。
 南シナ海の島や岩礁の帰属は複雑な問題だ。国際法的には、日本がサンフランシスコ平和条約でスプラトリー諸島に対する権利を放棄した(第2条f項)後、その帰属は未決定になっているという問題も絡んでいる。今回の裁判の決定は出たが、南シナ海の大部分の法的地位は未定と見るべきだ。
 今次裁判結果に中国は不満であるが、南シナ海の法的地位が未定である限り中国としても建設的に対応する余地がある。この地域の島や岩礁の帰属を決定するために今後協議をするのは当然だ。幸い、中国もフィリピンも今後話し合いをする姿勢を示している。中国はさらに一歩を進めて、今般の裁判結果を受け入れつつ、話し合いを進めることが可能なはずである。

末尾に諸岩礁の英語名と中国語名、および今次裁判の裁判官を掲げておく。
(中国が支配)
Scarborough Shoal, Scarborough Reef-黄岩岛、民主礁
Fiery Cross Reef-永暑礁
Cuarteron Reef-華陽礁
Mischief Reef-美済礁
Hugh Reef-東門礁
Johnson South Reef-赤瓜礁
Gaven Reefs-南薫礁
(フィリピンが支配)
Second Thomas Shoal-仁愛礁
(台湾が支配)
Itu Aba Island-太平島

(裁判官)
Judge Thomas A. Mensah (President) ガーナ
Judge Jean-Pierre Cot 仏
Judge Stanislaw Pawlak ポーランド
Professor Alfred H. Soonsオランダ
Judge Rüdiger Wolfrum独
2016.07.12

核不拡散をめぐるインド、中国および米国の関係

 核不拡散体制の一環として「原子力供給国グループ」(NSG、48カ国が参加)がある。インドが1974年に核爆発を行ったことが契機となり、核分裂性物質および原子力関係の資機材が核兵器の開発・製造に利用されることを防ぐためその輸出に関する条件について調整することを目的に1978年設置されたものだ。
 インドはこの核爆発、さらに1998年の核実験を経て核兵器を保有することになり、「核保有国」の資格で核不拡散条約(NPT)への参加を希望してきたがそれは実現しないまま今日に至っている。NPTは「核保有国」を米国、ロシア、英国、フランスおよび中国の5カ国に限定しているので新しい核保有国を受け入れることは条約に反して核拡散を認めることになる。つまり、NPT自身の自己否定となるからだ。
 一方、NSGの参加国はすべてNPTのメンバーであるが、最近、インドの核管理体制の改善が評価され、NPTに迎え入れるのは無理としてもNSGには参加を認めてよいのではないかという考えが強くなってきた。特に米国がその代表格であり、日本など慎重な国にも認めるよう働きかけてきた経緯がある。
 そして今年のNSGソウル総会でインドは参加を希望し、米国はもとより、日本を含む大多数の国は認めてもよいという態度であったが、少数の国が反対したためインドの参加は実現しないまま6月24日閉会となった。実質的には中国だけの反対だったと言われている。
 
 NSGで起こったことは、インド、中国および米国の三者関係でも興味深い。
 インドと中国は最近関係を強化しており、モディ・インド首相と習近平中国主席の相互訪問、アジアインフラ投資銀行(AIIB)やBRICs銀行などでの協力関係の強化は世界的に注目を集めている。
 一方、インドと中国はライバル関係にもあり、中国のインド洋への進出をインドは強く警戒している。中国に協力的なスリランカに原潜の寄港を認めたと抗議しているくらいだ。
 また、モディ首相は日本や米国との関係強化にも力を入れており、それは中国が警戒することである。
 NSGでの出来事の背景にはそのような複雑な印中関係があることを考慮に入れておく必要がある。今次総会でインドの参加が中国の反対で認められなかったことについて、インド側では当然失望の声が上がっているが、中国がインドに敵対したのではないことは分かっている。中国の反対は、米国が主導的にNPT体制のアウトサイダーであるインドをNSGに参加させようとしていることに原因があること、要するに、中国は米国の好きなようにはさせないとしていることについては理解があるようだ。
 なお、中国にとっては、年来の友好国であるパキスタンをインドと同様に扱ってほしいという気持ちもある。しかし、パキスタンのNSG参加については消極的な国が多い。
 
 今回のソウル総会でインドのNSG参加が否定されたのではなく、先送りであった。次回の総会以前に臨時特別総会を開く可能性もあるそうだ。

2016.07.11

憲法改正の論点①

 私は憲法を改正できないとは考えない。改正すべきところは改正したい。頻繁な改正で有名なスイスの憲法について一冊の本を出版したこともある(『スイス 歴史が生んだ異色の憲法』)。
 しかし、改正内容について十分な議論なく、ただ国会における数の力で改正をすべきではない。特定秘密保護法や安保関連法改正の場合のようにろくに審議されずに成立させられてはならない。後者の場合に、審議にかけた時間をもって十分議論したという主張があったが、改正の重要点について問題点を掘り下げる審議はなさけないほど乏しかった。改正案の内容とまるで違う内容の答弁も繰り返し行われた。
 
 自民党の改正案は具体的な問題点を検討するのに便利だ。今後何回かにわたって指摘していきたい。

自民党改正案前文

疑問と問題点
○「日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。」について。
 「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り」とあるが、たとえば、イラク戦争の際の自衛隊の行動について、日本の判断は間違いであった、日本は米英と同様過ちを認める勇気を持つべきだという意見がある(当研究所HP 2016.07.08 「イラク戦争参加に関する英国の反省」)。このような意見が妥当か否かについては異なる考えがありうるが、日本政府の過去の行動を批判することは、「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る」ことに反しているとして排除されたり、抑圧されたりする恐れはないか。
 「和を尊び」についてはさらにその疑問が強い。「和を尊ぶ」ことは文化的伝統であり、自然にふるまう中で日本人の特徴としてあらわれることだ。しかし、それを法的規範として援用すべきでない。日本の歴史において、「和を尊び」つつ、少数意見が述べられ、それが尊重されたことはいくらもある。それを上からの目線で「和を尊ぶ」とか、尊んでいないなどというべきことでないし、日本人は「和を尊ぶ」ことをそのように扱ってきていない。
 しかも、今は民主主義の時代だ。少数意見であってもそれなりに耳を傾けなければならない。議論を尽くした結果、多数決で決定しなければならないことはあるが、それは「和を尊ぶ」ためでなく、民主主義のルール(の一つ)として国民が受け入れているからだ。
 さらに「国と郷土を誇りと気概を持って自ら守る」ことや「和を尊ぶ」ことに反していないか判断するのはだれか。時の政府、権力者ではないか。それが保守政権であれ、革新政権であれ、恣意的な解釈が権力を背景に国民に押し付けられる危険がある。
 日本文化については、改正案前文の冒頭の、「日 本 国 は 、 長 い 歴 史 と 固 有の 文 化 を 持 ち 」で十分であり、それ以上言及すべきでない。

○「象徴天皇制は、これを維持する」という表現、とくに「維持する」は弱い。それとも維持する、あるいは維持しないは選択肢として改正案は考えているのか。そんな言葉の問題ではないのではないか。改正案前文の冒頭の「国 民 統 合 の 象 徴 で あ る天 皇 を 戴 く 国 家 で あ る」をかえって弱めている。

○「美 し い 国 土 と 自 然 環 境 を 守 り つ つ」より「国土と自然環境を守りつつ」のほうがよい。「美しい」というのは一種の自己満足であり、幼稚に聞こえる。後者のほうが重々しいからだ。

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