平和外交研究所

2015 - 平和外交研究所 - Page 61

2015.02.03

反腐敗運動と「紅色家族」

 反腐敗運動はますます激しくなっている感がある。周永康元政治局常務委員、徐才厚元中央軍事委員会副主席、令計画元中央弁公庁主任など大物については昨年中に処分が決定し一段落したが、習近平政権はその後も運動を緩めない。本HPでは、今年になってからすでに2回書いたが(それぞれ1月7日、24日)、それでも足りない。

 江沢民元国家主席へも運動の影響が及ぶか、まだ明確になっていないが、その側近には取り締まりの対象となる者が出ており、周永康もその一人である。江沢民の軍内の秘書であった賈廷安上將も1月23日、中央規律検査委員会によって連行された。同人は軍人であるので、軍の規律検査委員会が扱うべきであるという声が軍内で出ている。中央規律検査委員会と軍の規律検査委員会とのライバル関係については、1月24日の当HP記事を参照願いたい。
 江沢民の子である江綿恒は、中国科学院上海分院長の職を解任された。定年が理由とされているが、中国では次官クラスは60歳、大臣クラスは65歳が定年であり、江綿恒は今年の4月で64歳になる。同人はどちらのクラスであれ、この時点で解任されるのは異常である。ただし、上海科学技術大学の学長だけは保持している。
 李鵬元首相の子、李小鹏についてもうわさが絶えない。同人は電力畑出身であり、山西省長であったが、最近の人事で、「山西省人民政府の活動全般を指導する」こととなった。これは降格であると見られている。このことを報じたインターネットのサイトはすぐに閉鎖された。電力事業についてはかねてから改革の必要性が叫ばれていたが、進捗していない。なぜうまくいかないのか江沢民自身が問い詰めたこともあったが、明確な答えは得られなかったと言われている。電力関係部署の病巣は根が深そうである。
 一方、習近平の反腐敗運動は、いわゆる「紅色家族(中国革命の功労者の家族)」や「紅二代(功労者の子)」には追及が甘いことを示唆する意見が出始めている。『紅旗文稿』2015年第二期の「2014年思想理論領域的九大熱點問題」は、反腐敗運動の深化にともない、この運動は「政治闘争である」という議論が出てきていることを指摘している。

 「安邦保険」は約10年前に設立された新しい会社であるが、急成長し、すでに中国最大の保険会社となっている。保険業務自体はとくに優れているわけでないが、相次ぐ吸収合併で巨大化しており、ニューヨークの超有名なホテル「ウォルドーフ・アストリア」を買収して世間の耳目を集めた。このような急成長ができたのは、典型的な「紅二代」である陳小魯(中国革命の功労者である陳毅元帥の子)がいるからである。
「安邦保険」を牛耳っているのは陳小魯と現在のCEOの呉小暉であり、呉小暉は鄧小平の孫娘、鄧卓苒の前夫である。卓苒は親族と協議して「安邦保険」関係の株をすべて手放したが、そうしたのは2ヵ月目にもならない2014年12月であった。このようなことから、中国では鄧小平の親族と「安邦保険」との関係が話題になっている。
 この保険会社の大株主は「民生銀行」であり、この銀行も後述するように反腐敗運動の対象となっており、これらを含めた汚職の構造はかなり複雑なようだ。
「安邦保険」も「民生銀行」も私営企業であるが、共産党の組織があるらしく、共産党員の汚職とは無縁というわけにはいかないようである。
 
 反腐敗運動の影響は社会生活にも及んでいる。昨年の大晦日、上海のバンド(陳毅広場)で群衆が押しかけ多数の死傷者が出る事故が起こったが、この時、所轄の警察署員は付近の高級レストランで宴会中であったので対応が遅れ、世間の厳しい批判にさらされた。身分を隠して取材していた記者が見破られ、殴打されたこともあった。すでに14人の警察官が職務停止などの処分を受けているが、上海市の規律検査委員会はこの事件を重視し、調査しようとしている。
 最近の反腐敗運動のあおりを受けて高級レストランの収入が減少しており、五つ星の(最高級)レストランの中にも破産するところが出ている。
 取り締まりが厳しくなったので、自殺が増えている。昨年11月、海軍の政治委員馬発祥が取り調べを受けることとなって投身自殺した。習近平は海軍のハイレベルでもそのような問題が起こっていることなど想像もしていなかったと言ったそうである。
 多くの地方政府・単位では第18回党大会以降の「非正常死亡」の党員幹部の統計を作成するよう指示が出されており、そのなかには基本的事実関係のほか、死亡原因、自殺か他殺か、工場での事故、交通事故、医療事故、火災など死亡の態様などの説明も求められている。
 
 最後に、次官クラス以上で次のような者が取り調べを受け、あるいは降格された(網羅的でない)と報道されている。
元雲南省書記 白恩培
海南省書記 蒋定之(江蘇省のナンバー2に降格)
元南京市書記 楊衛澤
軍総政治部副主任 贾廷安
元海軍副司令員 王守業
廣州市政協原副主席 潘勝燊
陽江市政治協商会議主席 偉麗坤
国家安全部副部長 馬建
中央弁公庁秘書局局长 霍克
中央対外宣伝弁公室五局副局長 高剣雲
民生銀行行長 毛暁峰(民生銀行は私営企業であるが、共産党の組織があり、毛はその書記であった。同銀行内には毛の他にも調査の対象になっているものが数名いる。)
2015.01.31

戦勝記念に関する中国とロシアの違い

第二次大戦で勝った連合国が戦勝記念の行事をどのように行うか、負けた側としては興味のないことであるが、今年は第二次世界大戦が終わって70年という節目であり、注目すべき問題が起こっている。
戦勝記念と言ってもドイツに対するのと、日本に対するのとは分けなければならない。また、どの国が記念行事を行なうかも区別して見なければならない。
ドイツとの戦争については、欧米とロシアはともに連合国であったが、戦勝行事は食い違っている。まず、ドイツ軍が降伏した日付について西側とロシアとの間で齟齬があり、西側は5月8日をVE day(V day in Europe)としているが、ロシアは5月9日としている。この日付のずれも問題であるが、本稿では深入りしない。日付よりもっと大きな違いは、西側諸国は、英国の特殊な例を除いて、ドイツの降伏記念日に特別の祝賀行事を行なっていないことである。西側が重視するのはノルマンディー上陸が行なわれた6月6日(1944年)であり、これはD dayと呼ばれている。2014年にはその70周年を大々的に祝賀した。
一方、ロシアや東欧諸国など旧共産圏諸国は5月9日に対独戦勝記念行事を軍事パレード付きで派手に行なってきた。旧ソ連の崩壊後90年代は控えめになったが、プーチン大統領は大規模な祝賀行事を復活させた。ロシアとしてはドイツを降伏させるのに主要な役割を果たしたのはソ連であったという認識が強く、そのことを想起できる毎年の対独戦勝記念行事は重要なものである。しかし、西側諸国の首脳は、ソ連が対独戦で重要な役割を果たしたことは認めるが、ロシアが主要な役割を果たしたとは考えていない。
このようなずれは冷戦の影響で必要以上に大きくなった。西側がD dayを重視するのは、ソ連がノルマンディー上陸作戦に関係なかったからであるが、冷戦中はソ連に協力したくないという気持ちが強く働いていたことも看過できない要因であったと思われる。
しかし、冷戦が終わった現在、戦争に参加したか否かはあまり重要なことでなくなっており、行事開催国の政治的判断で参加の招待が行われるようになっている。プーチン大統領は2014年のD day式典に参加した。
日本との戦争については、9月2日に日本と連合国が降伏文書に署名したので、西側諸国はその日をVJ day(V day against Japan)としている。2005年の戦争終結60周年には米国の首都ワシントンで記念行事が開かれた。
一方、中国は9月3日に記念行事を行なっている。1日ずれている理由はよく分からないが、当時の中国代表であった国民党政府が降伏文書署名の翌日から祝賀行事を始めたからだとも言われている。

前置きが長くなったが、今年の5月9日、ロシアで行なわれる対独戦勝70周年記念行事にどの国が出席するか。ロシアとしては盛大に開催したいので各国に招待状を送っているが、西側諸国の首脳は上述の経緯からして出席せず、下位のレベルの出席にとどめるだろうと推測される。いずれにしても、西側諸国の出席はもはや大きな問題でなくなっている。
中国はドイツと戦争していないので、出席しても客分としてのはずだが、中国の習近平主席が出席するか否かは重要な問題になっており、1月21日、ラブロフ外相は記者会見で、習近平主席が出席すると公表した。その時中国側ではまだ何も発表していなかったので、先にロシア側が発表したことを不愉快に思ったらしい。翌日、中国外交部のスポークスマンは、「中ロ双方は両国の指導者がお互いに記念慶祝活動に出席すべきか検討中である」と冷たく答えただけであった。
中ロ両国は、5月9日の対独戦勝記念(ロシアで開催)と9月3日の対日戦勝記念(中国で開催)式典に首脳がクロスして、つまり、ロシアでの記念式典には習近平主席が、中国での式典にはプーチン大統領が出席することを検討してきたのであるが、このことについて中ロ両国の思惑は一致していない。ロシアとしては当面の問題である5月9日の式典を大々的に挙行できればよいという考えであるが、中国は2つの記念日を結びつけて見ている。
香港の中国系紙『文匯報』の1月27日付報道は中国が主催する行事に焦点を当て(中国系紙として当然)、
○ロシア側から、9月3日の北京で行われる大閲兵式典にプーチン大統領が出席することの確認を得た。
○式典で行進する北京軍区部隊、武装警察などはすでに北京郊外で準備を開始している。
○これまでは抗日戦争勝利記念日に閲兵行進は行われなかったが、今後は常態化する可能性がある。
○10年前、中国政府は、ロシアと同様閲兵行進をしないのか、台湾の代表を招待しないのか、などの質問に対して明確な説明をしなかった。その後、中国は実力をつけ、国際的地位も高くなった。大規模な閲兵行進は国民の期待に応えることになる。

などと同時に、習近平主席は、「将来、反独ファシズム・反日軍国主義戦勝記念活動を中ロ共同で開催することを希望する」と述べたと報道している。
 習近平主席がこのような構想を持つに至った背景には、中国は対日戦争勝利記念を大々的に祝賀したいのはやまやまであるが、それには一種の躊躇があったからではないかと思われる。日本との降伏文書に署名したのは、中華民国政府の代表である徐永昌大将であり、共産党軍の代表の姿はその場になかったので、大きく祝賀すればするほど国民党軍に焦点を当てることとなるからである。ちなみに、台湾では、ロシアが招待すべきは台湾(中華民国)であると今でも言っている。
2つの記念活動を中ロ共同で開催することになれば、この問題は薄められると同時に、中国は日本と戦争しただけでなく世界的な規模で戦争をしたという印象を植え付けられるという期待感もあるのではないか。これは中国の「大国化」願望にマッチする。
昨年12月13日、中国は、それまで江蘇省や南京市が中心となって催してきた南京事件記念式典を、今年から「国家哀悼日」として政府による主催に格上げした。中国は、日本との戦争だけでなく、世界大戦をも政治的に利用しようとする姿勢が顕著である。
一方、ロシアが中国首脳の出席の発表についてフライイングしたのはそれだけ重要なことだったからであろう。そのことを離れても、ロシアに中国のような戦勝記念を政治的に利用しようという積極的な姿勢はあるだろうか。プーチン大統領は1月27日のアウシュビッツ解放70周年記念式典に欠席した。解放したのはソ連軍であり、ロシアにとっては人道的かつ英雄的行為をプレーアップするまたとない機会であるのも関わらず欠席したのである。そうした理由は、ウクライナ問題でロシアに強く批判的で制裁措置まで取っている米欧の首脳と顔を合わせたくなかったからであると言われている。他にも理由があるかもしれないが、ロシアはまたとない重要な機会を自ら放棄せざるをえないほど困難な状況にあるということではないか。このようなロシアの状況は中国と比べて受け身であり、防御的であり、そこには中ロ両国の勢いの違いが表れているように思えてならない。

なお、ロシア政府の広報官によれば、5月9日の式典に参加する外国首脳のなかに「北朝鮮のトップ」も含まれているので、金正恩第1書記が出席するのであろう。
一方、韓国の朴槿恵大統領については、「5月の日程はまだ確定していない。いくつかの日程が競合するはずであり、こうした状況で検討する」と大統領府報道官は述べており、韓国最大の『中央日報』(1月23日)は、「金正恩第1書記が出席する可能性が高まり、韓国政府の悩みも深まっている」とコメントしている。朴槿恵大統領はこのような場で金正恩第1書記と会いたくないということであろうか。
10年前、モスクワで開催された対独戦勝60周年記念式典には盧武鉉大統領が出席し、北朝鮮の金正日総書記は出なかったので、今年はちょうど逆になる可能性がある。中国ほど積極的に関わっていこうという姿勢ではないが、南北朝鮮にとっても5月9日の記念行事は、政治的に重要な、あるいは悩ましい機会になっているものと見られる。
2015.01.29

自衛隊は邦人を救出出来るか

「イスラム国」による日本人拘束事件が重大局面を迎えています

日本人が海外で危険な目にあうケースが増えています。様々な形態がありますが、どうしても必要な場合自衛隊が救出に行けないか、という気持ちが我々の頭をよぎります。日本政府もそのような質問に対してどのように説明するか、すでに準備しているようです。
基本から言えば、日本人の安全を保護するのはその日本人が居住、活動あるいは滞在している国の責任であり、逆に、日本にいる外国人の安全を確保するのは日本の責任です。
しかし、自然災害のため、あるいはテロ攻撃に巻き込まれたため外国人が危険な状態に陥っても十分に保護できない場合があります。それでも滞在国の政府によって保護してもらうという筋道を踏み外すことはできません。地震などの場合は、外国の救助隊が駆け付けその国の人たちと協力して救助に当たることがよくありますが、その場合も当該国が受け入れに同意することが必要です。

相手国の同意なしに警察や軍隊などを送り込むことがこれまでなかったわけではありません。たとえば、1980年、イランに拘束されている大使館員を救出するために米国は軍を出動させましたが、失敗に終わりました。イランには事前に知らせず行なったことでありルール違反でした。その結果、米国とイランとの関係がますます悪化しただけでなく、米国内からも批判の声が上がりました。
一方、人道上の理由で外国軍が住民などを救済する場合には、相手国の同意がなくても認められるべきである、という考えが国連などで強くなっています。これは「保護する責任」と呼ばれる問題です。現在、過激派組織の「イスラム国」に対して米国などが行なっている空爆の場合も住民や外国人の保護など人道上の理由を掲げており、国際的に広い支持を得ています。一部中東諸国も参加しています。しかし、「保護する責任」はまだ一般的に認知されるには至ってないので、日本がこの考えに依拠して行動するには問題があるでしょう。

わが自衛隊が日本人を救出することについては、憲法の定める平和主義に照らしてそのような海外での行動が可能かという問題があります。日本の自衛隊が海外で活動することについては、国連の平和維持活動への参加やソマリア沖で海賊からの襲撃を防ぐため輸送船を護衛することなど憲法に抵触しないと判断された場合以外は認められていませんでした。
2014年7月に閣議決定された新方針では、この他、自衛隊が海外で日本人を救出するために出動することが検討され、「我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合」などいわゆる3要件を満たす場合には可能と考えられました。もちろんこの場合も相手国の同意は必要です。
しかし、最近発生した「イスラム国」による日本人の拘束のような場合には、この要件を満たすと言えないのではないかと思われます。また、同意を求める相手国はイラクか、シリアか、それとも「イスラム国」か、ということも問題になります。
「イスラム国」の関係から離れて一般論として考えますと、かりに憲法に照らして問題ないと判断された場合にも、特別の法律を制定して自衛隊の行動準則を明確にするのが通例です。平和維持活動の場合は最初から法律を制定しました。海賊対策の場合は、当初、自衛隊法ですでに想定されている「海上警備行動」と性格付けられましたが、すぐ後で海賊対策のための特別法が制定されました。将来邦人を救出する場合にもやはり特別の法律を制定することとなると思われます。

なお、法的な問題をクリアできても、自衛隊が邦人を救出するには特別の訓練・装備が必要です。

(THEPAGEに1月29日掲載された)

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