平和外交研究所

2015 - 平和外交研究所 - Page 62

2015.01.27

尖閣諸島の地位に関する古文献

尖閣諸島については多数の研究(玉石混淆)があり、その結果を記した資料は膨大な量に上るが、重要な論点はつぎのようなものだと思う。

①古い文献にどのような記載があるか。

②日本が1895年に尖閣諸島を日本の領土に編入したことをどのように見るか。

③戦後の日本の領土再画定において尖閣諸島はどのように扱われたか。とくにサンフランシスコ平和条約でどのように扱われたか。簡単に言えば、尖閣諸島の法的地位いかんである。

④その後日中両政府は尖閣諸島をどのように扱ってきたか。いわゆる「棚上げしたか否か」などの議論である。

⑤1968年の石油埋蔵に関する国連調査との関係。

⑥沖縄返還との関連。

このなかでも基本的な問題は、もともと中国領であったか否か、および、国際法的に尖閣諸島はどのような地位にあるか、である。前者については、①の古い文献が何と記載しているかが決め手になる。

中国はかつて明国の海防書『籌海圖編』(胡宗憲著)、清国の使節(冊封使)である汪楫(オウシュウ)の『使琉球雑録』、それに西太后の詔書を引用していたが、最後の文献は偽造であることが判明しており、現在は使わなくなっているようである。
汪楫『使琉球雑録』は、冊封使として琉球へ赴いた時の旅行記で、福建から東へ航行し、尖閣諸島の最東端の赤嶼で「郊」を過ぎる、そこが「中外の界」だと記載した。これについて、中国政府は「中外の界」は中国と外国との境だと主張しているが、この「中外の界」と言ったのは案内の琉球人船員であり、その意味するところは「琉球の境界」という意味であった。つまり尖閣諸島は当時琉球の外であるとみなされていた(らしい)のである。
しかし、琉球の外は明の領域だったのではない。明や清の領土は大陸が海に至るまでであり、それに近傍の島嶼だけが領域に含まれていた。
そのことを示す文献として次のようなものがある。
○同じ汪楫が著した『観海集』には「過東沙山、是閩山盡處」と記載されていた。「閩山」とは福建の陸地のことであり、この意味は「東沙山を過ぎれば福建でなくなる(あるいは福建の領域が終わる)」である。東沙山は馬祖列島の一部であり、やはり大陸にへばりついているような位置にある島である。
○明朝の歴史書である『皇明実録』は、臺山、礵山、東湧、烏丘、彭湖、彭山(いずれも大陸に近接している島嶼)は明の庭の中としつつ、「この他の溟渤(大洋)は、華夷(明と諸外国)の共にする所なり」と記載している。
○16,17世紀の明代の地方誌(多数)も明の領域が海岸までであると明記している。例、萬暦『福州府志』巻三「疆域」「東抵海一百九十里」
○明代の勅撰書『大明一統志』も同様に明の領域は海岸までであると記載している。例、巻七十四福建・福州府「東至海岸一百九十里」

なお、尖閣諸島の法的地位については、2014年3月12日にアップしたもの(オピニオンのアーカイブから検索)を参照願います。         
2015.01.24

中国軍は反腐敗運動の規律検査委員会に牛耳られている

反腐敗運動が大々的に中国軍にも及んでいることを示す報道が最近相次いでいる。とくに『多維新聞』(1月20日付)は、軍も反腐敗運動のなかで聖域でなくなり、中央規律検査委員会の軍門に下ったという趣旨の評論を行なっており、軍の実情を知るうえで参考になる。要点は次の通り。

○1月12~14日に開催された中央規律検査委員会第5回全体会議に7人の政治局常務委員が全員出席した。また軍の規律検査委員会から60余人が出席した。これは異常なことであり、軍内の検査体制が重大な調整を受けていることの証である。政治局常務委員全員が出席したことは中央規律検査委員会の進めている反腐敗運動に対して強力な支持となる。
○これまで軍の規律検査委員会は中央軍事委員会と中央規律検査委員会の両方の指導下にあった。しかし、実際上は中央軍事委員会の下の総政治部が指揮しており、中央規律検査委員会はなかなか手を出せなかった。軍の規律検査委員会が中央規律検査委員会の全体会議に出席しなかったことがそのことを物語っていた。これは地方の規律検査委員会が中央規律検査委員会の指揮下にありながら、その地方の党委員会の指導を受けていたので、中央規律検査委員会の威光が届かなかったのと同じ状況であったが、今回の調整により、下級の規律検査委員会は地方であれ、軍であれ、中央規律検査委員会は垂直的指導をしやすくなった。
○今次中央規律検査委員会全体会議に出席したのは125人であり、365人のオブザーバーも参加した。過去の全体会議でもっとも多かったオブザーバーは66人である。今回のオブザーバーの大多数は軍服であった。いかに軍が今次会議に注目しているかがよく分かる。以前の中央規律検査委員会全体会議の際も軍の規律検査委員会に招待をしていたが、出席しなかったが、今回は出席したのである。
○軍は独立性が高い機関であり、軍の規律検査委員会のナンバーワンは通常総政治部の副主任である。これでは軍のハイレベルを監督することはできなかった。しかしながら、この20年間で軍の雰囲気は急に悪化した。汚職と耽溺、官職の売買、闇の派閥構成などが高じてきた。軍事委員会副主席の徐才厚はもともと政治系統の中で上がってきたのであった。徐才厚が倒れた後、もう一人の副主席であった郭伯雄の地位が揺らいでいる。さらに彼らの後にも同様に追及を受ける人物がいるようだ。
○軍内で反腐敗闘争を成功させるには軍の規律検査委員会の改革が不可欠である。今次調整により、王岐山の実権が強くなり、軍内の規律検査工作に対する発言権が増大するであろう。過去2年間党政両面で培ってきた経験と方法を以て軍内でも反腐敗闘争を成功せれば、人心を得ることができるだろう。
○軍の規律検査委員会を中央規律検査委員会の直接の指導に委ねることは、総政治部の権限縮小を意味する。総政治部は軍の宣伝、思想工作、組織(人事)などをつかさどる。これら権限は過大であり、すべてに完全を期すことはできない。中央規律検査委員会が軍内の紀律を監督するようになれば、総政治部は軍のプロパーの任務に専念できるようになるだろう。
2015.01.22

ウクライナはついにNATOに傾くか

ロシア系住民が多いウクライナ東部の情勢はますます悪化しているようだ。昨年の9月5日にベラルーシの首都ミンスクでOSCE(欧州安全保障協力機構)の立会いの下でウクライナ、ロシア、ドネツク人民共和国、ルガンスク人民共和国(最後の2つはウクライナ東部の地域)の間で停戦がようやく成立し、ミンスク議定書が署名されて以降の主要な出来事を簡単にまとめてみた。

ミンスク合意は、停戦および捕虜の釈放の他、ドネツクおよびルガンスク両地方の自治権を拡大する法律をウクライナが制定すること、ウクライナとロシアの国境に安全地帯を設け、停戦違反が起こらないようOSCEが監視をすること、紛争当事者を交えウクライナ政府および各地方が対話を継続すること、ドネツクおよびルガンスク地方の地位に関する法律に従い選挙を行なうこと、不法な武装グループ、兵器、兵士をウクライナから排除することなどを決めた。
しかし、ミンスク合意直後から違反が相次ぎ、9月19日ミンスク議定書を補完する新しい覚書が作られ、安全地帯の幅は国境からそれぞれ15キロとし、重火器の持ち込み禁止、挑発的行為の禁止、安全地帯上空の飛行禁止、紛争地域からすべての外国兵の撤退などが決められた。

地位に関する法律はまだ成立していないが、両地方は11月2日、選挙を敢行し、それぞれ共和国となったと宣言した。これをウクライナのポロシェンコ大統領は認めないと表明したのは当然である。OSCEの議長はこの選挙はミンスク合意に違反しており、事態を複雑化させると批判した。

この他、NATOのJens Stoltenberg事務総長は11月末、百台以上のトラックがウクライナの許可なしにロシアから越境し、停戦協定に違反して先端兵器を大量に親ロシア派に運び込んでいる、と非難した。
これに対し、ロシア側は、兵士は自発的に休暇に出かけている、エストニアの病院にサイバー攻撃をかけたときに政府は一部愛国者がサイバー攻撃するのを完全には止められないなどと言い訳しているそうである。西側はこのようなのらりくらりの対応に手を焼いているそうである。
一方、ロシアのラブロフ外相は、11月に行なわれた選挙はミンスク合意の範囲内である、ウクライナは10月のウクライナ議会選挙の後恩赦に関する法律を制定した後にOSCEは監視活動を開始できる、この法律はまだ制定されていない、などと主張した(12月5日)。
14日には、ロケット弾の流れ弾がウクライナのバスに当たって12人が死亡する事件が発生し、Poroshenko大統領は、ロケット弾は反政府軍が発射したものだと非難し、ロシア外務省はウクライナの策略だと非難の応酬となった。

情勢悪化はついに、ウクライナによる非同盟政策の放棄にまで発展してしまった。非同盟路線は2010年からウクライナの法律で規定されており、ウクライナがNATOに傾くことを防ぐ役割を果たしてきた。しかるに、ウクライナ東部情勢の悪化はウクライナをNATOに押しやる結果となり、ウクライナの最高会議(議会)は12月23日、「ウクライナによる非同盟政策放棄に関する複数のウクライナ法への修正に関する」法を賛成多数で採択した。同法は、ウクライナがNATOへの加盟に必要とされる基準に到達することを目的としてNATOとの協力を深化することも謳っている。ポロシェンコ大統領は今後、NATO加盟の可否について国民投票を実施する方針だと伝えられている。
ウクライナがNATOに加盟することは、ロシアにとってEU加盟よりはるかに深刻な問題であり、もしそのような動きを見せればロシアは開き直って軍事介入するかもしれないと言われるほど大きな問題であった。

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