平和外交研究所

ブログ

朝鮮半島

2019.02.21

韓国で親日派を批判する人たちが陥った矛盾

 以下は2月21日付の中央日報の論評です。同紙は必ずしも日本人にとって耳障りの良いことだけを記事にしているのではありませんが、この論評は非常に参考になります。

「 自由韓国党を「親日派後えいの巣窟」と非難する与党の共に民主党だが、そちらも親日から自由でない。ナンバー2の洪永杓(ホン・ヨンピョ)院内代表からして親日派の子孫だ。彼の祖父ホン・ジョンチョルは「日帝に仕えて爵位を受けた容疑」で親日人名辞典704人の名簿に載っている。洪永杓はこの事実を認めて遺憾の意を表したことがある。おもしろいのは進歩陣営の反応だ。「民主化運動などで先祖の罪を十分に反省したので全く問題として見ない」という雰囲気だ。もし韓国党院内代表が親日派の子孫だったらどう反応しただろうか。いくら立派な活動をして保守改革に率先しても、「親日派の子孫のくせに」という非難があふれたはずだ。

「自分の場合はかまわない」の典型である民主党の親日・抗日フレームは、党の最高の大物、金大中(キム・デジュン)元大統領の熱い「親日」前歴を見れば矛盾がすぐに表れる。わずか30年前の1989年1月9日。88歳で死去した裕仁天皇の焼香所が設けられたソウル中学洞の日本大使館を訪れ、深く頭を下げる政治家がいた。当時の最大野党、平和民主党の総裁だった金大中だった。裕仁天皇は日帝の朝鮮侵略の最大の元凶だ。多くの独立活動家を拷問して死亡させ、女性を慰安婦にさせた張本人だ。島山・安昌浩(アン・チャンホ)先生は臨終しながら「「裕仁、貴様が大きな罪を犯した」という遺言を残したほどだ。

その裕仁天皇の焼香所で金大中は頭を下げて深く哀悼の意を表した。その場面は京郷新聞の写真で報道された。民主党は洪準杓(ホン・ジュンピョ)代表など韓国党の政治家が安倍首相に会った時、頭を深く下げたとして「親日派DNAはどこに向かうのか」と皮肉った。頭を下げた角度で親日かどうかを測定するのなら金大中は断然「スーパー親日派」だ。それだけでない。大統領になった後に日王を「天皇」と呼ぼうと言った政治家も金大中だった。

金大中の「親日」には歴史がある。日本政府は1980年に全斗煥(チョン・ドゥファン)が率いる新軍部の下で金大中が死刑を言い渡されると、救命運動の先鋒に立った。日本政界の水面下の実力者、瀬島隆三は判決の不当性を指摘した櫻内義雄外相の手紙を持って全斗煥に会い、「金大中氏を死刑にしてはいけない。大きな国際問題になる」と圧力を加えた。日本外務省も全斗煥第5共和国政府に「非公開の死刑判決文を見せてほしい」と執拗に要求した。判決文の問題点を見つけて不当性を国際社会に知らせようという努力だった。

さらに日本外務省は81年8月10日、「全斗煥体制は軍事ファッショ政権であり、金大中事件が解決されない中で韓国を支援するのは、その国の民主化の流れに逆行する納得できない姿勢」という公文書まで作成した。また、北朝鮮の玄峻極(ヒョン・ジュングク)労働党中央委員を東京に招いて第5共和国を刺激し、全斗煥の念願である100億ドルの借款も「金大中救命」が先決条件であることを暗示した。結局、第5共和国は米国に続いて日本のこうした全面的な攻勢に屈した。金大中を無期懲役に減刑し、米国への亡命まで認めたのだ。「金大中先生を釈放すべき」と叫んできた日本の政治家と市民団体は歓声をあげた。青瓦台(チョンワデ、大統領府)の586世代(現在50代で、80年代に大学生で民主化学生運動に参加し、60年代生まれ)は信じられないだろうが、彼らの上の世代の金大中が第5共和国の死刑を免れて民主化の主役として華麗に再起したのには日本の役割が大きかった。

金大中は日本の存在感を正確に把握して彼らと友人になろうと努力した大物だった。彼は大統領になると、保守政府が「倭色」として禁止してきた日本映画・歌謡の国内公演を大幅に認めた。これで日本の心をつかんだ後「新韓日宣言」を引き出し、日本は金大中の太陽政策を支持する核心パートナーになった。太陽政策に疑いの視線を向ける米国の心を変えるには対日関係から固めるべきという戦略が的中したのだ。

韓国人の不倶戴天の敵である裕仁天皇の焼香所を訪れて頭を下げた行為もこうした観点で眺める必要がある。金大中は裕仁天皇個人でなく日本に向かって頭を下げた。それが我々の安保と国益につながるという確信のためだったはずだ。日本の首相に頭をどの角度で下げたか、日本大使館の行事に出席したかなどで親日かどうかを判断する民主党の後輩たちを見て、金大中元大統領が墓で舌打ちをする音が聞こえそうだ。

民主党と文在寅(ムン・ジェイン)政権は大韓民国を動かす船長だ。野党時代には保守政権の「親日妄動」を糾弾すればそれまでだったが、今は国益のために精巧な対日外交をする責任が大きい。しかし過去1年半に政府がしたことを見ると、日本の悪口ばかりで行動は何もしない「NATO」(No Action Talk Only)だ。日本を国内政治のために売り飛ばし、支持率維持の道具として使うのならそうすればよい。そうするほど民主党と政府は金大中が残した偉大な韓日関係の遺産をつぶしていくだけだ。対北朝鮮政策も経済も隣国の日本と関係が弱まればいつでも致命傷になることを忘れてはいけない。

カン・チャンホ/論説委員」

2019.02.20

徴用工問題

徴用工問題解決のカギは韓国政府にあります。
ザページに次の一文を寄稿しました。
こちらをクリック
2019.02.14

韓国国会議長の妄言と安倍首相の対応

 韓国の文喜相(ムンヒサン)国会議長が米ブルームバーグ通信とのインタビューで、慰安婦問題について「日本を代表する天皇が謝罪されるのが望ましいと思う。その方はまもなく退位すると言われるから。その方は戦争犯罪の主犯の息子ではないか。だから、その方がおばあさんの手を握り、本当に申し訳なかったと一言言えば、すべて問題は解消されるだろう」と述べ、注目を浴びた。

 韓国国会の報道官は、文議長は「戦争犯罪」という言葉を使っていなかったなどと弁明したが、ブルームバーグはインタビューの音声を公開するなどしたので、文議長の発言として伝えられたことは正確であったとみてよい。

 文議長は、無知、無責任、無礼である。

 「無知」というのは、昭和天皇が「戦争犯罪人でない」ことを知らないからである。昭和天皇は極東国際軍事裁判(いわゆる東京軍事裁判)でも、また、他のどこでも「戦争犯罪」を犯したと判断されたことはない。
 
 ちなみに「戦争犯罪」の意味は注意して見ていく必要がある。「戦争犯罪」とは、「戦時国際法に違反する罪のことで交戦法規違反をさす」という教科書的説明もあるが、これは法技術的な説明である。政治的な責任にも踏み込む説明もあり、「戦争犯罪」の意味はかならずしも明確になっていない面がある。
 
 具体的に誰が、どのような「戦争犯罪」を犯したかについては、どのような根拠で、また、どのような手続きを経てそう判断されるかを明確にしておかなければならない。これは重要な問題だ。その点を明らかにしないまま「戦争犯罪人」だと決めつけると人権侵害になるおそれがある。
 
 日本の場合、極東国際軍事裁判および一連の戦争裁判により誰が、どのような「戦争犯罪」を犯したが確定されている。それ以外の場で日本人が「戦争犯罪」を犯したとされたことはない。

 これらの裁判については、日本として認めるべきでないとの主張があるが、日本は戦後独立を回復するにあたって、サンフランシスコ平和条約により一連の戦争裁判の結果を受け入れたので尊重する義務がある。

 つまり、「戦争犯罪」についてどのような立場をとるかに関わらず、昭和天皇が「戦争犯罪」を犯したと判断されたことはないのである。

 文議長が「無責任」というのは、今回の発言が正しくなくても同議長は何ら責任を取らないし、また取れないにもかかわらず発言しているからである。
 文氏の発言は1965年の日韓基本条約・請求権協定や慰安婦問題に関する2015年の日韓両政府間の合意ほどの意味も重要性もない。かりに文議長の主張通りに日本側が対応しても問題が解決しない場合どうなるか。それは誤りであったと簡単に覆されるだろう。

 「無礼」というのは、戦争犯罪人でなく、日本の元首であり、日本国と国民統合の象徴として尊敬されている昭和天皇に対して極めて失礼なことを言ったからだ。
 
 しかるに、安倍首相の対応は適切であったか。安倍氏は、「多くの国民が驚き、かつ怒りを感じたと思う」、「甚だしく不適切であり、また、同議長はその後も同趣旨の発言を繰り返している。これは極めて遺憾だ」と国会で述べているが、この答弁も問題だ。

 なぜ、「昭和天皇は戦争犯罪人ではない」と明言しないのか。国民が怒りを覚えていることに言及するのは結構だが、それは国民の感情である。それも重要だが、昭和天皇に関する重大な事実誤認を正すのが先決であろう。その必要性に比べれば、国民の怒りも安倍氏が遺憾に思っていることも二次的な問題である。安倍首相の答弁は、ふわっとしている印象が強い。いつもの通りかもしれないが、内容が大事なはずだ。

 日本政府は5回にわたり韓国政府に抗議し、謝罪と撤回を求めたという。それも結構だが、鼎の軽重を間違えてはならない。韓国側にそのように行動をすることを求めるまえに、「昭和天皇は戦争犯罪人でない」と断言しておくべきである。日本政府はそのことを明確にしたのだろうか。どうも疑問である。

 日韓議員連盟会長の額賀元財務相は、韓国の李洛淵首相と会談した。会談後、額賀氏は記者団に、「しっかりと反省して、今後、日韓関係についてよく働いてもらうように伝えてほしいという話をした」と語ったという。額賀氏の発言は前向きだが、それだけでは足りない。やはり、文氏の発言の問題性を正しく指摘しておくべきであった。

 野党も「昭和天皇は戦争犯罪人でない」ことに十分注意し、また、国会でしかるべき質問をしたか、非常に疑問である。

 昭和天皇に戦争責任があるかいなかを議論するのを止めろとは言わない。しかし、「戦争犯罪人である」などとありもしないことを言われた場合には、日本人としてそれを明確に否定しておかなくてはならない。相手国の立場を尊重して慎重に対応するのは結構だが、明らかな誤認は指摘しておくという姿勢が必要である。

アーカイブ

検索

このページのトップへ

Copyright©平和外交研究所 All Rights Reserved.