平和外交研究所

中国

2013.07.29

中国海警局の発足

中国は7月22日、海上警備機能を統合した「中国海警局」を発足させたと新華社電が伝えた(23日)。
 これにより、従来「五龍」と呼ばれていた、武装警察の海洋辺防部局(海警)、国家海洋局の監督船(海監)、交通部中国海事局(日本の海上保安庁にあたる)の巡視船(海巡)、農業部漁政局の監視船(漁政)および税関の麻薬取締警察(海関)が統合されることになった。この5つの部局はたがいに意地を張り合うなど仲が良くなかったと言われており、かねてからその統合方針が示されていた。
 5つの系統の統合により、全体としての機能は強化され、それなりに尖閣諸島にも影響があろうが、以前からの問題がほんとうに解消されるかもう少し様子を見ていく必要があろう。
 この統合により、これまで武装が許可されていなかった部局も武装できるようになり、中国の武装船舶数は増加すると言われている。中国の各紙(環球時報、解放軍報など)はそのようなコメントを掲載しているようである。
 海軍はこの海警局とは今後も別組織であろう。したがって、今回の統合は非軍事部局間の組織再編成である。

2013.07.27

中国に大国の覚悟はあるか

一般社団法人「中国研究所」の月報(2013年7月号)に法政大学の趙宏偉教授の「オバマ・習近平のカリフォルニア「合宿」」と題する一文が掲載されている。興味深く、参考になる。

6月初めのオバマ米大統領と習近平中国国家主席との会談で、中国側はさかんにG2とか、「大国」に言及したのに対し、米国側は対照的にそのようなことは口にしなかったことはよく報道されているが、G2の研究者である趙教授は、これまでの経緯を踏まえつつ今次首脳会談を論じており、中国の指導者には大国にふさわしい覚悟があるかという疑問を呈している。まず、胡錦涛前主席については、オバマ大統領からの「G2構想に対する意志の弱さ、自身の欠如と責任への回避を論評し(『毎日新聞』2010.4.30)」、そのうえで「今の習近平は超大国に向けた覚悟があるだろうか?」という形で分析を行っている。

趙教授は二つの具体的問題を取り上げている。その一つは、アフガニスタンであり、米国はかねてから中国に対し「出兵を含めて中国による肩入れ、(注 NATOの)肩代わりを強く求めていた」「アフガニスタンの安定、再びタリバンやアルカイダの手に陥落しないことについて、中国の国際責任を求めた」と指摘しつつ、「中国はアフガニスタンと陸続きの唯一の国連安保理常任理事国であり、そしてイスラム原理主義の浸透から新疆を守ることも自ずと関わってくる」「胡錦涛はオバマに対し国連のPKO活動の形ならアフガニスタン派兵を検討すると回答した」「カリフォルニアで、習近平はオバマにPKO部隊、しかも実戦部隊を派遣すると答えたと思われる」「今まで中国がPKO実戦部隊を出さなかったのは、他国の内政へ干渉しない、他国の紛争解決に武力行使をしないという外交原則に従ったためである。習近平外交は「内政不干渉」を変えたのか、他国に武力行使をするようになったのだろうか。超大国は国際責任の名の下で内政干渉までするものである。習近平中国はG2の片方を担い、内政干渉することまでの覚悟もできたのだろうか」と問いかけている。

もう一つの具体的問題が北朝鮮であり、「習近平はすでに内政干渉を実行した」と断定している。最近、北朝鮮との銀行取引を停止したことなどを指しているのであるが、北朝鮮との関係に関する趙教授の分析については、そこまで歯切れよく断定できるか、読者には異論があるかもしれない。

最後に、趙教授は東シナ海と南シナ海での紛争に言及し、「習近平が武力行使を敢行するなら、東シナ海、南シナ海どちらを先に選ぶのか」と、聞きたいことではあるが、単純すぎるようにも聞こえる問題設定を香港や台湾のメディアが行っていることを紹介しつつ、「習近平はフィリピンに対しても、尖閣についても、2つの選択―係争中という現状維持or島の奪取、をもっているはずであるが、前者のほうが無難だろう。習は無難を好むのか、それともアヘン戦争以来はじめて失地回復を成し遂げる「武帝」を夢見ているのだろうか」という疑問で締めくくっている。「武帝」を持ち出したのは、人民日報・海外版(2013.6.5)が「漢武帝:王中之王?」という論評をしたからである。

2013.07.21

中国指導者の専用電話のオペレーター

東方網(2013/06/25)が伝える中共中央の専用電話(いわゆる赤電話)オペレーターの業務と生活
(http://news.china.com/history/all/11025807/20130625/17909911.html)
国民党との戦いに勝利した中国共産党の指導者は1949年7月、中南海に入り、中南海専用電話局が正式に開通した。1952年7月、局の名称は「三九」と定められ、対外的には「北京電話三九専用局(略称「三九局」)」と命名された。
「三九局」のオペレーターは内規で厳格に管理され、月に1回しか家に帰ることが許されない。帰っても宿泊は禁止されている。「三九局」からの外出は自由でなく、友人と連絡を取り合うこともできないし、どこで、どのような仕事をしているかを外部に漏らすことも禁じられている。
指導者は地方出身で強い訛りがあるものが多いが、オペレーターはほとんどが北京育ちの娘さんであるので、地方の訛りによく習熟し、また、千以上の番号が誰のものか記憶することはもちろん、指導者の毎日の勤務概況を知っておかなければならない。そのため、オペレーターは指導者の秘書とよく通じている。
オペレーターはかかってきた電話を単に求められている相手の電話に回すだけでは足りず、相手が電話口まで出てきて話し始めるところまで責任を負わされている。ある時、毛沢東から周恩来と急用で話したいと電話がかかってきたが、周恩来は外出中であった。その時間にどのあたりにいるか知っていたオペレーターは交通警察に連絡し、パトカーで周恩来の車を止めてもらい、すぐに中南海へ戻ってほしいという伝言を伝えたこともあった。
(続きをごらんになりたい方は上記のサイトへアクセスしてください。なお、中国の現在の指導者は学歴が高く訛りもひどくないが、地方に指導者にはまだ方言が強い人がいるであろうから、この報道が古い時代のことだとも決めつけられない。)

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