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2013.10.23

中国の言論統制強化

中国の国家新聞出版ラジオ映画テレビ総局は最近、全国の新聞やテレビ、通信社、雑誌などの記者25万人にマルクス主義などを学ぶ研修を義務付け、来年1月から2月にかけて、統一の免許更新試験を実施すると発表した。研修テーマは「マルクス主義報道観」「中国の特色ある社会主義」「虚偽報道の防止」など6項目。このことが報道されたのは10月12日である。免許更新試験に合格しなければ記者活動はできなくなる。言論に対する革命路線に従った厳しい締め付けであり、習近平が8月の講話において強調した思想性重視の一環である。
中国において、言論の自由がほとんど認められていないのは誰でも知っていることである。その厳しい状況にあっても、中国の言論人は客観的な報道に少しでも近づこうと努めている。温州付近で起こった高速鉄道事故の際には比較的自由な報道が増え、内外から注目を浴びていた。
しかし、習近平政権は言論を厳しく統制する姿勢を見せている。その一つの表れが、インターネットにおける意見表明を厳しく取り締まることであり、中国当局は無責任、あるいは事実でないと当局が判断する投稿を許さず、それに背いた者数名~数十名を逮捕している。
さらに、中国では比較的自由な報道で知られる羊城晩報グループの『新快報』は、次のような記事を掲げた(中国のインターネットや海外の報道機関が転載し始めたのは10月23日)。
「読者の皆様。我々の新聞記者、陳永洲が中聯重科(正式名は「長沙中聯重工科技発展股分有限公司」)の財務問題について報道したことに関し、長沙警察に連行されました。被疑事実とされたのは「商業上の名誉信用を損なったこと」とされています。これに対し我々は、「釈放を求める。我々はちっぽけな報道機関であり、お金もないが、気骨と誇りは持っている」と大声で叫びます。」
中聯重科は中国の代表的な建設機械・重機械大手メーカーであり、2008年イタリアのCIFA社の株式買収後、世界最大のコンクリート機械メーカーになった。本社は湖南省の長沙。企業の財務状況に関して報道したことを理由に逮捕されるのではたまらない。この事件に象徴されている中国の言論統制は危険性をはらんでおり、対外関係の報道にも影響は不可避であろう。

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2013.10.21

中国の対英原子力協力

英国で1995年以来初めて原発が新設されることになった。イングランド南西部に建設予定である。オズボーン財務相が北京で、英中両国はこの建設に協力するため覚書を結んだと発表した。
この決定は、中国の対英投資の面で注目を集めている。英中仏3国の協力案件であるが、中国の株式保有比率は、最初は低いが、将来支配権を持つ(majority)まで増加する可能性があるとオズボーン財務相は答えている。香港の新聞『明報』によれば、40%くらいになるそうである。一般的には、株式の過半数、つまり50%以上でないとmajorityと言わないように思うが、実際にどのような了解になっているのかよく分からない。
具体的な数字はともかく、中国がmajorityを持つようになる可能性があることを英国は許容しているわけであり、英国のエネルギー政策はそのようなものかと考えさせられる。
もっとも、英国の国際的感覚は我々よりはるかに進んでいる(?)可能性があり、それほど抵抗はないのかもしれない。本件を報道したロイターの記事のなかには、「昨年、日本の日立はドイツのRWEおよびEONから核関連の合弁会社を購入した。アジアの企業は英国の核工業に関心を抱いているのである。」という説明がある。E.ONは欧州最大のエネルギー会社、RWEはライン・ヴェストファーレン電力会社であり、ドイツの電力会社としてそれぞれ第一、第二位であり、日立は2012年秋、これら2社が保有していた英国の原子力発電会社ホライズン・ニュークリア・パワーを買収した。そこまではよいとして、中国と日本の会社をひとくくりにして「アジアの会社」と呼ぶ感覚は日本人にはない。ロイターは立派な通信社であるが、日本も中国も同じアジアの国という感覚がどこかに残っているのであろう。
なお、中国の対英投資はすでにかなり進展しており、英国にとって第3位の投資国だそうである。歴史的に英国と中国が深い関係にあるのは周知のことであるが、実務面、経済面でも中国は英国経済にとって重要な地位を占めていることが窺われる。

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2013.10.20

「特別警報」は有益か

伊豆大島において大規模な土砂災害が発生し、多数の方が亡くなられた。心からお悔やみ申し上げるとともに、行方不明者の一刻も早い発見を切望している。
この災害で「特別警報」が出なかったことが適当か、議論を呼んでいるようであるが、「特別警報」という、特別の種類の警報を新設すること自体が疑問である。
「特別警報」は、大変な事態であることを伝えるのに役立つとは思う。どのような危険もその実態は複雑であるが、危険性を一言で伝えているからである。しかし、基準に照らすと「特別警報」には少し届かない危険の場合が問題である。この場合も「警報」は出ているので、理論的には警戒すべきであるが、警報を受け取る一般国民にとっては、「特別警報」と普通の「警報」では重みがまるで違うので、大したことはない、と思ってしまうのではないか。とくに、今回の伊豆大島で起こった災害のように、基準には達しないが非常に危険な状況がある。
今次災害の発生後、基準を見直すべきであるという意見が出てきている。検討するのはよいが、基準すれすれで「特別警報」に該当しないと警戒されなくなるという問題は解消しない。これは「特別警戒」と「警戒」の区別がある限り付きまとう問題である。
「夏日」「真夏日」というネーミングにも同様の問題があり、最高気温が24.9度の場合は「夏日」でないが、実際には25度以上の場合と違わないどころか、湿度や風の有無で人が感じる不快さは逆に高くなることもある。
「夏日」などはそれほど深刻でないかもしれないが、「特別警報」は生命の危険にかかわる問題である。それより、等級で危険度を知らせるほうがよいのではないか。天気予報ほど全国民が注目することは他にない。気象庁の賢明な対応を期待したい。

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