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2014.06.05
両者の最大の相違点は、PKOは和平の合意がすでに成立している場合に派遣されるが、「多国籍軍」は和平がまだ成立していない場合に行動することである。PKOは和平が成立していることを条件に派遣されるので、その性格は非常に明確であり、PKOとして認識され、扱われる。
1990年代の初め、ブトロス・ガリ国連事務総長は国連の機能として「平和の維持」とともに「平和の構築」を掲げた。前者は戦争や内戦はすでに終わっている場合のことであり、後者はそれがまだ成立していない場合である。両方ともに国連の任務としたかったが、「平和の構築」を「平和の維持」と同等に扱うのは時期尚早という感じが強かった。
しかし、国連は国際の平和と安定の維持が目的であり、そのために「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する」(国連憲章第39条)。この権限を基礎に、安保理の決議で「多国籍軍」に対してもお墨付きを与えている。旧ユーゴスラビア、イラク、リビアなどの場合がその具体例である。
しかし、PKOと「多国籍軍」の違いは明確であり、和平の成立については前述したが、さらに、部隊を率いる指揮のあり方も違っている。PKOの最高指揮権は国連事務総長にあり、後者の指揮はいずれかの国(の司令官)が行なう。PKOの場合も実際には各国の部隊を統括、指揮する司令官がいるが、それはあくまで国連事務総長の下にあり、その指図にしたがう。
日本が国連に協力し、これらの活動に参加することを検討する場合にもこのような違いは決定的に重要である。PKOへ参加する場合、日本の部隊が海外で武器を使用することについて、かつては非常に制限的に考え、他の国の部隊が行なうこともできないとしていた。日本国憲法(の解釈だが)が厳しく禁じていたと考えたからである。
しかし、PKOは国連も日本国憲法も想定していなかった事態であり、また、PKOでは和平の成立が前提であるので、任務を果たすために必要であれば武器の使用は認められるべきである。各PKOには国連決議があるのでそれを実行するのに必要な範囲内であることはもちろんであるが、それ以外には武器使用を制限すべきでない。国内で警察官が武器を使用するのは自衛のためやむをえない場合に限られると解されているが、それは国内のことであり、国際社会にはいろいろな状況とそれに応じた必要性があり、国連がそれらを勘案して決議を採択したからには、日本として日本の国内基準を国際的に適用したいと主張すべきでない。
また、PKOはそもそも和平の成立が前提であり、しかも国連事務総長の指揮下にあるので、日本国憲法が厳しく禁じている海外での侵略になることはありえない。
一方、「多国籍軍」の場合は、これら2つの条件・制約はない。もちろん「多国籍軍」でも単独の行動でなく、また、国連の決議がある。しかし、国際政治の現実によって左右されることがまったくないとは言えない状況にある。この点については異論もありうるが、日本としては慎重に考え、これには直接関与しないという立場を取ることは合理的であろう。
報道によれば、政府は「多国籍軍」への支援制限を緩和し、戦闘地域でも医療支援や物資輸送など一定行為を可能にするよう対処方針を変更する案が示されたそうだが、日本として「多国籍軍」には慎重に対処すべきであるということと、国連のお墨付きがあるということとのバランスをどこで取るべきか。すくなくとも、ここで述べたようなPKOとの区別ははっきりさせておいた上で決定すべきであろう。
日本はアフガニスタンでもイラクの場合でもすでに一定の後方支援を行なったが、それはPKOでの貢献があまりに少ないということから、「多国籍軍」の場合に逆に積極的に応じざるをえなかったのではないか。つまり、PKOという和平が成立している場合にあまりにも厳しい規律をみずからにかけてしまったので、「多国籍軍」に協力せざるをえなかったのではないか。
ともかく、PKOも「多国籍軍」も国連が成立した時には想定されていなかったことであるが、今や国連でもっとも重要な機能になっている。そうなったのは国際社会として必要だからである。厳格な平和主義に立つ憲法を持つ日本としては、「多国籍軍」については慎重に対処しつつ、理論的にまったく問題がないPKOには各国と同等の条件で参加すべきである。
(さらに…)
PKOと多国籍軍への参加
安保法制懇の報告後行なわれている与党協議では、「多国籍軍」と「平和維持部隊(PKO)」への日本の関与のあり方について新しい考えが検討されているそうである。PKOも複数の国の部隊が派遣されるので、その意味では「多国籍軍」と呼ぶことも可能であろうが、両者の間には明確な違いがあり、日本の関与のあり方を検討するためにはその違いを明確にしておく必要がある。両者の最大の相違点は、PKOは和平の合意がすでに成立している場合に派遣されるが、「多国籍軍」は和平がまだ成立していない場合に行動することである。PKOは和平が成立していることを条件に派遣されるので、その性格は非常に明確であり、PKOとして認識され、扱われる。
1990年代の初め、ブトロス・ガリ国連事務総長は国連の機能として「平和の維持」とともに「平和の構築」を掲げた。前者は戦争や内戦はすでに終わっている場合のことであり、後者はそれがまだ成立していない場合である。両方ともに国連の任務としたかったが、「平和の構築」を「平和の維持」と同等に扱うのは時期尚早という感じが強かった。
しかし、国連は国際の平和と安定の維持が目的であり、そのために「安全保障理事会は、平和に対する脅威、平和の破壊又は侵略行為の存在を決定し、並びに、国際の平和及び安全を維持し又は回復するために、勧告をし、又は第41条及び第42条に従っていかなる措置をとるかを決定する」(国連憲章第39条)。この権限を基礎に、安保理の決議で「多国籍軍」に対してもお墨付きを与えている。旧ユーゴスラビア、イラク、リビアなどの場合がその具体例である。
しかし、PKOと「多国籍軍」の違いは明確であり、和平の成立については前述したが、さらに、部隊を率いる指揮のあり方も違っている。PKOの最高指揮権は国連事務総長にあり、後者の指揮はいずれかの国(の司令官)が行なう。PKOの場合も実際には各国の部隊を統括、指揮する司令官がいるが、それはあくまで国連事務総長の下にあり、その指図にしたがう。
日本が国連に協力し、これらの活動に参加することを検討する場合にもこのような違いは決定的に重要である。PKOへ参加する場合、日本の部隊が海外で武器を使用することについて、かつては非常に制限的に考え、他の国の部隊が行なうこともできないとしていた。日本国憲法(の解釈だが)が厳しく禁じていたと考えたからである。
しかし、PKOは国連も日本国憲法も想定していなかった事態であり、また、PKOでは和平の成立が前提であるので、任務を果たすために必要であれば武器の使用は認められるべきである。各PKOには国連決議があるのでそれを実行するのに必要な範囲内であることはもちろんであるが、それ以外には武器使用を制限すべきでない。国内で警察官が武器を使用するのは自衛のためやむをえない場合に限られると解されているが、それは国内のことであり、国際社会にはいろいろな状況とそれに応じた必要性があり、国連がそれらを勘案して決議を採択したからには、日本として日本の国内基準を国際的に適用したいと主張すべきでない。
また、PKOはそもそも和平の成立が前提であり、しかも国連事務総長の指揮下にあるので、日本国憲法が厳しく禁じている海外での侵略になることはありえない。
一方、「多国籍軍」の場合は、これら2つの条件・制約はない。もちろん「多国籍軍」でも単独の行動でなく、また、国連の決議がある。しかし、国際政治の現実によって左右されることがまったくないとは言えない状況にある。この点については異論もありうるが、日本としては慎重に考え、これには直接関与しないという立場を取ることは合理的であろう。
報道によれば、政府は「多国籍軍」への支援制限を緩和し、戦闘地域でも医療支援や物資輸送など一定行為を可能にするよう対処方針を変更する案が示されたそうだが、日本として「多国籍軍」には慎重に対処すべきであるということと、国連のお墨付きがあるということとのバランスをどこで取るべきか。すくなくとも、ここで述べたようなPKOとの区別ははっきりさせておいた上で決定すべきであろう。
日本はアフガニスタンでもイラクの場合でもすでに一定の後方支援を行なったが、それはPKOでの貢献があまりに少ないということから、「多国籍軍」の場合に逆に積極的に応じざるをえなかったのではないか。つまり、PKOという和平が成立している場合にあまりにも厳しい規律をみずからにかけてしまったので、「多国籍軍」に協力せざるをえなかったのではないか。
ともかく、PKOも「多国籍軍」も国連が成立した時には想定されていなかったことであるが、今や国連でもっとも重要な機能になっている。そうなったのは国際社会として必要だからである。厳格な平和主義に立つ憲法を持つ日本としては、「多国籍軍」については慎重に対処しつつ、理論的にまったく問題がないPKOには各国と同等の条件で参加すべきである。
(さらに…)
2014.06.04
さる5月4日、中国は北京大学で5・4運動記念(95周年)行事を行なった。これは中国共産党にとってきわめて重要な記念日であり大々的に祝賀したかったが、1ヵ月後に、同党として祝いたくない天安門事件記念日を控えていたので、警戒態勢を敷き緊張した雰囲気のなかで記念行事を行った。民主化運動を恐れその芽を早期に摘んでしまおうとする習近平政権の面目躍如であった。
しかし、天安門事件の再評価を求める声は強い。25年前天安門広場で多数の死傷者を出してまでデモを武力鎮圧したことを正当化した当時の評価を変え、民主化運動を進めたいという気持ちは学生を中心に中国人の間で再び強くなっている。
しかし習近平政権は天安門事件の再評価を認めようとしない。学生による自由な行動を許すと民主化運動に火が付き収拾できなくなると恐れているからである。5・4運動は、第1次大戦後の秩序を確立したベルサイユ体制が、中国を侵略した日本の帝国主義的行動を認めたことに学生が抗議して起こしたものであり、中国民衆の政治的不満から中国共産党が生まれた。同党は今日事実上一党独裁を確立しているが、学生の運動はやはり恐れているのである。
5・4運動記念日と6・4天安門事件記念日のあいだで、中国の大国化がもたらす弊害を示す出来事が起こった。5月27日、ロスアンジェルスで7千人の中国人旅行者が押し寄せ、一緒に写真撮影した。これだけの規模の写真撮影は稀有というより前代未聞かもしれないが、そのこと自体はまだしも、彼らは国歌と「昇起五星紅旗」を合唱した。これは想像を絶することである。米国人はどのような目で見たのだろうか。かりに同じことが日本で起こればわれわれはどのような気持ちになるか想像に難くない。
さらに、この7千人の旅行者は、旅行はまだ終わっていないが、1人平均1万元、普通の旅行客の4倍をすでに消費したそうである。これは中国の国営通信社、新華社が29日に伝えていることである。
中国共産党は5・4運動から天安門事件までの95年間に、体制変革を求める立場から体制変革を恐れる立場に変わり、その間、中国人は米国有数の大都市の住民の耳目を驚かす、裕福で、気前がよく、さらにそれをひけらかすのを恥じない国民になったのだろうか。7千人は中国の人口からすれば、微々たる比率であり、これをもって中国人を一般化できないのは当然である。しかし、そのようにわずかな比率の中国人であっても、他の国では圧倒的に巨大なグループとなりうる。
(さらに…)
天安門事件記念日
本日は天安門事件25周年記念日。中国政府はこの日を迎えるのに神経をとがらせ、デモが発生しないよう厳戒態勢を敷いている。外国人が関連の報道をするのをあまりに厳しく規制するので悶着も起こっている。中国人記者は政府によって厳しいコントロール下に置かれており、問題を起こすような状況でないようだ。さる5月4日、中国は北京大学で5・4運動記念(95周年)行事を行なった。これは中国共産党にとってきわめて重要な記念日であり大々的に祝賀したかったが、1ヵ月後に、同党として祝いたくない天安門事件記念日を控えていたので、警戒態勢を敷き緊張した雰囲気のなかで記念行事を行った。民主化運動を恐れその芽を早期に摘んでしまおうとする習近平政権の面目躍如であった。
しかし、天安門事件の再評価を求める声は強い。25年前天安門広場で多数の死傷者を出してまでデモを武力鎮圧したことを正当化した当時の評価を変え、民主化運動を進めたいという気持ちは学生を中心に中国人の間で再び強くなっている。
しかし習近平政権は天安門事件の再評価を認めようとしない。学生による自由な行動を許すと民主化運動に火が付き収拾できなくなると恐れているからである。5・4運動は、第1次大戦後の秩序を確立したベルサイユ体制が、中国を侵略した日本の帝国主義的行動を認めたことに学生が抗議して起こしたものであり、中国民衆の政治的不満から中国共産党が生まれた。同党は今日事実上一党独裁を確立しているが、学生の運動はやはり恐れているのである。
5・4運動記念日と6・4天安門事件記念日のあいだで、中国の大国化がもたらす弊害を示す出来事が起こった。5月27日、ロスアンジェルスで7千人の中国人旅行者が押し寄せ、一緒に写真撮影した。これだけの規模の写真撮影は稀有というより前代未聞かもしれないが、そのこと自体はまだしも、彼らは国歌と「昇起五星紅旗」を合唱した。これは想像を絶することである。米国人はどのような目で見たのだろうか。かりに同じことが日本で起こればわれわれはどのような気持ちになるか想像に難くない。
さらに、この7千人の旅行者は、旅行はまだ終わっていないが、1人平均1万元、普通の旅行客の4倍をすでに消費したそうである。これは中国の国営通信社、新華社が29日に伝えていることである。
中国共産党は5・4運動から天安門事件までの95年間に、体制変革を求める立場から体制変革を恐れる立場に変わり、その間、中国人は米国有数の大都市の住民の耳目を驚かす、裕福で、気前がよく、さらにそれをひけらかすのを恥じない国民になったのだろうか。7千人は中国の人口からすれば、微々たる比率であり、これをもって中国人を一般化できないのは当然である。しかし、そのようにわずかな比率の中国人であっても、他の国では圧倒的に巨大なグループとなりうる。
(さらに…)
2014.06.03
中国を批判したのは安倍・ヘーゲル両氏に限らず出席者の大多数であり中国は非常に孤立していたので、さすがに中国としても攻撃的になるとさらに違いを目立たせるという考慮があったので、反発はしつつも抑制気味にしたのかもしれない。かつて、中国の代表が国際会議の場で「中国はフランスなど必要としていない」と粗野な言葉を使用したことがある。
一方、中国からの参加者のなかには議長の再三の制止を無視して強引に発言を続けたり、各国の国防大臣にリザーブされている席を勝手に占め、主宰者側の抗議など意に介さないで占拠し続けることがあった。中国は口では中国から問題を起こしたことなどないと言うが、実際の行動はまったく違う場合がある。とくに中国軍人が主張を始めると冷静な議論など吹き飛んでしまう。
今次会議では、南シナ海がしばしば話題に上ったため、王副総参謀長が最後に、中国がかねてから領有権を主張している「九段線」(「牛の舌」とも言われる。英語訳はnine dotted line 事実上南シナ海の全域のこと)について次の通り説明した。
「南シナ海は二千年以上も前から中国の主権下にあった。南沙、西沙諸島などを含め、中国政府はこの海域を一貫して管轄下に置いてきた。日本に侵略されていた時だけ例外であったが、戦争が終わった後の1946年に回復し、48年に中国は主権の宣言をした。これに対しどの国も異議を唱えなかった。各国が領有権を主張し始めたのは石油資源の埋蔵が指摘されて以降である。
中国は海洋法条約を批准し、遵守している。しかし、海洋法ができたのは1990年代の初頭であり、中国の歴史は2千年以上である。
海洋法条約は領土主権を決定するものではない。
米国は海洋法条約を批准していないにもかかわらず、攻撃するために都合のよい時だけ持ち出してくる。
仲裁については、中国は留保しており、主権の問題について仲裁に行くことは受け入れられない。中国は引き続き話し合いを続けていく。」
以上のような状況を総括して、各国がいくら正しいことを主張しても中国を変えられないだろうとコメントした米国の新聞がある。たしかに、このような対話だけで中国軍を動かすことは期待できないであろう。しかし、シャングリラ対話は、日本を含め中国を除く各国が中国に対してとっている方針が正しいことを示す結果になっている。中国だけが特異な主張をして、孤立しているのは中国にとって不利益であり、損をしているのは中国である。
あまり中国を怒らせると、対話に出てこなくなる、そうなっては元もなくなると心配する向きがあるが、旧知のIISS研究員は、中国は、中国のいないところで論じられることを我慢できないだろうから、来なくなる心配はないと言っていた。ただし、中国からどのレベルが来るかはIISSにとっていつも問題だそうだ。これまで中国の国防大臣が来たのは1回きりである。
(さらに…)
シャングリラー中国の反撃
今次会議に出席の中国軍人でトップの王冠中副総参謀長(シビリアンでは傅瑩元外交部副部長)は6月1日の演説で原稿の読み上げを途中で中止し、安倍首相とヘーゲル長官の発言に反発し、「両氏は事前に打ち合わせの上演説した」「中国に対して根拠のない非難をした」「強引な主張をしているのは中国でない」「中国が安定を阻害しているなどと言うのは建設的でない」「覇権を求めているのは米国だ」「安倍首相は中国を名指ししなかったが、ヘーゲル長官のほうが好ましい」などと反論した。しかし、これらの言葉は大して強くない。王副総参謀長が使ったもっとも強い言葉は、安倍首相とヘーゲル長官が「中国を挑発した」ということであり、しかも何回も「挑発」と言ったが、これもさほど強くないと思う。中国からの参加者は傅瑩を含め、会議の外で口々に安倍・ヘーゲル両氏の演説に文句を唱えており、そのような状況からすると王副総参謀長はもっと激烈な言葉を使う可能性があったが、実際には、どちらかと言えば抑制された発言であった。中国を批判したのは安倍・ヘーゲル両氏に限らず出席者の大多数であり中国は非常に孤立していたので、さすがに中国としても攻撃的になるとさらに違いを目立たせるという考慮があったので、反発はしつつも抑制気味にしたのかもしれない。かつて、中国の代表が国際会議の場で「中国はフランスなど必要としていない」と粗野な言葉を使用したことがある。
一方、中国からの参加者のなかには議長の再三の制止を無視して強引に発言を続けたり、各国の国防大臣にリザーブされている席を勝手に占め、主宰者側の抗議など意に介さないで占拠し続けることがあった。中国は口では中国から問題を起こしたことなどないと言うが、実際の行動はまったく違う場合がある。とくに中国軍人が主張を始めると冷静な議論など吹き飛んでしまう。
今次会議では、南シナ海がしばしば話題に上ったため、王副総参謀長が最後に、中国がかねてから領有権を主張している「九段線」(「牛の舌」とも言われる。英語訳はnine dotted line 事実上南シナ海の全域のこと)について次の通り説明した。
「南シナ海は二千年以上も前から中国の主権下にあった。南沙、西沙諸島などを含め、中国政府はこの海域を一貫して管轄下に置いてきた。日本に侵略されていた時だけ例外であったが、戦争が終わった後の1946年に回復し、48年に中国は主権の宣言をした。これに対しどの国も異議を唱えなかった。各国が領有権を主張し始めたのは石油資源の埋蔵が指摘されて以降である。
中国は海洋法条約を批准し、遵守している。しかし、海洋法ができたのは1990年代の初頭であり、中国の歴史は2千年以上である。
海洋法条約は領土主権を決定するものではない。
米国は海洋法条約を批准していないにもかかわらず、攻撃するために都合のよい時だけ持ち出してくる。
仲裁については、中国は留保しており、主権の問題について仲裁に行くことは受け入れられない。中国は引き続き話し合いを続けていく。」
以上のような状況を総括して、各国がいくら正しいことを主張しても中国を変えられないだろうとコメントした米国の新聞がある。たしかに、このような対話だけで中国軍を動かすことは期待できないであろう。しかし、シャングリラ対話は、日本を含め中国を除く各国が中国に対してとっている方針が正しいことを示す結果になっている。中国だけが特異な主張をして、孤立しているのは中国にとって不利益であり、損をしているのは中国である。
あまり中国を怒らせると、対話に出てこなくなる、そうなっては元もなくなると心配する向きがあるが、旧知のIISS研究員は、中国は、中国のいないところで論じられることを我慢できないだろうから、来なくなる心配はないと言っていた。ただし、中国からどのレベルが来るかはIISSにとっていつも問題だそうだ。これまで中国の国防大臣が来たのは1回きりである。
(さらに…)
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