中国
2014.06.17
第18回党大会以後、南シナ海での中国軍の行動は以前と異なってきている。2013年8月に中国とフィリピンがセカンド・トマス礁で対峙した際、中国は護衛艦と補給艦を1隻ずつ派遣した。今年の5月、フィリピンが内外の新聞記者を招待して同礁の状況を視察させた際、中国の船舶は5隻あり、うち1隻は調査船、1隻は護衛艦、3隻は海警の船であった。そして今回の西沙諸島海域での軍艦の出動である。
党大会以前の2012年4月にスカーボロー礁でフィリピンと対峙した時は、中国は軍艦を1隻も出さなかった。その前の2011年6月にベトナムとの矛盾が激化した際も軍艦は派遣しなかった。
今回西沙諸島への軍艦の派遣と並行して、総参謀長の房峰輝は米国で、外部勢力の干渉は排除する、祖先から受け継いだ土地は寸土といえども防衛するなどと発言し、また、常万全国防部長はベトナムの国防部長に対して一度ならず何度も過ちを犯してはならない、大事に至ると警告するなど強気の姿勢を示した。
第18回党大会後習近平が取った戦略は前任の胡錦濤と明確に違うものである。中央宣伝部に属する理論雑誌『学習時報』の2013年2月号は、次のように述べている。
「新しい歴史条件の下での中国の安全について言えば、全面戦争の可能性は排除してよい。しかし、局部戦争ないし武力衝突が起こる危険性は排除できない。可能性が最も大きいのはある種の危機がより大きな問題に発展することである。」
中国は軍事戦略の重点を南シナ海、または東シナ海での局部的勃発においており、かつ、ベトナムとは戦火を交える可能性を完全には排除していない。
このような中国軍の新戦略は、2013年3月に李克強首相が政府活動報告において国防に関する考えを述べた際、2014年の軍事任務として「軍事戦略指導を強化し、現代的軍事力体系を完成し、日常的な戦備と国境での海空防衛のコントロールを強化する」と述べたことにも示されていた。
習近平は、軍事戦略配置を大幅に調整し、「行動する(有所作為)」から「積極的に行い、主導的に行う」ことに変えた。2012年12月、習近平は南シナ海の防衛視察のため訪れた広東軍区で、「必要あれば直ちに応じる(召之即来)、来れば戦う(来之能戦)、戦えば勝つ(戦之能勝)」ことを強調していた。その時戦闘機にも搭乗し、「主導的防御」のみならず、「主導的威嚇、主導的出撃」の姿勢を示した。
習近平の軍事思想
南シナ海、とくに西沙諸島海域における中国の最近の行動は、軍が前面に出てきていることであるという評論に続いて、『多維新聞』は6月13日に次のような論評を加えている。真偽のほどは確認できないが、参考になる。第18回党大会以後、南シナ海での中国軍の行動は以前と異なってきている。2013年8月に中国とフィリピンがセカンド・トマス礁で対峙した際、中国は護衛艦と補給艦を1隻ずつ派遣した。今年の5月、フィリピンが内外の新聞記者を招待して同礁の状況を視察させた際、中国の船舶は5隻あり、うち1隻は調査船、1隻は護衛艦、3隻は海警の船であった。そして今回の西沙諸島海域での軍艦の出動である。
党大会以前の2012年4月にスカーボロー礁でフィリピンと対峙した時は、中国は軍艦を1隻も出さなかった。その前の2011年6月にベトナムとの矛盾が激化した際も軍艦は派遣しなかった。
今回西沙諸島への軍艦の派遣と並行して、総参謀長の房峰輝は米国で、外部勢力の干渉は排除する、祖先から受け継いだ土地は寸土といえども防衛するなどと発言し、また、常万全国防部長はベトナムの国防部長に対して一度ならず何度も過ちを犯してはならない、大事に至ると警告するなど強気の姿勢を示した。
第18回党大会後習近平が取った戦略は前任の胡錦濤と明確に違うものである。中央宣伝部に属する理論雑誌『学習時報』の2013年2月号は、次のように述べている。
「新しい歴史条件の下での中国の安全について言えば、全面戦争の可能性は排除してよい。しかし、局部戦争ないし武力衝突が起こる危険性は排除できない。可能性が最も大きいのはある種の危機がより大きな問題に発展することである。」
中国は軍事戦略の重点を南シナ海、または東シナ海での局部的勃発においており、かつ、ベトナムとは戦火を交える可能性を完全には排除していない。
このような中国軍の新戦略は、2013年3月に李克強首相が政府活動報告において国防に関する考えを述べた際、2014年の軍事任務として「軍事戦略指導を強化し、現代的軍事力体系を完成し、日常的な戦備と国境での海空防衛のコントロールを強化する」と述べたことにも示されていた。
習近平は、軍事戦略配置を大幅に調整し、「行動する(有所作為)」から「積極的に行い、主導的に行う」ことに変えた。2012年12月、習近平は南シナ海の防衛視察のため訪れた広東軍区で、「必要あれば直ちに応じる(召之即来)、来れば戦う(来之能戦)、戦えば勝つ(戦之能勝)」ことを強調していた。その時戦闘機にも搭乗し、「主導的防御」のみならず、「主導的威嚇、主導的出撃」の姿勢を示した。
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