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2014.09.07
「集団的自衛権という言葉が頻繁に話題に上るようになったのは1990年の湾岸危機の頃からですが、我が国は「集団的自衛権を持つが行使はできない」という立場でした。安倍内閣はこの問題を含め安全保障のあり方に関する検討を行ない、2014年7月1日に新しい方針を閣議決定しました。
そもそも集団的自衛権とはどういう意味でしょうか。「自衛」は比較的明確です。A国がB国から武力攻撃を受けた場合、A国として自国を守ろうとし、そのために武器を取って戦うこともあります。これが「自衛」であり、これは人類の歴史とともにありました。
しかし、「集団で自衛する」というのは分かりにくいことです。A国とB国だけでは説明がつきません。「集団で自衛する」という概念は昔はなく、1945年に国連憲章が世界で初めてこの言葉を使ってから世に知られるようになりましたが、その意味ははっきりせず、さまざまな解釈が生まれました。
集団的自衛とは、B国によって武力攻撃された国がA国ではなく第三のC国であっても、AとCが共同してBの攻撃に対処することです。A国は、自国が攻撃されているのではないのですが、C国と集団で防衛するのです。
しかし、日本はA国のようにC国を防衛することはできませんでした。日本国憲法が禁止していると解釈していたからであり、したがって「日本は集団的自衛権を持つが行使できない」という立場であったのです。
しかし、これでは国際社会の責任ある一員であり、他国に防衛してもらっている日本国として不都合である、他の国を一切助けないというのでは結局日本の安全保障にも支障が出てくる恐れがあると考えられるようになり、集団的自衛権をあらためて検討しなおそうということになりました。
そうは言っても憲法は国家のあり方を定めた根本規範であり、それについて歴代の政府が積み重ねてきた解釈は重いものです。尊重されなければなりません。したがって、集団的自衛権について検討しなおすと言っても、憲法解釈の信頼性を損なわないようにしなければなりません。
最大、かつもっとも困難な問題は、日本がA国のようにC国を助ける道を開くとしてもどのような要件でそれを認めるかということでした。個別の自衛の場合は、「急迫不正の侵害を防ぐため」「他に方法がない時」「反撃するとしても最小限で」などの要件を満たすことが必要であることが国際法で確立しています。
集団的自衛の場合、これに異なる要因が加わってきます。政府・与党における困難な交渉の末閣議決定された新方針は、次の要件が満たされる場合には日本は「武力を行使」できるという考えを打ち出しました。「武力を行使」するとは、武器を取って反撃する、つまり戦うことを意味します。
「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」
「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」
「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに」
「必要最小限度において」
ということです。
具体的なケースにおいて要件が満たされているか否かの判断は政府が行ないますが、原則として事前に国会の承認を求めることになっています。こうすることにより政府が独断で突っ走るのをチェックするという考えですが、現在の政府と議会のあり方から見て、そのようなチェック機能が本当に働くか疑問だとする声もあります。緊急に対応しなければならない場合には国会の承認は事後的にならざるをえないということも考えておく必要があります。
今後の手続きとしては、閣議決定された方針を実施するために法律の整備が必要であり、現在関係省庁で準備中です。政府は関連の法案を来年の通常国会に提出する予定です。
(さらに…)
<集団的自衛権を考える>武力行使ができるのはどんな時?「基礎編」
THEPAGEに9月6日掲載された一文「集団的自衛権という言葉が頻繁に話題に上るようになったのは1990年の湾岸危機の頃からですが、我が国は「集団的自衛権を持つが行使はできない」という立場でした。安倍内閣はこの問題を含め安全保障のあり方に関する検討を行ない、2014年7月1日に新しい方針を閣議決定しました。
そもそも集団的自衛権とはどういう意味でしょうか。「自衛」は比較的明確です。A国がB国から武力攻撃を受けた場合、A国として自国を守ろうとし、そのために武器を取って戦うこともあります。これが「自衛」であり、これは人類の歴史とともにありました。
しかし、「集団で自衛する」というのは分かりにくいことです。A国とB国だけでは説明がつきません。「集団で自衛する」という概念は昔はなく、1945年に国連憲章が世界で初めてこの言葉を使ってから世に知られるようになりましたが、その意味ははっきりせず、さまざまな解釈が生まれました。
集団的自衛とは、B国によって武力攻撃された国がA国ではなく第三のC国であっても、AとCが共同してBの攻撃に対処することです。A国は、自国が攻撃されているのではないのですが、C国と集団で防衛するのです。
しかし、日本はA国のようにC国を防衛することはできませんでした。日本国憲法が禁止していると解釈していたからであり、したがって「日本は集団的自衛権を持つが行使できない」という立場であったのです。
しかし、これでは国際社会の責任ある一員であり、他国に防衛してもらっている日本国として不都合である、他の国を一切助けないというのでは結局日本の安全保障にも支障が出てくる恐れがあると考えられるようになり、集団的自衛権をあらためて検討しなおそうということになりました。
そうは言っても憲法は国家のあり方を定めた根本規範であり、それについて歴代の政府が積み重ねてきた解釈は重いものです。尊重されなければなりません。したがって、集団的自衛権について検討しなおすと言っても、憲法解釈の信頼性を損なわないようにしなければなりません。
最大、かつもっとも困難な問題は、日本がA国のようにC国を助ける道を開くとしてもどのような要件でそれを認めるかということでした。個別の自衛の場合は、「急迫不正の侵害を防ぐため」「他に方法がない時」「反撃するとしても最小限で」などの要件を満たすことが必要であることが国際法で確立しています。
集団的自衛の場合、これに異なる要因が加わってきます。政府・与党における困難な交渉の末閣議決定された新方針は、次の要件が満たされる場合には日本は「武力を行使」できるという考えを打ち出しました。「武力を行使」するとは、武器を取って反撃する、つまり戦うことを意味します。
「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し」
「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある場合において」
「これを排除し、我が国の存立を全うし、国民を守るために他に適当な手段がないときに」
「必要最小限度において」
ということです。
具体的なケースにおいて要件が満たされているか否かの判断は政府が行ないますが、原則として事前に国会の承認を求めることになっています。こうすることにより政府が独断で突っ走るのをチェックするという考えですが、現在の政府と議会のあり方から見て、そのようなチェック機能が本当に働くか疑問だとする声もあります。緊急に対応しなければならない場合には国会の承認は事後的にならざるをえないということも考えておく必要があります。
今後の手続きとしては、閣議決定された方針を実施するために法律の整備が必要であり、現在関係省庁で準備中です。政府は関連の法案を来年の通常国会に提出する予定です。
(さらに…)
2014.09.06
5日、ベラルーシのミンスクでウクライナ東部問題に関する協議が行われ、ウクライナと親ロシア派の代表が停戦に合意した。合意文書は12項目とも14項目とも言われている。停戦は一応実現したらしいが、その他にどのような内容があるのか現時点ではわからない。和平協議が開催されるそうだが、それはおそらく今回の停戦合意の中に含まれているとして、いつ、どこで開催されるのか。
停戦合意に先立ってプーチン大統領がモンゴルを訪問した際に書いた停戦案では、東部ウクライナからウクライナ軍は撤退することになっているが、ではその後東部地域はどうなるか、親ロシア派は建物の占拠を解くのか。今回の停戦合意でもそれが最大の問題である。
また、ウクライナ領内へ入ったロシア軍はどうなるかも実際には問題であるが、このことを親ロシア派は認めないだろうから、ロシア軍は黙って引き上げるだけなのかもしれない。
英南西部のニューポートで4~5日に開催されたNATO首脳会議はポロシェンコ大統領をオブザーバーとして受け入れ、強く支持する姿勢を見せた。ウクライナ軍の支援のために1500万ユーロの基金を設立することを決めた。この他に医療や財政支援も行われる。48時間以内に展開できる即応部隊の創設を柱とする「即応行動計画」も採択した。ウクライナで共同の軍事演習も行う予定である。また、欧米諸国はロシアに対する厳しい見方を変えず、追加制裁を検討中である。
NATOの対応には、東アジアでは見られないユニークさがある。欧米諸国対ロシアという
場面でのみ見られることかもしれない。第1に、突っ張りあいのようにお互いに露骨に強い姿勢を取る。第2に、お互いに不信感が強く、しかもそれを露わにする。第3に、ロシアは停戦協議を支持するなど融和的な姿勢を取っても、NATOは「ではまず協議の成り行きを見極め、その結果いかんで強い措置を講じる」というのではなく、「即応行動計画」やウクライナでの共同訓練の実施予定などはロシアのそのような姿勢に関わらず決定している。これらのことにかんがみると、ロシアは二言目には、核大国であるなどと軍事力の強さを誇ってみせるが、どうもその立場は強くないように感じられる。
NATOも決して一枚岩でない。とくに軍事予算の負担は米国や、それにある程度は英国にとっても大きな負担であり、他のNATO諸国はもっと軍事予算を増額すべきであるということを長年言い続けている。今回の首脳会議に際してもオバマ大統領とキャメロン首相が連名で英タイムズ紙に投稿し、「GDP比で2%を国防費にあてるという目標を達成しているのは、米英などごく少数」と指摘して他のNATO諸国に予算増を呼びかけている。予算もさることながら、フランスのようにロシアに対して米英と伝統的に異なるスタンスの国もある。今回はロシアに対する武器供与を延期するなどしているが、いずれ再開されるだろう。
そのようなスタンスの違いは明らかに存在するが、しかし、ロシアが問題を起こせば起こすほどNATOは結束を強め、ロシアに対する圧力が強くなる。このような関係にあって、ロシアの立場を補強してくれる勢力は皆無に近い。国際場裏で同じ保守派として盟友の中国は少数民族問題に悩まされており、ウクライナ問題については単純にロシアを支持することはできない。欧米諸国には賛成しないというのがせいぜいである。
ただし、本ブログでしばしば紹介している米国拠点の『多維新聞』の見方はかなり違うことを紹介しておく。すなわち、9月4日付の同紙は、「NATO首脳会議が開催される直前、プーチン大統領はウクライナ問題について融和的な姿勢を見せ、緊張緩和に導き、ポロシェンコ大統領は停戦の合意を発表できた」「そのためNATOが振り上げたこぶしは下せなくなってしまった。出兵の理由がなくなった」「プーチン大統領はオバマ大統領より優位に立った」というものである。
しかし、プーチン大統領がNATO首脳会議を考慮して融和的な態度を見せたとしても、それはとりもなおさずロシアの立場が弱いことを示唆しているのではないか。
(さらに…)
ウクライナ問題とNATO
ウクライナ問題をしばしば取り上げるのは、ロシアの国際的地位、米欧や中国との関係などをよくフォローしたいからである。5日、ベラルーシのミンスクでウクライナ東部問題に関する協議が行われ、ウクライナと親ロシア派の代表が停戦に合意した。合意文書は12項目とも14項目とも言われている。停戦は一応実現したらしいが、その他にどのような内容があるのか現時点ではわからない。和平協議が開催されるそうだが、それはおそらく今回の停戦合意の中に含まれているとして、いつ、どこで開催されるのか。
停戦合意に先立ってプーチン大統領がモンゴルを訪問した際に書いた停戦案では、東部ウクライナからウクライナ軍は撤退することになっているが、ではその後東部地域はどうなるか、親ロシア派は建物の占拠を解くのか。今回の停戦合意でもそれが最大の問題である。
また、ウクライナ領内へ入ったロシア軍はどうなるかも実際には問題であるが、このことを親ロシア派は認めないだろうから、ロシア軍は黙って引き上げるだけなのかもしれない。
英南西部のニューポートで4~5日に開催されたNATO首脳会議はポロシェンコ大統領をオブザーバーとして受け入れ、強く支持する姿勢を見せた。ウクライナ軍の支援のために1500万ユーロの基金を設立することを決めた。この他に医療や財政支援も行われる。48時間以内に展開できる即応部隊の創設を柱とする「即応行動計画」も採択した。ウクライナで共同の軍事演習も行う予定である。また、欧米諸国はロシアに対する厳しい見方を変えず、追加制裁を検討中である。
NATOの対応には、東アジアでは見られないユニークさがある。欧米諸国対ロシアという
場面でのみ見られることかもしれない。第1に、突っ張りあいのようにお互いに露骨に強い姿勢を取る。第2に、お互いに不信感が強く、しかもそれを露わにする。第3に、ロシアは停戦協議を支持するなど融和的な姿勢を取っても、NATOは「ではまず協議の成り行きを見極め、その結果いかんで強い措置を講じる」というのではなく、「即応行動計画」やウクライナでの共同訓練の実施予定などはロシアのそのような姿勢に関わらず決定している。これらのことにかんがみると、ロシアは二言目には、核大国であるなどと軍事力の強さを誇ってみせるが、どうもその立場は強くないように感じられる。
NATOも決して一枚岩でない。とくに軍事予算の負担は米国や、それにある程度は英国にとっても大きな負担であり、他のNATO諸国はもっと軍事予算を増額すべきであるということを長年言い続けている。今回の首脳会議に際してもオバマ大統領とキャメロン首相が連名で英タイムズ紙に投稿し、「GDP比で2%を国防費にあてるという目標を達成しているのは、米英などごく少数」と指摘して他のNATO諸国に予算増を呼びかけている。予算もさることながら、フランスのようにロシアに対して米英と伝統的に異なるスタンスの国もある。今回はロシアに対する武器供与を延期するなどしているが、いずれ再開されるだろう。
そのようなスタンスの違いは明らかに存在するが、しかし、ロシアが問題を起こせば起こすほどNATOは結束を強め、ロシアに対する圧力が強くなる。このような関係にあって、ロシアの立場を補強してくれる勢力は皆無に近い。国際場裏で同じ保守派として盟友の中国は少数民族問題に悩まされており、ウクライナ問題については単純にロシアを支持することはできない。欧米諸国には賛成しないというのがせいぜいである。
ただし、本ブログでしばしば紹介している米国拠点の『多維新聞』の見方はかなり違うことを紹介しておく。すなわち、9月4日付の同紙は、「NATO首脳会議が開催される直前、プーチン大統領はウクライナ問題について融和的な姿勢を見せ、緊張緩和に導き、ポロシェンコ大統領は停戦の合意を発表できた」「そのためNATOが振り上げたこぶしは下せなくなってしまった。出兵の理由がなくなった」「プーチン大統領はオバマ大統領より優位に立った」というものである。
しかし、プーチン大統領がNATO首脳会議を考慮して融和的な態度を見せたとしても、それはとりもなおさずロシアの立場が弱いことを示唆しているのではないか。
(さらに…)
2014.09.04
5月25日のウクライナ大統領選挙にまでさかのぼると、これに反対していた親ロシア派は前月から行動を活発化し、政府庁舎の占拠を始めていた。しかし、ウクライナ全体では大統領選挙は比較的円滑に実施され、ポロシェンコ新大統領が無事誕生した。
6月6日、ポロシェンコ・プーチン両大統領はノルマンディー上陸記念式典の際出会い、握手も交わした。この時は短時間であったのでとくに突っ込んだ話し合いは行なわれなかったが、ポロシェンコ新大統領にとっては上々の滑り出しであった。
6月27日、ウクライナはグルジアとモルドバとともにEUと連合協定に署名した。将来のEU加盟へ向けての準備の一環であるが、長年の懸案であり、ウクライナにとっては重要な前進であった。
7月17日、マレイシア機MH17便の撃墜事件が起こり、ロシアとウクライナおよび欧米諸国の関係は非常に悪化した。ウクライナ東部ではウクライナ政府の攻勢が強くなり、親ロシア派の武器、食料などが欠乏しかけており、それに対するロシアからの陸路補給が新たな問題となった。
米欧はロシアの姿勢がウクライナ東部の情勢を悪化させているとして対ロシア追加制裁措置を取り、日本も8月5日、追加措置を決定した。
8月26日、ベラルーシでポロシェンコ・プーチン会談が実現し、停戦協議の再開について合意された。その前からロシアによって支えられていた親ロシア派の攻勢が再び強くなり、ウクライナ政府軍は劣勢に立っていたので、この合意はウクライナ政府にとって救いであっただろう。
しかし、その後も事態は改善されなかった。8月28日、ポロシェンコ大統領は、ロシアの戦車部隊がドネツク州南部の国境を突破したとして、緊急声明を発表した。続いて、30日、ポロシェンコ大統領はEU首脳会談がおこなわれていたブリュッセルで会見し、ウクライナ東部の状況は「取り返しのつかない地点に近づいている」と訴え、停戦協議の重要性を強調した。
一方、停戦協議再開のための交渉は並行的に進められていたらしく、ベラルーシ外務省は30日、停戦協議が1日、ベラルーシの首都ミンスクで行われることを明らかにした。
ポロシェンコ大統領がEUなどに窮状を訴える間、ロシアのプーチン大統領は8月31日、「本質的な問題についての協議をただちに始める必要がある。ウクライナ南東部における政治組織、国家機構の問題だ」と述べた。親ロシア派が拠点としているドネツク、ルガンスク両州に、事実上の独立国に近い地位を与えるべきだという考えとみられた。
(9月1日のベラルーシでの協議は実現しなかった。)
NATOは9月4~5日に英国西部ニューポートで首脳会議を開催する。1日、北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は記者会見で、ウクライナ危機を受け、即応体制の強化に向けて数千人規模の「先陣部隊」を新設する考えを明らかにした。この部隊は最短2日で域内に展開可能である。また、有事の際に機敏に対応するための「即応行動計画」がまとめられる予定となった。先陣部隊は同計画の柱である。
9月3日、オバマ米大統領はNATO首脳会議に先立つ3日、エストニアを訪問し、同国とリトアニア、ラトビアのバルト3国防衛へのNATOの支援を確約した。同時にオバマ大統領はウクライナでの対立激化についてロシア政府を非難し、ロシアの侵略姿勢に対する結束を呼びかけ、た。NATO事務総長とオバマ大統領の行動と発言はロシアにとって強い圧力となったものと推測される。
同日、ポロシェンコ・プーチン両大統領は電話で協議し、ウクライナ側の発表によると、「平和の確立に向けた段取りについて、相互理解が得られた」。
一方、プーチン氏は訪問先のモンゴルで、電話協議について「紛争の正常化に向けた道筋について、私たちの見解は非常に近いと感じた」と述べた。
プーチン氏はさらに、電話協議後モンゴルに向かう機中で書き上げたという、7項目からなる停戦計画案を発表した。(1)ウクライナ軍と親ロ派の即時停戦(2)ウクライナ軍の撤退(3)国際的な停戦監視(4)紛争地での一般市民に対する軍用機の使用禁止(5)捕虜の無条件交換(6)避難民の移動と人道支援物資運搬のための「人道回廊」の確保(7)破壊されたインフラの復旧である。親ロ派に対しても停戦を呼びかけた点が注目されたが、ウクライナ軍に対して東部から撤退するよう求める一方、親ロシア派による政府建物の占拠には触れておらず、ウクライナ側が受け入れない可能性もある。
プーチン大統領は以前、ウクライナ東部に事実上の国家ないし独立性の高い自治区を認める必要があると言っていた。そのような考えはすでになくなっているかという問題もある。
(さらに…)
ウクライナ問題に関する9月5日の協議
9月5日、ベラルーシでウクライナ東部での戦闘に関し停戦協議が再開される。これに至る過程で関係諸国間ではフォローするのが困難になるくらいさまざまな動きや発言があった。停戦協議再開の前に多少」整理しておいた。5月25日のウクライナ大統領選挙にまでさかのぼると、これに反対していた親ロシア派は前月から行動を活発化し、政府庁舎の占拠を始めていた。しかし、ウクライナ全体では大統領選挙は比較的円滑に実施され、ポロシェンコ新大統領が無事誕生した。
6月6日、ポロシェンコ・プーチン両大統領はノルマンディー上陸記念式典の際出会い、握手も交わした。この時は短時間であったのでとくに突っ込んだ話し合いは行なわれなかったが、ポロシェンコ新大統領にとっては上々の滑り出しであった。
6月27日、ウクライナはグルジアとモルドバとともにEUと連合協定に署名した。将来のEU加盟へ向けての準備の一環であるが、長年の懸案であり、ウクライナにとっては重要な前進であった。
7月17日、マレイシア機MH17便の撃墜事件が起こり、ロシアとウクライナおよび欧米諸国の関係は非常に悪化した。ウクライナ東部ではウクライナ政府の攻勢が強くなり、親ロシア派の武器、食料などが欠乏しかけており、それに対するロシアからの陸路補給が新たな問題となった。
米欧はロシアの姿勢がウクライナ東部の情勢を悪化させているとして対ロシア追加制裁措置を取り、日本も8月5日、追加措置を決定した。
8月26日、ベラルーシでポロシェンコ・プーチン会談が実現し、停戦協議の再開について合意された。その前からロシアによって支えられていた親ロシア派の攻勢が再び強くなり、ウクライナ政府軍は劣勢に立っていたので、この合意はウクライナ政府にとって救いであっただろう。
しかし、その後も事態は改善されなかった。8月28日、ポロシェンコ大統領は、ロシアの戦車部隊がドネツク州南部の国境を突破したとして、緊急声明を発表した。続いて、30日、ポロシェンコ大統領はEU首脳会談がおこなわれていたブリュッセルで会見し、ウクライナ東部の状況は「取り返しのつかない地点に近づいている」と訴え、停戦協議の重要性を強調した。
一方、停戦協議再開のための交渉は並行的に進められていたらしく、ベラルーシ外務省は30日、停戦協議が1日、ベラルーシの首都ミンスクで行われることを明らかにした。
ポロシェンコ大統領がEUなどに窮状を訴える間、ロシアのプーチン大統領は8月31日、「本質的な問題についての協議をただちに始める必要がある。ウクライナ南東部における政治組織、国家機構の問題だ」と述べた。親ロシア派が拠点としているドネツク、ルガンスク両州に、事実上の独立国に近い地位を与えるべきだという考えとみられた。
(9月1日のベラルーシでの協議は実現しなかった。)
NATOは9月4~5日に英国西部ニューポートで首脳会議を開催する。1日、北大西洋条約機構(NATO)のラスムセン事務総長は記者会見で、ウクライナ危機を受け、即応体制の強化に向けて数千人規模の「先陣部隊」を新設する考えを明らかにした。この部隊は最短2日で域内に展開可能である。また、有事の際に機敏に対応するための「即応行動計画」がまとめられる予定となった。先陣部隊は同計画の柱である。
9月3日、オバマ米大統領はNATO首脳会議に先立つ3日、エストニアを訪問し、同国とリトアニア、ラトビアのバルト3国防衛へのNATOの支援を確約した。同時にオバマ大統領はウクライナでの対立激化についてロシア政府を非難し、ロシアの侵略姿勢に対する結束を呼びかけ、た。NATO事務総長とオバマ大統領の行動と発言はロシアにとって強い圧力となったものと推測される。
同日、ポロシェンコ・プーチン両大統領は電話で協議し、ウクライナ側の発表によると、「平和の確立に向けた段取りについて、相互理解が得られた」。
一方、プーチン氏は訪問先のモンゴルで、電話協議について「紛争の正常化に向けた道筋について、私たちの見解は非常に近いと感じた」と述べた。
プーチン氏はさらに、電話協議後モンゴルに向かう機中で書き上げたという、7項目からなる停戦計画案を発表した。(1)ウクライナ軍と親ロ派の即時停戦(2)ウクライナ軍の撤退(3)国際的な停戦監視(4)紛争地での一般市民に対する軍用機の使用禁止(5)捕虜の無条件交換(6)避難民の移動と人道支援物資運搬のための「人道回廊」の確保(7)破壊されたインフラの復旧である。親ロ派に対しても停戦を呼びかけた点が注目されたが、ウクライナ軍に対して東部から撤退するよう求める一方、親ロシア派による政府建物の占拠には触れておらず、ウクライナ側が受け入れない可能性もある。
プーチン大統領は以前、ウクライナ東部に事実上の国家ないし独立性の高い自治区を認める必要があると言っていた。そのような考えはすでになくなっているかという問題もある。
(さらに…)
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