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2014.08.18

習近平に対する称賛

8月18日の『多維新聞』は、習近平が国民的人気を博しているという論評記事を掲載している。政治的課題の関係では習近平の置かれている状況は容易でないことを示す材料が多く、本ブログでもそのような傾向の文章が多くなっているが、この多維新聞の論評はかなり趣を異にしている。断片的であるが、注目された文章はつぎのとおりである。訪中した人が街中で聞く声はこの論評と軌を一にするものが多い。
ただし、中国はこれまで軟弱外交であったというのは、外国での常識とかなりかけ離れている。また、共産党への称賛との関係についても趣旨は必ずしも明確でないが、ほぼ原文通り紹介しておく。

○習近平に対する称賛は、リーダーとしての能力の点ではある程度毛沢東や鄧小平に近づいている。
○習近平は王岐山の力を借りて腐敗撲滅運動を進め、民衆の期待に応えている。習近平が政権の座に就いた時、人々は反腐敗運動がこのように長期間継続されるとは思わなかった。習近平の腐敗撲滅にかける情熱は前任者に勝っている。
○習近平が普段着で街に出て自らパオズ(包子)を買いに行ったことは、ある調査ではその月に国民が最も満足したことであるという結果が出ており、労働教育制度の廃止や月探査機の月面着陸よりも上であった。また、習近平の執務室には家族の写真が飾ってあるなど、、、(原文はこのように途中で終わっている)。
○習近平は外交で「姿勢を低くして力を蓄える」ことをやめ、国民の利益を犠牲にすることは絶対にないこと、いかなる国も中国が核心的利益で妥協することなど望みえないことを明言している。中国の民衆は長期間続いた軟弱外交の病を一掃してくれることを期待している。
○習近平を肯定的に評価する意見は中国共産党全体の評価を上回っている。これは研究に値する現象である。習近平に対する評価は共産党の評価を上げるのに役立っている。中国は長期にわたって一党独裁体制の政治を行ない、指導者によって中国に及ぼす影響が違っていた。習近平個人に対する称賛が中国共産党に対する称賛に引き上げられるならば、共産党の「合法性」は大いに高められる。

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2014.08.17

中国雑記 8月16日まで

○NYT紙のネットサイトは8月14日、習近平はすでに反腐敗闘争の目標を江沢民に定めているという内容の記事を流している。作者は狄雨霏(Didi Kirsten Tatlow)。その根拠として、301医院に掲げられていた江沢民の字が撤去されていたことを示す写真もつけている。ただし、その字は14日には元の場所に戻されていた。
○追及の手は中央電視台にもおよび大ボスの郭振玺に続いて、10人が連行された。14日にはCCTV-8の副总监黄海涛も連行された(多維新聞8月15日)
○8月15~18日、寧波あるいは上海沖で実弾の発射訓練を行うので一定範囲の海域が立ち入り禁止となった。我が国の終戦記念日と関係しているかもしれない。
○鄧小平の評価に関わる言論が増えている。8月22日が生誕110周年に当たるので同人関係の評論などが増えているのは明らかであり、鄧小平の業績の再評価とみなすことはできないが、最近の言論は鄧小平礼賛一辺倒でなく、ある程度批判的である。
8月16日付の『多維新聞』は、1978年12月21日に掲載された同紙「特约评论员」の「人民万岁」と題する一文を引用し、鄧小平、華国鋒、葉剣英、胡耀邦らの間で意見が違っていたことを紹介している。1978年から翌年にかけて北京の西单に民主化を求める壁新聞が多数張り出された時のことで、当時は一方で、改革開放路線が決定され動き出す時であった。それだけにかじ取りは困難であり、民主化に過度に流れると危険であると鄧小平は思っていたのであろう。魏京生はまさにそのことを象徴しており、「民主か、新しい独裁か」と題して鄧小平を名指しで批判して捕えられ、15年の刑を科された。短命に終わった「北京の春」である。一方、保守派の華国鋒もその後まもなく引きずりおろされ、葉剣英は高齢で(当時約80歳)影響力はなく、胡耀邦は鄧小平に忠実で、鄧小平の地位がますます強固になっていった。
鄧小平は1989年の天安門事件とその後の南巡講話まで左右の対立の中で改革開放路線を進めていき(拙著「習近平政権の基本方針‐鄧小平の示唆」『習近平政権の言論統制』蒼蒼社 2014年を参照されたい)、そのことにチャレンジすることは中国ではまず不可能であり、今日に至るまで基本的にはそのような雰囲気が支配的であった。
そのような経緯を背景に考えると、今回『多維新聞』がどういう意図でそのようなことを書いたのか気になることである。
なお、『多維新聞』がその時点でそのようなことを書けたのは、米国に拠点があるからであろう。

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2014.08.16

自治体外交

THEPAGEに8月13日掲載されたもの。

「さる7月末、東京都の舛添知事が韓国を訪問したことがきっかで「自治体外交」が注目を集めています。歴史問題をめぐって日韓関係は落ち込んでおり、安倍首相と朴槿恵大統領との首脳会談はまだ一度も実現していないなかで、舛添知事は朴槿恵大統領と会談し、安倍首相の日韓関係改善に向けた意欲を伝えました。朴槿恵大統領も両国関係が今のようなままであってはいけないと考えていると語ったそうです(「舛添都知事日記」「現代ビジネス」8月5日)。
 「自治体外交」と言っても2つの種類があります。一つは自治体同士の交流で、東京都とソウル特別市との間には共通の問題、関心事があり、従来から協力しています。自治体間の関係増進は国家間の関係にも役立つでしょう。しかし、自治体は国家と国家が行なう外交を肩代わりはできません。その権能は国の法律で決まっており、その範囲内でしか行動できないからです。真の意味の外交は政府の専権事項です。
もう一つは、舛添知事が日本の政治家として政府間の外交に非公式に協力し、推進する役割を担ったことです。舛添氏に限りません。福田康夫元首相が中国をひそかに訪問し、習近平主席と会見して日中関係改善について話し合ったことも注目されました。
舛添氏や福田氏の行動は正規の外交ではありませんが、政府間の関係が現在のような膠着状態に陥っている場合、形式にとらわれずお互いの真意を知る上で役に立ちます。正規の外交では建前もあれば、もろもろの手順を踏むことも必要ですし、また、第三国との関係など考慮しなければならない要因が多数あり、そのため関係改善と言っても容易でありません。非公式の接触では付随的な諸問題はさておき、カギとなる問題について直接的に、率直に話し合うことができます。こじれている関係を解きほぐすきっかけを作ることも不可能ではありません。
 もっともよいことばかりではありません。非公式の接触の結果が正規の関係において実現しない危険もあります。通信手段が現在のように発達していなかった昔は、元首の代理と称する者が意図的に相手を欺いて、自国に有利なように関係を運ぼうとすることが少なくありませんでした。今はそのようなことはまずありませんが、意図的でなくても政府の意図が正しく伝わらないことはありえます。そうなると、あらためて他の方法で真偽を確かめることが必要となるなど非公式の接触には一定程度の危険もあります。
カーター元米大統領は1994年に北朝鮮を訪問し、それまで疎遠であった米国と北朝鮮が関係を打開するきっかけを作り、それから数ヵ月後、いわゆる「枠組み合意」が結ばれました。これは成功した一例です。北朝鮮との関係では、米国に限らず日本もこのような非公式な接触に頼っている面があります。
日本と中国との間では、戦後さまざまな非公式接触があり、その積み重ねの上で1972年に国交正常化が実現しました。中国とは米国も非公式の接触を活用しています。
世界の情勢は大きく変化しています。外交に課せられた課題も昔と今では比較になりません。そのような客観的な状況の変化を背景に、外交もただ政府が行なうだけでなく、民間と協力しながら進めていくことによって新しい可能性が開け、また、外交の幅が広がります。福田氏や舛添氏の活躍により中韓両国との関係がこう着状態から一歩抜け出していくことが期待されます。」

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