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2015.07.13
一方、我が国の安全保障に影響を及ぼす国際情勢はつねに変化しています。安倍首相は、我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するため、安全保障関係の法制を整備しなければならないとさまざまな機会に強調しています。
この考えを具現したのが、昨年の閣議決定に基づき、政府が2015年5月15日に国会へ提出した安全保障関連法の改正案であり、現在審議が行われています。
法案は形式的には2本だけですが、そのなかの「平和安全法制整備法案」は既存の法律10本を改正するものであり、また、他の「国際平和支援法案」は新規の法律となっていますが、実質的には、かつて存在し現在は終了している法律を改正するものです。したがって国会で審議されている11本の法律案は、すべてこれまでの法律を改正するものとみなしてよいでしょう。
改正法案の具体的内容は、自衛の範囲・程度に関わることと国際貢献に関することに2分できます。本稿では前者を説明します。
第1に、自衛隊が対応を求められる脅威とは何かです。現下の国際情勢に照らせば、その範囲を拡大する必要がありますが、広げ過ぎると「自衛」を超えるという困難な問題です。
まず、脅威の発生する場所です。現在、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」として、脅威の発生する場所は我が国周辺に限定されていますが、改正法案(重要影響事態法)はこれから「我が国周辺の地域における」を削除しています。地理的限定を撤廃しているのです。つまり、世界中のどこでも自衛隊が行動しなければならなくなる脅威がありうるという認識にしたのです。このように場所を問わず日本に及んでくる脅威は「重要影響事態」と呼ばれています。
脅威の種類は他にいくつかあります。現在自衛隊が行動できるのは「武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(武力攻撃事態)」と「武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態(武力攻撃予測事態)」であるとされています。これらを「武力攻撃を受けた場合など」と言うことにします。
改正法案(武力攻撃・存立危機事態法)は、これに加え、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)」を追加しました。
つまり、今までは「我が国に対する武力攻撃など」が自衛隊の対処する脅威であったのですが、改正法案では「他国に対する武力攻撃」の場合も含めることにしたのです。これは、今回の法整備で集団的自衛権の行使を認めた結果であり、法改正の焦点の一つです。
しかし、他国が攻撃された場合にまで広げると「自衛」でなくなる恐れがあるので、他国に対する攻撃が発生した場合の後に、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)」を追加しました。こうすることにより、他国に対する武力攻撃であっても日本に対する脅威でもあり、これに対する対応は「自衛」であるという理屈にしたのです。これは「他国に対する武力攻撃」であるが「自衛」が必要な場合と認識するための工夫であり、存立危機事態は一種のハイブリッドです。「中途半端に集団的自衛権を求めた」と評する人も居ます。
さらに改正法案は、これまで自衛隊が行動することが想定されていなかったいくつかの事態も今後自衛隊が対応すべき事態としています。具体的には、尖閣諸島のような離島へ不法な侵入・侵害が発生し、警察力で直ちに対応できない場合、あるいは外国潜水艦による我が国領海内での航行において違法行為があった場合、あるいは在外邦人の避難の過程で外国から不法行為が加えられた場合などで、一括して「グレーゾーン事態」と呼ばれています。これらについては「自衛隊法」の改正で手当てしています。
第2に、自衛隊の行動する場所です。「自衛」ですから当然日本の領域が原則ですが、それだけでは十分でなく、厳密に日本の領域に対する攻撃でなくても一定の事態においては、日本の「周辺」で一定範囲の行動ができるようになっていました。
今回の改正では、脅威の発生する場所が日本の「周辺」であるいう地理的限定を撤廃したことに伴い、自衛隊の行動する場所についても限定をなくしています。世界のどこでも自衛隊は行動可能になっているのです。
さらに、改正法案は、他国に対する武力攻撃であっても存立危機事態であれば自衛隊は「武力攻撃を排除」しなければならないと定めています。自衛隊が行動する場所としては明記されていませんが、「武力攻撃を排除」するためには、当然武力攻撃された国の領域へ行かなければならないでしょう。安倍首相はじめ政府関係者は自衛隊が他国の領域に出ていくことはないと答弁していますが、改正法の記載と整合性がとれているか疑問です。
第3に、自衛隊が取れる手段・行動については、いつでも何でもできるのではありません。脅威の態様に応じてどのような手段・行動が取れるかを改正法案は定めています。
「重要影響事態」の場合自衛隊が行なうのは後方地域支援や捜索・救助など比較的軽いことです。
「存立危機事態」の場合は、「攻撃を排除するために必要な武力の行使、部隊等の展開」など非常に重いことであり、このなかには武器の使用が含まれます。
以上、自衛隊が対応する脅威の種類、行動する場所、目的達成のための手段を見てきました。改正法案の内容は、政府はすべて「自衛」の範囲内と見ていますが、集団的自衛権行使は憲法上認められないという有力な意見があります。
また、「自衛」については、自衛隊だけの問題でなく、日米安保条約に基づく米軍との協力と一体となって行なわれます。後方地域支援は米軍の作戦と一線を画して行なわれるというのが政府の考えですが、相手国は必ずしもそのように理解しないので、後方地域支援であっても戦闘に巻き込まれる恐れがあるという指摘もあり、そうなると憲法違反の問題になりえます。
また、自衛隊の行動の範囲が広がり、協力する国が米国だけでなくなり、多数の国に広がると、「多国間の国際協力」との境界線が不明瞭になるという問題もあります。
(7月11日、THE PAGEに掲載)
そもそも「安保法案」とは?(日本の防衛編)
我が国は戦後、新憲法の下で平和主義に徹しつつ、必要最小限の自衛は可能という見解を取ってきました。その下で、具体的に、自衛隊がどのような脅威に対して、どの場所で、どの手段によって自衛の行動を取れるか、関連の諸法律によって厳格に定めています。一方、我が国の安全保障に影響を及ぼす国際情勢はつねに変化しています。安倍首相は、我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するため、安全保障関係の法制を整備しなければならないとさまざまな機会に強調しています。
この考えを具現したのが、昨年の閣議決定に基づき、政府が2015年5月15日に国会へ提出した安全保障関連法の改正案であり、現在審議が行われています。
法案は形式的には2本だけですが、そのなかの「平和安全法制整備法案」は既存の法律10本を改正するものであり、また、他の「国際平和支援法案」は新規の法律となっていますが、実質的には、かつて存在し現在は終了している法律を改正するものです。したがって国会で審議されている11本の法律案は、すべてこれまでの法律を改正するものとみなしてよいでしょう。
改正法案の具体的内容は、自衛の範囲・程度に関わることと国際貢献に関することに2分できます。本稿では前者を説明します。
第1に、自衛隊が対応を求められる脅威とは何かです。現下の国際情勢に照らせば、その範囲を拡大する必要がありますが、広げ過ぎると「自衛」を超えるという困難な問題です。
まず、脅威の発生する場所です。現在、「そのまま放置すれば我が国に対する直接の武力攻撃に至るおそれのある事態等我が国周辺の地域における我が国の平和及び安全に重要な影響を与える事態」として、脅威の発生する場所は我が国周辺に限定されていますが、改正法案(重要影響事態法)はこれから「我が国周辺の地域における」を削除しています。地理的限定を撤廃しているのです。つまり、世界中のどこでも自衛隊が行動しなければならなくなる脅威がありうるという認識にしたのです。このように場所を問わず日本に及んでくる脅威は「重要影響事態」と呼ばれています。
脅威の種類は他にいくつかあります。現在自衛隊が行動できるのは「武力攻撃が発生した事態又は武力攻撃が発生する明白な危険が切迫していると認められるに至った事態(武力攻撃事態)」と「武力攻撃事態には至っていないが、事態が緊迫し、武力攻撃が予測されるに至った事態(武力攻撃予測事態)」であるとされています。これらを「武力攻撃を受けた場合など」と言うことにします。
改正法案(武力攻撃・存立危機事態法)は、これに加え、「我が国と密接な関係にある他国に対する武力攻撃が発生し、これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)」を追加しました。
つまり、今までは「我が国に対する武力攻撃など」が自衛隊の対処する脅威であったのですが、改正法案では「他国に対する武力攻撃」の場合も含めることにしたのです。これは、今回の法整備で集団的自衛権の行使を認めた結果であり、法改正の焦点の一つです。
しかし、他国が攻撃された場合にまで広げると「自衛」でなくなる恐れがあるので、他国に対する攻撃が発生した場合の後に、「これにより我が国の存立が脅かされ、国民の生命、自由及び幸福追求の権利が根底から覆される明白な危険がある事態(存立危機事態)」を追加しました。こうすることにより、他国に対する武力攻撃であっても日本に対する脅威でもあり、これに対する対応は「自衛」であるという理屈にしたのです。これは「他国に対する武力攻撃」であるが「自衛」が必要な場合と認識するための工夫であり、存立危機事態は一種のハイブリッドです。「中途半端に集団的自衛権を求めた」と評する人も居ます。
さらに改正法案は、これまで自衛隊が行動することが想定されていなかったいくつかの事態も今後自衛隊が対応すべき事態としています。具体的には、尖閣諸島のような離島へ不法な侵入・侵害が発生し、警察力で直ちに対応できない場合、あるいは外国潜水艦による我が国領海内での航行において違法行為があった場合、あるいは在外邦人の避難の過程で外国から不法行為が加えられた場合などで、一括して「グレーゾーン事態」と呼ばれています。これらについては「自衛隊法」の改正で手当てしています。
第2に、自衛隊の行動する場所です。「自衛」ですから当然日本の領域が原則ですが、それだけでは十分でなく、厳密に日本の領域に対する攻撃でなくても一定の事態においては、日本の「周辺」で一定範囲の行動ができるようになっていました。
今回の改正では、脅威の発生する場所が日本の「周辺」であるいう地理的限定を撤廃したことに伴い、自衛隊の行動する場所についても限定をなくしています。世界のどこでも自衛隊は行動可能になっているのです。
さらに、改正法案は、他国に対する武力攻撃であっても存立危機事態であれば自衛隊は「武力攻撃を排除」しなければならないと定めています。自衛隊が行動する場所としては明記されていませんが、「武力攻撃を排除」するためには、当然武力攻撃された国の領域へ行かなければならないでしょう。安倍首相はじめ政府関係者は自衛隊が他国の領域に出ていくことはないと答弁していますが、改正法の記載と整合性がとれているか疑問です。
第3に、自衛隊が取れる手段・行動については、いつでも何でもできるのではありません。脅威の態様に応じてどのような手段・行動が取れるかを改正法案は定めています。
「重要影響事態」の場合自衛隊が行なうのは後方地域支援や捜索・救助など比較的軽いことです。
「存立危機事態」の場合は、「攻撃を排除するために必要な武力の行使、部隊等の展開」など非常に重いことであり、このなかには武器の使用が含まれます。
以上、自衛隊が対応する脅威の種類、行動する場所、目的達成のための手段を見てきました。改正法案の内容は、政府はすべて「自衛」の範囲内と見ていますが、集団的自衛権行使は憲法上認められないという有力な意見があります。
また、「自衛」については、自衛隊だけの問題でなく、日米安保条約に基づく米軍との協力と一体となって行なわれます。後方地域支援は米軍の作戦と一線を画して行なわれるというのが政府の考えですが、相手国は必ずしもそのように理解しないので、後方地域支援であっても戦闘に巻き込まれる恐れがあるという指摘もあり、そうなると憲法違反の問題になりえます。
また、自衛隊の行動の範囲が広がり、協力する国が米国だけでなくなり、多数の国に広がると、「多国間の国際協力」との境界線が不明瞭になるという問題もあります。
(7月11日、THE PAGEに掲載)
2015.07.10
先日の有識者会議は2520億円の見積もりで建設を進めることを了承したそうだが、さらに数百億円必要なのに、どうして了承できたのか理解に苦しむ。一部についての了承など何の意味があるのかわからない。
これまでの推移を見ていると、責任を負うべき人が責任を果たしていないと言わざるを得ない。国立競技場は、文科省の監督下にある独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が管理運営しており、建設する主体は同センターなのであろう。ところが、センター側は難しい話になると文科省の指導でやっていると言い、一方、文科大臣は費用が高額になることについて文科省に相談があったのは今年の4月だと言っている。
オリンピック・パラリンピック組織委員会が建設にどのように関わっているのか詳しいことは知らないが、委員長は有識者会議のメンバーである。
また、500億円の拠出を要請されている舛添東京都知事は数日前まで根拠の薄弱な拠出に難色を示していたが、やはり有識者会議のメンバーとして2520億円を了承した。立場が違うと言っても500億円の拠出はもはや抵抗できないだろう。
このような恐ろしい状況であるにもかかわらず、建設はこの秋に開始されるそうだ。偉い役所、偉い人が関与しているのに誰からも責任ある意見は聞かれない。これらの人たちからは、ただ時間がない、期日までに完成させるには2520億円プラス数百億円の建設費用見積もりで進むしかないという話しか聞かれない。
全体を見てうまくいっていなければ調整役を務めるべき内閣からは、オリンピック招致の際安倍首相は新競技場のデザインを見せつつ招致に努めたので、このデザインを変えることはできないという説明がなされているが、費用全体について国際的にどう説明したのか。このように途方もない費用であれば、デザインの変更もやむをえないということに国際的な理解が得られることなどまったく考慮されていないのではないか。
とほうもない巨額の費用がかさむ計画がタイムリミットの脅迫の下にだれもコントロールできないまま進んでいく。何という無責任体制であろうか。日中戦争以来の日本の対応は問題であったと指摘されるが、今回ほどあきれた無責任ぶりではなかったように思う。
今からでも遅くない。全体の費用予測をもっと正確に立て、デザインを見直すべきである。文科大臣、官邸はその方向で指導力を発揮すべきである。そのためにラグビーのワールドカップに間に合わなくなるのであれば、花園ラグビー場など既存の施設の改修で対応すべきである。
それと、比較的次元の低いことだが重要なことがある。後日の検査・監査に耐えうる会計処理が必要であり、そのため、建設に関する帳簿の作成責任者を明確にし、正しく作成・管理すべきである。
(短文)新国立競技場の建設
新国立競技場の建設について途方もない話が進んでいる。これまでのオリンピック競技場で4ケタの億円に上った例はないが、新競技場の建設費用は2520億円。これは国際比較して恥ずかしい金額である。しかも、この見積りには、数百億円の土砂運搬費用や屋根の工事費用が含まれていないので、トータルな建設費用は2520億円を大幅に上回るらしい。また、建設後の運営費用も莫大で、その負担にあえぐことになる恐れがあるそうだ。先日の有識者会議は2520億円の見積もりで建設を進めることを了承したそうだが、さらに数百億円必要なのに、どうして了承できたのか理解に苦しむ。一部についての了承など何の意味があるのかわからない。
これまでの推移を見ていると、責任を負うべき人が責任を果たしていないと言わざるを得ない。国立競技場は、文科省の監督下にある独立行政法人日本スポーツ振興センター(JSC)が管理運営しており、建設する主体は同センターなのであろう。ところが、センター側は難しい話になると文科省の指導でやっていると言い、一方、文科大臣は費用が高額になることについて文科省に相談があったのは今年の4月だと言っている。
オリンピック・パラリンピック組織委員会が建設にどのように関わっているのか詳しいことは知らないが、委員長は有識者会議のメンバーである。
また、500億円の拠出を要請されている舛添東京都知事は数日前まで根拠の薄弱な拠出に難色を示していたが、やはり有識者会議のメンバーとして2520億円を了承した。立場が違うと言っても500億円の拠出はもはや抵抗できないだろう。
このような恐ろしい状況であるにもかかわらず、建設はこの秋に開始されるそうだ。偉い役所、偉い人が関与しているのに誰からも責任ある意見は聞かれない。これらの人たちからは、ただ時間がない、期日までに完成させるには2520億円プラス数百億円の建設費用見積もりで進むしかないという話しか聞かれない。
全体を見てうまくいっていなければ調整役を務めるべき内閣からは、オリンピック招致の際安倍首相は新競技場のデザインを見せつつ招致に努めたので、このデザインを変えることはできないという説明がなされているが、費用全体について国際的にどう説明したのか。このように途方もない費用であれば、デザインの変更もやむをえないということに国際的な理解が得られることなどまったく考慮されていないのではないか。
とほうもない巨額の費用がかさむ計画がタイムリミットの脅迫の下にだれもコントロールできないまま進んでいく。何という無責任体制であろうか。日中戦争以来の日本の対応は問題であったと指摘されるが、今回ほどあきれた無責任ぶりではなかったように思う。
今からでも遅くない。全体の費用予測をもっと正確に立て、デザインを見直すべきである。文科大臣、官邸はその方向で指導力を発揮すべきである。そのためにラグビーのワールドカップに間に合わなくなるのであれば、花園ラグビー場など既存の施設の改修で対応すべきである。
それと、比較的次元の低いことだが重要なことがある。後日の検査・監査に耐えうる会計処理が必要であり、そのため、建設に関する帳簿の作成責任者を明確にし、正しく作成・管理すべきである。
2015.07.07
今年の4月から5月にかけて開催された核不拡散条約(NPT)の再検討会議は失敗に終わったが、NPTの歴史から見れば珍しいことでない。曲がりなりにも会議を開催した意義があったと言えるのは1995年と2000年の2回だけであった。1995年はNPTの延長問題があったので核兵器国は譲歩せざるをえなかったからである。
NPTはそもそも妥協の産物であった。国連ができたとき各国とも核兵器は廃絶しなければならないという気持ちが強かったが、なかなか実現しないうちに核保有国が増えていったので、やむをえず、核兵器の拡散禁止に方向転換することになったのである。
その際、核の廃絶についてはgeneral and complete disarmamentの中で実現することになった。第6条である。これはもともと国際連盟で試みられた、各国には最小限の武装しか許さないという方式に淵源がある。NPTで合意されたことは、平たく言えば、「すべての核兵器国が一斉に核を放棄するのでなければならない、また、その放棄については厳格な監督が必要である」ということであった。
核の廃絶がなかなか進まないので、特定の地域だけでも核兵器をなくそうとする動きが出てきた。現在いくつかの地域で成立しているが、完成しているのはラテン・アメリカ、南極および宇宙の3つに過ぎない。
完成しているかどうかについては、条約の内容と核兵器国による保証の2つのポイントから見ていく必要がある。
条約の内容とは、核に関するどのような行為を禁止しているかである。ラテン・アメリカの場合(Tlatelolco条約)は、核兵器をmanufacture, produce(「作る」こと)、acquire, receive, install(「入手」すること)、possess, use, test, store, deploy(「使用」すること)などの行為が禁止されている。後に締結された条約では、さらに核爆発装置の研究、開発、使用済み核物質の廃棄なども禁止される傾向があるが、Tlatelolco条約の禁止は包括的であるとみなされている。
核兵器国による保証は、核兵器5カ国が当該地域の国に対して核兵器を使用しないという約束であり、通常、条約の議定書に核兵器国が署名・批准することで達成される。核兵器国が核を使わないと約束しなければ、域内の国でいくら核を持たないことにしても自己満足でしかない。
今年の4~5月開催されたNPT再検討会議が失敗に終わった主な原因は核軍縮に関する急進派国と核兵器国との間の溝が埋まらなかったからであり、最後の段階で再検討会議を決裂させたのは中東における非核兵器地帯設置に関する国際会議開催問題であった。両者は表面的には別問題であるが、実は関連がある。
中東に非核兵器地帯を設置するという構想が打ち出されたのは1995年の再検討会議であった。
そこで採択された文書では、中東で唯一NPTに参加していないイスラエルに条約への参加を求めているが、それと同時に「中東和平が進展すれば核兵器地帯を設置するのに貢献する」という一文が入っている。イスラエルの存在を一部例外を除き中東諸国は認めておらず、イスラエルとしてはつねに生存を抹殺される危機に瀕しており、したがって核兵器を保有するのもやむをえないという事情があり、中東和平が実現すればイスラエルの存在が認められ、そうなるとイスラエルが核保有する必要もなくなるという考えである。
このようなことはどの中東諸国も分かっているが、表向きには、イスラエルが核兵器を持っているのは実は自分たちのせいだということを認めるわけにいかない。しかし、エジプトは、ヨルダンとともにイスラエルを承認しているので、イスラエルが核を持つのは認められないと言える。そういう事情があるので再検討会議でエジプトは米国などと激しく対立する。今回もそうなった。しかし、欧米諸国にとってはエジプトとヨルダンだけがイスラエルを承認しても大多数の中東諸国が承認していない限り同じことであり、エジプトの主張を認めるわけにいかない。
日本は非核三原則を表明しているので、一見非核兵器地帯の一種のような外観があるが、国際社会ではそのように考えられていない。地域でなく1カ国だからではない。1カ国でもモンゴルは非核兵器地帯の一種とみなされている。
日本の場合は、核を「作らず」「保有せず」「持ち込ませない」というのが三原則であるが、その中には「使用せず」が入っておらず、これでは非核兵器地帯としては十分でない。
日本の非核三原則が、「核を使用しない」ことを含めていないのは、米国の核の抑止力に依存している日本として、必要な場合には核を使ってでも日本を防衛してもらわなければならないからである。日本が「核を使わない」よう米国に要請するのは、米国の核の抑止力に依存せざるをえない日本として自殺行為に等しく、ありえない。
一方、「持ち込ませない」は、小笠原諸島や沖縄が日本に返還される際(それぞれ1968年、1972年)、米軍の保有していた核兵器を撤去してもらう必要があったので原則の一つとした。日本国内に核兵器があるということは受け入れられなかったのである。
しかし、ここには困難な問題、矛盾と言えるかもしれない問題があった。日本は、核兵器を使ってでも日本を防衛してもらわなければならないが、同時に、核兵器を「日本に持ち込んでもらっては困る」と言わざるをえなかった。日本を守る武器を日本に持ち込んでもらっては困るというのはそもそも無理なことだった。非核三原則はそのような矛盾を内包したまま宣言された。
地域的核軍縮と非核三原則
最近、ある大学で行なった講義の要点。今年の4月から5月にかけて開催された核不拡散条約(NPT)の再検討会議は失敗に終わったが、NPTの歴史から見れば珍しいことでない。曲がりなりにも会議を開催した意義があったと言えるのは1995年と2000年の2回だけであった。1995年はNPTの延長問題があったので核兵器国は譲歩せざるをえなかったからである。
NPTはそもそも妥協の産物であった。国連ができたとき各国とも核兵器は廃絶しなければならないという気持ちが強かったが、なかなか実現しないうちに核保有国が増えていったので、やむをえず、核兵器の拡散禁止に方向転換することになったのである。
その際、核の廃絶についてはgeneral and complete disarmamentの中で実現することになった。第6条である。これはもともと国際連盟で試みられた、各国には最小限の武装しか許さないという方式に淵源がある。NPTで合意されたことは、平たく言えば、「すべての核兵器国が一斉に核を放棄するのでなければならない、また、その放棄については厳格な監督が必要である」ということであった。
核の廃絶がなかなか進まないので、特定の地域だけでも核兵器をなくそうとする動きが出てきた。現在いくつかの地域で成立しているが、完成しているのはラテン・アメリカ、南極および宇宙の3つに過ぎない。
完成しているかどうかについては、条約の内容と核兵器国による保証の2つのポイントから見ていく必要がある。
条約の内容とは、核に関するどのような行為を禁止しているかである。ラテン・アメリカの場合(Tlatelolco条約)は、核兵器をmanufacture, produce(「作る」こと)、acquire, receive, install(「入手」すること)、possess, use, test, store, deploy(「使用」すること)などの行為が禁止されている。後に締結された条約では、さらに核爆発装置の研究、開発、使用済み核物質の廃棄なども禁止される傾向があるが、Tlatelolco条約の禁止は包括的であるとみなされている。
核兵器国による保証は、核兵器5カ国が当該地域の国に対して核兵器を使用しないという約束であり、通常、条約の議定書に核兵器国が署名・批准することで達成される。核兵器国が核を使わないと約束しなければ、域内の国でいくら核を持たないことにしても自己満足でしかない。
今年の4~5月開催されたNPT再検討会議が失敗に終わった主な原因は核軍縮に関する急進派国と核兵器国との間の溝が埋まらなかったからであり、最後の段階で再検討会議を決裂させたのは中東における非核兵器地帯設置に関する国際会議開催問題であった。両者は表面的には別問題であるが、実は関連がある。
中東に非核兵器地帯を設置するという構想が打ち出されたのは1995年の再検討会議であった。
そこで採択された文書では、中東で唯一NPTに参加していないイスラエルに条約への参加を求めているが、それと同時に「中東和平が進展すれば核兵器地帯を設置するのに貢献する」という一文が入っている。イスラエルの存在を一部例外を除き中東諸国は認めておらず、イスラエルとしてはつねに生存を抹殺される危機に瀕しており、したがって核兵器を保有するのもやむをえないという事情があり、中東和平が実現すればイスラエルの存在が認められ、そうなるとイスラエルが核保有する必要もなくなるという考えである。
このようなことはどの中東諸国も分かっているが、表向きには、イスラエルが核兵器を持っているのは実は自分たちのせいだということを認めるわけにいかない。しかし、エジプトは、ヨルダンとともにイスラエルを承認しているので、イスラエルが核を持つのは認められないと言える。そういう事情があるので再検討会議でエジプトは米国などと激しく対立する。今回もそうなった。しかし、欧米諸国にとってはエジプトとヨルダンだけがイスラエルを承認しても大多数の中東諸国が承認していない限り同じことであり、エジプトの主張を認めるわけにいかない。
日本は非核三原則を表明しているので、一見非核兵器地帯の一種のような外観があるが、国際社会ではそのように考えられていない。地域でなく1カ国だからではない。1カ国でもモンゴルは非核兵器地帯の一種とみなされている。
日本の場合は、核を「作らず」「保有せず」「持ち込ませない」というのが三原則であるが、その中には「使用せず」が入っておらず、これでは非核兵器地帯としては十分でない。
日本の非核三原則が、「核を使用しない」ことを含めていないのは、米国の核の抑止力に依存している日本として、必要な場合には核を使ってでも日本を防衛してもらわなければならないからである。日本が「核を使わない」よう米国に要請するのは、米国の核の抑止力に依存せざるをえない日本として自殺行為に等しく、ありえない。
一方、「持ち込ませない」は、小笠原諸島や沖縄が日本に返還される際(それぞれ1968年、1972年)、米軍の保有していた核兵器を撤去してもらう必要があったので原則の一つとした。日本国内に核兵器があるということは受け入れられなかったのである。
しかし、ここには困難な問題、矛盾と言えるかもしれない問題があった。日本は、核兵器を使ってでも日本を防衛してもらわなければならないが、同時に、核兵器を「日本に持ち込んでもらっては困る」と言わざるをえなかった。日本を守る武器を日本に持ち込んでもらっては困るというのはそもそも無理なことだった。非核三原則はそのような矛盾を内包したまま宣言された。
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