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2015.07.24
日本政府は日中首脳会談実現の可能性を探っている。そのようなときに、このような発表をするのは役に立つだろうか。中国に対して主張すべきことを差し控えたり、遠慮する必要はないが、それは原則論。タイミングを計るのは重要なことである。外交でも日常生活でもタイミングを計りつつ発言する。それは主張の効果をより高めるためであり、そのようなことを考えずに行動すると「空気が読めない」ということになる。
中国による一方的なガス田開発が深刻な問題であれば、首脳会談の場でこちらの考えを表明できるではないか。
今回の政府発表は某紙の記事がきっかけであったとも言われているが、当たり前のことを主張するにも、あまりに単純な行動は禁物である。
(短評)中国によるガス田開発に関する政府発表
7月22日、中国のガス田開発に関する日本政府の突然の発表は驚きであった。官房長官が述べている「中国が一方的に資源開発をすることは極めて遺憾だ」ということ、日本として開発の中止を強く求めていくこともわかるが、なぜ今そうしなければならないのか、わからない。日本政府は日中首脳会談実現の可能性を探っている。そのようなときに、このような発表をするのは役に立つだろうか。中国に対して主張すべきことを差し控えたり、遠慮する必要はないが、それは原則論。タイミングを計るのは重要なことである。外交でも日常生活でもタイミングを計りつつ発言する。それは主張の効果をより高めるためであり、そのようなことを考えずに行動すると「空気が読めない」ということになる。
中国による一方的なガス田開発が深刻な問題であれば、首脳会談の場でこちらの考えを表明できるではないか。
今回の政府発表は某紙の記事がきっかけであったとも言われているが、当たり前のことを主張するにも、あまりに単純な行動は禁物である。
2015.07.22
そもそもギリシャの混乱は、欧州各国がリーマンショック以来の金融危機から脱しきれないでいた2010年1月、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことから始まった。それまでは、ギリシャの財政赤字はGDPの4%程度と発表されていたが、実際は13%近くに膨らみ、債務残高は国内総生産の113%にのぼっていた。要するに粉飾報告されていたのである。
この問題が明るみに出た時の首相はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(全ギリシャ社会主義運、PASOKの党首)。2009年の総選挙で保守系の新民主主義党NDを破って政権について間もない時のことであった。NDは1970年代の初めに軍事政権が倒れて以来、PASOKと並んでギリシャの政治を担ってきた政党である。
統計問題の指摘後、国債、株価が急落するなかでパパンドレウ首相は2010年4月、EU(ユーロ圏諸国)などに対し金融支援の要請に踏み切り、第1次および第2次支援策(それぞれ2010年5月、2011年7月)をまとめた。
しかし、緊縮政策に起因する不景気、失業率の増大が引き続き、国債の償還満期の延期や利息の引き下げ、対外債務の減免などで対応しようとしたが混乱は収まらず、政治は不安定化し、パパンドレウは退陣した。
2012年5月の総選挙ではNDが雪辱した。党首のアントニス・サマラスは組閣に取り掛かったが成功せず、1カ月後に再選挙となり、NDが再度第1党となった。今度はPASOKなどと連立政権樹立に成功したが、PASOKはもともとNDのライバル政党であり閣外協力にとどまったので、サマラス内閣にとっては基盤の弱い門出となった。
アレクシス・チプラスが率いる急進左派連合(SYRIZA)はこのころすでにかなりの勢力となっており、2012年の選挙では第2党であった。サマラスが政権樹立に失敗した場面ではチプラスが大統領から組閣を要請されたこともあったが、実現には至らなかった。
チプラスは学生時代から政治運動に関わってきた共産党員であり、チェ・ゲバラの崇拝者である。首相に就任する際にも伝統的なギリシャ正教式の宣誓式をしなかった。公式の場でもノーネクタイを貫いている。
2015年1月の総選挙でSYRIZAが第1党となりチプラス政権が生まれ、EUなどとの再交渉に臨んだが、EU側の態度は硬く、あくまで緊縮案の受け入れをギリシャに迫った。チプラス首相は国民の意思を背後に再交渉に持ち込もうとし、各国の反対を押し切って7月5日に国民投票を行なった。その結果、緊縮案に対する反対は61.3%に上った。
しかし、ユーロ各国はきびしい態度を崩さなかった。交渉が決裂すると債務不履行に陥り、ユーロ圏からの離脱を迫られるので筋金入りの左翼主義者であるチプラス首相としても譲歩せざるを得ず、7月13日、ユーロ圏首脳会議はほぼ当初案通りの内容の支援策につき合意した。
これまでの経緯を振り返ると、いくつか注目される点がある。
第1に、7月5日の国民投票であり、チプラス首相は国民投票で多くに国民が緊縮案に反対すれば再交渉は可能と本当に考えていたのか疑問が残る。表面的にはまさにそれが国民投票の目的であり、投票前にはチプラス自身、国民にノーの意思表示をするよう呼びかけていた。しかし、それまでのEUの厳しい姿勢にかんがみると、それは楽観的に過ぎる期待であり、再交渉はしょせん困難と判断すべきでなかったか。
第2に、チプラス首相が飲まされた条件は従来から提示されていた緊縮策と同じであり、しかも、付加価値税の引き上げなどについては2日後の15日までに法制化することを条件とされるなど格段に厳しくなった面もあった。チプラスは債務の減免を獲得できるとギリシャにとって有利な面を強調しているが、合意全体を見ると、結局無条件降伏に近い敗北となったのではないか。
第3に、従来からチプラスとSYRIZAを支持してきた低所得者層のなかでチプラスの大幅譲歩に幻滅し、今後は支持しなくなる人たちが出てくるのではないか。そうなれば、今後の政権運営は困難になる。
第4に、1970年代からギリシャの政治を担ってきた左翼系のPASOKと保守系のNDに加え、厳しい内外の環境下でのしてきた急進的左派勢力であるSYRIZAも今後のギリシャ政治の新たな核となる印象もあったが、今回の結末を見るとSYRIZAにはたしてそのような力が備わっていくか疑問である。
ギリシャ支援と政治変化
ギリシャとユーロ圏諸国が財政・金融支援(第3次)について合意したのは喜ばしい。しかし、これでギリシャの危機が解決したのではなく、経済成長、財政、金融、対外債務の支払いなどをめぐる状況は依然として厳しく、さらなる支援が必要になるかもしれないと言われている。前途はまだまだ多難なようだ。そもそもギリシャの混乱は、欧州各国がリーマンショック以来の金融危機から脱しきれないでいた2010年1月、欧州委員会がギリシャの統計上の不備を指摘したことから始まった。それまでは、ギリシャの財政赤字はGDPの4%程度と発表されていたが、実際は13%近くに膨らみ、債務残高は国内総生産の113%にのぼっていた。要するに粉飾報告されていたのである。
この問題が明るみに出た時の首相はゲオルギオス・アンドレアス・パパンドレウ(全ギリシャ社会主義運、PASOKの党首)。2009年の総選挙で保守系の新民主主義党NDを破って政権について間もない時のことであった。NDは1970年代の初めに軍事政権が倒れて以来、PASOKと並んでギリシャの政治を担ってきた政党である。
統計問題の指摘後、国債、株価が急落するなかでパパンドレウ首相は2010年4月、EU(ユーロ圏諸国)などに対し金融支援の要請に踏み切り、第1次および第2次支援策(それぞれ2010年5月、2011年7月)をまとめた。
しかし、緊縮政策に起因する不景気、失業率の増大が引き続き、国債の償還満期の延期や利息の引き下げ、対外債務の減免などで対応しようとしたが混乱は収まらず、政治は不安定化し、パパンドレウは退陣した。
2012年5月の総選挙ではNDが雪辱した。党首のアントニス・サマラスは組閣に取り掛かったが成功せず、1カ月後に再選挙となり、NDが再度第1党となった。今度はPASOKなどと連立政権樹立に成功したが、PASOKはもともとNDのライバル政党であり閣外協力にとどまったので、サマラス内閣にとっては基盤の弱い門出となった。
アレクシス・チプラスが率いる急進左派連合(SYRIZA)はこのころすでにかなりの勢力となっており、2012年の選挙では第2党であった。サマラスが政権樹立に失敗した場面ではチプラスが大統領から組閣を要請されたこともあったが、実現には至らなかった。
チプラスは学生時代から政治運動に関わってきた共産党員であり、チェ・ゲバラの崇拝者である。首相に就任する際にも伝統的なギリシャ正教式の宣誓式をしなかった。公式の場でもノーネクタイを貫いている。
2015年1月の総選挙でSYRIZAが第1党となりチプラス政権が生まれ、EUなどとの再交渉に臨んだが、EU側の態度は硬く、あくまで緊縮案の受け入れをギリシャに迫った。チプラス首相は国民の意思を背後に再交渉に持ち込もうとし、各国の反対を押し切って7月5日に国民投票を行なった。その結果、緊縮案に対する反対は61.3%に上った。
しかし、ユーロ各国はきびしい態度を崩さなかった。交渉が決裂すると債務不履行に陥り、ユーロ圏からの離脱を迫られるので筋金入りの左翼主義者であるチプラス首相としても譲歩せざるを得ず、7月13日、ユーロ圏首脳会議はほぼ当初案通りの内容の支援策につき合意した。
これまでの経緯を振り返ると、いくつか注目される点がある。
第1に、7月5日の国民投票であり、チプラス首相は国民投票で多くに国民が緊縮案に反対すれば再交渉は可能と本当に考えていたのか疑問が残る。表面的にはまさにそれが国民投票の目的であり、投票前にはチプラス自身、国民にノーの意思表示をするよう呼びかけていた。しかし、それまでのEUの厳しい姿勢にかんがみると、それは楽観的に過ぎる期待であり、再交渉はしょせん困難と判断すべきでなかったか。
第2に、チプラス首相が飲まされた条件は従来から提示されていた緊縮策と同じであり、しかも、付加価値税の引き上げなどについては2日後の15日までに法制化することを条件とされるなど格段に厳しくなった面もあった。チプラスは債務の減免を獲得できるとギリシャにとって有利な面を強調しているが、合意全体を見ると、結局無条件降伏に近い敗北となったのではないか。
第3に、従来からチプラスとSYRIZAを支持してきた低所得者層のなかでチプラスの大幅譲歩に幻滅し、今後は支持しなくなる人たちが出てくるのではないか。そうなれば、今後の政権運営は困難になる。
第4に、1970年代からギリシャの政治を担ってきた左翼系のPASOKと保守系のNDに加え、厳しい内外の環境下でのしてきた急進的左派勢力であるSYRIZAも今後のギリシャ政治の新たな核となる印象もあったが、今回の結末を見るとSYRIZAにはたしてそのような力が備わっていくか疑問である。
2015.07.17
日本にとってもこの合意は大きな意味がある。核不拡散の観点もさることながら、イラン原油の輸入を再開できるからである。
オバマ大統領は就任以来イランとの対話を重視してきたが、その後の進展は芳しくなく、共和党の保守勢力からは、シリアとの関係、医療改革などとともに批判されがちであった。同大統領の残りの任期が短くなってきている中で、議会との関係では今後も困難な局面が出てくるであろうが、今回の協議成功がオバマ大統領の得点となることは間違いない。
イスラエルとの関係では、ネタニヤフ首相が、四の五の言うイランに対して核協議の成立を待たず直ちに攻撃すべきであるという極論を唱え、また、米議会、とくに共和党との関係を重視し、オバマ政権は相手にしないと言わんばかりの姿勢を取るなどしたため米イスラエル関係は悪化していた。ネタニヤフ首相は今回の合意後も、「歴史的誤りだ」と評するなど相変わらずの姿勢であるが、各国としてはあまりにかたくななイスラエルを支持するのは困難になるはずである。
最近、イスラエルとの関係強化に関心を見せている中国は、今回の協議で建設的な役割を果たしたと言っている(王毅外相)。当然中国としても今次合意を積極的に評価しているのでネタニヤフ首相との付き合いは簡単でないだろう。
今回の協議は2002年の問題発生から数えると13年間かかった。その間のイランの対応を見ると、イランが国際協調的になったと判断するのは早すぎる。今回の交渉の最終段階でも歴史的、政治的な事情に起因する米国への警戒心が表れ、合意達成にブレーキとなっていた。
ロハニ大統領が就任した2年前から本件協議が前進し始めた。協議の最終段階でも同大統領は国内の保守勢力を抑えつつ、対外的に協調的な姿勢を貫くことができた。複雑な状況にある中東で、今後、イランが積極的な役割を果たすことが期待される。
(短評)イランの核協議で合意成立
ウィーンで行われていたイランとp5+1(米英仏露中独)の核協議が、数回にわたる延長の末7月14日、最終合意に達し、イランは今後15年間高濃縮ウランを製造しない、現在保有している低濃縮ウランは大幅に減少する、IAEA(国際原子力機関)の査察は軍事施設に対しても行なう、イランに対する各国の制裁は一部を除き解除する、こととなった。日本にとってもこの合意は大きな意味がある。核不拡散の観点もさることながら、イラン原油の輸入を再開できるからである。
オバマ大統領は就任以来イランとの対話を重視してきたが、その後の進展は芳しくなく、共和党の保守勢力からは、シリアとの関係、医療改革などとともに批判されがちであった。同大統領の残りの任期が短くなってきている中で、議会との関係では今後も困難な局面が出てくるであろうが、今回の協議成功がオバマ大統領の得点となることは間違いない。
イスラエルとの関係では、ネタニヤフ首相が、四の五の言うイランに対して核協議の成立を待たず直ちに攻撃すべきであるという極論を唱え、また、米議会、とくに共和党との関係を重視し、オバマ政権は相手にしないと言わんばかりの姿勢を取るなどしたため米イスラエル関係は悪化していた。ネタニヤフ首相は今回の合意後も、「歴史的誤りだ」と評するなど相変わらずの姿勢であるが、各国としてはあまりにかたくななイスラエルを支持するのは困難になるはずである。
最近、イスラエルとの関係強化に関心を見せている中国は、今回の協議で建設的な役割を果たしたと言っている(王毅外相)。当然中国としても今次合意を積極的に評価しているのでネタニヤフ首相との付き合いは簡単でないだろう。
今回の協議は2002年の問題発生から数えると13年間かかった。その間のイランの対応を見ると、イランが国際協調的になったと判断するのは早すぎる。今回の交渉の最終段階でも歴史的、政治的な事情に起因する米国への警戒心が表れ、合意達成にブレーキとなっていた。
ロハニ大統領が就任した2年前から本件協議が前進し始めた。協議の最終段階でも同大統領は国内の保守勢力を抑えつつ、対外的に協調的な姿勢を貫くことができた。複雑な状況にある中東で、今後、イランが積極的な役割を果たすことが期待される。
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